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夏の「会津路」一周記
TAKA 2004年 9月 5日
皆様こんにちはTAKAです。夏休み最後の日曜日、仕事が入っていたので近所の団体の “そば打ち体験ツアー”をキャンセルしたのですが(その団体の企画委員だったので本来は出席しなければならなかったのですが……)、なんと仕事自体が直前に中止になりポッカリと一日空いてしまいました。
そこで「夏唯一かつ最後の休日位何処かに出かけよう」と思い、気分転換を兼ね約15年ぶりに祖先(母の義兄の曽祖父・会津藩家老として新政府により切腹)の墓参りしながら、野岩鉄道開業時に訪問以来の奥会津のローカル鉄道を見に行こうと出かけて来ました。本当はラーメンを食べに喜多方も行きたかったのですが、 7月に郡山での叔母の法事の時に車で行ったついでに寄ったので、今回は時間の制約も有り諦めました。
本来なら腰を落ち着けて見て来たい所ですが、夏休み期間休日がこの日の他にあと一日しか取れない状況でしたし、朝7:30に一件現場打合せをした上に友人との会食が 18:30から東京駅で入っていたので(友人は最終のぞみで名古屋に帰る予定なので遅くは出来ない)、物凄く駆け足になり、又台風の影響で関東地域は雨の天気で(福島県内は見事に曇りだった)観光日和とは言えず、必ずしも実情を反映した状況でない事は承知していますが、興味のある内容なので、拙文ながらレポートを作ってみました。
なお、磐越自動車道についてのコメントは、上記の 7月に喜多方に行った時に、川口〜郡山東〜会津若松〜郡山〜川口と通っているので、その時の状況です。
1.会津鉄道・野岩鉄道及び沿線の概要
【会津鉄道・野岩鉄道概要】
社名 | 軌間 | 動力 | 営業キロ | 車両数 | 駅数 | 現業従業員数 | 資本金 | 大株主 | 基金残額 | 開業日 |
野岩鉄道 | 1067mm | 直流1500V | 30.7km | 電車 6両 | 19駅 | 49名 | 10億円 | 福島県・栃木県・沿線自治体・東武鉄道 | 0円 | 1986/10/9 |
会津鉄道 | 1067mm | 内燃 直流1500V | 57.4km | 気動車17両 電車 2両 | 9駅 | 34名 | 15億円 | 福島県・沿線自治体・金融機関 | 508百万円 | 1987/7/16 |
社名 | 運行区間 | 乗入区間 | 運行本数 |
野岩鉄道 | 新藤原〜会津高原 | 新藤原〜浅草・会津高原〜会津田島間 | 16往復+ 1本(内急行 1往復) |
会津鉄道 | 会津高原〜西若松 | 西若松〜会津若松・会津高原〜浅草間 | 会津高原〜会津田島間17往復(内急行1往復) 会津田島〜会津若松間15往復(内快速 2.5往復) |
※上記資料は「年鑑日本の鉄道04」「鉄道ジャーナル04年 8月号」等より抜粋掲載で基本的には2001年度の内容
※特に
野岩鉄道ホームページ
には詳しい概要が乗っているので、それも参照してください。
※なお会津鉄道のホームページは
こちら
。
【補足説明】
☆会津高原〜会津田島間の会津鉄道電化区間の運転業務は野岩鉄道に委託
(朝の一部の気動車列車を除く)
☆浅草〜会津田島間の快速列車は東武・野岩・会津の3社で共通運用(6050系)
但し急行「南会津」用の 200系は東武車両を使用。
☆野岩鉄道・会津鉄道区間には4両編成のみ入線可能
☆会津鉄道は電化・非電化区間の境界会津田島で基本的に系統分割、接続は確保されている。
【野岩鉄道の経営状況】
年度 | 営業収入 | 営業費 | 輸送人員(定期比) | 輸送密度 | 車両走行キロ | 旅客輸送人キロ |
'91 | 655,342千円 | 694,370千円 | 1,175千人( 5%) | 1,977名 | 1,369千km | 22,218千人km |
'97 | 551,518千円 | 602,856千円 | 817千人( 6%) | 1,304名 | 1,361千km | 14,613千人km |
'01 | 437,265千円 | 573,271千円 | 681千人( 6%) | 1,052名 | 1,284千km | 11,792千人km |
【会津鉄道の経営状況】
年度 | 営業収入 | 営業費 | 輸送人員(定期比) | 輸送密度 | 車両走行キロ | 旅客輸送人キロ |
'91 | 682,841千円 | 937,003千円 | 1,209千人(41%) | 1,372名 | 1,617千km | 28,830千人km |
'97 | 591,554千円 | 944,943千円 | 1,029千人(52%) | 1,153名 | 1,366千km | 24,153千人km |
'01 | 487,251千円 | 707,719千円 | 853千人(54%) | 1,021名 | 1,449千km | 21,386千人km |
※「年鑑日本の鉄道 1994年・2000年・2004年」より抜粋掲載
【会津鉄道沿線自治体の人口(平成13年度)】
・会津若松市 118,118人
・会津本郷町 6,483人
・会津下郷町 7,442人
・会津田島町 13,573人
計 145,616人
福島県HPより
【野岩鉄道沿線自治体の人口(平成16年度)】
・藤原町 11,286人
