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柚原発言を意地悪に裏読みする

 

和寒  2005年 2月20日

 

 

 予め記しておきますが、これはTAKA様に対する反論ではありません。私には廃止反対論(特に自治体サイド)を擁護する意図がないことは先の投稿どおりなのですが、柚原常務発言は私にとっては素直に受け止めがたい内容なので、(やや意地悪ながら)裏読みしてみようという試みです。発想はかまにし様からのレスを基礎としていますが、確実な証拠はありませんので御承知おきください。

 

柚原常務発言再録
「存続して本当に市民のためになる展望があるのか。仮に廃止が決まったとして、土地などを売却できなくてもレール撤去費、固定資産税などを支払うことを承知して撤退を決めた」

納得しがたい点:「存続して本当に市民のためになる展望があるのか」
→「市民のためになる」といえない路線を今まで抱えていた存念はどこにあるのか?

 

 この柚原発言に対するTAKA様の解釈は、いささか甘いように感じられます。というよりも、性善説で解釈しすぎている観があります。もっとも、柚原発言はそのように解釈されることを狙った趣旨でのものといえ、その意味では素直な解釈といえます。

 名鉄は、岐阜600V線区の輸送改善に対して、努力らしい努力はほとんどしていません。鉄道趣味の世界ではモ600 以降の新車投入が大エポックとして扱われがちですが、目立つ部分だけの努力にすぎず、本質的な改善には手がつけられていない。さらにいえば、新車にしても散発的な逐次投入の典型例であって、効果的な投資とは到底いえません。

 岐阜600V線区には、開業以来のものとしか思えない短尺レールが多数残っていますし、波状摩耗もひどい。伊自良川橋梁などは明らかにこわれかかっています。道路上の停留所に安全地帯がないという指摘は大昔からのこと。そういうところに一切手をつけず、ただ新車だけを投入してきたのが名鉄という会社です。

 以上のような、スタンドプレイ的な改善しかしてこなかった名鉄が、揖斐線・美濃町線において新岐阜直通運転を行ってきたのは何故か。

 揖斐線の直通開始は昭和42(1967)年、当初は市内線区間での連結運転が認められず、モ510 とモ520 を切り離し、それぞれ単行運転で直通していました(※)。またモ520 は連結時にもTc車代用扱いであり、非効率な運行形態でもあった。

※名鉄岐阜600V線区に関しては、沿線自治体と警察が敵対的対応に終始している、名鉄はその被害者、という主旨での言説がよく見受けられるが、この揖斐線直通運転及び連結運転が認められたところを見ると、かなり的外れである観がある。

 美濃町線の新岐阜直通開始は昭和45(1970)年、当初は意図も規模も中途半端なものでしかなかったが、モ880 投入に伴う毎時4本運行確立(昭和56(1981)年)により、本格化しています。

 揖斐線に関しては文献資料が一切ないため憶測になりますが、おそらく、忠節でバスに流れる利用者を囲いこもうという戦術だったのではないでしょうか。忠節支線は岐阜市街のはずれを経由する路線であって、岐阜市中心部に向かうためにはバスに乗り換えざるをえません。近ノ島・旦ノ島を通過する急行運転としたのも、乗換を排除する意図があったと勘ぐることさえ可能です(旦ノ島至近にはバスの折返場がある)。

 美濃町線に関しては、当初11年に及ぶ事実上の空白期間が気になりますが、少なくとも昭和56年時点で、岐阜市中心部への利用者を敢えて捨てたことは確実です。

 市内線本線(徹明町−長良北町間)は昭和63(1988)年に廃止されており、岐阜市中心部の太宗となる利用者の流れは、この時点で完全に捨てられたと見なければなりません。道路幅員が充分にある本町以南の区間さえ廃止になったということは、名鉄には岐阜市内の交通を経営する意図がなかった証左といえます。

 揖斐線・美濃町線とも、新岐阜への利用者の相当部分が、名鉄本線へと乗り換えていきます。新岐阜周辺で仕事なり買物なりする行動も多く見られるようですが、乗換も同等かそれ以上に多い。つまり、名鉄にとって揖斐線・美濃町線とは、本線の培養路線といえるのです。

 

 以上を通してみれば、名鉄柚原常務の発言は、
「(沿線の)市民のためになるとはいえない」
「岐阜市中心の交通流動にまったく合致しない」
「むしろ自社の収益を潤すための」
 営業を続けてきたと、端なくも暴露しているとも解釈できるのです。しかし、その名鉄戦術すらも、利用者の長期減少傾向により通じなくなってきている。

 本線にもたらす収益よりも支出項目が増えてきている。今後の大規模更新に要する費用の大きさと不確実さを考えれば、一時の撤去費に耐え、安定水準で推移する固定資産税を払った方がまし、との経営判断が働いていることさえにじませているのです。

 以上は勿論、意地悪な解釈にすぎません。しかし、さほど飛躍のある解釈だとも思われません。そして、廃止反対運動がいまひとつ盛り上がらないのは、(たとえ曲解や揚げ足取りであっても)名鉄の意図を読みとり、それを公然と指摘できるほどの策士がいない、ということなのでしょう。

 詰まるところ、名鉄の営業体制が岐阜市民にさしたる利益をもたらしていないことは、幅広い共有認識になっていると考えるべきなのです。岐阜から名鉄600V線区が撤退したとしても、岐阜市中心部を無視している路線網と営業体制である以上、それで困るような人はかなり早い段階で他の交通手段に流れているはずです。現在も残っている利用者は通学生などコアで受動的な層が大半で、これら利用者に対する充分な代替措置さえ採れれば、問題はほとんどありません。

 誰も困る人がいない以上、廃止は必然でしかありません。その結論は同じでも、柚原発言に対する「新釈」を呈するため、敢えて記してみました。

 

 

 

 

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