このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
越中放浪記
KAZ 2004年10月26日
先日ひょんなことから勤め先の同業者組合主催の旅行へ参加することになり、思いがけず富山・石川方面へ出かけました。各社オーナークラス対象の旅行だったので、まあこれでもかと言わんばかりの大名旅行でして、私などは場違いで浮いた存在だったのですが、それはさておき道中で寄り道した高岡・富山(と金沢)の簡単なレポートをば。
・富山駅で軽く散策
昼食で小休止となった富山駅前で、少々時間が空いたので会場を抜け出し駅周辺を散策してみました。ぶらぶら歩いていると軌道線8000系が現れたので慌ててシャッターを切り、電鉄富山駅を覗いてみます。駅舎は駅ビル「エスタ」として開発されており、少々奥まった場所にコンコースを設けています。電車が着くとそれなりに降車客があり、中にはスーツ姿も見られますが、さて市内線の様子はどうかと駅前電停で様子を見れば、こちらは閑散としており降車客も女性・高齢者が目立ちます。
電鉄富山駅 市内線の様子
運行本数が全然違うとはいえ、この違いや如何に。時間もなくなり会場へ戻る途中、道路脇のバス停を見れば小屋状になった待合スペースが用意されており、さすが降雪地。
富山市内バス停いろいろ
・万葉線で新湊へ
観光を終え高岡のホテルに着けば、全員に個室が割り振られ夕食も個別で、ということなので早速部屋に入り、夕食の誘いを何とか巻いて高岡駅へ向かいます。駅前に公立高校と図書館、そして大駐車場ビルを建ててしまう高岡市のセンスに恐れ入りながら駅前の万葉線乗り場に向かえば、やって来たのはネコのペイントを施された旧型車。低床車は運休とのことで残念でしたが、とにかく電車に乗り込み中新湊へ向かいます。
万葉線の様子
しかし雨とはいえ平日の夕方17時過ぎなのに乗客は私を含め僅か 6人、都心の単線区間では乗降ともなく、複線区間に入ってからは数人程度の乗車がありましたが、乗車が増えたのは新湊市内に入ってから。夕方の退勤時間に差し掛かる微妙な時間だったせいもあるのでしょうが、高岡市内より新湊市内の方が「市内線」的利用が多く見られたのは意外でした。新湊市役所前からはスーツ姿の乗客も多く、大半が中新湊で降車、商店街へ消えていきました。酒宴での電車利用でしょうか。彼等に混じって私も降り、雨降る新湊市街を散策します。
新湊旧市街の様子
しかしまだ18時だと言うのに人の気配すらない商店街はハード面の整備は結構されているようで、街路樹の植わった美しい通りを北上し旧市街へ入ると、東西方向の商店街があります。完全なシャッター通りかと言うとそうでもなさそうで、食料品や雑貨屋などはそれなりに人を集めている様子。生菓子を扱う和菓子屋が数店あることから生活ぶりを想像したりしながら東へ歩を進め、並行する運河の様子もチラリと見たりして新湊市役所へ。バス停を見ると加越能バスの他にも海王交通やコミバスのポールが林立するも運転本数はどれも僅少で、試乗したくもどれも叶わず。さてどうしようかと思いましたが、まあいっかぁと再度東へ歩を進めます。
新湊市役所前駅付近から中伏木駅までの徒歩道中、北側の旧市街と打って変わって高度成長期の開発とおぼしき低層住宅地を抜けながら庄川を渡り工場地帯へ。恐らく先ほどの住宅はこれらの工場群の従業員を対象にしたものでしょうし、先ほどの万葉線の利用状況や海王交通の小杉行きバス設定なども考えると、新湊市と高岡市の関係が気になります。JRの貨物線の軌道敷や如意の渡し乗り場をチラリと覗きながら中伏木駅に向かい、ここから再度万葉線で高岡市内へ。
・高岡市内散策から富山へ
日もとっぷりと暮れ、時折消える室内灯(交換駅での架線センサーの関係?)が侘びしさを演出する旧型車に揺られ坂下町まで。今回も利用が比較的多かったのは複線区間までで、高岡の実質的な市街地は電車沿いだと市役所や市民病院・ジャスコのある広小路〜旭が丘間といったイメージ。坂下町から駅前までの旧市街は見事なまでの閑散ぶりで、僅かに人の気配がするのは末広町や御旅屋といった高岡駅前エリアのみ。それも飲み屋帰りの酔客と客待ちタクシー・運転代行の姿があるからで、他には閉店作業中のパチンコ店の灯りがあるくらい。旧市街では唯一の核であろう大和百貨店の前も歓楽街的イメージで、呼び込みのボーイと代行のクルマが列をなしています。
左−坂下町電停(安全島・防護柵あり) 右−片原町電停(安全島なし)
左−駅前・末広町 右−御旅屋通り・大和前(ともに木曜20時頃)
昼間の街の想像ができないまま駅前へ歩を進め、駅前の再開発ビルを覗きましたが、しかしこのビル、前述のように「県立志貴野高等学校」と「市立中央図書館」が入っており、高岡市のサイトによると「高岡の中心市街地に新しい都市機能を創出し、市の内外から多くの人が集い、ふれあい、魅力とにぎわいにあふれる楽しい場所を提供する」ビルだそうで……。この時点ではまだ20時過ぎで、ちょっとホテルに戻るにも早いかなとJR駅を覗けば直江津行き普通列車が程なくやって来る様子、それではと切符を買い、 475系で往年の急行気分を味わいながら富山へと足を延ばしました。
