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TOP > 西鉄バス方向幕&幕車特集! > 福岡グリーンA(那珂川)編 |
福岡市南部と那珂川町を管轄する、西鉄でもマンモスクラスの那珂川営業所。 62番那珂川線や、61番屋形原線と言った大幹線を単独で担当するほか、大橋線や弥永線等、準幹線クラスも多数担当する大規模な営業所です。 近年、末端部の路線廃止や系統分割・幹線への本数集中によりスッキリとしてしまいましたが、 一連の方向幕販売会ではそれ以前の複雑怪奇だった那珂川担当路線の方向幕が多数出てきました。
経由地や行き先が多岐に富む、那珂川グリーン幕やオレンジ幕をご覧下さい。
*背景が桜色の幕画像(今回追加した箇所です)・・161番、62番 |
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●更新日 :2014年01月19日 (一部更新)
●掲載地区:福岡市南区、那珂川町 ●担 当 :那珂川 ●地域特性:都心部、住宅街、丘陵、山間部 ●沿線要所:大橋副都心、筑紫耶馬溪、新幹線車輛基地 |
臨時 直行 海の中道線 | ||
夏期を中心に、定期便と多数の臨時便が運行される「海の中道」行き。以前は市内各営業所が担当していました。その那珂川バージョンです。 | ||
(左)上2コマは土日祝運行の「大岳〜海中〜天神」線。マリンワールドの夜間開館時には、21時台まで走っていました。下2コマは海の中道サンシャインプール開園時(夏)の臨時便。 ・・天神行き経由地の「アイランドシティ」が大きいですね。
(左)貴重なイエロー61番、かつては、夏休み期間中、市内各営業所からサンシャインプール行きの臨時バスが運行されていました。 大体の営業所は「無番臨時」で運行していたこの路線。 四箇田営業所の「黄色い201番」は、結構最近まで幕が残っていたので有名でしたが、那珂川も黄色幕で走らせていたようです。 | ||
上でご紹介した幕の横幕です。 (左)大岳臨時です。種別表記が無い分、ローマ字が1行で書かれております。
(右)夏休みのサンシャインプール臨時直行です。 | ||
一般的な、無番臨時で運行していた頃の、61番海の中道サンシャインプール。 この運用は、午前中に市内各営業所を「サンシャインプール行き」で出発。到着後は「サンシャインプール〜天神」を行ったり来たり。午後にサンシャインプール発の「市内各営業所行き」で帰えるものでした。
なお、蔵本〜マリンワールド海の中道間はノンストップ! でも方向幕に「直行」表記がなかったことから、途中バス停では乗車しようとバスに近寄る乗客が、 唖然とバスを見送る姿も見受けられました。 (特に、美和台地区からの天神行き直行便)
(右)後幕です。 | ||
(中)それより以前の61番海の中道臨時。 幕のマジック書きからすると、昭和61年頃の幕のようです。 昔の臨時は、水色でした。
(右)62番海の中道臨時。 存在を知りませんでした。コメント不能です。 | ||
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都市高速を走る大岳→天神行の臨時便。 |
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47番 大橋線 | ||
那珂川〜大橋〜博多駅を結ぶ47番。 近年は増便傾向にあり、昼間でも結構な乗車率を誇る路線です。 沿線にパナソニックや、清水周辺に工場群があるため、住宅地対都心以外の需要に恵まれているためでしょうか・・。
(左)ノーマル幕。基本の運行区間は、「那珂川営業所〜博多ふ頭」です。
(右)後幕です。大橋駅止めは、いつの間にかマイノリティになってしまいました。 | ||
(左)中型車の幕。支線の東若久系統は、かつてはスペースランナーが博多駅まで直通運行していました。 この幕は、大橋駅発着に区間短縮された以後の幕だと考えられます。(2006年の東若久への再延長際に作られたものでしょうか?)
