このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
森の軌跡宮崎県南の森林鉄道跡を訪ねて<森林鉄道・森林軌道廃線跡写真探訪記> |
■4.長尾官行線(訪問日1996年1月31日) 長尾官行線は、JR吉都線東高崎駅の西、山田町田中より木之川内川に沿って延びていた森林鉄道である。
畑や草地(1)が広がるのみの貯木場跡で初老の方に伺うと、当時はコンクリートが敷かれ作業小屋が点在していたそうで、古い住宅を指し、「あれが旧事務所」と教えて下さった。長尾官行線の森林鉄道は戦後すぐに、廃止となったそうだ。 (1) 左の道が長尾官行線の森林鉄道軌道敷跡。右の草地が貯木場跡。 長尾官行線の森林鉄道は、当初、犬にトロッコを牽かせていたが、戦時中の人手不足解消のためにガリンカ—に動力が変わったそうだ。 資料によると、犬にトロッコを牽かせる、いわゆる「犬トロリ—」は、宮崎県南部ではよく使われていたようだ。 長尾官行線の森林鉄道軌道敷跡は、木々に囲まれた未舗装道(2)、竹やぶの中の道(3)などとなる。 (2) 長尾官行線の森林鉄道軌道敷跡は木々の中へ。 (3) 長尾官行線の森林鉄道は竹林の中も走った。 山の分校のような建物の倉平公民館では、おそらく長尾官行線の森林鉄道軌道敷跡が上段、一般道路が下段とはっきり二段に別れている舗装道路(4)がある。 (4) 上部の道が長尾官行線の森林鉄道軌道敷跡であろう。 長尾官行線の森林鉄道軌道敷跡はやがて、人の気配のない道(5)となる。 (5) 人の気配のない長尾官行線の森林鉄道軌道敷跡の道。 さらに進むと、橋脚(6)、(7)に出くわした。 (6) 田畑の中の長尾官行線の森林鉄道の橋脚。よくぞ残っていた。 (7) 何度見ても好ましい光景。 田畑の中にボツンと残る姿は、なんともユ—モラスである。 長尾官行線の森林鉄道軌道敷跡は、戦後すぐに廃止となり、また、周囲の農作物の日照に影響があると思われるのによく橋脚が残っていたものだ。 昔の地図に「長尾官行」と記されていた所は、最近、工事により道路が数メ—トル下げられ、何も残っていない(8)。 (8) 道路が掘り下げられた旧長尾官行付近。右中央から左中央へと進む白いコンクリートの、のり面の上の線を辿ると、ちょうど長尾官行線の森林鉄道軌道敷跡の元道路だったとか。 ところで、「長尾官行」の「官行」とは、戦前、営林署による直営の木材生産事業のことを言ったようで、「仁田尾線」の項で紹介した熊本営林局編集「年輪」の137ぺ—ジには、トロッコを牽引するガソリンカ—の側面に「長尾官行」と表記されてある。 やがて、長尾官行線の森林鉄道軌道敷跡は、道路工事などで判別しづらくなる。 それでも、長尾官行線の森林鉄道軌道敷跡らしい川沿いの砂利道を進むと、小屋(9)や、ゆるやかなカ—ブ(10)があり、雰囲気が伺えるが、やがて、廃木の群れが道を塞ぎ、追跡不能となった(11)。 (9) 右手、小さな小屋。長尾官行線の森林鉄道軌道との関係はいかに。 (10) 軌道跡らしいカーブを描く。終点方向より望む。 (11) 廃木の群れが道を覆い、長尾官行線の森林鉄道軌道敷跡の追跡は不能に。 長尾官行線の森林鉄道軌道敷跡の終点付近は今、どうなっているのだろうか。 |
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