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Chang! 韓国遊学日記2002年9月  △TOPへ

◆9月1日(日)暗号解読
 幸い、台風は忠州に被害をもたらすことなく、過ぎ去ってくれたようだ。いつの間にか9月。秋への曲がり角に差し掛かってきた。

 昨日、小泉総理の訪朝と、南北鉄道連結工事再開という大きなニュースが飛び込んできた(もっとも、朝日新聞のニュースサイトで知ったのだが)。そこで記念に新聞を買っておいたので、それを訳してみた。

●小泉17日訪北
 小泉純一郎日本総理が、来月17日、1日の日程で北韓を訪問、金正日国防委員長と
正常会談を持つと日本政府が発表した。
 日本総理が北韓を訪問するのは今回が初めてであり、金委員長がロシアや中国などの友邦国指導者外と会うのも初めてで、北・日関係の進展はもちろん、韓半島情勢の変化と関係して、注目される。

●地雷除去のために最先端装備を提供
 2000年の南北頂上会談の直後工事を開始したものの、北側の非協調的な姿勢によって工事が中断となった京義線と、先の4月の林東源特使の訪北時に、北側の提議で論議が始まった東海線が、ついに南北間の合意により工事が開始された。
 特に今回の第2次経済協力推進委員会の合意文には、工事着手ならびに完成目標など具体的な工事スケジュールが明示してあって、南北韓鉄道・道路連結への期待感が高まってきている。

 難しい文を訳したようだが、語順は全く変えていないし、漢字の単語はほとんどハングルを漢字に置き換えただけだ。要は、まだ単語力のない段階では暗号解読のようなもので、訳すのにかかった5時間は、ほとんど辞書を引くのにかけた時間だ。
 接続詞や活用はさすがに文法事項で、まだまだ理解できない所が多く、先輩などに聞いて分かった部分も多い。

 夕方、食堂のTVであっていたのは韓国版「ミリオネア」。日本版は本家からの公認を得ているが、こちらはルールが違う(間違った時点で賞金が貰え、ドロップアウトがないなど)ので、おそらく「パクリ」だろう。
 ライフラインに「インターネット検索」や「電話投票」があるのは、さすが情報先進国といったところか。正解・不正解をすぐに明かし、「ため」がないのは、せっかち韓国らしかった。

※今考えれば、新聞の訳は「正常会談」ではなく「頂上会談=トップ会談」が正しいですね。当時も、「正常会談って、なにが正常なんだ?」と思っていました。

◆9月2日(月)感謝の対象
 「いただきます」
 「ごちそうさま」

 毎日欠かすことのないこれらの挨拶、韓国ではどう言うかというと、

 「充分食べよう(頂こうと)と思ってます」
 「満足に食べました(頂きました)」

 両国とも近いニュアンスに感じるが、韓国の場合、一人で食べる時に言うことはない。
 つまりは、同席の人に対する挨拶であったり、おごってくれる人への感謝だったりするわけである。もちろん、食堂のおばちゃんなどに対して言うこともあるが、よほど礼儀正しい人に限られるそうだ。

 日本の「いただきます」には、同席の人に対してはもちろんだが、料理を作ってくれた人や、その食材を育てたり取ったりした人、さらには食事できることに対する感謝の気持ちも、多分に含んでいるように思う。
 それに対して韓国の場合、今ここにいない人よりも、目の前にしている人に対する礼儀を重んじているのではないか。今日、韓国人の先輩と「頂きます」について話していて、そんなことを感じた。

 あくまで文化の相違点であり、「郷に入れば‥‥」という諺もあるが、日本式の「礼」も忘れてはいけないので、今日も、
 「いただきます、チャル モッゲッスンニダ」
 と言って、手を合わせ食卓へ向かっている。

◆9月3日(火)居場所
 今日「外国人登録証」ができたので、車で1時間の清州の管理事務所まで取りに行った。クレジットカードサイズの登録証を手にすると、ようやくこの国の住人になれたような気がして嬉しい。
 なんてことを、連れてきてくれたトンヒョン兄さんに話してみたら、
 「私が日本で登録証を作った時の気分はよく覚えていませんが、嬉しくは‥‥ なかったと思います。」
 そういえば僕は日本でも、住基ネット容認派だった。肩書き好きなのかな。

 台風の被害は拡大しているようだ。いままで情報の中心は、日本の新聞社のHPだったが、寄宿舎でもKBS(韓国放送公社)の日本語ラジオがキャッチできたので、言葉が分かるようになるまでは貴重な情報源になりそうだ。もっとも韓国のTVニュースでも、大まかなことは分かる。8時のSBS(ソウル放送)ニュースは、この話題のみだった。

○午後3時現在、死者・不明211人。
○とくに江原道での被害甚大。死者・不明100人超。腐敗物や、粉塵による衛生問題も深刻。薬品も不足。
○北韓の江原道でも深刻な被害。金剛山観光事業も打撃。
○京釜線(日本の東海道本線にあたる最重要幹線)5個所寸断。嶺東線など含め、全線の完全復旧には半年〜1年を要する見込み。

 これから、農作物の価格上昇などの影響も出てくるだろう。米不足にならないだろうか。
 鉄道各線の被害で、物見遊山の旅行どころではなくなってしまった路線もありそうで、残念だ。

◆9月4日(水)踏み込み
「住民登録番号」
「宗教」
「特技」
「趣味」
「未入隊・入隊済」
「学費調達の方法」
「家族の学歴」
「生活状況(上・中・下)」
「友人の連絡先」

