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時系列を追ってはどうか



赤い砂兎  2006年 8月29日





 智頭急行の記事でも感じたことですが、北越急行の設立経緯を時系列で追われてはどうでしょうか。

 会社の設立は1984年ですが、この当時はあくまで新潟県内のローカル輸送の為ですし、計画も非電化です。東京−北陸短絡だけならば北越南線の方がいいのですが、こちらに打ち勝って北線の建設を行ったわけですし、争いに破れた南線沿線の自治体も出資しています。これも新潟県内の足だからこそでしょう。ここが電化・高速化されたのは1988年に運輸省が出してきた整備新幹線穴子案の中で、北越北線の高速化が決定されたことによるものです。

 運輸省が当時から腹案を持っていたという考え方も出来ましょうが、智頭急行が特急運転を前提に建設再開しようとした時でさえ「都市間輸送は国鉄の仕事であって、3セクの役割は地域内輸送」だとして特急運転を計画から外させていますから、その可能性は小さいと考えます。智頭鉄道が国鉄の特急乗り入れが黒字化の前提だとする調査結果を持っていたのにも拘わらずです。北陸新幹線が出来れば「はくたか」は廃止になるでしょうけど、元々の建設動機はそのまま残ります。この点において、最大出資者である鳥取県が地域内輸送とは一番関係無い智頭急行とは状況がまるで異なります。

 ちなみに、北越急行高速化の恩恵を受けるハズの富山・石川両県は出資していませんが、智頭急行の出資者には1株2株単位とは言え山陰本線の赤碕駅までの自治体が名を連ねています。





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