・栗山村 2,056人
計 13,342人
栃木県HPより
※この人口は沿線自治体全体の人口なので、沿線の人口其の物ではありません。あくまで参考資料として捉えて下さい。
2.会津盆地と他地域を結ぶ交通の状況
【会津盆地と外部を結ぶルート】
会津地方は盆地であり四方が山に囲まれています。ですので会津から他地域に出るのには峠越えが必要となります。昔から会津から他地域への峠越えルートは大きく分けると7つになります。
1)米沢街道(国道121号線)で檜原峠〜米沢
2)越後街道(国道49号線・磐越自動車道・磐越西線)で津川〜新津
3)八十里越(国道252号線)で只見経由で小出
4)会津西街道(国道118号線→121号線・会津鉄道→野岩鉄道)で今市経由で関東平野へ
※現在では栃木県内に入ってから国道400号線で上三依〜塩原温泉〜西那須野ICのルートも有る。
又昔は三斗小屋経由で那須へ抜けていた。現在は奥会津〜白河へ甲子トンネルが建設中。
5)土湯峠越え(国道115号線・土湯トンネル)で福島市へ
6)二本松街道・中山峠越え(国道49号線・磐越自動車道・磐越西線)で郡山へ
7)白河街道・勢至堂峠越え(国道294号線)で白河へ
【各ルートの歴史】
会津地方は戦国時代から交通には難が有ったものの南東北の戦略的要衝で有りました。戦国時代以来「葦名→伊達→蒲生→上杉→松平(保科)」という領主の変遷を見ると、為政者が会津を「東北(伊達家)に睨みを利かせる戦略的要衝」として信用度の高い人物を据え重視してきた事から明らかです。その様な要衝の為、交通路は昔から整備されていました。上記の7ルートは昔から交通路として整備されていました。只ルートの中にも栄枯盛衰は有ります。
特にルートが複数有る関東地方(江戸→東京)へのルートの場合、栄枯盛衰は激しく、江戸時代には主に日光街道へ抜ける会津西街道・白河の関へ接続する勢至堂峠越えの白河街道がメインルートでした。
しかし明治時代に東北本線〜越後をつなぐ磐越西線が郡山〜会津〜新潟のルートを選択した為、郡山〜会津の最短距離の中山峠越えルートが鉄道・道路共メインになり、現在に至っています。
今や会津西街道・白河街道共に明治時代にメインルートから外された事に起因し間道と化してます。
何故かは"地形的厳しさ"と"会津が戊辰の敗北で東北の主流からは外れた"と言う事が有ります。東北の経済的・政治的主流地域は白河〜福島〜仙台〜盛岡〜青森の奥羽街道ルートになってしまい会津はメインルートからのフィーダー中心のルート設定で昔からあった関東直結ルートは間道として位置付けられる事になったのです。
【ルートの概要】
上記で高速道路が通ってるのは2)6)の横軸で、鉄道が通ってるのは2)3)4)6)の縦横軸です。又対東京の場合、最短距離は4)の会津西街道ルートですが、鉄道の場合郡山で新幹線に接続の磐越西線中山峠越えが時間的には最短になります。又車の場合全ルート高速利用可能の磐越道〜東北道の中山峠越えルートと、白河で高速に乗れ比較的道が良く距離も短い勢至堂峠越えのルートと時間的にはそんなに大きく変わりません。
会津地方の場合、上記のような歴史的理由により現在「地理的ルートが時間的最短距離とはならない」という状況に有るのが、会津盆地を取り巻く交通事情の一つの特色です。その為に最短ルートでの鉄道での関東(東京)直結が会津地方の悲願となり、会津鉄道・野岩鉄道へ力を注ぐ事になったのです。
この様な状況の中で、過去はメインルートであったが現在はサブルートになってしまった会津西街道に沿って運転されている会津悲願の東京直結鉄道の奥会津の2ローカル第三セクター鉄道(会津鉄道・野岩鉄道)について、現在実質的にメインルートになっている中山峠越えの磐越西線の状況と合わせて、実際の検分とあわせて検討してみたいと思います。
3.夏の「会津路」訪問記
その様な訳で、夏休み最後の日曜日8月29日ふらりと会津へ日帰り旅行へ行ってきました。会津へは、「東武〜野岩〜会津」ルートを往復しても良かったのですが、朝の仕事と夕方の待ち合わせの都合上、行きは「東北新幹線〜磐越西線」ルートで時間短縮を図り、帰りを「会津〜野岩〜東武」のルートで本命の会津西街道沿いの2つの第三セクター路線を駆け足で見ながら戻ってきました。
【旅行行程】
大宮9:02−(MAXやまびこ・つばさ105号)→9:58郡山10:10−(快速会津ライナー1号)→11:11会津若松
西若松12:50−(AIZUマウントエクスプレス)→13:38会津田島14:23−(快速)→18:04浅草
【池袋〜大宮〜郡山】
朝9時前、池袋から埼京線・東北線で大宮に入る。日曜日の朝なので、埼京線は座席も50%程度しか埋まっていない。雨も影響しているのかもしれない。赤羽から乗った東北線も普通の座席は半分も埋まっていない状況だが、普通車運用しているグリーン車だけは私も利用したが赤羽で満席になる。グリーン料金適用になった後もこの様な好評を維持できるのであろうか? 興味が有る所である。
9時前に新幹線ホームに上がる。そうすると8:54発「こまち・はやて 5号」が入線してきた。全席指定の列車であるが乗車率は「こまち」40%程度、「はやて」50%程度である。目的地が郡山のためその後の9:02発「やまびこ・つばさ 105号」に乗る。後ろの方で「やまびこ」E4系の自由席なら席数が多いので座れると思い並んでいたが、入線してきた列車の乗車率が「やまびこ」30%程度、「つばさ」50%程度で有るのを見て、3列席を嫌い前方へダッシュし「つばさ」の自由席に座る。小型のミニ新幹線車両でもE4系の3列座席よりはかなり快適である。
