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「いま」をはかるには「いま」の尺度で
和寒 2005年 4月23日
■まえがき
交通分野だけではなくあらゆるジャンルでの議論において、自分の経験や感覚を基礎として論を展開するということじたいは、正当と考えられています。今回の立論の着目点そのものは、まさに経験と感覚に由来したといえ、利用者サイドの見方に立っているものでしょう。
ところが、品鶴線(と敢えて記し以下もそのまま通します)新・武蔵小杉駅を評価する立場が実は明確にされていないため、論旨がいまひとつ見えにくくなっているきらいがあります。
もう一点いえば、論を展開するにあたっての根拠づけに誤解・誤認があると考えられ、説得力に欠けています。その誤解・誤認とはなにか。表題に記したとおりでして、
「いま」をはかるには「いま」の尺度で
ということであり、裏返していえば、
「むかし」をはかるには「むかし」の尺度で
ということでもあります。具体的にいうならば、品鶴線に途中駅が2箇所しかない理由、そして運輸行政の基本理念の大転換について考慮されていない、ということです。なお、川崎縦貫鉄道に関しては議論が発散するので本稿では採り上げず、新・武蔵小杉駅設置に絞って展開させて頂きます。
■品鶴線の途中駅
品鶴線の歴史は意外に古く、開通年次は昭和 4(1929)年となっています。なぜこの路線が出来たのか、明確な裏づけはありませんが、おそらくは東海道本線の複々線を列車線(当時の中長距離列車は機関車牽引)・電車線(今の京浜東北線)に分離するため、足の遅い貨物列車をバイパスさせる目的があったのでしょう。
さらに時代が下がって、高度経済成長と大都市圏への一極集中が進むなか、東海道本線と京浜東北線だけでは輸送力が逼迫したわけです。そのため、東海道貨物支線(汐留−東京貨物ターミナル−浜川崎−鶴見−羽沢−東戸塚)が建設され、品鶴線は旅客線に転用(ただし若干数の山手貨物線経由の列車が存続)、さらに品川以北でシールドトンネルを掘削するという、かなり大がかりなプロジェクトを興したうえで、現在の横須賀線が成立したという経緯があります。
それ以前は複線を東海道線・横須賀線列車が共有しており、この部分だけを見れば複々線化、東海道本線全体では四複線化が達成できたわけで、輸送力確保という観点からは、飛躍的な増強がはかられたのです。
その一方、東海道線から分離された横須賀線利用者にとっては大きな不満が残る方策であったことも事実です。横浜−品川間が品鶴線経由となることにより所要時間は延引していますし、新橋・東京駅がかなり深い地下駅となったからです。東京への直通により劇的な改善が達成された総武快速線とは異なり、横須賀線の場合サービス水準が後退しましたから、戸塚で多数の横須賀線利用者が東海道線に乗り換える行動も見られるようになっています。せっかく四複線化を達成したはずなのに、分離された横須賀線にかかる負荷が小さく、東海道線はあいかわらずの大混雑、これではなんのために大プロジェクトを興したのか、意義が見えにくくなる展開といえます。
そして上記の事象は、東海道線と横須賀線を分離して初めてわかったものではなく、分離前にある程度は想定されていたといわれています。それゆえに、東海道線と比べ距離が長い品鶴線に途中駅をつくることは極力避けられているのです(現在は西大井と新川崎の2駅しかない)。
■需給調整規制
しかし、そうはいっても、品鶴線が経由する沿線地域にとっては、ただ列車が通過するだけでは意味がないわけです。駅が設置され、自分たちの地域に発着する利用者の玄関になってこそ、沿線地域にとっての鉄道の存在価値があるといえます。そのため、品鶴線に横須賀線が通ると決まってから以降、新駅設置を求める要請が繰り返されてきた、という話があります。
国鉄(当時)が自由意志で駅を設置できるのであれば、既存の横須賀線利用者の利便性を犠牲にしても新駅を多数設置し、沿線地域からの新規利用者獲得に努めた可能性があります。ところが、昭和40年代当時には需給調整規制というものが厳として存在していました。そのため、品鶴線の新駅の立地を定めるにあたっては、既存鉄道路線の利益を損なわないよう配慮されたといわれています。