 これらはすべて、今日寄宿舎に提出した書類に記載した事項である。
 兵役について聞かれるのはこの国だから当然だが、「家族の学歴」「生活状況」について問われたのには驚いた。
 韓国は日本を上回る学歴社会というが、親の学歴によって僕はどう評価されるんだろう。生活状況なんて、日本人に書かせればみんな「中」だ。

 なんて少し憤りを覚えてしまったが、これも考え方や感覚の違いなのだろう。
 もっとも、韓国人の先輩にこのことを聞いてみたら、
 「これは聞きすぎ。こんなに書かなくていいよ」
 なるほど、そういうものか。

◆9月5日(木)驚いた、嬉しかった、そして省みた
 今日こちらに来て、初めて講義を受けた。科目は「交通計画論」。もちろん言葉は分からないので、ほとんど理解できないだろうが、興味がある内容だし、耳を慣らすために出てみることにしたのだ。担当は日本語が堪能な鎮教授だから、その点は気が楽だ。

 講義が始まるなり、
 「今回から‥‥日本から来た‥‥留学生の‥‥」
 おぉ、俺のこと紹介されてるよ、みんな見てるよ。前に出て自己紹介する羽目になり、たどたどしかったが、
 「はじめまして。私は○○○と申します。日本では建築工学を勉強してました。‥‥どうぞよろしくお願いします」
 と、なんとかこなせた。やれやれ。

 そして都市工学科の皆さんとも初対面だったのだが、みんな言葉は通じないのに、とにかくコミュニケーションを取ろうと頑張ってくれた。それは日本人の僕にとって、驚きであり新鮮な出来事だった。
 「年は?」「焼酎は好き?」「友達になりたい」「日本語を教えて!」
 さっそく、授業そっちのけで日本語講座に。講義が終わった後も、いろんな人と話せた。まだまだ語彙が少なく、もどかしさはつのったが、楽しかったし、なんだか心地よかった。

 去年、大分大学で「ハウジング計画」の講義を受けていた忠州大学の学生たちは、僕と同じような立場だったのだろう。彼らに対して僕はというと、一線を引いていたどころか、壁すら作っていたように思う。国民性の違いだよ、と言い切ればそこまでだが、彼らは随分さみしい思いをしていたことだろう。
 いまさらだが、もっと違う接し方ができたのではないかと省みた。

 夜は晶子さんつながりで、有志による「ボウリング大会」へ。相変わらずの下手くそだが、先輩の優しくも厳しい指導で、過去最高の72(!?)をマークした。
 帰りにスンデを頂いて、真露(韓国焼酎)も少し飲んだら、ほろ酔いに。帰り道は寄宿舎の先輩と2人になったのだが、持てるだけの韓国語力で、自分でも驚くほど話した。会話力以前に人見知りする方なので、なかなか会話を持てないことが多いが、やっぱり酒は人を変える。
 僕にとって、韓国語会話力アップのキーは、きっと飲むことだ。飲む機会があったら、なるべく行こう。酒にめっぽう強い韓国人。つぶされたら意味ないけど‥‥

◆9月6日(金)ふわふわ
 韓国に「住んで」もう2週間も経った。もちろん、僕にとって海外滞在の最長記録だが、日本が恋しいとも、帰りたいとも思わない。だからといって、「絶対に帰りたくない!」という訳でもない。

 さて、今日は特に書くネタもないし、こちらの物価についてメモしておこうか。韓国の平均所得は日本の半分程度なので、概して物価は安いが、物によってはそうとも限らず興味深い。
 ちなみに6日現在、100円は1010ウォン。1桁落とせば、ほぼ日本の価格になると考えて下さい。

●安いと感じる値段(単位:ウォン)
カップジュース/200〜300
学食での昼食/1200〜1500
大都市圏の市内バス(均一)/600
忠州市内の市内バス(均一)/750
忠州〜ソウルの高速バス(140km)/6000
忠州〜ソウルの特急列車/10,000

 特に交通費は安い。逆に日本の交通費をこちらの人に教えてあげると、とにかく驚かれる。それが、たとえ特割運賃であっても‥‥
 日本と同様、地方の交通費は高いようだ。ちなみに忠州のバスは、ほとんどが非冷房の上に割高です。

●普通だと感じる値段
缶ジュース/500〜600
カップ麺/500〜700
マックのチーズバーガーセット/3000
コピーA4/50
シャープペン/1000〜
写真現像36枚/5500
PC房1時間/1000

 単純に日本と比べれば安いけど、物価の差を考慮すればこのくらいかな、と思うもの。

●高い!
ガソリン1L/1100〜1300
韓日電子辞書/300,000
先輩が昨年買った中古のモノクロ液晶携帯/70,000
最新型のカラー液晶・和音着メロ携帯/400,000程度

 ガソリンは以前は700ウォン程度だったそうだが、IMF不況の時に値上がりしたままなのだとか。それでも車が減った訳ではなく、大学生の所有率も結構高そうだ。
 電子製品は日本より高そう。でも携帯電話は、そのものの価値を考えれば、こちらの値段の方が妥当な気もするが、いかがだろう。インターネット、メールまでできる端末が安くて5000円程度という日本の携帯は、ちょっと安すぎる気がする。
 といいつつも、高くて未だに携帯を持てない私が、ここにいます。誰か譲ってくれ〜

◆9月7日(土)アメリカ>日本
 今日は、初めて一人で市内に行ってみた。市内までは、バスで15分程の道のりだ。韓国に限らず慣れない土地でのバスは不安だが、ハングル文字の行き先を頼りに、目的のバスに乗ることができた。よしよし、我ながら上出来。