(右)【ちょっと昔の47番・・博多ふ頭延伸当初】 1998年、47番・48番は博多ふ頭まで路線延長されました(それまでは全便博多駅発着)。・・運行開始当初は、中央埠頭経由等と同じく、博多駅の前後で幕をチェンジしていました 延伸後1年程度しか使われなかったタイプの幕です。 | ||
【ちょっと昔の47番・・博多駅直通の和田4丁目系統】 2006年に東若久まで再延長&枝番化されてしまいましたが、その前の一時期、東若久の一つ手前「和田4丁目」までしか路線が無かった時期もあります。 また、博多駅からの直通系統も毎時1本程度走っていました。 しかし気になるのは、これが大型車の幕であること。大型車で和田方面の狭隘路を運行できたのでしょうか? (記憶にある限りは、中型車限定運用でした)
【ちょっと昔の47番・・ガンセンター経由47−1番】 一日数本存在した「ガンセンター経由」の47−1番。47番との違いは、この1区間のみ! 1999年に、47&48番がパターンダイヤ化された際に廃止されたようです。 | ||
横幕です。
(左)都心向けの幕です。 上の大橋駅止めの幕。那珂川営業所〜片縄〜大橋駅間の区間便には、同じ区間を走るにもかかわらず「62番」と「47番」が共存していた時期がありました。 その、47番の那珂川→大橋駅区間便用の幕です。
また、博多ふ頭行きにもバリエーションがあるようで、「ベイサイドプレイス」の表記がある物と無いものがあるようです。(表記無しパターンを掲載しています) 周辺の幕から察するに、表記がない方が少し古い年代のもののようです。
(右)大橋・那珂川方面行きの47番の幕です。 | ||
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博多ふ頭延長直後の47番。幕が古いタイプです。 | 大橋駅行きの47番。 | 1985年式の日野車が、廃車間際までいました。 |
大橋駅で客扱い中の8254号車。 | 那珂川営業所を出発する8677号車。 | 47番の東若久行です。 |
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48番 福翔線 | ||
47番の兄弟分、48番。 向新町から西に入り、ガンセンター・福翔高校を経由し、レークヒルズ野多目の奥が終点となります。 大橋〜博多駅間でも、47番と若干違った経路を通る等、上手く住み分けをしています。
(左)ノーマル幕。朝夕のみは、百年橋通り経由の筑紫口行きもあります。
(右)下の「大 橋 駅」は、おそらく福翔からの区間便用。以前は下校時間帯等にごく少数ありました。 | ||
(左)【ちょっと昔の48番・・博多ふ頭延伸前】 1998年の博多ふ頭延長前の48番。それまでは博多駅交通センター発着でした。経由地の「本州製紙」が懐かしいです。今では工場跡地はマンション群となり、バス停名も「美野島南公園」となりました。 朝にごく僅かな本数で、大橋駅→松下電器(現パナソニック前)の区間便が存在しました。完全な通勤路線。松下電器から少し本州製紙側へ行ったところに、小さな折り返し場がありました。・・でも、時刻表では47番と表示されていましたが・・(運行経路も47番と同じ)
(右)【ちょっと昔の47番・・博多ふ頭延伸当初】 上の47番と同じく、博多ふ頭延長直後の、博多駅前後で幕をチェンジしていた頃のものです。中型車用の幕ですが、48番に中型車が走っていたのでしょうか? | ||
博多ふ頭延長後に方向幕を切り替えなくなった後>福翔高校改名前の幕です。(1999年〜2000年頃に短期間使用されていたものでしょうか?)
*比較的新しい物と異なり、博多ふ頭の下に、「ベイサイドプレイス」の表記がありません。 *経由地が塩原橋となっています。工場撤退後も、しばらくバス停の名前に「本州製紙」が残っていましたが、誤解を避けるためでしょうか?塩原橋が経由地表記に選ばれています。 *「福商」高校が、「福翔」高校になる前のものです(2000年に改称)。
・・余談ながら「レークヒルズ」延伸前、福商高校止め時代の幕にはまだ出会えていません。 | ||
横幕です。 (左)上でご紹介した、福翔高校改名前の、1999年〜2000年頃に使われていた物だと思われます。 (中)方向幕の最後まで使用されていたものです。真ん中の駅南三丁目行きのコマ。以前は博多駅筑紫口→博多駅交通センター終点でしたが、交通センターの工事に伴う処理能力などの差し支えがあったのでしょうか?筑紫口止めとなってしまいました。 (右)福翔行き等です。大橋駅行きは、本来都心向けカラー(青文字)なるはずですが、なぜか郊外行きの緑色カラーとなっています。 | ||
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ノーマル幕の48番です。 | 博多ふ頭行の48番。 | 本数の少ない駅南経由の48番です。 |
改装前の大橋駅を走る8010号車。 | 2245号車の博多ふ頭行です。 | 夕方ラッシュの大博通りを走る8677号車。 |
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49番・630番 弥永線 | ||
大橋以南は、那珂川を越え、新幹線の回送線高架下を進む49番。曰佐・弥永団地等の福岡市南区の住宅地の他に、白水など春日市西部のベットタウンもカバーする路線です。
(左)ノーマル幕です。 下2コマは、観晴が丘経由博多南駅行きで運行されていた頃の幕です。南端は住宅の開発が進む度に終点が延長されてました。・・残念ながら、2003年に観晴が丘地区の路線は廃止されています。路線延伸も活発な地区だったのですが・・。
(右)ノーマルです。 | ||
2000年を過ぎた年代と思われる49番の幕です。
(左)こちらの「観晴が丘」は、ここを終点とした頃のもののようです。那珂川営業所の入出庫用で、春日西小止めも存在しました。
(右)2000年前に、49番のほんの数本が白水池団地経由で那珂川ハイツまで延伸されました。 日中2〜3本という中途半端な本数でしたが、白水池団地経の博多南駅行きに統合されてしまいました。 | ||
上の物よりも、若干古めと考えられる49番です。
(左)上白水公民館入口止め。ちゃんと天神方面発と大橋駅発で方向幕が作り分けられています。
(右)観晴が丘に延伸される前、白水池団地止めの幕が残っています。 | ||
(左)49番の横幕です。 那珂川ハイツまで49番を利用する乗客はいたのでしょうか??
(右)【古めの49番】 博多南駅のコマがないため、同駅開業の1990年以前の幕だと思われます。
49番の西公園行き・・。 お詳しい方によると、幕だけ作って実際は運行していないのではないかとのことです。 「貫線(現在の明治通)」の表記も良い味出しています。
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【古めの49番】 (左)上の続きの49番です。 本来都心行きとなるはずの大橋駅行きも、なぜか郊外いい気の緑カラーとなっています。
今は亡き上白水止めの幕も・・!
