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宮崎森林鉄道資料館(TOP)

ホームページ閲覧者様からメールにて頂いたお便り、情報をご紹介いたします。なお、公開のご承諾をいただいた方のみ掲載しております。

日時:2008年9月30日
件名:宮崎県北川町の軌道跡について

ご送信者:榊原様


榊原です。

〜略〜

とりあえずという格好ですが、宮崎県東臼杵郡北川町(現、延岡市)、大分県南海部郡宇目町(現佐伯市)にあった森林鉄道について、北川の下流側からの話を先にお伝えしようと思います。

あまりにも確認できた事項が少ないので、大半推測を混ぜた話となりますがご勘弁ください。


●長井の貯木場〜下赤椎谷(しいや)の貯木場

これは日向市の宮崎北部森林管理所で「宇目町の赤水林道に関する林道施設台帳を見せて欲しい」と申し込んで閲覧したところ、大分県側はないと言われ、出てきたのがどの資料でも見かけなかったこの区間の軌道でした。

担当者さんがそうおっしゃるので、台帳(民有地の地番が記載されている)と、巻物になった昭和8年の測量図(軌道敷きの実測面積と周辺地番が記載されている)は詳しく見ませんでしたが、その資料について聞き取りをしたのは次のようなことでした。

  • 長井の貯木場(正式名はわからない様子)は国道10号線のすぐ横にある学校(北川小学校のこと)の南200〜300メートルくらいのところ、現在町営住宅みたいなのが建っているところにあった。当時の地盤からは盛り土して高くなっている。
  • 管理署から町に手続きしたので間違いない。
  • 終点は椎谷の貯木場だった。
  • (車道ではなかったのか、と言う質問に)この林道は軌道だった。
  • 林道名は、「赤水林道」だった。(巻物にもそう書いてあった)

詳しいルートは聞き取りしませんでした。

実測図が昭和8年に作成されているところを見ると、軌道開設年はやはりこの年ではないかと思います。

明治41年〜昭和27年まで東海村(当時)に東海(とうみ)貯木場があり、椎谷〜東海間は北川を流送していたそうなので、それにかわる機能の一部として建設された軌道かもしれませんが、日豊本線長井駅から材を搬出する目的だった可能性も高いと思います。

時期は不明ですが、日豊本線の市棚、(宗太郎)、重岡の駅横には貯木場があったという話でしたので、長井も駅まで離れてはいますが同様目的だったかもしれません。

台帳にはこの軌道の廃止年も書いてあったのでしょうが、それは確認しませんでした。

昭和31年度当時の延岡営林署には、延岡、椎原(椎谷?)、重岡の貯木場が挙げられていて、既に廃止されたのでしょうか、長井に該当しそうなのはありません。

なお、不思議なことに北川村史、北川町史ともに国有林事業については何も触れられていませんでしたので、北川町内での実体は不明です。

また入手した限りの熊本営林局発行の冊子にもこの区間は触れられていませんでした。

現地は、長井の貯木場推定地にはプレハブの住宅群がありましたので、それかもしれません。その確認は取っていません。

軌道跡は、国道敷きに取り込まれているところも多いと思われます。

この区間はターゲットではなかったために、この程度しかお伝えできません。

また椎谷以北のことは別に送ります。


日時:2008年10月3日
件名:宮崎県北川町の軌道跡について(続き)

ご送信者:榊原様


(上記メールの続き)

椎谷の下赤貯木場以北の宮崎県分について報告します。

結論を先に言えば、詳細なルートはこの区間もよくわからない、です。


●下赤貯木場〜大分県境

まず資料データについて検討してみます。

(1) satoshiさん(管理人)HPにもありましたJTB「鉄道廃線跡を歩く」「全国森林鉄道」の巻末資料によると、明治39年北川町と宇目町にかけて"赤水林道"が開設されて、昭和27年に"赤水林道藤河内支線"ができています。

