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森の軌跡宮崎県南の森林鉄道跡を訪ねて<森林鉄道・森林軌道廃線跡写真探訪記> |
■1.仁田尾線(訪問日:1996年1月24日、28日) 宮崎市の西、高岡町の南西部、国道10号沿いにある面早流(もさる)を起点に、大淀川を渡り、仁田尾川沿いに延びていた軌道である。
高岡町面早流にあった貯木場は、国道が横切ったり住居となり、面影はない。 仁田尾線の森林鉄道は、大淀川を橋ではなく、トロッコを1両づつ索道で吊り下げて渡った(1)。 (1)索道で大淀川を渡り対岸へ。 熊本営林局編集の「年輪」(※)の149ぺ —ジにそのユーモラスな姿の写真が収められている。
対岸との高低差、旧国道のルートが要因と思われる。 付近の方に伺うと岸のレール(2)は幾重にも別れ、いずれかに車輪がひっかかると、トロッコがうまく乗るようになっていたという。
付近の大淀川には、森林鉄道のものと思われるレール(3)が流れついていた。 (3) 川岸には、レールが。 大淀川を渡ると、森林鉄道軌道の痕跡が全く見あたらない林道(4)となる。 (4) 痕跡が全く見あたらない森林鉄道軌道跡の林道。終点方向より望む。 その後、仁田尾線の森林鉄道は、しばらく進んだ林道の脇からインクラインを経て、山の中腹部の作業用と思われる軌道へと通じていた。 インクライン跡(5)には、枕木が数本顔を見せていた。 (5) 林道脇のインクラインの起点。 山の中腹(6)の作業用軌道からは、石の築堤(7)、橋台(8)、犬釘のついた枕木(9)がある。 (6) インクラインを登りきった上部。終点方向から望む。 (7) 山奥にひっそりと残る石積みの築堤。 (8) 石積みの築堤と橋台。 (9) 散乱する犬釘のついた枕木。 徐々に水により森林鉄道軌道敷の崩壊が進み、辿るのが難しく、散乱する朽ちた枕木だけを頼りに進む。 ケモノ道と化した森林鉄道軌道跡の山道が行き止まりとなる終点と思われる所(10)は、軌道があったことなど信じられないくらい木々に囲まれひっそりとしていた。軌道が敷かれる以前の森に戻ったように見えた。 (10) 森林鉄道軌道があったとは思えぬ程、草木に覆われる。 |
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