夏休み最後の雨の日曜日の朝の下りである為、見た列車は乗車率は低い感じである。車内も子供連れの乗客は少なく、仕事ではないが用事で出かける人々(私服の用務客)の様な感じの乗客が多い。
途中宇都宮に止まるが、ホームには20名程度の乗客が待機していた。下車駅の郡山で降りるとホームには乗車客は殆ど居なかったが、降車客は 150名程度いる感じでホームは一時賑やかになる。降車と乗り換えは7対3位で、かなりの降車客が磐越西線ホームへ降りる。目的地「会津」の客は意外に多い感じである。
【郡山〜会津若松・磐越西線「快速あいづライナー 1号」】
ホームに下りると快速「あいづライナー 1号」はすでに入線済であった。階段を下りると先頭車両だったが車両は往年の「特急あいづ」のヘッドマークを掲げた 485系 6両である。半室グリーン・指定 1両半・自由 4両の編成であるが、自由 4両には各車20名程度が並んでいる。混んでいると思ったら、自由席には JTB「旅物語」の団体客がかなり居た(ワッペンを付けて居た)。それ以外でもかなり観光客が多く指定席約30%・自由席約80%の乗車率で郡山を出発する。
あいづライナー@郡山
郡山出発後列車は80〜90km/h位のスピードで進むが、途中磐梯熱海の先の中山峠では20〜25‰の勾配とR= 400位のカーブが続き、60km/h位のスピードまで落ちる。この区間では平行国道の49号線(片側1車線+一部登坂車線有)をコンスタントに走る乗用車に抜かれる感じである。この後猪苗代湖畔で磐越自動車道と並行するが、向こうは環境が良くこの区間 120km/h位で走行可能であり簡単に抜かれていく。磐越西線の状況では、近・中距離で走行環境の良い高速道の乗用車・高速バスに対抗するのは至難である。
郡山発車後は磐梯熱海・猪苗代・磐梯町停車で、約 1時間(61分)で会津若松に到着する。磐梯熱海・磐梯町ではそんなに乗降は無いが、観光地も控えた猪苗代では50名程度の客が下車する。降りた客は殆どが観光客である。
あいづライナー 左:指定席 右:自由席
又前後するが関都で「SL郡山会津路号」を追い抜く。向こうは此方が約 1時間で走る距離を約 2時間半かけるユックリ列車だが、「SLの魅力?」で4割ぐらいの乗車率である。でも逆に言えばSLを走らせても4割位しか観光乗客が集まらないのか? 沿線に人もそんなに出ていなかったし、会津若松の駅にも20名位しか見物客が居なかった。マンネリ化が進んでいるのか?
猪苗代を過ぎ磐梯町周辺から会津盆地へ下るSカーブを60〜70km/h位のスピードで会津若松を目指す。SL時代の線形が残っている感じであり、中山峠と並ぶネックの地点である。磐越自動車道は一気に会津盆地へ下って行くのを思えばとても対抗できない状況である。
この地域は日橋川の東電の発電所を始め幾つかの水力発電所が有る為か工場立地も多い。磐梯町駅前には曹鉄メタル・東長原駅前には昭和電工が有るが、工場自体はいささか寂れた感じで、磐越西線にビジネス需要をもたらす状況ではなさそうである。
11:11に会津若松に到着する。向かいには 3両編成 11:17発の「あがの 1号」が待っている。前述の団体客(目的地は喜多方か?)を含めて 120%程度の乗車率で出発していく。 11:18発の 455系 3両快速郡山行きも70%程度で出発する。又11:30着の快速フェアウェー(新宿6:24発)は485系6両で40%程度の乗車率だった。SLの40%は別にしてそれ以外は「意外に乗っている」と言う感じだった。新宿から 5時間近くかけてきた全席指定快速が40%の乗車率には驚きだった。
とりあえず会津若松駅で状況観察後、駅で食事をしてSLの写真を撮り、その後タクシーを走らせ天寧寺(鶴ヶ城の南東・東山温泉の入口にあり、近藤勇の墓があり今はブーム。近藤勇の墓の近くに私の母の義兄の曽祖父の墓は有る)に墓参に向かい、その足で会津若松では間に合わないので西若松にタクシーを走らせ、西若松から会津鉄道〜野岩鉄道〜東武鉄道で帰京する事とした。
快速「あがの」@会津若松
【西若松〜会津田島・会津鉄道「AIZUマウントエクスプレス」】
12:40頃天寧寺の墓参を終わり、待たせていたタクシーで西若松駅に向かう。会津若松の市街地は会津若松〜七日町の間であるが、鶴ヶ城等の観光地は七日町が最寄り駅であり駅周辺は駅舎を含めレトロな町並みになっている。その為七日町周辺は以外に道路が混雑している可能性があるので、若松市街地の外れだが会津鉄道始発駅の西若松に向かう。
西若松駅は2面3線で現在自由通路工事中だが、只見線は交換出来る物の会津鉄道は3番線だけの棒線の配線でホーム上に仮設プレハブの券売所がある。又駅の脇に会津鉄道の本社がある。
駅に着いたときには七日町行きだった「SL郡山会津路号」が折り返し待ちしており、AIZUマウントエクスプレス入線と行き違いに、DE10型を先頭に若松へ戻っていった。 12:50「AIZUマウントエクスプレス」が3番線に入線。元名鉄キハ8500系の 2両編成ツーマン運転である。
※会津鉄道キハ8500系の概要・写真
AIZUマウントエクスプレス@西若松
