このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

Back to the 1970 あれから40年企画

高島貨物線さよなら蒸気機関車

昭和45年(1970)10月10・11・18日


横浜港の風景をバックに花道を快走する「さよなら蒸気機関車」

首都圏無煙化記念の蒸機さよなら運転の掉尾を飾ったのは、高島貨物線(新鶴見〜横浜港)の電化による記念列車だった。昭和45年(1970)の10月10・11・18日に東京〜品川〜(品鶴貨物線)〜鶴見(高島貨物線)〜横浜港(帰路は品川止まり)を新鶴見機関区生え抜きのD51791号が客車(4〜6両)を牽引して、鉄道開業時を偲ばせるルートを多くの名残りを惜しむ人たちを集めて快走した。
10日は招待客のみのため一般の人たちは11・18日のみ乗車できたが、その競争率は高く「乗車のできる『記念乗車券』」を手にしたのはほとんど徹夜組ばかりだったとか。いずれにしてもこの列車を撮影したいと思い、運動会などの都合で10・11日は断念したが、なんとか18日の最終日に出かけることができた。


喧噪の東京駅

記念列車が発車する15番線はさすがに人であふれていて身動きできなかった。
 
牽引するD51791の経歴を紹介した説明板が立ててあった。

右側が今回発売された「記念乗車券」だが列車に乗車するにはこれとは別に乗車許可のバッジ?が必要で、それはすでに徹夜していた多くの先行者で完売しており、この乗車券だけでは乗車できないものになってしまっていた。それでも「記念」ということで「東京→横浜港(すでに乗降不可)・石川町→品川」で使えるということで多数発売された。


 
新幹線との並びを撮ろうと思ったが上面だけを入れるのが精一杯のアングルしかなかった。

発車ホームの混雑は相当なもので、報道陣や一般の人、そして鉄道ファンでごったがえしていた。これは昨今の東京駅の「おわかれ運転」などとも変わらない風景である。したがって今からD51の写真を正面からなど無理である。人の頭越しにカメラを構えるのがやっとで「新幹線との並び(「ツーショット」などという言葉があったかどうかは記憶にない)を撮ろう」などと考えても上記の写真が精一杯であった。

先行列車に乗るため移動した隣のホームから発車ホームを見ると凄まじい光景が

有楽町〜新橋

さて撮影プランだが、下りについては「始発駅の東京駅の風景(新幹線とからめて)→併行する電車で追っかけ→沿線のどこかで走行風景を撮影→終着駅横浜港でスナップ→できれば機回しされる横浜機関区へ」というのが大方の案であった。撮影ガイドのようなものでもそのようなものがあったと思う。みな思いは同じで発車前になると京浜東北線や横須賀・湘南(まだ分離前)線の先行列車のホームへと急ぐ人たちであふれていた。私は考えもなくまずホーム近くを通過する新橋駅まで行くことにした。

 
有楽町交通会館の屋上?に見えるのはこの列車を狙う鉄道ファンの群れ
轟音とともに新橋を通過する記念列車
最後尾に陣取っていたのは警備?も兼ねての鉄道少年団の子たちだろうか

通過ではあるがホームのある新橋に移動して「さよなら列車」を待つ。予想通りここも物凄い混雑でとても正面から撮れる状態ではない。ほどなくやってきた列車を規制線越しになんとかシャッターを切ったがやはり完璧なものは残せなかった。この画像がぎりぎりその姿を見られるものである。


横浜付近にて

品鶴線などは地理不案内なのでどこかの撮影ガイドでも見たのかもしれないが、横浜から港方面へ歩いたあたりの高島貨物線の橋梁付近で撮影することにした。周りはやはり多くのカメラを持った人がいたはずだがこのアングルからでは船だまりや橋梁付近にはその姿は入らなかった。

決めていた撮影ポジションで走行風景をキャッチ。不思議と船上などにファンの姿はない
軽快に港の風景の中を走るD51791のサヨナラ列車
ところが見送るあたりでは御覧の通りのファンの姿がやっぱりありました。

このあと終着・横浜港でしばらく時間があるので行くことにし、構内でスナップしたのち帰路の列車を撮影することにした。


その2へつづく
 
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