 市内で写真の焼き増しをした後は、帰路の途中にある郊外型商業施設「マグネット」へ。市内の「Eマート」と並ぶ、忠州屈指のショッピングセンターだ。
 開業から1年も経っていない店内はピカピカ。核テナントはロッテの1フロアのみだが、大きなカートを転がす家族連れで賑わう店内は、日本より欧米のショッピングセンターに近い印象を受けた。屋上と1階には、ズラリと自家用車が並ぶ。実は行きのバスでも、市内を前にここでほとんどの乗客が降りてしまった。買い物客が郊外に吸い上げられる‥‥ どこかの国で見たような光景が、ここにもあった。
 もっともお年寄りは「やっぱり市内の市場」という人がほとんどのようだし、市内の通りは若者で賑わっている。要は流れているのはファミリー層で、今のところ市内と郊外は「共存」しているようには見えた。数年後どうなっていくのかが、注目だ。

 そしてマグネットには、忠州バスターミナルが併設されている。忠州市は人口22万人。そんな地方都市から、全国各地へ高速バスが直行している。特にソウルへは毎時4〜6本を数え、運賃も600円程度ときわめて安い。一方そのあとで行った鉄道の駅は、ターミナルとは比べものにならないほど閑散としていた。名実ともに、忠州の玄関として機能しているのはバスターミナルだ。

 次々発車していく大柄なバスを見ていると、これまた日本よりアメリカ的な雰囲気を感じたのだった。韓国という国事体が目指している方向性も、そうなのだろうか。


俗離山
◆9月8日(日)マイナスイオン
 昨日に続き、秋晴れの素晴らしい天気。昼の暑さに夏の余韻を残しつつも、秋の足音が聞こえ始める。終わりの寂しさを感じながら、実りの季節を待つこの時期も、僕は大好きだ。

 このよき日に、留学生友達とサークルの先輩に、ドライブに誘われた。行き先は、車で1時間の清州から、さらに行くこと1時間半の俗離山・法住寺だ。
 途中、韓国の盆である秋夕(チュソク)を再来週に控え、親族一同で墓の草刈りをしている光景に、あちこちで出会う。見ていると、故郷の家族がちょっと恋しくなった。

 やっと着いた法住寺は、歴史ある山寺だ。規模は大きく、巨大な仏像に目を見張った。
 さらに、山を登っていく。水の清らかさには目を見張るほどだ。木立、青空。そういえば大分でもよく、自然を感じる週末を過ごしていた。山の雰囲気は少し日本と違うが、久しぶりの「マイナスイオン」を体いっぱいに吸収した。
 一応の目的地にしていた山寺は「信者以外立ち入り禁止」で残念だったものの、満足。帰路は大渋滞に捕まりつつ、清州へ戻った。

 夕ごはんはサークルのお姉さんのご実家で、ひさしぶりのカルビを頂いた。あ〜幸せ☆
 夜は、サークルの兄さんも一緒になって、清州の街へ。まばゆいばかりのネオンと、溢れる若者。大都市の勢いを感じる。シブイいい雰囲気の茶房で、伝統茶を堪能したあとは「ノレバン」ことカラオケボックスへと繰り出した。日本語の曲は少ないもののあって、2週間振りに喉を発散させて快感。次回までには、韓国語の曲もマスターするぞ!

 ひざびさに11時過ぎまで遊び歩き、大学生気分が戻ってきた。今日は、留学生友達とともに、お姉さんの実家泊り。初めて会って1週間の先輩の実家に泊りに行くなんて、日本ではそうそうないだろうが、こちらでは普通のことのようだ。
 暖かいシャワーが、心底嬉しかった。

◆9月9日(月)未接続
 寄宿舎だったら、9時までに起きないと朝飯を食べ損ねてしまうが、今日ばかりは関係ない! とばかりに、10時までだらだら眠ってしまった。

 こちらの先輩宅は、5階建てアパートの5階だが、最上階ではない。どういうことか、分かりますか? 日本と同様、「4」と「死」は同じ発音(ただし「サ」と発音する)なので、忌み嫌い4階は欠番にするそうだ。
 それはともかく、韓国のアパート・マンションは部屋がオンドル(床暖房)なのはもちろん、ベランダにガラス窓が入っている点も、日本との違いに挙げられるだろう。日本では法規上、そのようなベランダは建築面積に算入されるが、こちらは違うのかもしれない。北面にもベランダがあり、倉庫や洗濯機の置き場としてや、キムチ貯蔵室として重宝しているようだ。

 月曜だけど、授業があるわけでなし、たまにはいいやとばかりに自主休日。昨年、分大の建設工学科に留学に来ていた先輩とともに、また清州市内へやって来た。平日の昼下がりというのに、相変わらずの人出だ。 「ピザハット」にて、本当に久しぶりのピザを堪能していると、美味しさに周りが見えなくなったのか、コーラのカップを倒してしまった。とっさに出た一言が、なぜか、
 「コマップスンニダ!(ありがとう!)」
 「チェソンハムニダ(すみません)でしょう!!」
 と、大爆笑されてしまった。あちゃ〜、まだまだ反射神経と、韓国言語中枢が未接続だ。

 歩行者天国を歩いていると、昨日CD屋で視聴して、いいなと思った韓国歌手のCDが、露店で安く売られていたので買ってみた。帰宅後開けてみると、やっぱりコピー商品。しかも歌詞カードが付いていない。これじゃあ、何と歌っているのか分からないよ!
 「偽物を買っても、勉強にならない」という教訓を残し、自主連休は去っていった。