特急用車両であり喜多方発で、会津田島で東武急行「南会津」に接続する会津西街道ルートの速達列車で会津若松〜浅草間を 4時間35分で結ぶ。JRの臨時快速より30分近く速いのは、距離の短さの証明だろう。西若松で切符を買ったときに券売所の女性が「時刻表もどうぞ」とくれたが、時刻表には対東京往復切符等の色々な企画切符も乗っており、増収を目指す営業努力は感じられた。
AIZUマウントエクスプレスは西若松発車時で 2両とも大体50%強の乗車率で、利用客の内半分近くが観光客である。日曜日午後の上り速達列車と言う事もあるのだろう。でも西若松時点で30名程度の観光客が乗っていたのは有る意味驚きだった。
AIZUマウントエクスプレス車内
AIZUマウントエクスプレスは70km/h程度のスピードで表定速度で45km/h程度で運転している。ローカル線・田島へは片勾配という条件を考えても、さすがはJR東海キハ85系と連結運転をしていた元健脚である。
途中芦ノ牧温泉で"トロッコ会津浪漫風号"と交換する。新型改造展望車+トロッコ改造車+お座敷車を連結した 3両編成だが、乗客は 1両目展望車に10名程度乗っていただけである。整理券 300円が必要だが、会津若松経由で奥会津から帰る観光客には良い時間帯設定である。その割には乗客が少ないの事には気になった。
その後大川ダム建設時付替え路線を80km/h程度でコンスタントに進む。湯野上温泉・塔のへつりでそれぞれ10名近い観光客の乗車客が有る。この区間は沿いで阿賀川の景観が非常にきれいな区間である。この景観があるのなら、確かにトロッコ展望列車は観光に有望だろう。
車窓風景
下郷と田島で対抗列車と行き違うが、どちらも2両編成で座席の40〜50%程度の乗車率である(田島で行き違う列車は東京〜会津若松間 4時間18分の会津西街道ルート最速達の「アルペンライナー」)。
日曜日午後の列車としては中々の乗車率である。若松口漸増ではなく、田島口からも以外に利用客が多いのは「東京接続」の効果かもしれない。
13:38会津田島着、21分の接続で東武急行"南会津"に接続する。ホームは線路を渡った向こうである。本来ならホーム上対面接続が好ましいが、構内踏切を作り「簡易バリアフリー"にしている。私は野岩鉄道内をゆっくり見たかったし食事もしたかったので、45分後の快速に乗り換える事にしたが、「南会津」へは50名以上のかなりの客が乗り換えた感じである。AIZUマウントエクスプレス内で急行券を予約し、田島の改札で引き換え購入していた乗客も結構居た。
会津田島は南会津の中心で駅も観光センターや食堂も入った立派な駅舎であるが、街自体は旨い蕎麦屋と少々の店と一軒のビジネスホテルがあるがそれ以外は家だけで、賑やかな町ではない(会津若松駅前も会津田島駅前にもコンビニ一軒無い)。この様な状況から町全体の人口集積・鉄道利用需要はそんなに期待できない。その中で会津鉄道は健闘しているだろう。
【会津田島〜新藤原・会津鉄道及び野岩鉄道快速浅草行き】
会津田島で食事と観光センター訪問後、 14:23発の快速浅草行きで東京へ戻る。会津鉄道でも会津田島以南は平成 2年度に電化された区間である。これにより南会津は東京を含む関東地方と直結され、当時は観光振興に大いに寄与すると期待されていたものである。この列車は広義に言えば、AIZUマウントエクスプレスと接続しているが、東京へ向かう客は大多数が急行「南会津」に乗り換えてしまった為、この快速は会津田島発車時点では10名前後の客しか乗車して居ない状況である。
車両は東武車6050系2両編成ツーマン運転で、60km/h程度のスピードでコンスタントに進む。枕木は半分以上が木製だが、レールは非電化区間も電化区間もロングレールでは無いが、50kgレールである。無理な走行と言う感じでもないし、揺れは少ない。
会津田島〜会津高原間では乗降客はゼロだった。10名のまま会津高原に到着する。会津高原では、交換待ちで7〜8分程度停車していたが、その間に80名程度の観光客(主に登山客)が乗車してきて、座席が大体埋まる程度の乗車率になる。多分尾瀬方面へ行かれた登山客だろう。尾瀬の入口である桧枝岐村への最寄り駅は会津高原である。やはり尾瀬への野岩鉄道経由の観光客も無視できない位居る感じである。
田島行きの対向列車は6050系 2両で乗客は20名程度、この後中三依ですれ違った列車も同じ程度の利用客である。これら列車の乗車率は「定期比率 5%」と言う野岩鉄道の極端な状況を象徴する状況である。
会津高原
会津高原出発後、軌道の状況はかなりレベルアップする。レール自体は他の区間と同じ50kgレールだが、枕木は木主流からPC枕木へ変化し、道床もかなり厚くなった感じであるが運転のスピードは60〜70km/h程度である(野岩鉄道の最高速度は80km/h)。さすがに「公団AB線」でつくられた新線である。線路の規格は会津鉄道に比べ格段に高い。
しかし会津・野岩・東武3路線で 100km/h以上を出した区間は皆無であったし、感覚的に一番スピードを出している所は会津鉄道大川ダム付替え新線区間であった(実際には80km/h強)。野岩鉄道はもっとスピードアップ出来るのではないか?とは感じた。会津〜東京の流動を確保するにはスピードアップは重要である。但しかなりの費用がかかる事は間違いないが……。
会津高原出発後、新藤原までで乗客が有ったのは湯西川温泉で 3名・川治温泉で 6名・川治湯元で 2名程度の乗車客が有った位で降車は殆ど居なかった。
