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「安全」という概念をとらえる難しさ

 

和寒  2005年 3月 5日

 

 

■直前の原因は速度超過

 このたびの事故は、大袈裟にいうと日本の鉄道開闢以来の事象が発生したといえます。事故原因については、現時点では全て憶測になるので予断は厳に排するべきですが、事故列車に乗車していた乗客の証言などから推すに、最も考えられうるパターンとしては、

  1)気絶もしくはそれに準ずる意識レベルの低下があり、ブレーキをかけられなかった。
  2)故意にブレーキをかけなかった。
  3)ブレーキをかけようとしたが、なんらかの理由で正常に作動しなかった。

 といった線が考えられます。運転士が亡くなられているので原因の特定は困難ですが、その一方で、原因がどうあれそこから導かれた事象はまず確実です。それは即ち、速度超過です。

 ATC やATS-P のような速度照査型の信号閉塞は別として、通常のATS は単純に止める機能しか持っていません。では土佐くろしお鉄道の場合はというと、宿毛駅は高架の頭端駅であることから、ただ止めるだけではなく、その手前に減速に対応するATS が設置されていたらしいです。しかし、そこを大幅に速度超過して通過したため、少なくとも3両目ではブレーキが作動したにもかかわらず、停止できなかった様子です。
  ※以上は全て報道を基礎にした憶測であるので、事実は大幅に異なる可能性がある。

 つまり、減速箇所では必ず減速が行われる、それを超過しても小幅にとどまる、という設計思想であったと解釈するべきです。それで間に合ったというのは、過去の同種事故は、絶対的に止める機能が弱かった、あるいはブレーキが故障したことに起因していたからです。そうしてみると(真の原因が解明できなくとも)速度超過が直接原因であるこの事故は、まさに「開闢以来」と呼ばざるをえません。

 ただし、速度超過原因の事故そのものは、これが初めてではありません。時点は失念しましたが、函館本線の曲線区間でコンテナ貨物列車が速度超過し、脱線した事故があります。カントで相殺できなかった余分な遠心力が列車を倒したこの事故は、速度超過による事故の典型的なものといえます。

 日本の鉄道百三十年の歴史の中で、速度超過による事故は上記二例、ほかにも何例かあるかもしれませんが、いずれにしても滅多に発生するものではありません。ただし、発生する可能性が常にあることも確かです。

 

 

■人間に対する信頼と境界領域

 同種事故を根絶するためには、究極的には速度照査型信号閉塞方式の導入が必要です。これが鉄道事業者の大きな重荷になることは間違いありません。安全確保と、発生確率と、必要なコストなどを、どのように考量するかが問われる課題です。併結時の速度制御などの境界事例が山ほどあるため、かなり悩ましいところです。

 私見でいえば、全鉄道への導入は大袈裟にすぎるものの、必ず止まらなければならない箇所では速度照査型で充分に対応する、というところだろうと思います。

 

 過去の同種事故から得られてきた教訓から、頭端駅構造のレギュレーションは漸進的な改善がなされてきています。しかし、漸進的であるがゆえに、最新のレギュレーションに対応していない頭端駅は(敢えて具体的な例を挙げることは避けるとして)かなり多いと見受けます。これらを最新のレギュレーションに統一させるには、コスト面はもとよりのことですが、物理的に対応可能かどうかという極めて難しい課題があります。そこを人間の判断と技能でクリアしているというのが現状です。

 さらにいえば、どれほどのことをしても境界的な部分は残り、人間の判断と技能にゆだねざるをえない領域はどうしても残るのです。

 例えば、航空機が着陸してからターミナルにつける際、速度超過してターミナルビルに衝突する危険性は常に存在します。では、そこで速度照査するのか。現状ではしていないはずです。乗客を誘導する直前の最終段階ということで、最高度の注意が払われていることが(暗黙のうちに)前提されているからです。

 鉄道における速度制限箇所も同様であり、注意が払われていることが大前提です。仮に「ぼんやり」程度の意識レベル低下があったとしても、制限超過の幅は深刻に大きなものでない、それに機械側で対応し停止させるのが現状のシステムであり、レギュレーションであるといえます。

 

 

■「安全」という概念をとらえる難しさ

 このたびの事故は、同種事故で初めて深刻なレベルでの速度超過があったことから発生したと考えられます。これはまさに日本の鉄道開闢以来のことで、発生確率が極めて低いことから、システム及びレギュレーションの盲点となり、技術体系において虚を衝かれた部分でもあります。

 別の表現をするならば、深刻なレベルでの速度超過という事象そのものに対しては、今まで誰もその存在に気づかず、問題点として指摘できなかったのです。この事故によって、初めて「穴があった」ということがわかった。

 そして、このたび事故が起きた以上、その発生原因の究明はもとよりのこと、対応策の構築は不可欠です。それが必要ないとまでの無茶を言う気はありません。幸いにして(と記すと語弊はあるが)有効な対応策が存在すると考えられますから、これらは知見や教訓として確立されるでしょう。

 

 ただし、今まで記してきたこととは矛盾しますが、頭端駅対策だけでは不充分、というよりもシステム設計としての一貫性に欠ける憾みが残ります。

 土佐くろしお鉄道では ATS-P以前のシステムを導入している以上、運転士に頼ることが暗黙のうちに前提されています。頭端駅だけを強化しても、実は途中の抜け穴が多数あることを見落としてはいけません(函館線での脱線事故が典型)。

 そのように考えてみると、頭端駅の速度照査強化は事故対応としては「正解」であっても、全ての速度超過に対応するためにはまったく「不正解」なのです。ほんらいは ATS-P以上の信号閉塞システム導入以外の解はないはずです。なぜならば、このたびの同種事故は到着直前の速度照査でも対応できるとして、途中の速度制限箇所での速度超過まで含め対応するためには、全区間で速度照査する体制にするしかないからです。

 事故を起こした結果責任は厳しく問われるべきであっても、以上の諸点に関する指摘がもっと出てきても不思議ではありません。しかし、それがまるで目立たないというのは、「安全」という概念が如何に誤解されているかの証左といえます。

 

 

 

 

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