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Chang! 韓国遊学日記2002年10月  △TOPへ

◆10月1日(火)別れ・再会・出会い
 午前。これまで1ヶ月間、さんざんお世話になってきた先輩留学生が、帰国の途についた。韓国での生活の仕方のみならず、どのような姿勢でこの1年を過ごせばよいのか、言葉と姿勢で、数え切れないほどのアドバイスを頂いた。感謝に堪えない。
 本当にありがとうございました。忠州か北九州で、またお会いいたしましょう。

 昼過ぎ。日本は我が大分大学・構造学研究室より、教授様・助手さん・韓国人大学院生の先輩が来学された。
 「お久しぶりって、まだ1ヶ月じゃない!」
 とは言われたが、僕にとっては懐かしいくらいの気分だ。僕は都市工学科へ行ってしまったので、こちらの建築工学科にお邪魔するのは初めて。建築工学科の教授から、
 「何で都市工学科へ行ったんだ? 今からでもいいから、建築工学科へ来い」
 と言われ、固まる。ゴメンナサ〜イ!

 夕方。寄宿舎へ帰ると、九州工業大学からの留学生がやって来ていた。同学年、コンピューター学科の彼は、独学だったこともあり韓国語はまだまだの段階。でもぼさっとしてたら、すぐさま追いつかれかねない。一層気を引き締めよう。

 そして僕はというと、今日まで先輩が住んでいた部屋に引越し。つまりは、韓国人ルームメイトとの共同生活のスタートだ。これまでの、勝手気ままな一人暮らしとは訳が違う。
 「今日は疲れた〜」
 といって、眠れない雰囲気だ。

 だけど、今日はいろいろありすぎて、なんだか心の整理がつかないままどっと疲れが出てきた。いち早く、11時過ぎにはバタンとベッドへ倒れ込んだ。

◆10月2日(水)準忠州市民
 午前中、新留学生君の生活道具一式を買いに、おなじみ市内のショッピングセンター・Eマートへ出掛けた。思えば1ヶ月前、留学生の先輩に連れられて、同じようにここへ来た。もちろん語学力はまだまだだが、忠州市内の地理や、バスの乗りかたはいつのまにかすっかりマスターしている。1ヶ月という時間は伊達じゃないのだなと、改めて思い至った。
 ただ、「できる範囲でとにかく喋ってやろう」という気力は新留学生君の方が強く、これは見習わなくては。

◆10月3日(祝)PC房交流
 今日、韓国は祝日でお休みだ。新留学生君のPCで画像編集ができたので、ひさびさにPC房からHPの更新をした。ソウル市内の建築物など、こちらの様子を紹介していますので、ぜひご覧ください。
 そのPC房で、小学生3人に囲まれ質問攻めに遭った。留学生の僕に興味深々なのだろうが、「お金」と「大きい方の排泄物」の発音を間違えたのを馬鹿にされて、無茶苦茶悔しい! いつかは、君らを言い負かすくらいになってやるからな、待ってろよ。
 一方、第二外国語で日本語を勉強しているのであろう高校生君からも、PCカメラで一緒に写真を撮ってと頼まれ、「ハナ、トゥル、セ!(1、2の、3!)」。
 韓国の若者文化の縮図のようなPC房、時に交流の場となる事を知った。


清州の繁華街

清州のHOF(洋風飲み屋)
◆10月4日(金)飲んで喋って
 新留学生君の外国人登録のため、午後から4度目の清州へ。せっかく1時間かけて行くのだからと、以前から遊びに来いと言われていた先輩にアポをとって、週末を楽しむことにした。
 待ち合わせ場所は清州大学校。清忠北道でトップの国立大学だから、熊本大、長崎大クラスだろうか。正門から続く並木道が立派で、いかにも名門大学といった雰囲気だ。女子校併設というのも、羨ましい‥‥かも。
 会社の面接を受けた後で、スーツ姿がきりっとした先輩とともに、外国人登録へ。在学証明がないとかで一悶着あったものの、先輩の協力もあってなんとか申請を終えた。

 他の先輩2人とも合流し、市内の伝統茶の店で一服。先輩3人はみんな日本に住んだ経験があるので、日本語はペラペラ。特に、東京の若者に揉まれて過ごした先輩は「マジで?」「〜ねぇよ」などの若者言葉を使いこなすものだから、どこの国にいるか忘れるほどだ。
 夜の清州のメインストリートは人でいっぱいだったが、清州大前も負けず劣らず賑やか。しゃれたビアカフェで生ビールを傾け、清州大生気分を味わえた。