サムギョプサル
◆9月10日(火)カラオケKOREA/JAPAN
 我が大分大学より、3月から来ていた留学生4人のうち、1人は半年間の予定を終え15日に帰国。そこで今日、日本語サークルの皆さん総勢二十数名余りで、送別会をやった。場所は大学前のサムギョプサル(豚バラ焼肉)屋さん。韓国焼酎・真露とサムギョプサルは、ゴールデンコンビ(だと思う)。じゃんじゃん焼いて、ぐいぐい飲んで、大盛り上がりだったのでした。

 その後は「お決まり」で、ノレバン(歌房=カラオケBOX)へ。さすがは日本語サークルの皆さん、日本語の曲もすんなり歌いこなしてる。かと思えば、日本人留学生も韓国ポップをノリノリで歌っちゃうからスゴイ。韓国の曲も歌いたい。
 幸い、学内FMのDJ君(ちなみに年下)が日本の歌に興味があり、僕の日本のCDを貸すかわりに、韓国の曲を紹介してくれることになった。よし、頑張るぞ!

◆9月11日(水)自分とも仲良く
 朝、シャワー室に行ってみたら、いつもと違う湿っぽい空気。もしやと思えばやはり、お湯が出た! 寄宿舎生活で、唯一不便で不満だった水シャワーから、この日ようやく開放された。

 思えば間もなく3週間、異国の寄宿舎生活にもすかっり慣れた。最初、食べ物は口に合うのか、言葉も出来ないのに大丈夫かなど、色々と不安を抱えてやって来た。数日は自分にとって「異場所」だったが、今ではまぎれもなく「居場所」だ。
 今の自分が、今の状況を見ても違和感はない。でも、大分での生活を送っていた1ヶ月前の自分に立ち返って、未来である今の環境や気持ちを見つめてみると、不思議な感覚になる。そしてこんな気分は、滅多に味わえるものでもないだろう。たいせつだ。

 夜は、ひさしぶりに分大からの女子留学生の下宿にお邪魔して、ごちそうになった。来たときよりはだいぶ話せるようになったのだろうけど、相変わらず下宿のお母さんとも、他の下宿の学生とも「会話」にならずもどかしい。この気持ち、これからもずっと付いてまわるのだろう。もどかしさとも仲良くせねば。


忠州市内の風景

市内のシネコン
◆9月12日(木)言葉わからずとも
 留学前、日本で見てきた韓国映画は、言わずと知れた「シュリ」と、「ペパーミントキャンディー」だった。そして先週、韓国で興行成績1位だった映画が、「ペパーミントキャンディー」の監督の作品「オアシス」だ。KBSの日本語ラジオで、あら筋を解説していて知った。見てみたい。
 しかし、「ペパーミントキャンディー」は日本語の字幕付きでも1回ではよく理解できず、2回見てようやく面白さが分かった。ましてや言葉もまだ分からないのに、その監督の作品を見て面白いだろうか‥‥ とは思ったが、サークルの先輩に映画に誘われたので、「オアシスが見たい!」とリクエストしてみた。

 お昼に、市内の映画館へ。韓国でも日本と同様、「シネマコンプレックス」(中程度の上映室をいくつか備えた映画館)流行りなのだろうか。今日行った映画館は、そんな雰囲気だった。でも日本の地方都市なら、間違いなく郊外に作るはずだ。
 映画の最初には忠州市内のレストランや結婚式場の宣伝が流れたが、音響も映像も最低レベル。おいおい大丈夫かと思っていたが、本編が始まるとクリアな画面、リアルな音響に変わり、ほっとした。

 「オアシス」は、無実の罪を自ら被り服役、出所後も社会から受け入れられない男と、知的傷害のため、社会から隔絶された生活を送っていた女性がひょんなことで出会い、愛を育んでいくという社会派ラブストーリー(?)だ。
 大まかな内容が理解できたのは、あらすじを知っていたのと、理解の為のキーとなるシーンに言葉がなっかたためだ。決して言葉が分かった訳ではない。
 でも、面白かった。感動した。

 もしこの映画の世界がありのままの韓国だとすれば、知的障害などに対して、まだまだ理解がなされていないということになる。周囲からの偏見に苦しむシーンが、何度も出てきた。しかしこの映画が人気を博し、反響を呼んだという事実は、この先に明るい展望を見出せそうな気がした。
 それにしても知的傷害の女性は、迫真の演技だった。日本のドラマや映画で、ここまで直接的に描写したものがあっただろうか。日本での公開やビデオ発売があったら、どんな反響になるのか。興味深い。

◆9月13日(金)これ以上楽なことはない
 明日予定していた大田(テジョン)行きが中止になったので、買っておいた切符を払い戻さなくては。でも、バスで忠州駅まで行くのも億劫だ。そこで大学から歩いて25分の、達川駅へ行ってみた。

 大学最寄り駅で活況を見せている‥‥ わけはなく、静かな小駅に乗客の姿はなし。1日に普通3往復、特急1往復しか停車しないのだから、通学に使えよう筈もない。それでも貨物取り扱いのためか数人の駅員さんが詰めていて、払い戻しにも応じてくれた。小駅だが指定券発売用の端末は備えてあり、全国の切符が買える模様。
 旅に所要に、これから仲良くしていく駅になりそうだ(駅にとっては「迷惑な客」!?)。

 午後4時からは、「交通計画論」の振替えで、太田勝敏東大教授による創立40周年記念の特別講演会に出席した。太田教授が日本語で説明されたあと、鎮教授が韓国語で通訳するという形式で、資料も日本語だったから分かる分かる! 言葉が分かる以上楽なことはない。もちろん、韓国の学生にとっては難しかったようで、後で、
 「真剣に聞いてたのは真崎と鎮教授だけですよ」
 なんて言われた。それもそうだ。

