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無批判ではいられぬ脱線復旧の遅れ
和寒 2004年11月10日
先の投稿では、新幹線というシステムを高く評価する内容を記した。しかしながら本件においては、どうしても無批判ですまされない部分が残る。それは、脱線からの復旧対応の遅れである。
浦佐−長岡間の復旧の遅れじたいは、やむをえない。高架橋・橋梁はともかくとして、トンネルの損傷がひどい状況(※)のようだから、復旧に月単位の時間を要しても不思議ではない。とはいえ、全体工程を大きく規定する箇所が他にあるからといって、脱線復旧を措いておくべきなのか。
※この件に関しては「耐震設計」との表現が使われているが、これも「安全神話」に近い誤解があると感じる。破壊過程が動的か静的かの違いはあっても、山が動いてしまえば、どれほど堅固な設計にしようとトンネルはこわれざるをえない。後者はいわゆるトンネルの変状で、主に地すべりなどの作用で山の動きが止まらないため、既存トンネルを放棄し新しいトンネルを掘りなおした例が多数ある。前者はごく稀有だが、豊浜トンネルのような前例がまったくないわけではない。 仮にトンネルの損傷がなかった場合、「とき 325号」の脱線復旧が未了という理由だけで、運休が続いていいのか、ということである。地震発生から2週間経った今日でさえ、「とき 325号」はまだ現場にいるのだ。強い余震が続いているなど、状況が厳しいことはわかる。復旧作業のTV取材を許したのは結果的に大正解で、おかげで余震のなか作業をすることの困難が、画像を通じて切実に伝わってきた。しかしその一方、道路は着々と復旧が進み、また二次災害の危険がごく高い状況から幼児が救出された事実があるではないか。
仮に地震がなく脱線したのであれば、原因究明のため運休措置がとられるだろうから、詰まるところ結果は同じなのかもしれない。しかし、11月10日朝段階で「とき 325号」が未だ骸をさらしている状況は、復旧対応の鈍さとして、鉄道が他交通機関と比べて大きく劣後している部分と強く認識されてしまうだろう。
被災地では甚大な被害を受けている一方で、被害を受けていない地域ではいつもどおりの日常生活が営まれている。限られた区間の不通によって全国的な影響が出るような事態は、ほんらい避けるべきなのだ。
そして、かなり高い確率で予言できてしまうことがある。山陽新幹線も土讃線も、長期運休の後は業績が急下降している。上越新幹線が同じ轍を踏むおそれなしとはいえない。高速バスで代替輸送をするというあたり、バスで代替できる程度の輸送量しかない証左でもあり、土讃線との共通性・類似性が高く、たいへん象徴的ではあるまいか。
実際のところ、11月10日朝のNHKニュースによれば、通常の上越新幹線利用者数東京−新潟間23,000人/日のうち、不通・高速バス代替により 7,000人/日に落ちこんでいるという。よくぞ 7,000人も残ったというのが率直な感想ではあるが、しかし3分の2ほどの利用者が消えた意味は重いといわざるをえない。
批判は受けているうちが華、それが業績として返ってきた時に悔いても遅い、とするのは高飛車にすぎるだろうか。しかし、敢えていわずにはいられない。
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