このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





街の「猥雑さ」はプロデュースできるか?



さいたま市民@西浦和  2005年 8月 4日





 「下北沢」…懐かしいですねえ。オジサンもちょっと乱入してみたいと思います。

 サブカルチャーで街の活気のある地域は若い人が多いですね。東京なら、話題の下北沢は映画、演劇などの「パフォーマンス」を中心として、人を集めています。私も若い頃は、何度か飲みに言ったモノです。自主制作の映画なんかも見たなあ。安い酒場なんかたくさんあって、宴会したりしたけど、埼京線がない時代、浦和なんていう、下北沢からどう帰っていいか分からない街から通ってた私には、ちょっと縁が薄かったかもしれません。

 サブカルチャー・カウンターカルチャーを都市計画、「街づくり」にあらかじめ取り入れるという発想はしないほうがいいかと思います。文化論をぶつつもりはないのですが、「サブ」とか、「カウンター」とかという言葉の意味を考えてみるとわかります。

 サイバースペースで私たちは発言しているわけですが、今、最も先端を行っている「サブカルチャー」「カウンターカルチャー」は、このサイバースペースではないでしょうか?

 そこで、このバーチャルの「サイバースペース」とリアル世界の接点である東京の街はどこか? もちろん、お読みの皆様は、すぐお分かりになるかと思いますが、これは、「秋葉原」なんですね。

 また、その他にもバーチャル世界とリアル世界の接点になる街は東京都内各地にあります。例えば、歌舞伎町、東銀座は「パフォーマンス」とリアルの接点でしょうし、原宿、渋谷、銀座などバーチャルの「ファッション」世界とリアル世界を結ぶウィンドウはあるわけで、馬喰横山や日暮里だってバーチャルとリアルの接点といえるでしょう。

 で、秋葉原に戻りますが、ここは関東大震災後の都市計画で出来た街割に、戦後、神田市場に関わる流通企業が集積した後に電機部品企業が集まり、ここを中心に「安売り電気街」が成立したのでしたね。この「電気街」はかつての大電気生産企業の全国フランチャイズでの電気品販売のアンテナショップでもあったのでしょう。また、この街での電気部品の生産販売は、下町の中小零細工場の「部品供給」部の役割を担ったことでしょう。

 1980年代初め、「パソコン」の普及とともに、秋葉原の「部品供給」と白モノ家電の「安売り電気街」「アンテナショップ」の役割は大きく変わってくるのです。流通のIT化によって、いわゆる「量販店」が新宿西口から全国展開を始めると、まず、秋葉原は「安売り電気街」の看板に加え、「パソコン」の安売り早売りを始めるのです。わたしなどはその頃から秋葉原へ通うようになりましたね。「定時巡回」とか、「アキバ見回り」なんていう言葉が言われるようになった時代です。

 90年代には、「量販店」が今度は北関東から全国展開するようになって、電気品販売のフランチャイズ制が崩れていったのですね。その中で、秋葉原はアキバ、そしてローマ字のAKIBAと名を変えるのです。

 中央通りに面する老舗電気店の店頭の主役は白モノ家電からパソコンへ替わりながらも仲良く並んでいたのですが、いわゆる電気部品店の「裏秋葉原」への展開がみられるのがこの時期だったと思います。「裏秋葉原」の主役は、中古パソコンやパソコンの部品、消耗品類で、これらを商う店店の有象無象が日々入れ替わったのが昨日のように思い出されます。この回転は現在でも見ることが出来るのですが、勢いは当時の比ではないでしょう?

 21世紀に入って、サイバースペースの一般化に伴って、その端末を求める人々が街を埋め尽くす事になります。サイバースペースの覗き窓と言える端末機器も多様化して、いささかクラシックな冷蔵庫のような自作パソコン部品から携帯電話までこれを求める人々が昌平橋〜嬬恋坂〜末広町〜万世橋の 1km四方を闊歩しているのです。そして、ここは世界にも名の知られた「ハイテク日本の観光地」となったのでしたね。

 そして、バーチャル世界からうまれたリアルが新たな秋葉原の文化を創ろうとしていると言えるかもしれません。いわゆる「オタク文化」ですね。ただ、それはゲームセンターかもしれませんし、コスプレ喫茶かもしれませんし、ポルノショップかもしれません。ただ、これらが「カウンターカルチャー」と言えるかは私には分かりません。ブームを作ろうとする手が見えてしまえば、それは先端では無いですよね。むしろ、パソコンの部品に個性を求める人々の動きの方に先端性があるのかなあ。

 最後に下北沢ですが、「自主映画」や「小演劇」もある意味、「オタク」的な活動ですね。これを見せるスペースも「カウンターカルチャー」の1アイテムと考えれば、現状の下北沢の町並みや会場の住宅などをパフォーマンスの舞台として意味を加えるものとなるのでしょう。住んでいる方には申し訳ないのですが、下町的な密集した住宅を残したまま、都市計画道路を引いてみて、そこでどんな「パフォーマンス」が見られるのかなという楽しみはあります。小田急線は工事始めているのですね。

 戦後すぐに出来たようなビルの、急な階段を登って覗く窮屈なパーツ屋も秋葉原の文化だと思いますし、舞台の袖がアパートの廊下だったりする小劇場は下北沢の文化なのでしょう。この風味を残した都市計画・街づくりはできるのでしょうか。





※ブラウザの「戻る」ボタンでお戻りください





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください