このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


取材(建物編)

車両編と合わせてストラクチャの取材をしました。
子供の頃に比べて寂しくなった感じがします。ここは過疎化が著しいと思われます。
これらを25年前にさかのぼりデフォルメしてジオラマ化します。
サムネイル表示は疲れるのでそのまま貼りつけています。(手動で組むのめんどくさいから。。)



取材日:2001/08/16



ノスタルジックな駅前食堂
当時はとなりに黄色い日通の建物がありました。
グリーンマックス(Nゲージのストラクチャが得意なメーカ)のキットがそのまんま使えそうです。
駅舎全体
当時は屋根の上の飾りはありませんでした。
物心ついたときから鉄筋コンクリートな駅でした。まわりの駅はいまだに木造かと思います。
これでも園部−綾部間では規模の大きな駅です。当時は駅員が数人いました。
毎年8月の最終日曜日?にはこの「駅前ロータリ」を利用して「ふるさとまつり」なるイベントが行われます。
リンゴあめ食べながら吉本の芸人の「何とかショー」を見るのが当時の贅沢でした。
町営バス
当時は「京都交通」の白に赤い波の入ったバスでしたが、撤退しました。京都交通は京都-舞鶴間の特急バスがあり、JRのライバルでありますが、それ以外のローカル路線はほとんど残っていません。
しかし、「仏主」("ほどす"と読みます)と「大野ダム」(私の実家方面)の行き先は当時と同じです。
毎年8月の最終日曜日?にはこの「駅前ロータリ」を利用して「ふるさとまつり」なるイベントが行われます。
タクシー
こんなところにもタクシーはいますが暇そうです。
「京タク」となっていますが、「京都交通」の子会社だったと思いますが定かではありません。
和知中心?部
真中の建物が私が生まれた「和知診療所」(現:国保和知病院)。
田舎です。
京都(園部)方向
跨線橋の上から見ています。
当時はこの先に赤いトラス鉄橋がかかっていましたが、現在はコンクリート+鉄橋になっています。
鉄橋を架け替えるときに古いトラス鉄橋を下の由良川にどんがらがしゃーんと落としました。
由良川と並走するR27があるのに・・・
斜めから
ホームの高さが3段階になっています。
当時は長い鈍行が走っていたのでこれくらい長いのが必要でしたが、今は編成が短いので不要です。
客車用、気動車用、電車用とホームの高さがだんだん高くなっています。
先のほうは大正か明治時代??
福知山(綾部)方向
ここから先は由良川にまとわりつくように河岸段丘を進みます。
斜めから
当時はこの先に延長ホームがありました。
いつのまにか撤去されています。
1番線の向こう側に貨物?のホームがありましたが、これも埋め立てられています。
当時大きな保線車が置いてありました。
10両編成が止まれる長いホームでした。
跨線橋
これが出来るまでは構内踏み切りを渡って上りホームに渡っていました。
3番線
そこに座るのは危ないと思います。
しかし、朝1本しか3番線には入りません。


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