例えば西大井駅。
本来は、ポインタのあるあたりに設置したほうが、はるかに利便性が高いといえないでしょうか。田園都市線というバイパスが完成してもなお、大井町線の輸送力増強が必要である今日、ここに駅があれば今日の問題点のいくつかが解決していた可能性があります。しかし当時の当事者に、今日の状況を予測せよと求めるのは酷というものです。後知恵の結果論ならば誰にでもいえます。当時の常識「自分の路線から利用者をとられる」という“恐怖感”を敢えて抑えろと、誰がいえたでしょうか。
例えばここ。
このポインタのあるあたりに新駅を設置すれば、既存の鉄道ネットワークに対して極めて強力な競争力を持つといえます。そしてここ。
これは新・武蔵小杉駅が設置されると目される位置ですが、先の例以上に既存の鉄道ネットワークに対して極めて強力な競争力を持つといえます。なにしろ現状だけでも南武線・東急東横線と接続しますから、広域的な影響力が大きい。
しかし、以上に挙げた例のような駅は、今までに出来ていません。公開されている情報がなく、経緯がまったく不明であるため、すべて憶測によらざるをえませんが、需給調整規制が存在したため、既存の鉄道ネットワークに配慮した、と考えるのが自然でしょう。
■運輸政策基本理念の大転換
しかし、現在は需給調整規制が撤廃されています。市場に参入するのも自由、退出するのも自由、ということです。鉄道では退出の話題ばかり採り上げられるきらいもありますが、実は湘南新宿ラインという立派な新規参入例も存在しているのです。そして、もし仮に需給調整規制が今日も存在しているならば、既存ネットワークに対して極めて競合的な湘南新宿ラインが成立しなかった可能性を指摘しなければなりません。
鉄道以外の分野は新規参入が相次いでおり、低価格航空キャリア(経営的には低空飛行が続いてはいるが)、多様な高速バス、さらにもっと多様なコミュニティバスなど、成功例は枚挙にいとまありません。
ここで、成功例ならざる典型例として、タクシーを挙げておくべきなのでしょう。景気の長期低迷が続くなか、タクシー業界には寒風が吹きつけ続けている状況ですが、それでも新規参入(または台数拡充)があいついでおり、明らかに供給過剰といえます。
これは、需給調整規制をしないという原則を守ることによって発生する、社会的不効用の一種と考えられます。交通事業の経営面では過当競争でもありますし、環境面では批准したはずの京都議定書に真っ向から逆らう方向性です。しかし、この社会的不効用を解消するため、需給調整規制(保護行政)を再開するならば、サービス水準が低位で安定する、特に運賃水準が高めで推移することは確実です。それが利用者の利益にかなうかといえば、おそらく否でしょう。
つまり、需給調整規制の撤廃とは、一定の社会的不効用発生を許容するかわりに、利用者の利益にかなう新規サービスの参入を促す方策といえます。(なお、ローカル路線の退出は一見無制限のようでも自治体が救済する例が多いのでここでは考慮しない)
■まとめ
品鶴線での新・武蔵小杉駅設置は、今日の状況においても利用者の利益にかなうものと考えられます。既存の鉄道ネットワークにとっては強力なライバル出現となり、経営面ではダメージを被るおそれ大ですが、有効な選択肢が増える利用者にとっては間違いなく福音となります。
また、品鶴線を経由する列車が横須賀線だけではなく、湘南新宿ラインも加わっていることから、東海道線の混雑緩和という本来の意義を損なうこともないと考えられます。
ここでPhilippe-Alexandre de Rosenbourg様の立論で理解に苦しむのは、利用者サイドの見方に立って始めたはずの議論が、需給調整規制の発動を望む格好で展開されているということです。これは論理矛盾と指摘せざるをえません。川崎市という一自治体における当事者・利害関係者の一人として、「無駄な投資ではないか」と懐疑するならば理解できますが、議論するうえでの立場が全体を通して曖昧であるために、論旨が不明確になっています。
今後の投稿においては、論じるうえでの「立場」をより明確にし、論旨をより明快にするよう、期待するものです。
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