(右)かつて西鉄が福岡地区で都心スルー長距離系統を多数有していた頃の名残、49番の西新行きが残っています。(流石に飯倉行きはありませんでしたが・・)
また那珂川営業所行きの49番も? ・・これもお詳しい方によると、実際の運行はされていない可能性が高いとのことです。 | ||
都市高速5号線延伸に伴い登場した、那珂川地区〜天神直通の都市高速系統600番台。その中では、一番最後(2005年頃)に登場した630番。
博多南駅を経由せず、白水の東、春日市の「天神山」を起点に、天神山〜(630)〜天神〜(49)〜博多南駅のループ運行を行います。 (博多南駅→天神までは、上の呉服町行きの幕で運行。天神到着時に630番の幕に変わります。逆の天神方面ループも、都市高速に乗った時点で49番博多南駅行きの幕に変わります) 運行開始当初は、老司より先がガラガラでしたが、最近は定着しているようにも感じます。都市高速速達系統の証、通称「色幕(色をベースに白地)」がとても映えます。 | ||
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渡辺通を走る49番博多南駅行。 | 幕車の頃は、何故か96MC率の低い系統でした。 | 都市高速630番。車歴20年近い車も運用に入っていました。 |
博多南駅行の横幕です。 | 大橋駅で待機中の7202号車。 | 呉服町を走る8717号車。 |
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区役所55番 → 区2番 大橋〜長住線 | ||
天神行きを横目に、長住方面から日赤通りを南下し大橋駅へ向かう区役所系統。 大橋駅のそばにある南区役所や中央病院への利便を図ったものでしょうか。日中のみの運行です。 (大橋駅からもそれなりの乗車はあります)
運行開始時は「区役所55番」でした。 現在は「区2」に改称され、運行区間も老司団地まで行かず、全便が大橋駅止めとなってしまいました。 | ||
(左)中型車サイズの前幕です。柏原行きも用意されています。
(左)横幕です。 経由地に、丁寧にも大橋駅の隣である南区役所の表記が入っています。 | ||
交換で頂戴した区役所55番入りの前幕です。 西鉄らしからぬ漢字3文字入りの行先番号が目を引きます。
・・一番下のコマ、自動車試験場にローマ字を付けたコマ。初めてみました。 | ||
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老司団地折り返し場で待機中の区2。 |
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61番 屋形原線 | ||
天神から中尾・那珂川地区へのマンモス系統、61番。 日中でさえ毎時5本以上が運行されるものの、現在は結構シンプルな運行系統になってしまいました。
(左)ノーマルな中型車搭載の幕です。この路線、中型車にしては、日中でも立ち席が出るほど結構な混雑ぶりです。 なお若久団地発着は、当ページでも紹介した朝のみの通勤路線です。
(右)大型車のノーマル前幕。がんセンターもちゃんとローマ字入りです。なお桧原行きは、2005年頃の一時期に、日中のみ運行されましたが、すぐに那珂川直通に改められてしまいました。 | ||
(左)西公園下行や天神止の入った前幕です。
(右)桧原行きに老司団地行き、深夜バスが今立経由と、古めのコマが満載の幕です。 | ||
(左)ノーマル、中型車搭載。中型車のガンセンター行きには、なぜかローマ字表記がありません。 60番桧原循環廃止後、61番で代替をした際には、一時期西公園行きが存在しました(西公園〜ガンセンター・西公園〜片江・福大病院)。
(右)今では全便161急行に振り返られた老司団地行きの幕が残っています。 | ||
横幕です。 都心側の起点は、九大前・福浜がメインで、朝だけ那の津四丁目。また以前は西公園・西公園下発着もありました。
逆に郊外側は、現人橋経由那珂川・今立経由那珂川・九州ガンセンター。朝だけ若久団地。以前は老司団地や下の原、桧原、柏原営業所発着もありました。 | ||
昔の幕も、営業所の倉庫の奥に眠っていました。
(左)天神止めや、西公園下行き。 西公園下バス停は、まるで折り返し場とは思えぬ路上が終点でした。道路拡張により福浜行きとなりました。
(右)下り便ズラリ。 今は西鉄運輸の営業所となった、下の原折り返し場。161番開設前は、老司団地も61番でした。 | ||
深夜バス61番。 深夜バスの中では、異例の九大前始発(他は全て天神か博多駅始発)で、天神でも深夜バスの中で一番遅くに出発する正真正銘の最終バス。 マンモス路線の深夜バスだけに、天神までの区間利用も目立ち、飲み会シーズンの天神以南は、前ドアからの乗車も当たり前の、朝ラッシュを越える超満員ぶり!あまりの混雑ぶりに、年末のみ2台運行された時期もありました。 | ||
61番快 速 | ||
快速61番。 15年ほど前でしょうか?幕を見るまで存在を知りませんでした。桧原〜那の津間を走っていたのでしょうか?