富山に着き、さてどうしようかと電鉄富山駅を覗けば南富山経由の電車がまた発車間近ということで、ここでもつい乗ってしまい旧京阪車で南富山へ。 2両の列車は座席がほぼ埋まる程度の乗車率は、21時前後としてはそれなりの実績といったところでしょうか。南富山では10人程度の降車と乗車があり、市内線経由上滝線乗り継ぎもそれなりにある様子。市内線と鉄道線はレールがつながっているようで、その気になれば鉄軌直通運転も容易そうです(旧笹津線で実績がありますね)。
南富山駅の様子(左−鉄道線ホームから軌道線を望む 右−軌道線ホーム) 西町電停
市内線は軌道整備が行き届いていないのか非常によく揺れますが、ほぼ直線ルートなのでクランクによる時間損失もなく、きっちり整備すれば大化けしそうな印象。とはいえ都心商業地である総曲輪などは思ったよりこぢんまりした印象で、またその軸が二本並行で軌道と直交する形態なのが回遊性にどう影響しているのか、昼間の姿が気になります。総曲輪と駅の間に県庁・市役所があり、その両脇を歓楽街が固めるといった感じで、総曲輪から歩くと商業地〜歓楽街〜業務エリア〜歓楽街〜駅といった形で「なんとなく」歩けてしまいました。JR駅と業務エリアが結構近いという構造が鉄道・軌道の利用にどう影響しているのかと考えながらJR駅へ戻り、DC列車で高岡まで帰りました。しかしまさかキハ58系が来るとは思わず驚きましたが、新幹線開業までは投資を抑えているのでしょうか。
○万葉線所感
初めて乗った万葉線でしたが、微妙にポイントからずれているような気がしています。時間帯のせいでもあるのでしょうが、高岡旧市街での乗り降りが少なく、高岡駅からの利用者は市役所を越えた辺りの郊外へ乗り通す動きを見れば、高岡市内が併用軌道である必然性を改めて検証してもいいのでは?と思ってしまいます。また短区間利用が多かった新湊市内が専用軌道となっているのもちぐはぐな印象で、はてさて流動はどうなっているのかと調べましたらパーソントリップ調査の概要がネットで検索できました。
http://www.pref.toyama.jp/sections/1506/PTtitle.htm
これによりますと高岡周辺の動きで特徴的なのは、
・高岡、新湊両市とも人口は減少傾向(S60−H12)
・高岡市と新湊市の交流は3万〜4万トリップで、増加基調(S58−H11)
・高岡市都心部の集中トリップが一番多いのは古城公園地区(H11)
・高岡駅の末端交通構成比で路面電車が伸びている(S58−H11)
・新湊市の公共交通分担比が低い(4.2%以下)
・伏木地区の公共交通分担比が高い(6.0%)
といったところでしょうか。私が実見した「広小路以遠で乗降が増える」「高岡駅からの利用者は比較的足が長い」ということは、データからも推測できましょうか。JR線では小杉駅でのP&R・K&Rが大きな伸びを見せているようですし(末端交通の自動車構成比が37.7%)、伏木地区での公共交通分担比の高さなどを鑑みれば「高速性・定時性」が確保され、比較的足が長い流動だと公共交通の選択もある程度見られる、ということでしょうか。万葉線沿線を見れば、人口稠密地帯にもかかわらずほぼ全線にわたって分担率が低く、トリップ数の増加基調も反映されていないことは「交通機関としての魅力が乏しい」という評価の現れでしょう。詳細なODや道路状況を見ていないので迂闊なことは言えませんが、氷見線沿線の伏木地区での分担率との違いを考えれば、万葉線が生き残るには高速性・定時性を如何に高めるかが鍵になろうかと思われます。氷見線や新湊貨物線といったヘビーレールの存在と併せて、改めて実地を見てみたいなと思っています。
○富山地鉄所感
なんでも北日本新聞によれば、過日行われた改正での普通列車増発は好評のようで利用者も僅かに伸びた様子。とはいえパターン化もされておらず「乗りやすい都市内交通」にはイマイチなり得ていないような印象です。本線の寺田〜電鉄富山間は道路渋滞ポイントと重複していますし、この区間はもっと積極的な展開があっても良さそうに思います。市内線はクランクも少なく要所をしっかり押さえていますから、車両・軌道の近代化を進めれば挽回も可能かと思いますが、南富山から掛尾町辺りまで延伸してP&Rなど実施しても面白いかなと地図を見ながら妄想したりしました。今回はチョイ乗りばかりなので具体的なところは何も見えていないと思いますので、また改めて乗ってみたいですね。
ということで少々長くなりましたが越中の旅路で感じたことなどを書いてみました。
※ブラウザの「戻る」ボタンでお戻りください
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |