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今 や 車 に 夢 を 持 て な い 時 代 な の か ?



TAKA  2006年11月07日






 私も自分で「(プチ)スバリスト」を自称するだけあり車の話には興味が有ります。今回和寒様が「滅び行くMT車」と言う一文を書かれたので、和寒様の述べられた「MT車」と「車の冷蔵庫化」と言う2つのキーワードに関して、「車への夢」と言う言葉を絡ませて私の思うままに述べて見たいと思います。

 ☆ 確かに今は殆ど無いMT車

 私が車に興味の有った時代(丁度8〜10年前頃)には殆どの車にもAT車とMT車が並存しているのが当たり前でした。ですから和寒様が「今やスバル意外に殆どMT車は殆ど無い」と述べられていたので、驚きを持ち確認方々私も家に有る「最新国産&輸入車購入ハンドブック'06-'07」で調べてみました。

●一部車種にでもMT車の設定が有る車一覧(国産普通車)
・トヨタ→カローラフィールダー・カローラ・MR−S・ラッシュ
・日産→スカイラインクーペフェアレディZ・X−トレイル
・ホンダ→フィット・アコードユーロR・インサイト・S2000
・マツダ→デミオ・アクセラ・アテンザ・ロードスターRX-8
・スズキ→スイフト・エクスード・ジムニーシェラ
・三菱→ランサー・パジェロ・パジェロイオ
・スバル→レガシイ・インプレッサ・フォレスター
・ダイハツ→ビーゴ

 こう見ると意外にMT車が有るように見えます。しかし現実は必ずしもそうでは有りません。この中で斜字で示した車種は完全なスポーツカーです。スポーツカーにはMT車と言うイメージが未だに強い事もありMT車が多いですが、「日常利用に適した車」とは言えないので、其れを除いてしまうと19車種にまで減ってしまいます。又その中にはパジェロ・エクスード等オフロード使用に大きなウエイトを置いたRV車が多く入っているのでそれらも「日常利用に適した車」とは言い辛い車で有ると言えます。
 加えて此処に挙げた車種で「幅広い車種にMT車設定が有る車」となると和寒様の言われる様にスバルにしか存在しない状況になっています。つまりスバル以外の各社では「MT車はスポーツカーもしくは特定の条件下でしか存在しない」車と化しています。

  ☆ 今や殆ど売れないMT車と言うのは時代の趨勢か?

 私自身車には一応の拘りを持っているつもりですし、今まで「(初代)レガシイセダンRS→(初代)レガシイワゴンGT→(現行)インプレッサワゴン→(現行)レガシイワゴンGT」とスバルを4台も乗り継いできて「水平対向『命』」とまでは行かなくても、スバルの車の素晴しさに惚れて来た「(プチ)スバリスト」のつもりです。
 そういう私ですが、今日私の担当のスバルの営業マンと会う機会が有り、和寒様の話を元にして感じていたことを雑談の中で話してみました。

(会話の内容)
私:「他の会社に比べてスバルはMT車の設定多いよね」
営業:「多いですよ。殆どの車種に設定しています」
私:「それだけMT車は売れているの?」
営業:「いや〜そんなに売れていないですよ。殆どがTAKA様の様にAT車ですよ。MT車は5%位ですよ。今は免許取得の半分近くがAT限定の時代ですから」
私:「ふ〜ん。でもスポーツが売りのスバルだからもっとMT車が売れているのかと思ったよ」
営業:「今はATやCVTの性能も優れていますから。MTのシフトチェンジもATでも人の手で出来て、クラッチ操作以外は殆どAT・CVTで再現できますから。レガシイもそうでしょ?」
私:「確かにそうだね。でもイメージ的にはMT車=スポーツカーと言うイメージ強いよね。スバルは今後もMT車作り続けて行くの?」
営業:「うちの会社も段々MT車無くなって行くと思いますよ。トヨタの資本が入ってきたので合理化が進んで売れないMT車はだんだん減って行くと思いますよ。」

 この様な状況ではMT車が無くなって行く事は致し方ないのかもしれません。
 自動車会社もビジネスです。スバルは「スポーツカー」「高性能の車」と言うイメージで売っていますが、実際のMT車のニーズが無いとなったら作り続ける事はなかなか困難なのでしょう。車の生産は有る意味「スケールメリット」が非常に大きな意味を占め、部品数の削減は大きな利潤をもたらしますので、経営的な視点で考えるとMT車が無くなって行くのはニーズが無いと言う点から考えても有る意味仕方ないのでしょう。
 只未だにMT車に拘りを持っている人も居ます。私の弟は私以上の「スバリスト」で、今でこそ仕事の絡みでインプレッサのAT車に乗っていますが、その前はインプレッサWRXのMT車に乗っていました。私も一度乗った事があり6速MTの操作に戸惑い「幾らスポーツカーでもこれは難しいね」と言ったら、「これこそスポーツカーだ!男の夢を追い求めるのならそんな事は克服しないとダメなんだ!」と威張って言っていました。
 私の弟は「スバリスト」と言うだけありこの様な拘りを持っていましたが、その様な徹底的な拘りを持っていないつまり「夢は持っているが妥協的な夢しか持っていない」私の様な「(プチ)スバリスト」が増えてきたと言う事が、実際の売れ行きに反映されているのかもしれません。  (私は実際今の車を買う時にも「レガシイは絶対ターボ、ボンネットに穴のないレガシイはレガシイじゃない」と喚いて、装備を落としてもターボに拘った私ですが、サスペンションやMT等には全く拘らなかったので、その意味では「ターボがカッコいい」と言うミーハーなだけなのかも知れません。こういうミーハーが増えているのかもしれません)

  ☆ 「車の冷蔵庫化」は中途半端に夢を捨て現実に擦り寄った結果では?