 僕自身、日本では建築の専攻だったので、本格的に交通工学の理論に触れるのは初めてのこと。基礎的な考え方から始まったこの講演会は、「交通工学とはなんぞや?」を知る、とてもいい機会だった。そして、今まで自分が持っていた知識や考え方が、趣味的な域を出ない浅はかなものであったことも思い知らされた。でも、興味深い。深めてみたい。
 言葉が分からないのを承知で交通計画論の講義を取らなければ、こんな講演会を拝聴する機会もなかったはず。積極的に動いていて、よかったよかった。

◆9月14日(土)改心
 「吉野屋の牛丼が食べたい」
 「別府の温泉に入りたい」
 「日本語をベラベラしゃべりたい」
 どうも昨日あたりから、満たされることのない、叶わぬ欲求が出始めた。まだ3週間なのに、自分らしくもない。
 これではいかん、気分を変えてすっきりしようと大学前の床屋へ行ってきた。値段はW4000と激安。ただし日本の「10分1000円床屋」みたいなもので、洗髪はなんとセルフサービス(!?)だ。でもまずまずの仕上がりだったし、この値段なら月一回は来れそう。
 気分も少し晴れた。単純だ。

◆9月15日(日)ソウルへ行こう
 雨がシトシト落ち、気温もぐっと冷え込んだ。九州の場合、10月を過ぎるとお約束のように寒くなるのだが、こちらは秋の訪れも早いようだ。
 日本からは最小限の荷物しか持って来なかったので、冬物どころか秋物の用意もない。まずい、このままでは凍え死んでしまう。
 「そうだ、ソウルへ行こう。」


ソウル料金所

ソウルワールドカップ競技場

美味!ロッテリアのキムチバーガー
◆9月16日(月)チハチョリング(地下鉄ing)
 善は急げ。講義もないことだし、平日のソウルへと旅立った。

 市内バスでバスターミナルへ。さっそく窓口に行って、
 「ソウル高速ターミナルまで、1枚下さい」と一言。
 こんな、僕でもできるほどの簡単な言葉で、次のソウル行きの切符が出てきた。気軽だ。値段はW6,200。安いだけあって、座席はレザー張り、音楽やビデオのサービスもなければ、トイレもない。あくまで移動の手段、実質本意だ。
 発車して1時間ほど、「一体ここはどこなんだよ」というような田舎道をグネグネ走り、ようやく高速道路の乗った。乱暴な運転の韓国のバス。まして高速道路では一体、どんな走りをするのかと思っていたが、思っていたほど飛ばさなかった。西鉄高速バス並みといったところか。それでも巨大なアパート群に出迎えられ、高速ターミナルに着いたのは1時間55分後。定刻より15分早かった。

 立派な高速ターミナルから市内へは、地下鉄3号線で1本。ラインカラーや駅番号の統一、乗り換え駅の的確な案内など、乗りやすさを追求し日々進化するソウル地下鉄だが、今回、車内TVが付くという更なる前進を見せていた。地下でも退屈知らずな上、英語、漢字の駅案内があるので、外国人にも優しい。
 ただエスカレーター、エレベーターは少なく、あっても駅から地上までは階段のみ。ソフト面は日本の1歩先を行くが、ハードが整わないのが韓国の地下鉄だ。先週、身障者団体が地下鉄全駅へのエレベーター設置を求めて、線路にろう城するという出来事があったが、もっともな気がする。この点さえ整えば、日本もお手本にすべき「世界の地下鉄」になると思うのだが。

 市内で、日本へ帰省する時に必要な「再入国許可」を取得し、日本大使館へ在留届けを提出すれば、一仕事終えた気分だ。よし、HOTな世界の舞台へ行ってみようと、5号線、6号線を乗り継いで「ソウルワールドカップ競技場」へと向かった。
 入場料はわずかW200。入り口から観客席へ、フィールドが目に飛び込んできた時の第一印象は・・・
 「ちっちゃい。大分のビッグアイの方が美しい」
 という、ここまで来たありがたみが一気に薄れるものだった。でも小さいのはここがサッカー専用スタジアムだからで、その分観客とフィールドは近い。この客席が真っ赤に染まり、「大・韓・民・国!」コールで世界を圧倒した。その光景を想像しただけで、ゾクゾクする。それでもビッグアイの方が好きだけれども。

 市内に戻り、かつての日本が建てたソウル市役所を見学したり、大型書店で韓国語教材を買ったりした後は、夜の東大門市場へ。このあたりは市場からファッションビルまで終夜営業だから、昼は観光、夜に買い物をすると効率がいいのだ。
 ただ、「おねえちゃんのバイトが終わるまでここで待っている。さみしいよ〜」という子どもと話したり、ロッテリアに行ったりして遊び相手になっていた時間がほとんどで、買い物は明日に回した。今日は「プレヤタウン」内にあるサウナ(W7000)で仮眠。3週間ぶりの湯船が最高に気持ちよかった。


63ビル

ソウルの地下鉄電車

63ビルの夕景
◆9月17日(火)やっぱり列車
 昨日から愛用しているのが、ソウルの地下鉄とバスで使える「交通カード」。東京の「スイカ」と同じく、財布に入れたまま、かざすだけで改札を通れる便利なカードだが、こちらでは既に数年前から実用化されている。今日も改札でピピッと「タッチ・アンド・ゴー!」。
 便利になっていく地下鉄でも変わらないのは、車内に出没する物売りや、寄付を求める人々の呼び声。日本と変わらぬきれいな電車に乗っていても、ああ韓国なんだなと感じる瞬間だ。そして、地下鉄でも何ら支障なく使える携帯電話も相成って、韓国の地下鉄は元気で、騒々しい。