(2) 「宇目町誌」では記載が異なっていて、該当しそうなのはこれくらいです。
           開設 廃止 区間
・夏木森林軌道  M42 S15 大宮橋〜夏木
・奥ヶ迫森林軌道 M42 T5  藤河内〜奥ヶ迫 (町誌年表ではT15廃止)
・赤水森林軌道  S8  S24 大宮橋〜柳瀬

(3) 「九州の国有林百年」
(要約)明治39年10月に下赤製材所が設立され(注:他の記事ではM41、またはM42年度)、素材供給などのために明治40年度に並松官行斫伐所が設置された。(注:現在の地形図では立松谷となっているところ、おそらく並の旧字体"竝"の誤転記)
また資材運搬のため、下赤製材所〜並松橋(並松斫伐所入口、たぶん藤河内にある)間に14.7キロの12ポンド軌道を設置した。
続いて明治41年度には奥ヶ迫官行斫伐所が設置(注:奥ヶ迫は地形図で七年谷と書いてある谷)されたが、後にこの二つは統合されて夏木斫伐所となった。

以上から、(1)の赤水林道は、(2)の夏木森林軌道、(3)の14.7キロの軌道の一部を表していると思われます。

ここでいう赤水林道の名の由来は、桑ノ原から藤河内に向かったところに発電所があり、このあたりを赤水というらしいことから命名されたと思われます。

地図上で測ると下赤の椎谷〜赤水は5キロちょっとくらいになります。

宇目町誌の赤水森林軌道(これはほぼすべてが大分側)、前回のメールの赤水林道は、この一番最初の赤水林道を上流と下流へ向けて延長・分岐したといった意味合いで同名なのかもしれません。どちらも昭和8年開設と考えられますから、同時期の施工なのでしょう。

町誌の夏木森林軌道というのは通称かもしれませんが、森林管理署に下赤貯木場以北の林道台帳が残ってない以上、正式名は不明です。ただ森林管理署での話によると、民有地を通過する場合には台帳・実測図を作っているけれど国有地内を通す時には付属物扱いで台帳・実測図とも作らなかったのだろう、という話でした。実際、赤水地区から奥は国有林になっていますから、椎谷〜赤水間で作られた台帳の名称とすれば、やはり赤水林道が正しいのではないかとも思われます。

実はこの赤水林道のルートなのですが、「椎谷〜桑ノ原〜赤水〜藤河内〜並松谷、奥ヶ迫」という以上の、詳細なルートははっきりしません。

椎谷の下赤貯木場跡を出発すると、しばらくして左手に軌道跡を利用したらしい歩道などが見えますが、その後、国道からそれて赤水までをざっと走っても痕跡はよくわかりませんでした。
藤河内に向かう林道がほぼ軌道跡だという話ですが、宮崎側県境付近の軌道跡がどこにあるのかはっきりしません。

桑原川が北川に合流する地点より少し上流で渡河して大分県に入っていたという話もあり、桑ノ原までは国道改良(登坂車線のある現国道)で敷地に取り込まれたと言う話もあり、一部は国道の上方に石垣などが残っていると言う話もあり、時期によってルートが変わった可能性もあります。

(1)の赤水林道藤河内支線はそのルート変更を表しているのかもしれません。

また、宇目町誌によく出てくる「大宮橋」ですが、これは宮崎・大分県境にあって宮崎県側の北川にかかっています。地形図にも載っていますが、現在では普通の車道橋に掛け替えられて(橋の銘板は「S55年度 赤水林道 大宮橋工事」)いますが、軌道時代の古い橋は「宇目町誌」、「年輪」P138中左、「九州国有林の展望」に収録され、JTBの「全国森林鉄道」の表紙右下にも掲載されています。

これだけ使われるというのは、僕には鉄道橋くらいにしか見えませんが、森林軌道としては相当見栄えのいい橋だったのでしょうか。

ついでながら、大宮橋や桑ノ原は分岐点になっていたようで、そこからまた先の宇目町内に軌道が伸びていました。

残念ながら鉄道に興味があるわけではなく、まして森林鉄道という分野は全く未知の世界でした。

satoshiさんや他の方のHPで付け焼き刃の勉強で臨んだものですから、かなり見落としや勘違いしている部分もあろうと思いますが、だいたい宮崎県側で調べたところは一応お伝えしたと思います。

