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安全に「神話」などないにせよ
和寒 2004年10月24日
今年はなんと災害の多い年であったろうか。台風は何個も列島を縦走するし、さらには震度5以上の地震が連発で起こるとは。特に新潟県下の方々は、豪雨・地震災害を続けて受けたわけで、たまらない思いをしていることだろう。これら災害で亡くなられた方々の御冥福を衷心より祈りつつ、被災された全ての方々にお見舞い申し上げる。
さて、これら災害に関する報道のなかには、このようなものがあった。
「京都・舞鶴バス立ち往生
甘い見通し自宅被災で家路急ぐ
バスの上に取り残され、救助されたツアー参加者は二十日夕。大型台風の接近を知りながら、自宅の被災で『行けるところまで行こう』と家路を急ごうとする意識があった。台風接近を過小に評価した甘い見通しが浮かび上がってくる」
平成16(2004)年10月22日付産経新聞社会面記事より
由良川からの溢水により、観光バスが路上で水没したばかりか、乗客が避難した屋根上にまで水位が達したことで全国に知られた一件である。台風23号の暴風雨のなかを敢えて移動した軽率さには、確かに批判される余地がまったくないわけではないにせよ、しかし被災した責任を「甘い見通し」、つまり被災者の自己責任に帰そうとの論旨にはいささかなりとも賛同できるものではない。
なぜなら、被災場所は国道上であり、被災事象の発生を予見し、危険が高まった場合に交通規制をかけるのは、管理者の責任であるはずだからである。また、たとえ管理者責任を措くとしても、かくも極端な事象は被災者にとってほとんど不可知であり、これを予見せよというのは無理な注文というものだ。
こんな難詰のような批判を、あたかも万論の正義かのごとく述べる鉄面皮には、慄然とせざるをえない。批判をするならするもよいが、バランス感覚を著しく欠いた批判からは、ただの煽動しか感じられないではないか。
このたびの地震被害に関する報道も、また然り。
「210㌔走行中突然の衝撃−−新潟で震度6強
新幹線乗客 151人疲労困憊
……
一方、JR東日本の本社では『脱線』の知らせに衝撃が走った。
……
『安全神話は守られたのか』との質問に対しては、『難しい。災害ですので。何よりもお客さまがけがをされなくてよかった』と苦い表情で答えた」
平成16(2004)年10月24日付産経新聞社会面記事より
こちらは、上越新幹線が 200km/h以上の速度で走行中に直下型地震に遭遇、新幹線列車が脱線した一件である。直下型地震ゆえに、P波S波がほぼ同時にやってきて、本格的な揺れがくる前に停止することはできなかったことは確かなようだ。
しかし、安全に「神話」などありえない。対策した想定を超える規模の災害がくれば、必ずなんらかの支障が生じるものだ。仮に「神話」がありうるとすれば、想定以内の災害しか起こらないという「偶然」の言い換えにすぎない。その「偶然」を勝手に「神話」と崇め、一朝ことあればすぐに貶める無節操さこそ、批判されなければなるまい。
そして、JR東日本はもっと胸を張ってもよい。震度6強の直下型地震の直撃を受けてさえ、 200km/h走行中の新幹線列車は脱線こそしたものの転覆は免れ、乗客に死者はもとより負傷者の一人も出なかったという事実は、誇るに充分値する。
中央線線路切替工事「失敗」とは逆の意味で、実績と結果こそが全てなのだ。ICEの脱線事故を想起してみるがいい。脱線の原因は、このたびの地震とは質的に大きく異なる。しかし、脱線が発生してから先の経過もまた、大きく異なるではないか。脱線しながらも、鉄輪がしっかり踏ん張って停止した、その事実には千鈞の重みがある。
繰り返しながら、安全に神話などない。しかし、偶然必然ひっくるめて、起こった事実に対しては謙虚であるべきだ。また、その事実が良いことであるならば、堂々と胸を張り、その事実の良さを丹念に世に伝えるべきであろう。
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