その途中駅の中で上三依塩原は、国道 400号線尾頭トンネルで塩原温泉と結ばれているが(塩原温泉郷西半分からは上三依塩原が最寄駅)、駅前に駅前広場があるものの、塩原温泉と駅を結んでいる塩原町営バスは日に 6往復しかない。もう少し本数が多いか、列車との接続を考えるかして塩原温泉客が観光客の周遊ルートの一部として野岩鉄道を使えるようにした方が良いかも知れない。
最終的に新藤原到着時には2両編成に立ち客がチラホラの居る位の利用状況だった。その中の利用客の殆どが東京へ帰る観光客であった。
東武快速車内
【新藤原〜浅草・東武快速浅草行き】
新藤原に着いた快速は、此処から東武鉄道に入る。しかし乗務員が野岩→東武に変わっただけで何が変わる訳ではない。車両は共通運用であるし、システムは東武直通を前提に野岩線は作られているので、直通と言うより線名が変わっただけと言う感じである。
只新藤原からは逆に線形は悪くなる。元々 762mmの下野電気鉄道を改軌の上東武に合併されて鬼怒川線になったので、野岩鉄道・会津鉄道と比べても急曲線の多い路線である。
鬼怒川公園・鬼怒川温泉は鬼怒川温泉郷の中心駅である。今や「足利銀行問題」と絡められ「衰退する温泉郷」として話題に上がる温泉だが、さすがに日曜日午後3時半過ぎの時間である。快速にも鬼怒川公園で10名位・鬼怒川温泉で20名位(観光客と地元客半々位)乗ってきて、立客が1両15名位出るかなりの混雑になる。又快速接続の特急「きぬ 128号」は満席で発車して行った。
快速は下今市まで各駅に停車だが、各駅で地元客の出入りはあるものの全体的な混雑率は変わらない。観光路線である以上、多少の増結はして欲しいものである。立ったまま乗車では観光客は嫌がる( 6両編成が限界なのは承知しているが)。又高桑〜新高徳間の鬼怒川鉄橋前後等を始めR=300 等の急曲線が多い、会津若松〜北千住間中で一番線形が悪い区間である。
快速は下今市で、東武日光発の 4両編成と増結する。東武日光発は座席の3分の1が埋まる程度である。鬼怒川温泉で席をたった私も、下今市で車両移動をしてもう一度座れたが、運行距離の差を考えても日光発 2両・会津田島発 4両が適当であろう(会津田島発 2両・新藤原で 2両増結でもOK)。
快速は下今市より先は主要駅停車である。新鹿沼・新栃木・栃木でも各車両 5〜10名程度の乗車がある。特に新鹿沼ではゴルフ帰りの客も多い。栃木で立ち客が発生する。乗客の立ち話に耳を傾けると「栃木からでは何時も座れない」と言っていたので、普通の乗車率なのだろうが、長距離乗車(この先入れ替わりは多少有れど北千住まで立客は消えない)を考えると増発・増結は考慮すべきである。
又線形は良くなり軌道のレベルは並以上であるが、快速は 90〜100km/h程度で流して進む。日光線はスペーシアは 120km/h、それ以外は 110km/hが最高速度であるはずである。関東平野を結ぶ中長距離列車である東武快速が一度も 100km/hを越えないスピードで流して走っているのはいかにもスピードが遅すぎる。
その後乗客の出入りがあるにしても、座席定員の 120%位の乗車率のまま北千住に到着する。北千住で 7割強の乗客が下車し、座席定員の半分弱の乗車率で浅草に到着する。浅草は何時行っても狭いターミナルである。東武は浅草のターミナルの弱さ(立地的・設備的)に泣かされながらずっと来ているが、今更出来ないにしろ20m 8両が全ホームに入れる位の設備があれば、状況は変わるのだろうと思う。疑獄事件まで起こして京成と争い勝ち取った浅草ターミナルだが、今や2路線の地下鉄と接続しているとは言えそれでも「東武の癌」である。「タラ・レバ」だが浅草延長時に上野まで延伸させているかもう少し広い土地を確保していれば、歴史は変わっていただろう。
浅草
4.東武・野岩・会津3鉄道の「会津西街道ルート」を旅行して感じたこと
今回会津路を駆け足で旅行してきたが、15年ぶりに会津を訪問して感じたことは色々有った。逆に言えば15年前の野岩鉄道開通時には、「南会津観光振興の切り札」「会津の悲願成就」と喜ばれて期待されていたのを一回の訪問で感じるぐらいであったが、15年が経ち努力はしているが厳しい現実に晒されていると言う感じが強くした。
【会津鉄道・野岩鉄道のおかれている現状】
実態はハッキリ言って地方交通線である。地方交通線の中でもかなり厳しい分類に入るかもしれない。有利な点は「東京直結」「観光資源」と言うものが存在している点である。温泉から豊かな自然や歴史的観光資源まで会津地方の観光資源は豊富である。それは大きな武器である筈である。
会津西街道ルートは昔は主要交通路であったが、歴史の流れの中で没落したルートである事は前にも述べたが、それを再興する事は容易な事ではない、再興と言う地元の悲願を背負って立った会津鉄道・野岩鉄道であれども、さすがに「地方交通線の抱える現実」には勝てないのが現実だろう。
ましてや会津盆地は其の物が過疎地域である。福島県会津・南会津管内の人口は31万人強であり、工場立地等もあり観光開発も力を入れているが特に観光開発は停滞気味である。
会津地方の大型観光開発はアルツ磐梯は経営破たんして売却されているし、東武の南会津観光開発も平成 2年の会津田島電化完成以降、5〜6年前までは「東武はいま会津へ」と言うスローガンで、観光開発を推進していたが、いまや完全に下火状態である。