(左)手動後幕に入っていた快速便。天神止めも用意されているようです。
(右)2コマのみの快速便。日赤通の離れ具合に違和感あります。 | ||
61番 那珂川〜柏原営業所 通学便など | ||
柏原営業所の近所にある柏陵高校へ向け、朝夕のみ通学用の61番が走ります。 (現在は今立経由の柏原行きか片道のみになってしまいました)
時期により、柏原営業所を強調するパターンと、柏陵高校を強調するバージョンとがあるようです。
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横幕。 些細な違いではありますが、「コマの順番(左は、上が柏原行き)」「経由地表記」に違いがあります。
・・余談ですが、頻繁に方向幕の製造が行われ、そのたびに微妙な差違が生じる西鉄バスの方向幕。
他のバス会社とは比較にならないほど、無数のバリエーションが存在します。営業所によっては、1台1台幕が異なると言っても過言ではないほど!
・・方向幕現物の収集はもちろん、写真撮影ですら、全バージョンの方向幕コンプリートは、不可能です。
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オレンジ色だったころの柏原発着便です。
(左)終点の自然公園前から分かるとおり、柏原営業所開設前(1990年以前?)のものです。
(右)こちらは柏原営業所開設後のものです。 一番下のコマは、天神方面→柏原営業所行きの61番のコマです。
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2002年から中型車がまとまって導入されます。 | 日野の中堅大型車の福浜行き。 | 片江大型車の61番。幕は入手できていません。 撮影は都市高速開通前の片江営業所前です。 |
朝ラッシュ時のみ運行される若久団地行き。5808号車。 | 一時期復活した桧原行。5810号車。 | ローマ字無しのがんセンター行です。5806号車。 |
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区役所61番 → 区3番 屋形原線 | ||
先の区役所55と同じく、区3へ改称された区役所61番です。 大橋〜那珂川間の一番の大回り路線でした。
その区3も現在は廃止。 現在6番が、桧原・中尾〜南区役所・大橋駅への足をになっています。 | ||
前幕です。左は大型車用、右は中型車用です。 大橋駅行きに微妙な表記の違いがあります。 | ||
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大橋駅ロータリーで折り返す区3。 | 野間四角を走る区3。 |
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急行161番 ・ 610番 屋形原線 | ||
屋形原線の速達系統、161急行です。
161番急行。野間急行(151・152)と異なり、野間四つ角以南もわずかながら急行運転区間が存在します。 中型で運行される便もありますが、結構な混雑となります。 | ||
横幕です。
(左)運行開始当初は、九大前発着の設定はなく、一部のバスには九大前行きのコマを登載していない車もあったようです。
(右)表記違いの幕です。行先は同じでも、わずかな製作時期の違いにより数パターン存在するようです。 | ||
2005年3月に運行を開始した、都市高速経由の屋形原線速達系統です。
(左)前幕です。担当車がわりあい絞られていたらしく、610番搭載の幕はそれほど多くありませんでした。 全便が那珂川〜(610)〜天神〜(61)〜那珂川営業所としてループ運行されます。
(右)610番には、後方が手動タイプの古い車で運行されることもしばしばありました。 そこで、始発から終点まで幕を変えることなく運行できるように、西鉄お得意の「←幕」が作られています。
しかし、真ん中の2コマは不要なようにも思えますが・・。 | ||
横幕です。 「千代ランプ」を幕に表記するのは、これら那珂川営業所の都市高速系統が唯一です。
一面のグリーン幕。 とても見映えします。 | ||
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都市高速610番。他の営業所の3ケタ都市高速系統と比較して、古めの車もバンバン走っていました。 | 中型車による161急行。 最初に見たときは衝撃的でした・・。 | 大型車による161急行。 |
610番の横幕です。 | 博多ふ頭行の運用に入る8253号車。 | 西鉄の名物だった、中ドア横の車内幕です。 |
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66番 中尾〜博多駅線 | ||
61番の博多駅バージョン、66番。 シンプルな運行系統です。
(左)方向幕末期のバージョン。博多駅の下に筑紫口止めであることを明記するようになりました。
(右)少し昔の幕。下の原止めや桧原行きもありました。下の那珂川行きは、今立経由・現人橋経由の兼用でしょうか? | ||
横幕です。 これも些細な点ですが、 博多駅終点について、筑紫口止めを明記するか否かの違いがあります。 | ||
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古参車天国な路線でした。8007号車。 | 博多駅前を走る那珂川営業所行。 | 筑紫口に到着し、回送中の66番。 |
旧博多駅CD乗り場で待機中の2633号車。 | 神田町で客扱い中の8000番台。 | 那珂川営業所を出発する現人橋経由便。 |
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6 2 番 ・ 急 行 1 6 2 番 ・ 6 2 0 番 那 珂 川 線 | ||
那珂川営業所で一番の、そして西鉄バス有数のマンモス系統62番、那珂川線。 北は天神、福岡県庁から、南は新幹線車庫のある博多南駅、那珂川の源流に迫る市ノ瀬まで、ひろい範囲をカバーしています。 系統分割が行われた今でさえ、老司以北の日中本数は毎時8本近く。那珂川町にとって、そして福岡市南区にとっても、欠かせない主要幹線です。
★2013年秋より、大橋駅より北を「W番」とする大規模な路線改変が行われました。
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那珂川営業所や愛宕浜営業所の方向幕販売会では、62番が系統分割される以前の、まさにカオス状態であった62番の方向幕が販売。 「90コマのほとんど全てが62番!」 なんて壮絶で非常に難解な運行系統だった62番の全盛期をかいま見ることが出来ました。
非常に多用なバリエーションがあるため、以下の通り、系統ごとに分けてご紹介します。
*62番快速(片縄経由) *162番急行(片縄経由)
*片縄経由・・全盛期(〜1998) *片縄経由・・過渡期(1999〜2002) *片縄経由・・整理後(2002〜2013) *(2013年11月より大橋駅を境に南北に系統を分断。大橋駅以北は「W」を名乗っています)
*警弥郷・博多南駅経由 *老司団地経由(〜2002) *片縄・今光橋・博多南駅経由(〜2002)
*その他(都心〜大橋駅止め) *その他(博多南駅発着ローカル) *その他(那珂川町役場経由)(〜2005) *その他(ローカル)
経路については右図をご参照ください。 (この黄緑色の線、系統分割される2002年では、全て62番を名乗っていました。) | ||
62番快速 片 縄 経 由 | ||
62番には快速系統も存在しました。 (1999年のパターンダイヤ化で廃止?)
