このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
屋久島森林鉄道探訪紀行〜屋久島の森林鉄道歩きの旅〜▼屋久島の森林鉄道とは?鹿児島県の南に位置する世界遺産にも登録された屋久島には、かつて、木材を搬出する森林鉄道が多数走っていた。 現在は、屋久島の東側、屋久町安房の苗畑からの軌道敷が残り、途中荒川までを屋久島電工がダムや発電所への人員、資材の輸送に使い、荒川から先は愛林という会社が土埋木の運搬に使っている。 全国に無数あった森林鉄道が今残るのは、京都の芦生とここ屋久島だけなので、貴重なものだ。 荒川から先の愛林の区間の軌道敷は、屋久島で最も著名な縄文杉への登山道としても利用され、歩くことができる。 以下に平成8年2月に屋久島の森林鉄道を訪れた時のことを簡単にご紹介したい。 ▼屋久島の森林鉄道探訪記屋久島の森林鉄道の軌道敷きが歩ける登山道の入り口の荒川は、人家もない山奥で、当然バスもないため、レンタカーで向かった。 荒川には、何本かの側線があり、ディーゼル機関車とトロッコが休んでいた。 屋久島の森林鉄道を訪問した日はあいにく、森林鉄道の機関車の運行はなかったが、荒川に止めてあった機関車を見たり、軌道敷が歩けるだけでも十分であった。 ここ荒川より、登山道としても使われている軌道敷を歩く。 枕木に板を張っただけのガーダ—橋を恐るおそる渡り、明かりのないトンネルを震えながら進むと、小さな機関庫があり、緑色の古ぼけた人員輸送用のモーターカーとガイコツ化した機関車の廃車体があった。 集落があった小杉谷の手前で、現役の石塚線と分かれ、再びガーダ—橋を渡り、廃線の小杉谷線へ。 小杉谷は、営林署の伐採が終わる昭和44年頃まで多くの林業関係者が生活していた集落で、住宅や小中学校、商店などがあったが、何も残っていない。 あるのは学校の門と校庭で、他は森と草地と化している。 学校の門前を森林鉄道のレールが通る素晴らしい絵が見られる。 小杉谷から先は、深い森の中を通り、屋久島の森林鉄道らしさが一層濃くなる。 途中、橋などが流出し、迂回しなければならいところや、巨木が倒れ森林鉄道軌道敷きを塞ぐところもあった。すでに廃線の区間だろう。 一方、九州一高い宮之浦岳を擁するだけあってわずかだが森林鉄道軌道敷きの周囲には、雪が積もっているところもあった。 歩いていると、縄文杉への登山客とすれ違ったり、また、鹿とも出会う。 山深く進んでいると、こんな屋久島の奥地にも人の手が入り、森林鉄道のレールが敷かれ、鉄道が走っていたことに、ただ感心させられる。 さらに進むと大規模な橋の流出があり、ここで、追跡は終了した。 縄文杉への登山道はここから森林鉄道の軌道敷を離れ、山深く登っていく。 縄文杉はまだまだ先だ。 この残された屋久島の森林鉄道は、将来的には動く自然環境教室として、観光用に整備する構想もあるそうだ。 なお、荒川へ行く途中の「屋久島自然館」では、屋久島の森林鉄道で活躍したディーゼル機関車とトロッコが保存されている。 館内のビデオでは、当時の屋久島の森林鉄道の姿が見られる。 (訪問日:平成8年2月28、29日) ▼解説図▼not to scale 作図:本HP管理人 青色の線が屋久島電工の区間。緑色が愛林の区間。実線は営業線、点線が廃止廃線。黒い点線は営林署管轄時代の廃止線。灰色の細線は道路。 ▼屋久島の森林鉄道探訪記ミニ写真集写真撮影者:本サイト管理人 satoshi 荒川付近の橋梁。 軌道敷を歩くとやがて、廃車体が(左手)。右はモーターカー 。 小杉谷小中学校跡。校門の前をレールが通る。 木々に囲まれこれぞ、森林鉄道と思わる景観。 巨木が軌道敷をさえぎる。屋久島ならではの光景。それにしても、すごい。 屋久島自然館に保存された機関車とトロッコ。 Copyright(C) Satoshi All Right Reserved 本文、写真の無断転載を禁止いたします。 <リンクフリー> リンクはご自由にどうぞ。連絡不要。 管理人運営サイト: 「宮崎森林鉄道資料館」 、 「森の軌跡〜宮崎県南の森林鉄道跡を訪ねて〜」 、 「鉄道廃線跡探訪紀行・岩手県編」 、 管理人宛てメールフォーム (ゲストブック) |
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