又会津・野岩両鉄道の経営状況は1.で示した通り、ずっと下向きの状況であり、輸送密度に至っては旧国鉄特定地方交通線1次・2次線基準2,000人の半分しかない。91年と01年を比べると輸送人員でも58%(野岩)60%(会津)にまで減っている非常に厳しい状況である。
【しかし簡単には廃止できない】
しかしその様な状況であっても、廃止議論が起きているわけではない。会津鉄道には未だ基金が 5億円あるので確かに危機的状況ではないが、野岩・会津両者の年間赤字は約 3.5億円である。会津鉄道の年間赤字が約 2.2億円だから基金は赤字の 2年分強しかない。経営的には厳しい状況である。
しかし簡単には廃止できない。それが地元でも分かっているから廃止議論が出ないと推察される。
それは何故か?少ないと言えども南会津地域の観光客運び込みに必要不可欠であるからである。深刻な過疎地域である南会津地域の地域振興には観光開発は不可欠である。その視点から考えれば野岩・会津鉄道の廃止は論外と言う事になる。
事実野岩鉄道の定期客は 6%しか居らず、約64万人の定期外客の殆どは観光客である。野岩鉄道は栃木県内地域にも観光資源を抱えているので、野岩線に乗った観光客=南会津に出入した観光客にはならないが、仮定で計算して64万人×90%が観光客として57.6万人×66%(3分の2)が県境を越えたとして、38万人×50%(入りだけ)で年間19万人(1日約 520人)の観光客を運び込む事になる。この観光客の数字は、「東京に近い割りに高速交通機関に恵まれない」観光地域としては無視できない数である。
これに会津若松から会津鉄道で来る観光客も居るので、鉄道を廃止したらこの観光客が逸走する事になる。であるから簡単には廃止できないのである。
この観光客が結構利用している状況は今回の訪問で強く感じた。平行道路は国道で整備されているが高速からかなり走らなければならない地域なので、「鉄道を廃止しても車で来てくれる」と言う事は甘い考えの可能性が高い。
【では如何するか?(これが問題)】
以上のように簡単には廃止できない位の役割を果たしている路線である。又地域的にも関心も高く観光車両導入・快速用車両導入・電化・企画切符の発売等の経営努力は成されている状況である。
しかし現実は非常に厳しい経営状況である。対応策を何とかしなければならない。これが問題である。
少なくとも鉄道会社は上記のように努力している。栃木県・福島県・自治体も「経営安定化補助金」で前年度欠損に対する欠損補助を行っている(11年度:野岩鉄道約91,768千円・会津鉄道247,232千円 出典:福島県HP平成11年度予算概要 )。
しかしもう一歩進めた積極的活性化策が必要である。其処が問題である。野岩鉄道・会津鉄道を活性化することは、会津地方・南会津地方の地域活性化に寄与する事である。欠損補助で出血を止めても、その先の活性化策が無いと未来は開けない。
けれども単純に全線電化・浅草〜会津若松間直通運転等の金の掛かる方策を行っても正直言って活性化できない現実がある。
前にも述べたように、会津若松〜東京間の流動の主力ルートは中山峠越え郡山経由の東北新幹線・東北自動車道連絡ルートである。JRは郡山・東北新幹線経由で東京駅まで 2時間半強 8,510円だし、会津乗合自動車の高速バスは新宿駅まで 4時間半強 4,800円で結んでいる。 それに対し会津西街道ルート最速のパターンは浅草駅から 4時間18分 6,190円(快速だと 4時間50分 4,540円)である。これであるとやり方次第では競争力がありそうに見える。しかし需要のパイの問題が有る。
会津若松市の人口は11.8万人・会津地域全部集めても31.6万人である。この地域で3つの交通手段が奪い合っても需要の絶対量に限りがある。ましてや新幹線と高速バスには かなりの本数が有る(新幹線接続は 8往復・高速バスは10往復)。これだけ本数が有る交通手段と巨額の設備投資をして競り合うのは、経済的に考えて極めて無駄な話である。
しかし何か策を打たなければならない。それには"無総論的大投資"では無く、ソフト的な方策やいま有る資源・資産を利用した低コストの方策でなければならない。だからこそ難しいのである。
又その様な低コスト的方策は効果が限られているとも言える。しかし輸送密度が特定地交線の半分しかない現実では効果が限られていても、低コスト方策を採らざる得ないのが現実である。以下で有効かもしれない低コストであるソフト的・資産有効活用的対策について考えてみたいと思う。
快速「フェアーウエー」@会津若松
【具体的活性化策・経営改善策は?】
と言う訳で、具体的に会津鉄道・野岩鉄道の活性化・経営改善策を考えてみたいと思います。条件は
1)いま有る資産・資源等を有効活用した低コスト策→赤字会社である前提から投資は控えめに……。
2)観光促進・会津の活性化促進に役に立つ方策である事→地域振興が両鉄道の最大の使命である。
の2点を前提にしたいと思います。 さてその具体的活性化策・経営改善策は、第一に会津西街道ルートの速達性向上の為に接続向上・速度向上・利便性向上を目指すことにあります。
☆野岩鉄道区間と東武鉄道区間の運転最高速度の向上及びスピードアップ
