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簡擁が劉備を諫めたが如し
和寒 2005年 4月24日
私の知人に「存在そのものがセクハラ」とまで極言された人物がいます。要するに、顔つきに品がなく、いやらしく見えるということなのですが、この種の通り名には人間存在を否定する侮蔑的な意味が含まれており、本来は決して許されるものではありません。もっともこの人物の場合、そのように呼ばれることを名誉に感じていたらしく、きわどい言動を繰り返していましたから、自業自得ではあるのですが。
さて、たとえ男性が性的な邪心を持っていたとしても、そのことじたいを法律上の罪に問えるわけではありません。内面の邪心に対しては、内面の反発でもって応じるしかないはずです。しかし、女性から見て男性というものは、邪心を持っているか否かに関わらず、邪心を持つ可能性があるという意味において、鬱陶しい存在であることは確かです。そのため、女性専用の空間を確保するという社会的ニーズが生じるわけです。
女性専用車を設けるにあたっては、痴漢犯罪を抑制するという目的が掲げられています。朝夕のラッシュ時間帯や、車内治安に不安を与える時間帯(例えば深夜の埼京線赤羽以北など)に設けるというならば、いちおう理解は出来ます(ただし「疑わしきを隔離する」という意味において問題があることも指摘しておかねばならないが)。とはいえ、終日の設置となると、これはエル・アルコン様が指摘するとおり、女性という特定のカテゴリーを優遇する差別的サービスの提供といえます。
鉄道は公共交通機関ですから不特定多数に開放されるのが大原則であり、例えば「女性専用ジム」といった類のサービスとは性格を異にするはずです。ましてや、実害を被った実績があっても、その可能性をもって当該カテゴリーを特定し、例えば「外国人お断り」と来店を拒むことは許されないとした判決が出ている先例を考慮すれば、おおいに問題のある措置といわざるをえません。
してみると、女性専用車の終日導入とは、痴漢犯罪抑制という抗いがたい目的を隠れ蓑として前述した社会的ニーズを充足しようとしている、とするのは邪推にすぎるでしょうか。極端な表現をするならば、「疑わしきを隔離する」という行動を通じて「世の男性は存在そのものが痴漢予備軍」と断じているようなもの。それがほんらい許されることなのかどうか。答は既に記したとおりです。
邪心は確かに鬱陶しいものではあっても、表題に掲げたとおり、実際の行動を起こす前に罰するのはいきすぎです。女性専用車という“サービス”は、今のところ罰ではないにせよ、罰に至るまでの予備動作のひとつといえます。そのような“サービス”が導入された社会的意義について、よくよく考える必要があるでしょう。
参考までにいえば、女性専用車の導入にあたっては、政治的な動きがあった形跡が認められます。
この記事からは、女性専用車終日導入を求める声の背景に特定少数カテゴリー(しかもかなり限定される)の偏狭な自己満足が透けて見えるような気がします。自業自得な人物であればやむなき仕儀かもしれませんが、隔離と忍従を強いられる世の男性にとっては、かなり切ない状況ではあります。
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