 今日は先輩宅泊り。「辞書に載らない体に関する日本語・韓国語勉強会」や、「教科書にない生の韓日若者文化勉強会」は深夜まで続いた。

※後から知ったところによれば、清州大学校は私立で、決してトップクラスというわけではないらしいです。先入観って恐ろしい。


バイオエキスポ会場

パビリオン内にて
◆10月5日(土)帰れません
 清州2日目。大分大学からの留学生友達も呼び出し、珍しく忠州大の日本人留学生5名が揃った。総勢8名で向かった先は、バイオエキスポ。1ヶ月間の会期で開催されている、先端化学の博覧会だ。1ヶ月の博覧会だからと甘く見ていたが、思っていたよりも充実していた。化学好きなら、かなり楽しめるイベントだろう。
 一番よっかた展示は、日本のタカラ酒造の展示ブース。理由、コンパニオンのお姉さんが、僕の韓国語を誉めてくれたから。

 5時前というのに真っ暗になってしまった清州市内。バスターミナルに着く頃には、バケツどころじゃない、風呂釜をひっくり返したような豪雨になって、雷鳴が轟きはじめた。バスで忠州に近づいても降り止まず、市内バスへの乗り継ぎ待ち時間は寒さに震えた。
 寄宿舎の夕飯は終わってしまったので、珍しく日本人同士だけで「コチュジャンプルコギ」を囲んだ。韓国風赤味噌で焼いた豚バラすき焼きで、最後に作る焼き飯とともに最高の味。これで4人前13,000ウォンなのだから、しばらく日本には帰れません。 


夕暮れの水安保温泉
◆10月6日(日)あるから嬉しい
 昨晩、ルームメイトの先輩に「兄は、明日は何をしますか?」と聞いてみた答えは「キョーフェへ行くよ」。キョーフェ?と辞書でひいてみた答えは「教会」。ここに初めて、先輩がクリスチャンであることを知り、そんなことから午前中、一緒に市内の教会へ行ってみることに。韓日通して、初めてのことだ。何かに対して、純粋に信じる心を持てない僕ではあるが、その厳かな雰囲気は新鮮な経験だった。

 午後、先輩のPCで、初めて映画「千と千尋の神隠し」を見た。最初は時々ハングルの字幕に目をやって勉強したり、突然異世界に迷い込んだ千尋と自分を重ねたりしていたが、いつしか今いる国も、隣に座っているのは韓国人ということも忘れ、物語の世界にどっぷり漬かっていた。

 夕方、昨日から風邪気味の先輩から温泉へと誘われる。バスターミナルから市外バスで30分(1600ウォン)の場所にあるのが、韓国で名高い温泉地、水安保温泉だ。韓国の温泉地は日本のような情緒はないと言われるが、山に囲まれ小川がせせらぎ、温泉ホテルの立ち並ぶ黄昏の水安保温泉街は、それなりの風情を醸し出していた。
 バスターミナルからも近い水安保常緑ホテルの温泉浴場は、日曜とあって大賑わい。日本人にも増して長湯好きのようで、風呂、サウナを繰り返し、そして垢擦りに精を出す。先輩はさすが韓国人、背中を擦って貰ったが、気持ちがよかった。一方、僕はといえば肌が赤くなるだけだ。これも帰国までにはマスターしてみたい。
 脱衣所に上がったところでばったり出会ったのが、何と学長先生! 先輩共々びっくり、なんとも情けない格好での「両手で握手」だった。

 「別府と水安保、どっちが好き」
 「うーん、別府です、ごめんなさい。安いし、たくさんあるから‥‥ でも、温泉が忠州にあるから、嬉しいです」

◆10月7日(月)ようやく開講
 新留学生君‥‥といつまでも書くわけにはいかないので、本日より、やす君と表記します。で、やす君もやって来たということで、ようやく日本人留学生向けの授業、「韓国文化の理解」が始まった。ちゃんと試験があり4単位が修得できる、正規の講義だ。
 とは言っても日本人留学生は、僕ら5人だけ。担当教授の部屋に集って行われる、和やかなものだ。毎週、一つの主題を決めて、教授が韓国について解説。それに対して僕らは、その主題に関する日本のことを調べて来て発表して、お互いの文化を理解していく‥‥ という形式で行われるそうだ。なるほど、自国の文化を分からずして、異国の文化など分かるまい。
 早速、再来週までに、僕が日本の名節風俗を調査しなくてはならない。文明の利器、インターネットがあるとはいえ、さてどう調べようかな。