→野岩鉄道は運転最高速度80km/h・東武線は110km/hである。東武スペーシアは東武線内では 120km/h運転しているので、快速も120km/hまでは運転可能である。野岩線は旧公団AB線で軌道状況・線形がいいので運転最高速度は110km/h程度まで簡単に速度向上が可能である(出来れば現行の50km/h程度の表定速度を30%程度向上させたい)。
→東武快速の東武区間の速度向上は、栃木県内で東武快速に対東京鉄道輸送を担わせている鹿沼・栃木地域に対しても利便性向上のメリットがある。
☆会津田島駅での接続改善を図る
→会津田島での接続時間は気分転換には良いが多少長すぎる嫌いが有る。今の10〜20分の接続時間を10分程度まで短縮させる。
☆AIZUマウントエクスプレスの鬼怒川温泉までの乗入・スペーシアとの接続を図る
→今 2編成 5両(内中間車 1両は予備車扱)有る車両を有効活用し、 1編成は常時鬼怒川温泉〜会津若松間(喜多方)運転にしてスペーシアとの速達連絡を図る。もう 1編成は点検予備日を作りながら頻度の高い季節運転で線内運転を行う。又野岩線内で 120km/h運転可能な高速運転性能を生かす。
→出来れば現行の会津若松6:34→鬼怒川温泉8:47のAIZUマウントエクスプレスと野岩快速の運転時間を15分程度短縮し 2時間未満で結べる様にし、それに鬼怒川温泉〜浅草間 2時間未満で結ぶスペーシアと接続させ、会津若松〜浅草間を4時間未満で結べるようにする。
第二には、観光の周遊性を高める方策を打ち出し、鬼怒川・塩原・南会津・会津地域を一環した観光地域として活性化させる。
☆上記の観光地はどれも有名で名物の有る観光地であるが、どれも会津西街道沿線及び東武・野岩・会津3鉄道の沿線周辺に有るのに結束力は弱いので一貫した観光地として売り出す。
→先ずは一貫した観光地域として宣伝を行い、アピールする。次に「宿泊付周遊切符」等を売り出し、面倒なく周遊できるようにする。又「モデル周遊コース」を幾つか整備し、公共交通機関での観光をアピールする。
→それから交通手段等を整備する。特に上三依塩原→塩原温泉・会津高原→桧枝岐方面のバス路線を整備し、公共交通だけで廻れるようにする。
※特にソフト面の充実に力を注ぐ、いまや新しい箱物を作っても意味はない。
☆上記観光地の一貫した観光地であるのをアピールする為、観光列車を運転する。
→今会津鉄道で運転している"トロッコ会津旅浪漫号"に使用中の、展望車両は車両じたいが展望で観光を楽しめる観光車両である。これを鬼怒川温泉〜会津若松間に 2往復程度運転する。
※この観光列車を会津西街道観光周遊の目玉の一つにする。
※好ましい観光周遊ルート例「JR→塩原温泉(泊)→上三依塩原→会津高原→尾瀬方面観光→塔のへつり→東山温泉(泊)→会津若松・喜多方観光」とか
「東武→日光観光→鬼怒川温泉(泊)→会津高原→尾瀬方面観光→塔のへつり→芦の牧or湯の上温泉(泊)→会津若松・喜多方観光」等
☆金は掛かるが、観光列車の目玉としてトンネルの少ない会津高原〜会津若松間で復元したSL列車を運転する(此処から先はトンネルが多くてSL運転には不適)。
→磐越西線では「SLばんえつ物語号」「SL郡山会津路号」を運転している。いまや会津もSL運転活発地となっている。此処に会津鉄道も運転し、「会津は複数のSLが見られる地域」という事で売り出す事も方策である。しかしSL復元には3億円程度かかる、運行経費が高い等の問題も有る
(参考:四国4県でSL定期運行を<8/28四国新聞>)
。
→又真岡鉄道・秩父鉄道等でも運行していてマンネリ化している。上記のレポートの様に以外に 乗車率を稼げない等の事もあるので、慎重に検討する必要が有る。
C58@会津若松
第3点は、会津・野岩両鉄道の合併を行い、今以上に緊密な関係を構築する。
☆「会津西街道筋」を結ぶ鉄道が、2つの経営主体に分かれているのは不経済である。
→確かに"山王峠"を境に会津西街道筋は栃木・福島に分割される。それもあり栃木・福島両方にメリットの有る野岩線は栃木・福島を加えた第三セクター、旧国鉄会津線は福島県内だけなので福島県主体のの第三セクターと言う分類で作ったのだろう。しかしその様な分類は杓子定規すぎる。
→基本的には"会津・野岩合併会社"が中核となり、その周りに栃木・福島両県と東武鉄道グループ・会津乗合自動車の公共交通企業と沿線の観光業者・住民等が一体になり運営する形を作るのがベストであると考える。
☆合併により経営の効率化・営業の強化を図る
→2つの会社があれば管理費も倍かかる。それを合併により削減する。又保線費用等に関してもスケールメリットと資材の共用等で効率化を図る。
→又「会津西街道筋」を栃木・福島の訳隔てなく一つの地域として売り出す事を考えると、一つの会社である方が好ましい。又それにより営業力の強化を図る。
第4点は、会津鉄道・野岩鉄道電化区間に使用の6050系の野岩・会津区間でのワンマン化を図る。
☆運転業務に関しては基本的にワンマン化を図る事で、合理化・経費削減を図る。
→東武直通の事情も有るが、この輸送密度でワンマン運転して居ないのはこの区間位である。観光多客時には、案内係を乗せ今のような実質ツーマン運転にするにしても、平日はワンマン運転すべきである。それによりかなり経費は削減できると考える。
