このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
現在、日本国内にはどれぐらいの「動輪」が保存されているのでしょうか。特に蒸気機関車の動輪は「躍動」や「前進」といった力強いイメージがあるため、記念碑やモニュメントとなどとして今も全国の駅前や公共施設などに保存されています。
SLブーム末期(昭和45〜51年頃)には廃車される機関車の動輪を保存するケースが多く見られ、特に縁の機関区などではシンボルとしてナンバープレート(レプリカのプレートであったり、必ずしも動輪の番号機とは異なった場合もある)を埋め込んだ台座に動輪を置いた記念碑が多く作られたものです。これは機関車全体(前頭部などのカットモデルもありますが)の静態保存は場所や費用などいろいろな面で無理だとしても、動輪なら比較的残しやすかったということもあるのでしょう。同様にナンバープレートもSLの遺物として残る場合が多いものですが、ナンバープレートは確かにその機関車の「表札」のようなものとしても、レプリカも簡単に作れますし、度々の盗難や紛失、また戦時供出などで交換されていることも多く、普通4枚とされる個体のプレートが多数存在することもままあります。つまりあるプレートがその該当機が必ずしもそれを付けて実際に稼動していた証とはならない場合もあります。しかし動輪は消耗などによる交換、あるいは廃車による別の機関車への転用などはあるにせよ、何より機関車番号の刻印が氏素性の証になるのです。
したがって静態・動態保存機の他に残されている全国の蒸気機関車の動輪はどれぐらいあるのか?またどんな番号のカマのものが残っているのかを調査するのも面白いことかもしれません。意外なところにあの番号のものが保存されていた、という発見もあるでしょう。鉄道公園や記念館、廃止線のメモリアルパークなどのものはけっこう把握されていますが、国鉄時代の旧機関区や鉄道関係の施設内、またそれらの施設の廃止によるその後の行方などをまとめたものがないようなので、このあたりを調べてみたいと思いました。
特に旧広島鉄道管理局および広島工場管轄内では蒸気機関車の廃車にあわせて近隣の小中学校を中心とした教育施設や公共施設から希望を募り、解体されたカマの動輪を寄贈した(貸与あるいは販売かもしれません)例がかなりの数にのぼっているようです。
その他正式に解体部品として販売されたものを所持する多くの個人・団体の方、また今も「商品」として部品販売店のリストに掲載されているものもありますが、全てを把握できませんのでこちらは今後の課題といったところです。
いろいろな皆さんからの情報やネットにアップされたものなどを私案で分類しまとめたものが以下のリストです。移設や解体などで表記と異なる場合もあります。また「ここにもこんなものがある」といった情報などがありましたらぜひ掲示板やメールなどでお知らせ下さい。
リストは次ページからになります
※保存動輪についてのこぼれ話などをまとめてみました。
A 動輪一対 台座あり
B 動輪一対 台座なし
C 動輪一対 記念碑・ナンバープレート(煙室扉などの部分含む)なども展示
D その他 一対以上の組み合わせ(エンジン部・ロッドなど展示)
E 放置・保管(通常未公開)など
※「記」=記念碑、「扉」=煙室扉、「P」=ナンバープレートの略
過去に設置され、その後不明なものもわかる範囲で掲載してあります
リスト掲載総数(2010年05月現在)合計304両(軸)、うち複数軸保存機を1両と換算すると→270両 ※形式・番号の不明のものの中にはナンバーの重複するものもあるかと思われますが、とりあえずすべて「別番号のものでそれぞれ1軸ずつ」として計上しました。
◇お願い◇
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