(左)62番快速の末期の幕。早朝の那珂川営業所→大橋駅、折り返しの大橋駅→那珂川営業所・大橋駅→佐賀橋。 この3本が運行されていました。 運用上の都合なのでしょうが、いずれも早朝5時台に走るミステリアスな快速でした。 (右)古めの佐賀橋快速の横幕です。 | ||
62快速が6コマ入った前幕です。
市内中心部向けの快速系統もあったようですが、勉強不足に付き資料も記憶もありません。
大橋駅〜那珂川営業所間では、相当数のバス停を通過する急行顔負けの走りっぷりだったようです。 | ||
横幕です。 (左)上でご紹介した末期の快速便です。筑紫耶馬溪の山道を、快速の表示を出して走る大型車の勇姿を写真に納めておけば良かったと今さらながら後悔しています。 (中)昔の快速幕です。那珂川ハイツ発着もあったのですね! (右)同じく昔の都心向き。県(吉塚駅前)庁はシール貼りされていますが、貼り付け位置が結構ずれています。
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162番急行 片 縄 経 由 | ||
急行162番。
朝の都心行き、夕方の那珂川行きのみが運行される162番。大橋駅以南にも急行区間があり、同じ南へ向かう野間急行と比較しても、結構な区間を「急行」として走ります。
三宅本町〜老司の385号線が4車線化された、1999年に新設されました。
運行開始当初は、市の瀬行きも存在しました。 | ||
横幕です。
比較的シンプルな表記です。 急行幕には「市ノ瀬」と表記するものはないのでしょうか・・? | ||
620番 都市高速・片縄経由 | ||
620番。 都市高速延伸にあわせて、2004年に登場した620番。 それまで大橋駅で西鉄電車乗り換えが天神までの最速ルートでしたが、このバスの開設で状況が変わりました。那珂川発着の都市高速系統の中でも一番のメインルートだけに、お昼頃でも那珂川営業所発車時点で、既に席が埋まっていることがあります。
この路線のネックは、野多目ランプ渋滞と、明治通り渋滞。しかし早さはもちろん、景色もGOOD!
明かりの灯る福岡空港をすぐ左手側に望みながら帰宅・・。沿線の皆様がうらやましい限りです! | ||
片 縄 経 由 【全盛期】 | ||
1996年以前の62番大幹線時代の幕です。
メインルートの片縄経由。大橋駅より385号線を一直線に南へ向かいます。
那珂川営業所より先の山中にも、天神など都心直通の路線が延びていました。 市ノ瀬(現行はココまで)、筑紫耶馬溪入口、そして佐賀県の県境にある佐賀橋。また那珂川町西部の西畑、大山。
平日の昼下がりには、吉塚営業所→佐賀橋を2時間近くかけて走るロングバージョンもありました。 | ||
横幕です。 行き先番号部分が色塗りになる以前と、色塗り後のものです。
左でも市ノ瀬行きだけ切り接がれていますが、これ以前は埋金行きが付いていたものと思われます。 | ||
上の続きです。 西畑・大山はいずれも那珂川町と福岡市早良区を結ぶ小笠木峠の途中にありますが、それぞれバス停は隣通し。
なぜわざわざ終点を分けたのか?なにか事情があっての事でしょうか不思議です。どちらも路線廃止となってしまったはいますが・・。 | ||
都心向けです。 (左)以前は福浜行きも62番でした。但し経路は現行の61番と異なり、68番と同じく給油センター経由でした(現行の61番の経路は拡幅前でした)。
その後61番が福浜延伸される頃に、62番の福浜行きは廃止されます。
(右)現行に近いバージョンですが、62番の天神止めなど現在には無い運行系統に対応できる幕が登載されています。 | ||
横幕です。 (左)那珂川営業所以南からも都心直通が運行されていたことを示す生き証人。沿線の過疎化やダム建設に伴う住民の集団移転などで人口減少が続いていた地区ではではありますが残念です・・。
(中)市ノ瀬延長前は、埋金(うめがね)が終点でした。このコマは、その埋金延伸前の不入道止めの頃のものでしょうか?