かなり長文になってしまい申し訳ありませんでしたが、このへんで失礼します。


日時:2008年10月9日
件名:宮崎県北川町の軌道跡について(続き)

ご送信者:榊原様


(上記メールの続き)

〜略〜

写真を送ります。

(1) 現在の下赤貯木場跡(椎谷)、民間業者に売却された
(2) 上流から椎谷方面を見る、山際に残る軌道跡とおぼしき歩道
(3) 現在の大宮橋(右岸側から)
(4) 左岸側大宮橋のたもとに残る吊り橋時代のアンカー遺構

〜略〜

宮崎県東臼杵郡北川町(現、延岡市)、赤水林道跡、森林鉄道跡・森林軌道跡、(1) 現在の下赤貯木場跡(椎谷)、民間業者に売却された

(1) 現在の下赤貯木場跡(椎谷)、民間業者に売却された


宮崎県東臼杵郡北川町(現、延岡市)、赤水林道跡、森林鉄道跡・森林軌道跡、(2) 上流から椎谷方面を見る、山際に残る軌道跡とおぼしき歩道

(2) 上流から椎谷方面を見る、山際に残る軌道跡とおぼしき歩道


宮崎県東臼杵郡北川町(現、延岡市)、赤水林道跡、森林鉄道跡・森林軌道跡、(3) 現在の大宮橋(右岸側から)

(3) 現在の大宮橋(右岸側から)


宮崎県東臼杵郡北川町(現、延岡市)、赤水林道跡、森林鉄道跡・森林軌道跡、(4) 左岸側大宮橋のたもとに残る吊り橋時代のアンカー遺構

(4) 左岸側大宮橋のたもとに残る吊り橋時代のアンカー遺構


日時:2008年10月10日
件名:宮崎県北川町の軌道跡について(続き)

ご送信者:榊原様


(上記メールの続き)

榊原です。

大宮橋について書き忘れていたことがありましたので補足します。

現在の大宮橋の横には、古い橋脚の一部と橋台が残っています。

最初はこれが軌道橋時代の名残と思っていたのですが、「九州国有林の展望 (S32)」では古い橋脚・橋台が写っていましたので、これらは旧大宮橋よりさらに古い軌道橋の遺構ではないかと思います。

ただこれに関しては、資料や証言がないため詳細は不明です。

写真は、比較のためにほぼ同じ位置から撮ったものです。

現在の大宮橋の橋脚は、旧大宮橋の橋脚位置に作り直したらしいとわかります。


宮崎県東臼杵郡北川町(現、延岡市)、赤水林道跡、森林鉄道跡・森林軌道跡、大宮橋


日時:2008年10月31日
件名:大分県宇目町の森林鉄道について

ご送信者:榊原様


(上記メールの続き)

榊原です。こんばんは。

〜略〜

大分県宇目町(現佐伯市)の軌道についてざっとまとめました。
「宇目町誌」には以前書いた3本を含めて、町内にあった7本の軌道が掲載されています。JTB「鉄道廃線跡を歩く」「全国森林鉄道」の巻末資料はこれら7本の軌道の一部(または別の支線分線)を表していると思われますので、町誌資料をベースに検討します。

 開設廃止区間 
・夏木森林軌道M42S15大宮橋〜夏木 
・奥ヶ迫森林軌道M42T5藤河内〜奥ヶ迫(町誌年表ではT15廃止)
・赤水森林軌道S8S24大宮橋〜柳瀬 
・小野市森林軌道S8S25柳瀬〜杉ヶ越 
・ 〃 傾山支線S16S38御泊〜傾山 
・小鹿倉森林軌道S16S23長淵〜柏山 
・板戸山森林軌道S25S35大宮橋〜板戸山 


