このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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北九州地区のブラウンカラーは南方面。

九州自動車道の小倉南インターチェンジのそばにある中谷営業所管内の路線を筆頭に、

紫川沿いにエリアが広がります。

 

北九州地区の方向幕販売会の中では、最後まで出ない色だったブラウンカラー。

2010年秋のチャチャタウンでの販売会の際には、偶然紛れ込んでいた中谷幕が2本確認された以外、

既に処分されたのではないかと思われていました。

 

ところがどっこい。年が開けて2011年1月のチャチャタウン販売会では大量の中谷幕が販売されました。

しかし中身を良く精査してみると、9月の販売会で出た物よりも、若干時期が新しいものようです・・。

 

奥の深い西鉄バス方向幕。小倉南部をとくとご賞味下さい。

 

 平尾台急行


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鍾乳洞や雄大な大地広がる小倉南部の観光地、平尾台行きの急行便です。話としては有名ですが、幕を見たのは初めてです。

 

(左)浅野営業所の前幕です。スペースランナーに搭載されていたものと推測されます。

(中)電動ながら、横棒タイプの平尾台急行。浅野営業所の幕に入っていました。

  6番 徳力〜門司線


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方向幕!北九州スカイブルー編でもご紹介した6番。

門司港から中谷までロングランする路線です。

 

(左)途中で方向幕を変えます。小倉都心まで、赤字幕で運行するようになった当初のものです。

 

(右)上2コマは門司港駅構内に乗り入れを開始した際に継ぎ足しされた物、さらに下の2コマは門司港レトロ地区の開発が進んだ際に継ぎ足された物です。

 

中谷→門司港便では、中谷出発の際から水色幕で運行する形が復活しました。

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上よりも少し昔の6番です。

 

(左)門司港出発の際から茶色幕で運行していた頃のものです。

また少数派でしたが、田野浦まで行かずに東本町二丁目折り返しとなる便もありました。

 

(右)こちらは中谷→門司港便のものです。

 

・・なお中谷営業所の幕でも、一部に6番が入っていないものがあるようです。(筆者の場合、40%の確率でした)

24番 蒲生線


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既に亡き24番。系統再編のあおりを受け、今では厚生年金会館経由の45番に変わられてしまいました。

 

この45番とは異なり三萩野経由だった24番。

左の幕は浅野営業所の幕に入っていたものです。

中谷行きはなく、恵里止めのみ入っていました。

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こちらは中谷営業所の24番です。

 

(上左)比較的新しめの24番。小倉駅BCが出来た後に作られたもののようです。

(上中)それより一昔前の24番。「小倉駅」ではなく「小倉駅前」として記載されています(バスセンターが無く、路上で客扱いしていた頃です)。

なお長行台(おさゆきだい)ループのもの。北九州の大先生より実在したことを教えていただきました。24番にしては徳光経由なのがポイントです。

(上右)少数派だった、西谷変電所行きと、赤坂海岸行き。上左の幕とは違い、赤坂海岸がカッコ書きではなく、大々的に書かれています。

 

(左)ノーマルな横幕です。小倉駅「前」を消した跡の空白が不自然です。

(右)ローマ字表記が、HENDENSHOなのはご愛敬(笑)

 30番 徳力線


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中谷方面は30番台シリーズのオンパレード。そのトップバッターとなる30番。ただ6番や田川快速、そして北九州モノレールといった並行路線があった為でしょうか。

いつの間にか姿を消してしまいました。平和通りから南は6番と同じく322号線をひたすら南下し、中谷まで向かいます。

(左)比較的新しい物です。

(中)左より一昔前の幕には、徳力団地の中を経由するものと、322号線を直進する物の2種類が用意されていました。

(右)横幕です。

 31番 志井線


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続いて31番。兄弟分の34番とは異なり、山手方面へと上がらずに徳力公団駅の周辺まで322号線を経由し、志井方面へと向かいます。

これも34番が主力系統として運行されていたためか、いつの間にか消えてしまいました。

志井車庫、母原、そしてJR石原町駅付近から北上して中谷と、3つの終点がありました。

 

 32番・132番 中谷〜戸畑線


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北九州名物、朝夕の通学系統です。

三萩野まで北上し、西へ進路を変え一枝方面へと進む32番。そして北方ランプ〜下到津ランプ間で都市高速を経由する132番の2種類が運行されています。

 