埋金止め時代は記憶があるのですが、バス停のそばにあった、田畑に囲まれた折り返し場。 ここから九州一の繁華街まで毎時1〜2本の直通バスが走っているとは、西鉄バスのパワーに驚いたものです | ||
現行では警弥郷・博多南駅経由に統一された那珂川ハイツ系統ですが、 以前は今光橋・博多南駅経由や那珂川営業所・松の木経由も運行されていました。 | ||
上の幕より少し古いタイプで、ローマ字表記の多いバージョンです。 | ||
横幕です。 左も右も行き先番号が色抜き文字になる前の古いバージョンですが、那珂川ハイツが2行になるか、1行になるかなど、差違があるようです。 | ||
片 縄 経 由 【過渡期】 | ||
1999年9月1日改正にて、62番にパターンダイヤが採用された改正を境に、62番に路線の整理が始まります。 ここでは、1999年改正〜2002年(那珂川ローカルに枝番が振り分けられ62番が大幅に整理される改正)までのことを「過渡期」と称しています。
(左)1996年頃の改正により佐賀橋方面への便の都心直通が無くなり大橋駅発着に短縮されますが、1999年改正においては、さらに佐賀橋・大山行きに限っては那珂川営業所発着にまで運行区間が短縮されます。(大橋駅発の最南端は筑紫耶馬溪行きとなります)。 この改正に併せて作成された幕だと考えられます。
(右)中型車に登載された、62番の佐賀橋〜那珂川営業所運行便の幕です。 | ||
上左のタイプの横幕です。
横幕も、那珂川営業所発着となる佐賀橋・大山と、大橋駅発着となる西畑・筑紫耶馬溪で経由地が作り分けられています。 | ||
片 縄 経 由 【現 行】 | ||
2002年改正で、62番のうち大橋駅以南を発着する系統のほとんどが、那珂川ローカル線として独立。 新たに4番〜9番番の番号を付与されます。(下で方向幕を紹介しております)。
それに伴い62番の運行区間は大きく整理され、警弥郷・博多南駅経由と、片縄経由の市の瀬までと、現行とほぼ同じ形となります。
分かりやすくはなりましたが、全盛期と比べると寂しいものがあります・・。 | ||
(左)那珂川営業所の中型車に搭載されていた62番の幕です。原則、大型車専業の62番(那珂川幹線)ですが、まれに中型車が運用に就くことがあったとのこと。
那珂川営業所にまとまった台数が在籍する中型車の中でも、62番を搭載するものは少なかったようです。
(右)一般的な横幕です。 | ||
(下)62番の深夜バスです。
天神北発那珂川営業所行き。 大橋までは西鉄電車よりも遅い時間に走ることから、結構な利用者を見かけます。 | ||
警 弥 郷 ・ 博 多 南 駅 経 由 | ||
老司交差点から東に曲がり、片縄ルート(385号線)と49番(新幹線通り)にはさまれた住宅街を通り、博多南駅方面へ向かう系統です。
以前は那珂川営業所行きがメインで走っていましたが、現在は、新幹線の車両基地のさらに奥の、西鉄開発の住宅造成地「那珂川ハイツ」行きがこの経路を走ります。 (博多南駅〜那珂川営業所間の経路はほとんどバスが走らない道になってしまいました)
昔は警弥郷止めもありました。下の都心方面行きの幕。「博多」よりも「南駅」の方が、文字サイズを大きくしています。誤乗防止でしょうか?
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1998年〜2002年頃に使用されていた幕だと考えられます。 (上左・上中)都心行きが大橋行きと那の津四丁目行きに整理された後の幕です。 (上右)那珂川営業所行きについて、博多南駅を大書きするバージョンもあったようです。
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横幕です。
(左)少なくとも1995年の時点では、福浜行き・県庁行き・天神止めの設定もありました。
(右)ローマ字表記の横幕。上でご紹介したバージョンの横幕です。 | |
LED方向幕以前の末期まで使用されていた幕です。
警弥郷・博多南駅経由は。ハイツ・上梶原行きに限られ、博多南駅止めや那珂川営業所行きは姿を消します。
上梶原は那珂川ハイツの奥、九州新幹線のトンネル口付近にあります。残念ながら、近年廃止されてしまいました・・。 | ||
(左)中型車に搭載されていた幕です。経由地表記はそのままに、全体を凝縮したような印象です。
(右)那珂川ハイツ付近。画面右側には、九州新幹線もとおっています。 | ||
(左)横幕です。 経由地表記の違いは那珂川ハイツの有無だけです。
(右)都心行きの横幕です。 | ||
老 司 団 地 経 由 | ||
老司交差点から西に進路を取り、老司団地を経由、やよい坂で61番や66番と合流し、南へ向かい今立経由で那珂川営業所へと至る経路です。
2002年改正で、4番に改番され、2011年改正で全便老司団地止めに短縮され現在に至ります。
(左)62番時代から、毎時1〜2本程度とあまり本数は多くありませんでした。 (右)福浜行きや吉塚行きも走っていました。 | ||
(左)吉塚行や天神止搭載されていないバージョンで、天神直通が残っていた最末期に使われていた幕のようです。
(右)少し古めの横幕です。
老司団地周辺は、62番(枝番後の4番)の本数は減ったとはいえ、都市高速経由の天神直通系統610番や、野間経由の161急行など、トータルで見ると劇的に減便されたとは言えない状況かも知れません。 ・・ただし大橋駅や南区役所へ行くのに、不便になったことは間違えありませんが・・。 | ||