これらの軌道は宮崎県北川町の下赤貯木場に向けて県境付近で合流していましたが、大きくは3方向に分けられます。


(1)藤河内方面

九州ではもっとも古い部類の軌道。木浦の藤河内(フジガワチ)地区の国有林に伸びていた。
JTB本「赤水(林道)藤河内支線4.5キロ 開設S27」というのはどこに該当するのか不明です。

【夏木森林軌道】
下赤貯木場から北川右岸を遡行、桑原川右岸を桑ノ原(クワノハル)〜藤河内〜並松谷へ。桑ノ原〜藤河内はほぼ車道化。並松谷右岸に古い歩道跡が残るらしいが、それも軌跡なのか。終点不明。JTB本「赤水5.1キロ 開設M39」はこの区間の始発点側・貯木場〜赤水を表しているのではないか。

【奥ヶ迫森林軌道】
藤河内から分岐して奥ヶ迫(七年谷)へ。奥ヶ迫林道がほぼ軌跡をなぞっているのか。終点不明。JTB本にはない。


(2)西山方面

木浦の西山地区の国有林に向かっていた。下流からは北川〜中岳川〜西山川に沿って進んだ。桑ノ原や御泊の分岐点周辺では、今ひとつルートがはっきりしない。

【赤水森林軌道】
中岳川右岸を桑ノ原〜柳瀬へ、その先は小野市線になる。宮崎側からの渡河地点がはっきりしない。昭和初期までの地形図には桑原川に橋があり(北川合流点より少し上流)、それが渡河点だったのか。併用林道だったのかもしれない。JTB本にはない。

【小野市森林軌道】
赤水線の延長で中岳川右岸から西山川右岸へと進む。柳瀬〜中岳〜長淵〜御泊(オトマリ)〜杉ヶ越(御泊から南西・杉ヶ越に向かう谷)。終点不明。JTB本では「小野市6.5キロ 開設S08」で、延長の一部を表していると見られる。
桑ノ原〜柳瀬はのち県道に転用、さらに国道→現在の市道となっている様子。柳瀬〜中岳は北川ダム建設の際、軌道跡に道路開設が要望されたが、現在の地図を見る限り道路になった様子はなく、ダム湖に水没するまでの間は原形を残していると思われる。
長淵〜御泊では県道対岸に軌道跡がはっきり残る、また御泊の先には橋脚も残っていたらしい。


大分県宇目町(現佐伯市)・小野市森林軌道跡〜森林鉄道廃線跡・森林軌道廃線跡〜長淵

写真1 県道6号線長淵付近、対岸に軌道敷きの石垣、隧道が見える


大分県宇目町(現佐伯市)・小野市森林軌道跡〜森林鉄道廃線跡・森林軌道廃線跡〜長淵の上

写真2 県道613号線へ入った付近


大分県宇目町(現佐伯市)・小野市森林軌道跡〜森林鉄道廃線跡・森林軌道廃線跡〜大瀬原

写真3 田と護岸の間が軌道跡と思われる


大分県宇目町(現佐伯市)・小野市森林軌道跡〜森林鉄道廃線跡・森林軌道廃線跡〜大瀬原の橋

写真4 大瀬原地区に渡る橋の下に残る軌道敷き


大分県宇目町(現佐伯市)・小野市森林軌道跡〜森林鉄道廃線跡・森林軌道廃線跡〜御泊

写真5 御泊の西山公民館前の道が軌道跡


【小野市森林軌道傾山支線】
小野市線の御泊付近で分岐してべにがら谷右岸を上っていった。地形図の道(破線)がほぼ軌道跡と思われる。終点は谷奥の道路線が終わる左岸にあった傾山集落で、営林署事業所や分校があった。
JTB本では「小野市傾山支線4.5キロ 開設S22」、別に「19分線0.8キロ 開設S29」。
聞き取りでは、軌道は御泊集落を過ぎたあたりで西山川左岸に渡り、神社裏手をつづら折りに上った付近で傾山方面に分岐していたと聞いたが、それだと支線4.5キロではオーバー気味なので、小野市線含め御泊周辺はルート検討が必要。
御泊から奥は荒れ放題のようで、地図の道も車は入れそうにない。枕木が残っているらしい。