上記の4点です。中々技術的に難しいもの(ワンマン化)や金の掛かるもの(SL運転)等も有りますが、ダイヤ改正1回で出来るものや、そんなに手間をかけなくても今やっている観光案内を深度化させる等の方策で、有る程度出来るもの等も有ります。先ずは「危機が未だ先だ」と考えても今から対応策を打っておく事が必要ではないかと思います。
5.最後に「地方交通線」の運営の方策を考える
今回は会津西街道筋の地方交通線を2路線見てきたが、正直言って有る意味で他の地方交通線に比べたら「未だ恵まれている」路線とも言えます。「沿線に観光資源は有る」「東京から直通列車が走る」と言うのは大きなアドバンテージです。
その様な状況でも経営状況は芳しくない、2社で 3億 5千万近い欠損補助を毎年受けている状況であり「乗客が減少傾向」「経営的には赤字」「輸送密度は旧国鉄特定地交線1次2次線基準以下」と言う状況が、2社の置かれている環境の厳しさを物語っている。
これは別に野岩鉄道・会津鉄道に限った話ではない。ごく一部の都市間輸送を担う第三セクターや大都市近郊輸送行う第三セクターを除いて同じような状況である。逆にこの様な黒字・収支トントンと言う第三セクターのほうが珍しいのである。
しかしこの様な状況が放置されて良い物ではない。放置すればより劇的な形で崩壊が訪れるのである。その様な事が起きない様に今から対応策を考えなければならないのである。
【では究極の対策はあるのか?】
と言いつつ実の所「究極かつ恒久的な対策はあるのか?」と言う事になると、厳しい・難しいと言うのが実情である。今回実際に見に行き検討を加えた野岩鉄道・会津鉄道について「金を掛けなく、観光・地域振興に役立つ」というコンセプトで私なりの活性化・経営改善策を考えてみたが、残念ながらこれが有効と言う保証はない。ミクロ的な対策である為根本的対策とは言えない物である。
又内部事情に詳しい訳ではないので、詳細な経営状況・行政の方針・地元の考え方等が分かる訳ではないので、当然推論が多く入る。その推論の上での方策であるから、根本的な方策と言うには問題が有るし現実に則しているかと言えば難しい。
しかし何処の地方交通線でも、経営問題と言う問題は大なり小なり抱えている。地元の存続への熱意の差があるにしろ、廃止してしまうのであれば良いが存続させるのであれば根本的な側面から対策を立てなければならない。それが究極的対策になるであろう。
具体的には地方交通線の場合「如何な改革をしようと収支均等を目指すのは難しい」というのは残念ながら現実として存在します。そうなると如何にして「地方交通線を支えるか?」と言う事になります。その収支的に支えるスキームを作る事が「究極の対策」と言う事になります。
その究極の対策には今の段階で2つの方策(補助策)があると言えます。
1)毎年の赤字に欠損補助を行い、それにより公的負担で地方交通線を支える(→直接補助)。
2)上下分離等でコストのかかる部分を公的に保有し、運営会社が自立的に収支均等図れるようなスキームを作る(→間接補助)。
今の段階ではこの様な二つの方策が考えられます。直接補助に関しては、会津鉄道・野岩鉄道両方が受けています。又上下分離の間接補助は今群馬県の上毛電鉄・わたらせ渓谷鉄道等で盛り上がっている内容です。どちらが良いかは一長一短ですが、少なくとも公的補助は必要であります。「公的補助」それが究極の対策と言う事になります。
【究極の対策に必要な物】
しかし「究極の対策」には必要なものが有ります。「住民の合意」です。万策投じた後の最後の方法は公的補助です。しかしその公的補助は住民の税金が投じられるのです。その時に「本当に鉄道を存続させる必要が有るのであろうか?」と言う事を住民に問い、又は住民多数の意志を受ける形で最終的に補助を投じる形にすべきであります。
又その住民の意思を確認する前に"何故地方交通線がその地域に必要なのか?「ビジョン」を示さなければなりません。如何に地域に必要であるかのビジョンが無い限り税金の無駄な投入になります。
少なくとも自治体・存続を希望する市民に「存続して本当に市民のためになる展望があるのか?」このビジョンが必要です。その上で存続を考え、必要な補助・協力をするべきです。
今日本の各地に存在する地方交通線の存続問題は其処まで踏み込んで根本的ビジョンを示し、その上で補助・投資等の方策を投じる必要が有ると考えられます。其処までビジョンが示せれば直接恩恵を蒙らない市民も補助を投じる事に反対はしないでしょう。厳しい地方の財源から補助をするにも限界がありますし、そうなると国費投入や新たな財源探しを行わなければなりません。その時に国民全体の合意も取り付けやすくなります。
其処まで考えて今地方自治体や存続を願う市民たちは、自分たちの地域の交通と交通を利用した地域振興のビジョンを示す必要が有ると考えます。
私の「夏の会津訪問記」が最後には「地方交通線問題」という問題に脱線して踏み込んでしまいました。しかし根本を問い詰めれば最後には行き着く話です。又避けて通るべき物では有りません。未だ「特定地方線問題」はこんなに簡単な話ではありません。もっと考えなければならないでしょう。
又色々な議論が出てくると思います。私の意見はあくまで「部外者の一個人の意見」ですが、次の立論の導入にもなると思い書きました。
最後になりましたが長文・乱筆ご容赦頂ければ幸いです。何か皆様のご意見がありましたらどうぞお寄せいただければと思います。
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