1999年の62番パターンダイヤ化改正では、老司団地系統は全便大橋駅発着となり、都心直通が無くなります。
その代わり日中30分ヘッドでの運行に加え、朝夕のみ大橋駅〜老司団地〜博多南駅の系統が新設されます。
このバージョンの幕は、2002年に老司団地系統が枝番されるまでのわずか3年間のみ見られました。
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上のタイプの幕の横幕です。
(左)非常にスッキリまとまっています。
(右)62番では珍しく、経由地があまり書かれていません。 | ||
片 縄 ・ 今 光 橋 ・ 博多南駅 経 由 | ||
片縄から先、東に進路を取り、今光橋経由で博多南駅方面へと向かう経路です。 上でご紹介し3ルートに比べると影の薄いルートではありましたが、2000年ごろの全盛期には毎時4本程度が通る経路でもありました。
2002年に7番へと枝番化された後、2008年で路線廃止となりました。
那珂川ハイツ系統が主に今光橋経由で運行されていた時期がありました。(那珂川営業所経由と共存) | ||
| この経路にも県庁行きや福浜行きが存在しました。
2000年前後の那珂川地区の路線大改変で、一躍本数が倍増しながら、その後いち早く廃止されてしまった経路です。
本数の多い片縄経由と、コマメに住宅地を回る警弥郷経由に挟まれていたためでしょうか? | |
博多南駅発着の便もありました。
(左)横幕です。
(右)なぜか様々な系統の博多南駅発着便が固まっていました。博多南駅発着系統を作るに当たって、切り接いだ部分なんでしょうか? | ||
1999年のパターンダイヤ改正で作られた幕だと思われます。この頃の那珂川ハイツ・上梶原系統は今光橋経由で運行されていました。
注目は下の2コマ。この1999年改正で新設されたと思われる、今光橋経由の那珂川営業所行き。 しかも博多南駅以南は、南駅〜中原〜松の木〜(現在の620番の経路)〜道善〜那珂川営業所という、既存の路線を複雑に組み合わせたもの。 毎時2本で登場したこの経路。翌年の改正では早くも半減。2002年の枝番化の際には消滅していました。
・・試乗に訪れた際、那珂川営業所から乗るやいなや、運転士の方から「お乗り間違いではありませんか?」と声をかけられた系統でした(笑) | ||
上のタイプの幕の横幕です。
(左)片縄・今光橋・南駅経由の那珂川ハイツ方面です。上梶原行は( )で表記。
(右)短命に終わった、片縄・今光橋・南駅・中原経由の那珂川営業所系統。 大橋駅行の経由地表記の最初、「中原」の文字サイズが何故か大きめです。 | ||
その他区間便 (大橋駅〜都心 区間便) | ||
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62番の九大前〜大橋駅の区間便。 LED化直前に登場した、62番最後の新設幕です。
オボロゲではありますが、610番が新設された2005年改正での新設だったかと思います。 61番の間合いとして、日中に毎時1本程度運行されていました。
これもLED化後しばらくして消えてしまいました。 | |
そ の 他(博多南駅〜那珂川ローカル便) | ||
1998年前後から、博多南駅と那珂川町とを結ぶフィダー系統が活発に運行されるようになりました。
(左)南駅〜松の木〜市ノ瀬を結ぶフィダー便です。後の2002年改正で8番へと改称されます。 下の2コマは、那珂川ハイツ・上梶原へのフィダー便用です(那珂川営業所発着兼用)。
(右)これらフィダー便には中原経由と、那珂川営業所経由の2通りがありました。 | ||
(左)上左の幕の横幕版です。 那珂川営業所を経由しない、中原経由の市の瀬〜南駅線です。
(右)市の瀬の折り返し場。 バスが10台ほど停泊できるスペースも設けられています。埋金から路線延伸された90年代半ば。初日の歓迎ムードは新聞でも報道されました。 | ||
朝夕ラッシュ時には毎時2本程度が運行されていましたが、 現在では那珂川町コミュニティバス「かわせみ」に役目を譲っています。 | ||
その他区間便 (那珂川営業所〜那珂川町役場経由〜上梶原) | ||
福岡都市圏版路線図にもヒッソリと掲載され、末期は片道1本のみの運行。2005年前後に廃止された那珂川町役場経由の62番です。
那珂川営業所〜那珂川町役場〜上梶原の運行でした。
朝運行されていたことからも、通学用か、送り込みの運行だったのでしょうか? | ||
| 本数が少なかった事もあってか、ほとんどの幕でここだけ未使用に等しい状況でした。 | |
廃止の頃には朝の上梶原行きのみ運行でしたが、以前は帰りの那珂川営業所行きも運行されていたようです。
(左)上り下りともに緑色となっているバージョンもあったようです。
(右)一方こちらは営業所行は都心向けの青字バージョン。 | ||
(左)こちらは旧幕バージョン。 シンプルすぎて少々さびしくもあります。 | ||
その他区間便 (ハイツ・博多南駅・那珂川営業所関連 の その他) | ||
その他那珂川営業所や博多南駅を発着する区間便用のコマです。
(左)黒文字の62番。都心では見られないものです。
(右)無番の区間便。
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(左)同じく区間便ですが、しっかりと経由地が入っています。松ノ木経由の営業所行が2コマあるのは何故!?