 朝イチで、ソウルの銀座とも呼ばれる繁華街・明洞にある明洞大聖堂へと行ってみたが、なにやら警察官が大勢出ていて、ものものしい雰囲気。カメラを向けていると職務質問される有り様(こんな時は、すこしでも言葉ができていてよかったと思う)で、早々に退散した。何があったのだろう?
 次に向かったのは、韓国のマンハッタンとも呼ばれる、漢江の中洲・ヨイドだ。とうとうと流れる漢江沿いの公園は、市街地の喧騒が嘘のように、のんびりした時間が漂っている。ヨイド全体もきれいに整備されていて、韓国らしくないとも言えよう。

 竜山の電子商街をひやかした後は、鐘路や東大門で、本来の目的だった買い物に勤しんだ。成果はまずまずといったところか。

 帰りは、やっぱり列車が好きなので、1日1本しかないソウル〜忠州間の直通特急を利用した。夕日に浮かぶ63ビルに見送られ、ソウルを離れる。京釜線内の利用者は多かったが、忠北線内ではローカル列車の有り様だった。途中駅では、荷物車からの積み下ろしのためか停車時間が長く、少しずつ遅れていった。「荷主客従」といったところか。

 大学寄宿舎に着くと、なんだかほっとした。異国とはいえ、やっぱりここが家なのだなと思う瞬間だ。

◆9月18日(水)風
 昨日は小泉総理が北韓を訪れ、首脳会談を行うという歴史的な日だったが、ようやく今日になって全容を知った。驚きを隠せない。遺族の方々の心中察するに言語を絶するが、やはり拉致を認め謝罪したことは大きな進歩だと思う。複雑な気分だが、ようやく吹き始めた風を遮ってはいけない。お互いの非を認め、先へと進んでいってほしい。

 翻って自分はというと、どうも風邪をひいたようだ。ソウルの街から元気を貰ったつもりでいたが、吸い取られてしまったのか。秋夕の連休や、大分大学からの訪問団来訪などの行事を控えているのに、このままではまずい。
 北側の寒い自分の部屋を捨て、昼の直達日射の暖かさが残る、南側の先輩の部屋に泊めてもらった。少しは良くなるといいけど・・・

◆9月19日(木)チャリンコ
 「中国には自転車があふれているが、韓国もそうなのか?」
 とのご質問を頂きました。

 先にお答えを申し上げると、それはNo。中国どころか日本よりもはるかに少なく、とくに市街地ではほとんど目にしない。高校生のチャリ通(自転車通学)も、一般的ではないそうだ。
 僕の見た限りより、その理由を推測すると、

(1)歩道の施工が適当なため、ガタガタ、陥没、当たり前。歩いていても危険だが、自転車ではとても通れない。
(2)歩道から車道へ、大きな段差がある。
(3)市街地では、露店やバス券売り場が道をさえぎる。
(4)かといって車道を走ろうにも危険な上、路上駐車だらけ。
(5)幹線道路の横断は地下道が基本で、横断歩道がない。

 こんな所から、自転車が「使えない」乗り物になっているためではないだろうか。
 そしてこれらは、恐らく車椅子にとっても辛い街であろうと想像され‥‥ そんな話題は、また後日。

◆9月20・21日(祝)秋夕十人十色
 韓国では、旧暦の8月15日が、日本のお盆に当たる名節の秋夕だ。その前後1日づつと合わせて祝日となっている。その盛大さは日本の正月並みのようで、学生も必ず故郷へ帰省し、親族一同で先祖をまつる。そんな訳で、寄宿舎はもぬけの殻だ。
 韓国に「振替え休日」の制度はなく、今年は日曜がダブったため3連休だった。この短い間に、国民の多くが故郷へ往復するのだから、帰省ラッシュが「分散化」できようはずもない。バスも列車も、もちろん満席。通常、高速道路で5時間ほどのソウル〜釜山間も、ニュースでは9時間半〜10時間半かかっていると伝えていた。

 TVも秋夕一色。局によってはニュースキャスターまでもが民族衣装を身にまとい、
 「秋夕を、故郷のご家族とお過ごしでしょうか?」
 と始まる。渋滞の車から抜け出し、路肩で弁当を広げる家族連れ。先祖の墓へ参る親族一同。釜山アジア大会の選手村から、先祖を思う選手たち。水害被災地では、仮設住宅での秋夕。亡くした2人の孫を想い、涙の止まらぬお婆さん。TVは、それぞれの秋夕を写し出す。

 ‥‥そんな私は、その間、風邪でずっと寝込んでいた。だから日頃見ないTVを、こんなにチェックできたのだ。なんとも個性的で、虚しい秋夕を過ごしてしまった。嗚呼、無念。

◆9月22日(祝)友達・親友
 「女友達はいますか?」
 日本語を勉強している方から、こんな質問を受けることがあるが、「女友達」が何を意味しているのか迷い、すぐには答えられない。韓国語で、
 「ヨジャチング、イッソヨ?」
 と聞いてくれれば、すぐに答えられるのだが。

 「ヨジャ」とは女性、「チング」は友達のことで、「ヨジャチング」を直訳すると「女友達」になる。しかしこの言葉は、「彼女」のことを意味しているのだ。だから、日本語で「女友達」と言われても、それがどちらのことを差しているのか、判断に迷う。
 それでは、ただの女友達を何というのか? と聞いてみたら、
 「韓国人の男は、男と女が友達になるとは思ってません」
 とのこと。むむ、ナルホド‥‥

