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ぬれ煎餅と内部補助
和寒 2006年12月10日
■銚子電鉄とつぜんブレイク
銚子電鉄の車両検査問題は、世間の話題という域をはるか通り越し、ほとんど社会現象と形容してもよい出来事となっている。その理由は、今さら改めて記すまでもないだろう。必要な資金を鉄道利用促進に求めるのでなく、「電車運行維持のためにぬれ煎餅を買ってください!!/電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」と身も蓋もない宣伝を世に出したからだが、その率直すぎる姿勢が好感されるのだから、わからないものだ。
銚子電鉄の経営は、赤字に喘ぐ鉄道部門を、ぬれ煎餅の製菓部門が支える格好になっている。要するに、製菓部門が鉄道部門を内部補助しているわけである。製菓部門の売上は鉄道の倍ほどもあり、黒字を計上しているものの、鉄道部門の赤字を完全に補うまでには至っていない現状には、どこか牧歌的な諧謔味がある。
もし銚子電鉄が上場企業であれば、あるいは非上場でも株主が利益至上主義者であれば、鉄道部門を廃止して製菓部門に特化し、より利益が出る体質に改善することを求められるに相違ない。そうならないというのは、鉄道部門存続の必要性・必然性が株主ほか関係者の共通認識となっているからであろう。安全確保に関する事業改善命令が出ているなど、銚子電鉄の前途はなお厳しいといわざるをえないが、周囲の社会的環境には恵まれていることは間違いない。
■内部補助といえば……
銚子電鉄とはまったく次元が異なるが、内部補助という観点において相似している事態が、国家財政のなかで進みつつある。それは、道路特定財源の一般財源化である。当初の動きは、荒っぽい例えをするならば「日本国株式会社」の「道路部門」から得られる現金収入を「総務部門」にまるごと付け替えるようなもので、激しい摩擦・軋轢が生じるのがむしろ当然の展開であった。
「日本国株式会社道路部門」のユーザーは、揮発油税などの「運賃」を支払って道路を利用している。これは鉄道と利用者の関係と似たような間柄であり、まさに「受益者負担」そのものである。道路特定財源を他部門に転用しようという過去の運動がことごとく挫折してきたのは、受益者負担を横流しすることに対して、論理的合理性・整合性を極められなかったからにほかならない。独立採算制をとる他部門の収入をあてにすることじたいが、そもそも間違っていたのである。あまりにも間違っているから、適当な言葉を冠することさえ難しいほどだ。
ただいま固まりつつある決着の方向性は、報道によれば、支出を上回る収入を一般財源化するそうだ。剰余金を他部門に流用するわけで、これはまさしく「内部補助」そのものである。他特別会計の剰余金取扱の方向性とも合致するから、道路のみ特別扱いを求めることは難しい。発想の根底に道理があるから、反論しにくいのである。道路整備の必要性は広く認識されていても、剰余金を他部門に一切回さずに、全てを自部門の留保・投資に充てるということは、「株式会社の企業論理」としても許容されにくいのではなかろうか。「運賃」を支払うユーザーからは暫定税率引き下げを求める声がなお残るとしても、世間の一応の納得は得られる可能性が高い。
この措置について「腰砕け」「失速」「玉虫色」とする論調は少なくないが、先述したとおり、「運賃収入」をまるごと他部門に付け替える理屈づけには無理がありすぎるのだ。出来ないことを出来るというのは、誠実な姿勢とは到底呼べない。そんな無理かつ強引な論理が相応の支持を受けているというのは、不可思議というしかない。今の落としどころを狙った極端な提議に、世間が振り回されただけという趣も伴う。
実は今、これに関するTV番組を見ながら書いているが、一般財源化論者の言うことは無理を通り越して出鱈目である。道路整備事業が利権化しているという指摘には理があるだけに、説得力・訴求力のある主張に見せかけているものの、根底となる部分の論理構成が滅茶苦茶という点は改めて指摘されてしかるべきであろう。理論には理論で応じることができても、理論なき答への同意を求められれば相互の力関係で決着するしかなく、力が弱い側は巻きこまれる以外に道がない。理論という太刀を引っさげる者が太刀を奪われてしまえば、常に弱い側に押しこまれる危うさが伴う。昨今の議論(議論と呼ぶに値するかどうかは疑問だが)の危うさは、そこにある。
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