 確かに今「車に憧れる」「スポーツカーに憧れる」と言う夢・憧れと言う心境は普通の人たちに無くなって来ていると言えるのかもしれません。けれども必ずしもそう断言できるのでしょうか?私は必ずしもそうでは無い「夢や憧れは有るが現実と妥協をすると、夢や憧れと妥協せざる得なくなる。その結果が車の機能重視になったのでは?」と感じます。
 今多くの家族では「1家族1台〜2台の車」と言うのは珍しくはなくなりました。地方に行けば「1人1台」が当たり前の時代です。しかし車は数十万円〜数百万円の買い物であり、普通の人々や家庭ではおいそれと買える物ではありません。その中で家庭内には複数のニーズがあります。男は「スポーツカーで飛ばしたい」と思うでしょうし、女は「女でも運転しやすい車が欲しい」と思うでしょうし、子供は「皆で乗れてキャンプに行く様な車が欲しい」と思うでしょう。これらの複数のニーズに本当に答えるには、一家族でスポーツカー・軽自動車・ミニバンの3台を買えば良いのですが、それだけ買うと500万円以上の買い物になります。なかなかそれだけの財力が有る家庭は存在しないでしょう。
 「車を持つ事は一般化した」けれども「複数台買うことはなかなか難しい」と言う世の中で、前述の様な多様化した家族内のニーズに如何に答えるか?と言う現実に対応するとなると1台に何でも入っている車が求められる事になります。その象徴がホンダのオデッセイの変節でしょう。初代はミニバンと言うジャンルを開いた画期的車でしたが、今の3代目は乗車性を犠牲にして全高を下げてスポーティな走りの味付けにして、セダン&ワゴンに近い車に仕上げています。当初は「多人数乗車」をする人たちを狙った車が、家族向けの車として前述の様な家族全員のニーズに応える為に、良く言えば全てが揃っている悪く言えば全てが中途半端と言う車が出来てくるのだと思います。
 その様な複数ニーズに答える様になって来ると、必然的に車はオデッセイの様な総花的な車になっていきます。その様な総花的な車を買うと段々現実との妥協を迫られる事になります。まして家族で車の購入をする時に一番現実と妥協を迫られるのは、一番車に夢を持っている男です。夢を持っている人たちが現実と妥協した時、残るのは諦めだけです。車を持つ事が普通となった今の時代、その車に夢を持てなくなり現実と妥協した人たちが、興味を失い・関心が薄れ・中庸を求めるようになり・移動手段と割り切る様になるのです。その様に夢を失い割り切ってしまえば、車の購入に対し夢を捨て機能だけを求めるようになり、家電を買うのと同じ心境で現実だけを見て車を選ぶ様になるのでしょう。それが「車の冷蔵庫化」と言う流れなのだと思います。

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 昔は誰もが車に「車に夢を持つ」「車はステータス」と言う考えが有りました。
 私も就職して初めて買った車(中古の初代レガシイセダンRSのMT)は、「スポーツカーが欲しい」と言う夢を求めて買った車で、買った当初は車に乗るのが楽しくて、上司から「車で出張は禁止」と言われても、上司の目を盗み高速道路をかっ飛ばして出張に行った物です。
 又私の父は職人上がりの自営業者で、車を買うときに「俺はいつか独立してキャデラックに乗るほど成功するのが夢だった」と熱く語り、家族を説得して中古のキャデラックを買ってきた事が有ります。その中古キャデラックが納車された時の父の喜びぶりは良く覚えています。一介の職人から這い上がりキャデラックに乗ると言うのは「成功の象徴」であり、それだけ「キャデラックと言う車にステータス性が有る」と言う事を感じさせられたものです。
 しかし今の時代その様な「夢やステータス」を車に抱けるのか?となると大いに疑問です。私も昔のスポーツカーへの夢は中途半端に残っているだけですし、父も「一度買えば夢は成就」の様で、車に昔ほどの拘りは持たなくなりました。
 これはTAKAの周辺にだけ起きている「特異な現象」では無いのではないか?と思います。だからこそ「車の冷蔵庫化」などと言う事が起きてくるので有ると思います。この事を「車に夢やステータス性を求められなくなるほど車が一般化した。それだけ一般化したというのは社会全体が豊かで有る」と考えるべきなのか?それとも「車に夢も求められないほど、現実と妥協しなければならない状況に追い込まれている。もっと豊かでないと夢は成就できない」と考えるべきなのでしょうか?そう考えると「車の冷蔵庫化」はなかなか悩ましい事象であると言う事が出来るのではないでしょうか?





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