それぞれ志井車庫系統と中谷系統が運行されています。

132番は戸畑方面行きの片道しか運行されていなかったかと思います・・。

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中谷から戸畑へ向かう経路設定。

福岡にはない朝夕だけの都心ショートカット系統というだけでも興味深い路線ですが、通学系統という片道需要に応えるための折り返し系統についても、これまたシッカリと工夫されています。

 

(上)戸畑から中谷までを、5番で折り返すパターン。

オレンジと黄色の印象が強い、戸畑・蜷田営業所の運行する5番のブラウンバージョンです。経由地表記から察すると、徳力団地の中を経由していたようですね。

 

(左)戸畑→小倉都心を25番で運行し、砂津から30番台で帰ってくるコース。

 

いずれも片道だけ存在していました。

LED化された今は、一体どんな経路で戻ってきているのでしょうか。

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戸畑渡場行きから、戸畑駅発着に若干路線が短縮された際のもの。(2000年頃でしょうか?)

同じ戸畑駅行きでも、ちゃんと志井系統と、中谷系統で作りわけがなされています。

 

注目は右の上のコマ。経由地に中谷が書いてありますが、道原発の戸畑駅行き132番です。

タダでさえ運行本数の少ない系統な上に、中谷ローカルからの直通運行とは、なんとバリエーションにとんだ系統なんでしょうか。

 

・・LEDとなった今では、浅生市場止めと、さらに路線が短縮されています。

 33番 蒲生線


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北方までは322号線沿いを経由し、小倉競馬場の北側を通って蒲生地区へと向かっていた33番。

これまたいつの間にか姿を消していました。

・・全く北九州地区、特に南部については不勉強の極みです。

 

(左)小倉駅構内に乗り入れるようになった、比較的あたらしいものです。

 

(右)赤坂海岸行きは、33番&24番という中谷発着路線で運行されていました。

 

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横幕です。

同じ砂津行きでも、中谷発と西谷変電所発で作り分けがなされています。

(経由地の、長行台の有無)

 34番 志井線


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30番台の中では最も本数と乗客が多く、志井方面へのメインルートでもある34番。

今なお主力系統の座は変わりません。

 

朝の母原止めも健在、加えて中谷行きも毎時1本は運行されています。

 

(左)前幕です。最終便は志徳団地止めで、志井車庫方面へは行きません。

 

(右)9月の販売会で中谷幕を手に入れた方も仰っていたように、ナゾの同じコマ2つ続きがありました。

3コマ目と4コマ目の砂津行き。一体ドコが違うというのでしょうか。・・答えは下の横幕にありました。

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横幕です。

34番の志井車庫行きは、比較的使用される頻度が多い為か、非常に汚れていました。

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同じく都心行き横幕。

 

(左)上でご紹介した、同じコマ2つ続きのナゾ。

どうやら砂津行きの幕を、中谷発、母原発、志井車庫発で作り分けていたようです。後幕と前幕で同じになってしまっていたのは、母原発と志井車庫発。

丁寧過ぎるまでにコマを作り分けていたようです。

 

・・このページを書いている今、やっと気が付きました。

 

(右)小倉駅構内に乗り入れを開始して以降、朝に小倉駅折り返し便が登場しました。

さすがに母原発と志井車庫発は、同じコマを使うようにしたみたいです(笑)

 

 35番 平尾台線


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北九州国定公園に指定されるカルスト台地、平尾台。

石灰岩の大地や鍾乳洞のある分校付近は、景勝地や観光地としても有名です。

 

この平尾台と、小倉都心を結んでいた35番です。

 

興味深いのは「3合目止め」。

322号線から少しだけ平尾台に入ったところにあった3合目バス停。

「積雪や強風時の途中打ち切り用として用意されていた」とお詳しい方から教えていただきました。

標高が最高で600メートルにもなる平尾台ならではでしょうか。

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横幕です。

HIRAODAI 3 GOME。

正式にはナント表現したら良いのでしょうか(笑)

 