 ただ、この「チング」という言葉は、友達以上の、あえていうなら「親友」に近いニュアンスがあるように思える。もちろん「チング」は、日本語の友達に近い感覚で使われるのだが、会ってすぐさま(最短記録15秒)「彼女いるの?」と聞いてきたり、会ったその日に泊りに行ったりといった友達付き合いの感覚は、日本の「友達」以上に親密なものを求めている気かするのだ。
 そうすると、「男女間で『親友』になれない」ということになり、まあ分かる範囲の話だ。

 そういえば、英語でも「ガールフレンド」という表現をする。そうすると、日本語の「友達」が例外なのかもしれない。

 ちなみに、恋人を示す言葉は「エイン」というのだが、漢字で書くとなんと「愛人」で、これまた紛らわしい。言葉においても、恋愛関係は複雑だ。

◆9月23日(月)お礼
 大分大学の学科友達のみんな、お元気ですか?
 こちら、風邪はだいぶ治りましたが今日は頭が痛み、かなり辛かったです。
 もちろん風邪の間、こちらの留学生や韓国人学生にはだいぶ助けて頂き、感謝していますが、心細さのあまり弱気になってしまい、初めて「帰りたい」と思ってしまいました。
 そんな状況を救ってくれたのが、韓国への出発前夜祭の時にみんなから貰った、「お守り」です。おかげで、だいぶ救われました。感謝しています。

 僕はまだまだ強い人間ではないから、これからもきっとお世話になるんだろうな。みんなの力も頼りです。ありがとう、これからもよろしく。


仁川空港ターミナル

仁川空港ターミナル

民俗村
◆9月24日(火)はい、韓国人です
 大分大学から学生訪問団がやってきた。今日から3日間、「通訳役」としてお供することになっているが、そんな大役をつとめられる筈もなく、他の留学生や韓国人の皆さんにお任せすることになりそうだ。

 大学を朝6時半に出発して、高速を飛ばすこと3時間、韓国の玄関口・仁川空港に初めてやってきた。開港から1年半しか経ってないとあって、さすがに整っていてきれいだ。

 今朝3時に大分を出発したという訪問団は、先生2名、学生8名の総勢10名。初めて会う人ばかりだが、1人だけハングルの講義を一緒に受けていた後輩がいた。
 「最初に見た時、分からなかったです。韓国人かと思いました」
 なんて言われてしまう。
 ちなみに、彼は勉強を僕なんかよりもずっと頑張っていたから、今もって僕より実力が上だ。もう1人、独学で韓国語会話を勉強しているという1年生君も、僕の通訳など「釈迦に説法」。面目なし。

 まずは空港から、水原の「韓国民族村」へ。韓国の伝統的な家屋が残された、生きた屋外資料館だが、1時間半はちょっと短すぎ。それでも昔遊びを体験したり、伝統茶を飲んだり、はたまた拷問ごっこ!?をしたりと、楽しかった。
 また2時間かけて大学に戻った僕らを待っていたのは、大学からの歓迎会。学長先生ほか、偉い先生が集まり、なんとMBC(文化放送)のカメラまで来ていた。こんなごちそうを、毎日食べているわけじゃないんだぜ〜!

 お泊りは、市内の立派なホテルへ同伴。市内を少し散歩した後は飲み会だったが、いつもの焼酎は見当たらずビールだけで、これはまだまだ「序曲」だった。


テッキョン体験

休憩で寄った湖

鍾乳洞
◆9月25日(水)飲んで飲んで飲んで
 訪問団2日目。ホテルなので、久しぶりにパンとコーヒーの朝飯が食えるかなと思ったら、見事に裏切られた。あいぐ〜

 午前中は、大学にてサークルの伝統音楽・武術の鑑賞&体験。スジがいい奴もいて、ぜひ留学にいらっしゃい。11時からは金教授の「韓国文化の講義」とのことだったが、そこはさすがの金教授、
 「せっかく両国の学生が集まったのだから、学生同士で意見交換しましょう」
 ということになって、おおいに盛り上がった。特に関西出身の経済1年生クンの、
 「値切るところや、思ったことをすぐ口にするところは関西人そっくり。だから親しみを感じる」
 という意見には深く同感。大阪環状線で隣に座ったおばちゃんから開口一番、「あんたスリムやなあ!」と感嘆されたことを思い出した。

 午後は、車で1時間半の丹陽まで行くという。さすがに疲れが見えてきた一行、バスの中には寝息以外聞こえない。
 大陸らしい、ごつい岩がそびえる湖のほとりで一時休憩。面白かったのが、「素人カラオケ・オンステージ」。湖と、踊る噴水をバックに、客席の前で1曲2000ウォンで歌えるというアトラクションだった。なるほど快感かもしれないが、おばちゃん、歌が下手だなあ。
 さらに走って目的地の鍾乳洞に到着。天然の洞窟の中に潜入していく気分は探検隊。深く、時に垂直に数十mも下っていく洞窟は、スリル満点だった。わざわざ韓国に来てまで洞窟もないだろうと思っていたが、ここが一番盛り上がっていた気がする。

 今夜は時間がたっぷりあって、夜の街に何部隊かに別れて繰り出した。僕らはノレバンへ。僕より韓国語のできる2人は、韓国語の歌を熱唱し、またまた面目なし。もちろん韓国側からも日本の歌が飛び出し、先輩のForever Loveには歓声が上がった。いやホント、完璧だもん。

 ホテルに戻れば、ニ夜連続の飲み会。今夜は本命の焼酎・真露も登場した。最初はゲームなんか嫌いだよぉ、と避けていたがいつしか巻き込まれ、グイグイ飲まされていた。日付が変わっても大盛り上がり、忘れられない夜になった。

