このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 
 80形  世田谷線 西太子堂  1977.6.12
          3450系 1982.11.23 池上線 五反田駅構内
元は目黒蒲田電鉄および東京横浜電鉄のモハ510形で、旧車両番号は510 - 565であった。ただし末尾3は「惨事」に
通じるとの理由で欠番。
1931年より1936年にかけて川崎車輛(44両)および日本車輌製造(6両)にて計50両が製造されたが、双方車体の一部や
台車などが異なり、末期の改装後もすぐ見分けがついた。戦前の私鉄高速電車としては、単一形式の最多量産記録である。
大東急成立後、デハ3450形 (3450 - 3499) へと改称されている。
初期の10両は、パンタグラフ2台搭載を考慮して、非パンタ側にもパンタ台が存在した。登場時はパンタグラフの信頼性がまだ
不十分であり、故障が多発した場合は予備パンタ台にもパンタグラフを搭載し、運用継続を可能とすることが理由とされている。
また、初年度に導入された車両のパンタグラフは、川造BC-乙形および三菱P-900-A形とされた。その後採用された東洋電機製
造製のパンタグラフに比べ大形なものである。同類のパンタグラフは阪和電気鉄道、吉野鉄道で採用されているが、後継モデルが
存在しない特殊な製品である。

 
 
 70形  世田谷線 上町〜宮の坂  1977.6.12
         3500系 1982.11.23 池上線 五反田駅構内
元は東京横浜電鉄のモハ1000形である。1939年より川崎車輛にて22両が製造された。大東急成立後、デハ3500形へと
改称されている。
大正末期に出現し、昭和に入るや急激に成長を遂げた鋼製車体の製造技術が、十数年を経て一応の円熟期を迎えた頃
の電車である。それだけに一部にリベットが残るものの、従来車より窓が大きくなり全体的には非常に均整の取れたスタイル
となっていた。
製造当初、将来路線を標準軌に改軌して横浜から京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)へ乗り入れることを想定していたことから、
台車は標準軌用への改造が可能な長軸台車が使用されている。また、日本の電車としてはいち早く、加速を滑らかにする効果の
ある多段制御器(日立MMC形電動カム軸式)を搭載したことも画期的であった。
戦後は片隅両運転台から全室片運転台とされ、さらには中間にサハを挟むために偶数車の方向転換が行われた。また、前面の
貫通化は後述のデハ3508を除き行われていない。このため、デハ3450形のように車両によって向きがまちまちであったり、
貫通・非貫通の差異などの著しいバリエーションはなく、更新後に前面中央窓が1段ないし2段であったり、客用ドア窓の大小がある
程度で形態的な個体差は少ない。

 
  
  70形  世田谷線 松原〜山下  1977.6.12          3500形  目蒲線 大岡山--奥沢  1980.6.18
 前文参照
 
  
5000系  大井町線 大岡山駅  1980.6.18 8090系  東横線  渋谷駅 

 
 5000系  大井町線 大岡山駅  1980.6.18 7200系 東横線  渋谷駅

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