(右)古い物には、黒文字ではなく、緑&都心向け青文字のものもあります。 | ||
横幕です。
区間便用です。 経由地なしの行先のみを大きく書いた表記パターン。 ここまでシンプルだと、清々しさを感じます。 | ||
こちらも62番区間便用の無番幕。
系統分割の際までは、南駅を中心にかなりの短距離区間便が運行されていました。 | ||
横幕です。
老司団地行きがありますが、一体ドコ発で使うことを想定した物なんでしょうか!? | ||
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大橋駅で待機中の筑紫耶馬溪入口行き。 | 老司団地止めの62番。 | 620番と連続運行中を行うタイプの62番です。 |
斜めの写真で恐縮ですが、VI前の62番。営業所経由のハイツ行です。 | 雨の大橋駅を出発する急行162番那珂川行。 | 大橋駅止の62番。 |
デビュー間も無い7411号車。 | 那珂川営業所を出発する1434号車。 | 明治通りの東中洲付近を走る7166号車。 |
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4・5・7・8・9番 大橋ローカル・那珂川支線 | ||
5番を除き、いずれも2002年ダイヤ改正で62番から枝番化された系統です。おかげである程度は系統がスッキリしました。
(左)5番大橋〜板付。高木〜弓田町のJR鹿児島本線を跨ぐ高架橋が完成した際に路線開設されました。最初は雑餉隈が担当でしたが、今は那珂川が大橋ローカル線と一緒に担当しています。 | ||
| (左)老司団地経由の枝番、4番。 枝番化と同時にUDの中型車がまとまった数導入され、輸送力をもてあまし気味だった老司団地の大型車に変わって活躍をしています。
老司団地止めの幕も用意されています。
(右)一部の大型車には、間合い用に4番の幕が2コマだけ登載されていました。 | |
(右)今光橋経由の枝番、7番。 利用者が少なく、大減便の上に2008年で廃止。今光橋に西鉄バスが走ることはなくなってしまいました。
(右)博多南駅シャトル、8番。 松の木経由となっており、市ノ瀬発着便では、那珂川営業所を経由せずに博多南駅へ向かっています。
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那珂川町の山中へ向かう9番。 現在では山中の路線は全て廃止されてしまいました。
(左)佐賀橋系統。 筑紫耶馬溪を通り、離合に難のある南畑ダム沿いを経由し、佐賀県の県境まで行きます。末期は五ヶ山ダム建設に伴う集落の立ち退きで空き地となった山中を通っていました。
(右)大山・西畑系統 油山の裏側に位置する集落までの路線。道路は早良区までの抜け道になっており、夜でも通行量の比較的多いゆるやかな峠道です。 | ||
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大橋駅に到着した5番。 | 左の車が幕を回した後です。4番博多南駅行。 | 大橋駅で幕回し中の一コマ。 |
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そ の 他 の 幕 | ||
(左)大橋駅→福岡女学院の直行系統。それまでは井尻駅が通学の窓口駅となっていましたが、朝だけ大橋からも直行便が新設されました。
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上の9番と連続運行していた、佐賀橋〜板屋集落を結ぶ路線です。 板屋は背振山の麓に位置する、文字通り限界集落。平成17年の時点で人口は50人足らず。福岡市早良区に位置しますが、早良区へ降りる道は一般車でも離合の難しい峠道。そこで一旦南東に進路を取り、那珂川町回りで都心に出るバスが運行されていました。
福岡市の補助により2000年頃に運行を開始。開始当初は(左)の矢印幕を使用。2002年に佐賀橋行きが8番に枝番化された際には、(右)の専用幕が作られます。 西鉄バス路線の中では、英彦山と一・二を争う標高の高い場所を通る路線でしたが、2008年の佐賀橋〜市ノ瀬間の廃止と同時に、板屋発着も廃止となりました。 | ||
佐賀橋の近く、南畑ダムの東に位置する「グリーンピアなかがわ」への臨時路線。
お借りした資料によると、シーズンには一日数本臨時便が運行されていたようです・・。
今ではキャンプ場として活用されています。 (西鉄バスはもちろん通っていません) | ||
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これも幕回し中ですが・・。板屋〜佐賀橋の幕。 | こちらは板屋行き。西鉄らしからぬシンプルな幕。 |
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西鉄でも最大級のバス営業所である那珂川のマンモス系統が、圧倒的な存在感を放つグリーン幕。福岡市南区や那珂川町の発展と共に歩んできたバス路線です。
貴重な方向幕を交換して頂きましたコレクターの方、コレクションの整理に伴いお譲りいただきました方、 そして貴重な資料を提供していただきましたBus Field様に、心より御礼申し上げます。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |