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どちらが正しい?鉄道存続orバス転換



TAKA  2007年10月 8日





 鹿島鉄道の場合、鉄道からバスに転換して乗客がますます減ってしており、実際問題として廃止されたローカル線を転換したバス路線も経営的に成り立たなくなってしまい、バスに依る地方公共輸送確保も危うくなる例は存在します。その「バス転換でも救えなかった」という象徴的事例が私が取り上げた「 鹿島鉄道 」なのかもしれません。



 総論からして、鉄道という輸送システムは「大量輸送」を得意とする交通機関で、しかも今の日本では民間主体で運営されていて採算性が重視される世情であることを考えれば、基本的に鉄道は採算性が取れてその能力を十分に発揮できる輸送規模のある場所に用いられるべきです。そのように考えれば、もしその場所に鉄道に相応しい輸送規模がないのであれば、より規模が小さくても採算性が取れる輸送システム、具体的にはバスに切り替えるべきであるといえます。

 原則的にバスは基本的に走行空間の「道路」を税金に頼って整備しているために、すべてのインフラを自前で占用するため整備しなければならない鉄道よりも、事業主体の負担コストは少なくて済みます。ですから輸送規模(≒収入規模)の小さくなった鉄道の場合設備負担が賄えなくなり、経営が厳しくなればより低コストの輸送システムに切り替えるべきであるといえます。それこそエル・アルコン様がいわれているような「規模の適正化」であると思います。ですから総論として見ればこのようなリストラクチャリングは正しいといえます。



 ただし現実的には「鉄道からバスへダウンサイジングのリストラクチャリングをしたら利用客(≒収入)も減って事業が成立しなくなった」という例も存在します。その例の一つが鹿島鉄道です。

 事業主体側としては「(収入減以上に)原価要因を減らして公共交通機関を維持しよう」という考えで鉄道からバスに切り替えて公共交通機関維持を考えたのでしょうが、その原価が減るバスによる輸送を導入することで発生するサービス低下が利用者から嫌われてしまい、利用者が逸走してしまうことで、バス転換後の収入がバスの採算ラインをもいきなり下回ってしまったというのが「鉄道廃止でバス転換をして失敗した」という現実でしょう。

 その要因としては、エル・アルコン様のいわれるような「値上げ」「サービス低下」があるのは間違いないでしょう。これらは「過去からの永続」であった鉄道が、廃止→転換と言う形でバスにモードが切り替わった時に、過去からの永続が切れた段階で値上げや所要時間増・定時性悪化等によるサービス悪化が実際的にも体感的にも利用者の間で感じられるようになり、「新しい交通機関になったら悪くなった」というイメージが広がり利用者が逸走したと考えられます。このようなことがあったから「利用者が減りバスも危機になるのだったら鉄道を残しておいた方が良かったのでは?」という意見が出てきているのだと思います。



 このように考えると一体何が正しいのか? 一面から見れば「リストラクチャリングで原価コストを下げて生き残らせる」という鉄道→バス転換とは、民間企業が公共交通という公的責任を果たすための手段としては正しいですし、逆の面から見れば「どちらも成り立たないなら公共交通として利用されていて値段が安く早くて定時性も高かった鉄道を残した方が良かったのでは?」という意見が出ても、利用される公共サービスを残すことが重要と考えれば正しいといえます。では「鉄道で残すのが正しいのか?バスにする事が正しいのか?」果たしてどちらが正しいのか?となると一概にいえる話ではありません。

 総論とすれば「鉄道が維持出来無いのだからバスに切り替えても何とか最低の公共交通は維持すべき」という考えが一般論としていえると思います。また個別の問題として、鹿島鉄道では「鉄道廃止から数ヶ月で転換バスも危なくなってきた」ということ、「バスに転換しても公共交通は維持出来ない」という例も発生しています。

 そのような事例の中で如何にすべきかとなると、「個々の事例に応じて最善の対応策を検討する」という方策が一番良いと思います。「固定化した基準」というものは作れないでしょう。鉄道に比べてバスは運行サイドから見れば低コストで運営者として好ましいものですが、利用者から見れば「値上がりし時間も掛かり定時性も劣る」と不便なものですから、どちらが好ましいかとは視点が変われば変わるものであるといえます。ですから個々の事例に当てはめて「低コストでも最低限公共交通を維持するか?」「コストは掛かっても利用者の便に供するものを残すべきなのか?」を検討すべきなのでしょう。



 今日では技術が進歩してきており、 DMV に代表されるような「(鉄道では極限と言える)低コストで運行される鉄道」というモードも登場目前まできています。このような「鉄道とバスの合いの子」といえる最新技術を使い、「極端に利用客の少ない区間は鉄道をDMVバスモードに切り替え鉄道を廃止し、比較的利用量が多い区間やバスのデメリットが多くなる区間はDMVの鉄道モードで既存の軌道上を運行する」ような選択肢も出てくるといえます。

 鹿島鉄道であれば、既に鉄道としての特性も生かせずバスでも維持が難しい区間といえる常陸小川〜鉾田間はDMVのバスで複数形路を運行して「最低限の公共交通をバスで維持する」と同時にバスのメリットである柔軟性を生かして「最低限の公共交通サービスを面的に広げる」公的サービスを行い、並行道路の混雑もあり同時に比較的利用客が望める石岡〜常陸小川間では「DMV鉄道モードで複数バス路線を連結してバスより効率的に運行する」というモードの使い分けによる公共交通の維持という事も出来たと思います。



 「民間企業の採算レベル」で今日の地方公共交通を維持することは、鉄道であれバスであれ非常に難しくなっていることは間違いありません。上記のようなDMVによる改善策も今のローカル鉄道を運営する民間事業者では「設備投資をする力が無い」という状況であることは間違いないといえます。

 「地方でシビルミニマムの公的移動手段を残す事」は公的セクターによる責任であるといえます。今までは鉄道でもバスでも其れを民間事業者に「免許制度による保護」と引き換えに義務を負わせていた事で維持していましたが、現在は規制緩和による緩和と引き換えに退出規制も緩和され民間事業者に責任を担わせることは出来ません。そうなると公的セクターがシビルミニマムの交通を残す責任を果たすために「民間事業者に金を出して補助をする」もしくは「公的セクターで運営する」ということが必要になってきます。

 どのような交通のモードを残すか?という問題も大切ですが、それより前に「如何にしてシビルミニマムの公共交通を残すべきか」ということを考えることが必要ですし、それよりもっと前に「日本全国地方まで最低限の公的な移動手段(≒シビルミニマムな公共交通)を残すのは公的セクターの責任である」ということに関し国民のコンセンサスを得ておくことも大切です。その上で「如何にして公共交通を残すか」という話も出来ますし、それが出来てこそ「どのような公共交通を残すか?」という交通モードの話が出来るのでは無いでしょうか?





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