観光地としては有名な平尾台ですが、バスの方はあまり元気が無く、小倉都心直通→守恒発着のローカル系統→無番の中谷発着と次々に運行区間が短縮された後、2002年の廃止勧告を経て2003年春に廃止されました。

 

その後乗合タクシーに転換されましたが、今ではどうなっているのでしょうか。

 36番 合馬線


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「合馬の竹の子」。

北九州産の農産物ブランドとして有名な竹の子の産地、合馬地区。

町おこしにも積極的なこの地区と小倉都心を結んでいた36番です。

 

一次は中谷営業所のスペースランナーに、北九州出身の著名な漫画家作のイラストがペイントされたバスが走っていたりもしましたが、

平尾台の35番と同じく、乗客減少により2003年に廃止されてしまいました。

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合馬行き。

時期により「OUMA」「OMA」とローマ字表記が変わったことを、詳しい方に教えていただきました。

(いつもありがとうございます)

 

ちなみにOMA表記の幕には、経由地が長行台となっています。

・・36番が長行台を経由していたことを初めて知りました。

 37番 道原線


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中谷から322号線を東に逸れて、南へ向かう37番。道原発着がメインで、一部に頂吉(かぐめよし)発着がありました。

この頂吉。北九州と筑豊を隔てる境と言っても良い山中にあります。

生憎行ったことはありませんが、グーグルアース等で確認する限り、本当に乗る人がいたのかと疑問が湧いてきます。

 

ローカルに短縮されたあとも、比較的まとまった本数が確保されていましたが、上の平尾台・合馬と同じく廃止されてしまいました。

 35番・36番・37番 中谷ローカル線 など


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小倉都心直通が取りやめになった後(2000年頃だったでしょうか?)、守恒発着の中谷ローカル線として運行されていた頃の幕です。

(左)合馬の36番と、平尾台の35番です。合馬発着は長行台経由だったようです。

(中)道原・頂吉の37番です。

(右)その後幕。

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戸畑発の中谷ローカルです。

存在を初めて知りました。

 

大変お詳しい方から教えていただいたところによると、132番・32番の折り返しで合馬行きは確かに運行されていたとのことです。

 

戸畑→頂吉など、もし仮に存在していたとすれば、乗ってみたい路線です。工業地帯〜学校街〜都心〜住宅地〜山中。景色には退屈しなさそうです。

 49番 門司〜山田線


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49番の中谷行き。

詳しい方から教えていただいて初めて知りました。

 

短期間のみ存在したとのことですが、路線図や手元のダイヤ改正資料から抜け落ちてしまっています。

 

なお、浅野営業所と中谷営業所の幕に入っていました。

 

 131番 志井(都市高速)小倉線


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31番と同じく徳力公団駅の周辺まで322号線沿いに走り、志井方面へと向かっていた131番。

同じく志井方面への都市高速系統として運行されていた134番に圧倒されたのか、北九州モノレールの方が速かったのか、2000年頃に早々と廃止になってしまいます。

これも徳力団地の中を経由していたことを初めて知りました。

 

 134番 中谷(都市高速)小倉線


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現在も志井方面と小倉都心を結ぶ都市高速系統としてまとまった本数が運行される134番。

朝夕には、志井車庫方面には向かわず、山手から徳力の方に抜ける中谷発着も運行されます。

 

・・都市高速経由と言うことで早そうではありますが、都市高速区間の前後となる、小倉駅バスセンター〜北方・北九州大学前の所要時間は、

下道経由の34番が21分に対し、都市高速経由の134番は20分とほぼ互角。

渋滞の心配が少ない以外に、厚生年金会館や室町リバーウォークといった小倉都心部西部へのアクセスという意味で、速達性以外の存在価値がある系統なように思います。

 

 平尾台を始め、2000年頃と比べると系統整理という名のリストラが進んだブラウンカラー。

沿線人口は致し方ないにしても、コミュニティバスのような経路設定などで、生き残る方策は無かったのでしょうか。

「枝」を切ると「幹」も弱ると言いますが、甘木周辺と同じく、枝線のリストラにより、

幹の弱体化に歯止めがかかっていない地区なように感じてしまいます(あくまで個人的な偏見ですが)。

 

方向幕の収集が単なる懐古主義に留まらぬよう、

私のようなファンも、バス利用に勤しまないと行けませんね(笑)

  

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