【小鹿倉森林軌道】
小野市線の長淵付近で分岐して長淵川に沿って進み、除(ヨケエ)からは北東の谷に向かったと思われる。ルート、終点とも不明。県道や柏山林道は軌道跡を利用しているかも。JTB本にはない。


(3)板戸山方面

板戸山西麓の国有林に向かった軌道。

【板戸山森林軌道】
県境の赤水林道大宮橋で分岐して、北川左岸を板戸谷まで。板戸谷で谷が二俣に分かれる周辺を板戸といい、営林署事業所、集落、分校、機関庫があった。ここが一応の終点かと思われ、JTB本では「赤水板戸山支線7キロ 開設S23」。ただ軌道はさらに奥に向けて延びていたがそれほど距離はなかったということ、JTB本の「40分線1.0キロ 開設S28」かと思われる。
大宮橋、板戸周辺のみ実調したが、いずれも車道化されて原形が残るのは一部。北川ダム堰堤からは隧道跡が見えるそうだが、北川沿いは木橋で繋いでいたところが多いため軌道跡はわからないだろうということ。


大分県宇目町(現佐伯市)・板戸山森林軌道跡〜森林鉄道廃線跡・森林軌道廃線跡〜板戸

 写真6 板戸付近の小日平国有林、杉が伐採されて軌道跡の林道が見える


大分県宇目町(現佐伯市)・板戸山森林軌道跡〜森林鉄道廃線跡・森林軌道廃線跡〜大分県宇目町(現佐伯市)・小野市森林軌道跡〜森林鉄道廃線跡・森林軌道廃線跡〜板戸山分校

 写真7 板戸の機関庫跡、少し広場になっている、この先にも軌道が続いていた


話を総合すると、最長時の軌道延長は昭和8年から昭和24年頃までの、
長井の貯木場〜椎谷の下赤貯木場〜(大宮橋分岐)〜桑ノ原(分岐?)〜柳瀬〜中岳〜長淵〜御泊〜杉ヶ越、傾山まで、およそ30キロくらいになるかと思われます。
なお、西山地区、板戸山とも現在はヒルの多い場所ですので要注意です。実際ぼくも西山では初めてヒルにやられ、実地調査意欲もかなり減退気味です。

またこの付近で昭和初期までに導入された機関車は、


昭和5年延岡営林署後山斫伐所(注:七年山東側斜面の後山国有林
のことか、夏木森林軌道?)
昭和11年傾山斫伐所 

(木炭ガス発生機付)

小日平斫伐所(注:板戸山周辺の小日平国有林)



の4台が挙げられていますので、ほとんどの軌道が人力、畜力だったと思われます。
板戸山線は昭和25年開設(JTB本は昭和23年)で、小日平斫伐所の機関車が昭和11年購入というのは釈然としませんが、まだその答を持っていません。ただ「全国森林鉄道」表紙の大宮橋は昭和15年撮影ですので、戦後板戸を中心にした大規模な国有林伐採以前にも、板戸山で斫伐事業が行われていたのは確実と思います。

話が逸れますが、昭和9年と翌10年に「竹田営林署 白山斫伐所」でも機関車を購入しています。おそらく、これは白山村(シロヤマムラ、当時)の傾山北麓に伸びていた軌道のことと思われます。傾山北側からの登山道に官行コースというのがありますが、この付近には現在の林道とは違うところに軌道跡が残るようです。

http://www5.ocn.ne.jp/~mukago/mukago-bak/mukago-30/tuusin30.html
http://www.nan-nan.jp/lib/eki016a1.pdf  (P.13)

ここには白山村立(のち清川村立)南小学校傾山分校がありましたが、昭和30年11月で閉校していて、昭和31年度の生産事業所には白山の名は見えず、上記ページの記事を裏付けます。

この軌道は、ご紹介いただいたテキサス大学の地図( http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/ http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/txu-oclc-6900707-ni52-16.jpg )にも載ってますね。


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