◆9月26日(木)危機感
 今日はいよいよ最終日。忠州郊外の史跡公園を見れば、あとは仁川まで一直線だ。
 昼ご飯は、京釜高速道路の休憩所(SA)にて。もう韓国食は辛いよ〜と、みんな蕎麦やうどんに流れた。という僕も、うまくないもりそばをすすっていた1人ではある。
 空港道路に入っても、最後の最後までゲームや写真撮影で盛り上がる。なんだか最後という気がしない。双方とも、お互いの国を一番身近に感じている学生同士だ。また会えない筈もない。

 飛行機の時間が迫っているということで、空港での別れは少しバタバタしたものだった。
 「ソウは行かなくていいの?」
 「あぁ、一緒に行く〜!」
 しかし、そんなわけにもいかない。僕にはまだ10ヶ月の時間が残されている。

 それにしても、僕より言葉のできる2人の存在は、かなりの刺激だった。彼ら、来年春に忠州に来る可能性だって、0ではないのだ。その時のことを考えると、いかんぞ、このままじゃ‥‥寄宿舎へ帰った僕は、勉強机に直行した。

◆9月27日(金)お答えします
 昨日までの大分大学学生訪問団のみんなからも、いろいろな質問を頂きました。もっともだなと思うものばかりなので、ここで改めてお答えします。

●お金はどれくらいかかるのか?
 交換留学でもいろんなケースがあるようですが、大分大学と忠州大学の場合、大分大学への学費を納めれば、それが忠州大学の学費、寄宿舎費、3食の食事代になります。女の子の場合寄宿舎がないので下宿生活になるけど、昼ご飯がない以外は同様です。
 つまり、生きていくだけなら、学費以外はかからない! もちろんそんなわけにもいかず、買物したり遊んだりで、月3万円程度は必要になるけど、留年よりはずっと安上がりなはずです。

●専門の講義は取らなくちゃいけないの?
 日本人留学生のための韓国文化・韓国語の講義(各週1回4時間)は必修のようなものだけど、それ以外は1教科を聴講生として「聞いている」だけです。専門で必修の教科があるわけではありません(後半の半年は、なるべく取るようにすすめられるらしいですけど)。
 専門を勉強しようにも、忠州大には教育学部・経済学部に相当する学部がありません。

●留学生寄宿舎に住んでいるの?
 留学生が数人という大学なので、普通の韓国人学生の寄宿舎に住んでいます。受け入れ体制が出来ていない、という見方も出来るだろうけど、これはこれで貴重な体験だと思います。先輩方も親切な方ばかりで、居心地はいいですよ。

●彼女いるの?
 日本人までそんな質問しないで下さい!

●楽しい?
 楽しいです。

◆9月28日(土)分かってません
 先輩(日本人)から誘われ、先輩の友達と飲みに行った。もちろん韓国語オンリー。1ヶ月前よりはだいぶ分かるようになったが、それとて小さな差でしかなく、相変わらず理解できない。あぁ、もどかしい。
 それにしても、いつも思うのは、話す相手は僕の実力を過大評価してくれているな、ということ。なるほど、使い慣れたフレーズならスラスラ口にするし、憶測でうなづくことも多いから、それも当然かもしれない。

 ごめんなさい、本当はあなたの言っていること、ほとんど理解できていないんです。雰囲気から理解しているだけです!

 逆に考えると、日本で片言の日本語を話す外国人も、きっと同じではないだろうか。
 ずいぶん前に、長崎で外国人から、
 「トイレはどこですか?」
 と聞かれたことがあるが、
 「ああ、そこを付き当たって右です」
 なんて答えた僕の言葉を、あの人はきっと分かっていなかっただろうなと思い返している。

◆9月29日(日)見えてきたゾ!
 以前、韓国を旅した時に、街角から聞こえてくる韓国の歌は、シャカシャカとノリのいい、軽いものが多かった。韓国ってこんなメロディが好きなのかなと思っていたが、1ヶ月こちらの流行に触れてみて、あながちそうでもなさそうだと分かり始めた。

 この1ヶ月ほど上位を維持しているのは、ソン・シギョンの「私たちお似合い」。韓国はほとんどアルバムしかセールスされないので、ヒットチャートでは代表してこの曲しか登場しないが、アルバム全体ではバラードが多く、聞かせてくれる曲が多い。高麗大学の現役大学生とは思えない、大人の男の声の持ち主で、僕も大好きだ。
 同じく上位をキープしているWaxの「お願い」は、日本なら「癒し系」と呼ばれそうなしっとりとした一曲で、これも大好き。ただWaxは、同一人物とは思えないほどノリのいい曲も歌いこなし、そちらはあまり好きになれない。
 韓日を又にかけて活躍するBoAは、こちらでも人気者。いまTBSで、アジア大会のテーマソングになっているという「No.1」は、一足はやく韓国でリリースされた曲で、上半期に流行ったようだ。

 こちらに住んで1ヶ月、音楽の流行が少しずつ掴めてきた。
 一方、日本文化解禁前の韓国では、普通に日本の音楽を耳にすることは出来ず、疎遠になるばかり。ケツメイシ、AIR、うたいびとはね、岩瀬敬吾の新曲が聞いてみたくて仕方がないのだが‥‥。

◆9月30日(月)アリバイ証明
 「殺人現場の壊れた時計は、信じちゃいけない」
 日本の某刑事ドラマの台詞だが、こちらでは信じていいかもしれない。

 この1ヶ月、僕を起こし続けてくれた7000ウォンの目覚し時計が壊れた。80cmの高さから1回、落としただけで‥‥

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