 秋もだいぶ深まり、ようやく今日から寄宿舎の暖房が入った。吹く風は木枯らしのようで、これから冬へまっしぐらに進んでいくのだろう。

◆10月8日(水)身分証明できない国?
 忠州大学校内には郵便局があり、折りに触れて利用している。今日、ようやく貯金口座(韓国語では「計座」)を開設。そのときに、韓国人の住民登録証に当たる外国人登録証を見せたことから、こんな話になった。以下、カタコト韓国語、ジェスチャーより推訳。

局員「日本には、住民登録証はあるんですか?」
私「ないです。住民登録番号だけ、今年8月から始まりました」
局員「じゃあ、子供がお酒を買いに来たらどうするの?」
私「うーん‥‥コレ(免許証)を見せます」
局員「持ってない人は、どうやって身分証明するのよ」
私「うーん‥‥印鑑?」
局員「‥‥(呆然)」

 さすがに印鑑は言い過ぎだったと思うが、日本に住民登録証はないと言うと、驚かれることが多い。そして、疑問が噴出するようだ。なにせ韓国人の成人はもれなく持っている登録証、ほとんどの人が当然のことと思っている。日本での有無を聞くことなく、
 「日本の住民登録証を見せて!」
 と、言われたこともあるぐらいだ。

 日本での身分証明といえば、免許証か学生証、保険証といったところだけど、そんなもので借金までできてしまうのだから、考えてみれば恐ろしい話。国からのお墨付きを得た登録証、これ以上の身分証明はない気がする。
 もちろん、便利と危険は隣り合わせなんだけど‥‥ 少なくとも、日本の住基ネットぐらい、目くじらを立てるほどのものでは、ないんじゃないのかな。

◆10月9日(火)まずは1曲!
 やす君がやってきて、今期の留学生も全員揃ったということで、夕方、改めて日本語サークルからの歓迎会を開いて頂いた。場所はやっぱり焼肉屋。突然「自己紹介を」と言われ、1ヶ月もお馴染みの皆さんに、いまさら何を言って良いやらまごつく。やす君の方が、絶対にうまかった。
 その後は、お決まりでやっぱりノレバン(カラオケBOX)へ。実はこの日のために、密かに1曲、韓国曲の練習を続けていた。少なくとも100回は聞いて、50回は歌ったが、歌えるようになったのは1番だけ、わずか1分50秒。発音は結構下手だったと思うけど、それでも皆さんからは「すごい〜」といってもらえた。率直に嬉しい。よし、次回までにもう1曲!

◆10月10日(木)身につける
 実に5週間振りに、唯一聴講している講義・交通計画論に出席した。何も怠けていたわけじゃない。先週は祝日、先先週は訪問団来韓、その前は風邪、その前は講演会へ振替え‥‥ というわけで、1ヶ月もご無沙汰だったのだ。それでも、みんな覚えていてくれた。
 語学力は1ヶ月前よりは上達したけど、講義はやっぱり分からない。ちょっとボケっとしていたら、みんながこっちを向いている。え、俺に何か聞かれてる?

教授「今、何を話していたか分かりましたか?」
私「分かりませんでした」
教授「日本で、オートバイが歩道を走っているのを、見たことがありますか?」
私「ないです」

 今思えば、ずいぶん簡単な答えをしてしまったものだ。しかも日本語で‥‥今の僕の語学力をもってすれば、韓国語でも、
 「すみませんが、よく分かりませんでした」
 「いいえ、見たことがありません」
 くらい言える。でも出てこないんだ、とっさには。

 「覚える」から「身につける」までの距離って、案外長い。

◆10月11日(金)3年後の約束
 寄宿舎では、仲良くしている1年生君も何人かいる。彼らのほとんどは、韓国歳(数え年)で19歳。つまりは‥‥
 「来年は、軍隊に行かなくちゃいけないんだ」
 そう。韓国という準戦時国家に、男として生まれた以上の宿命が待っているのだ。軍隊に入隊する時期は人それぞれだが、大学生の場合は1年生を終えた後、3年間休学して行く人が多いようだ。つまり、今学期が12月で終わった時点で、今の1年生とはお別れ‥‥

 軍隊に行くこと自体を、一応の平和国家である日本で生まれ育った僕にとっては、どう受け止めていいか分からない。大変だねという気持ちや同情というのは少し違うだろうし、お国のために頑張ってきてねという立場でもない。
 僕にとって今受け止める事実は、いまいる友達と会えなくなるということだけだ。12月までにいろいろ話して、3年後の約束を果たせるよう、親睦を深めておくことしかできない。

◆10月12日(土)携帯ゲット
 携帯電話の本体が、とにかく高い韓国。欲しいのだが、お金のない私費留学生としては、無駄使いをするわけにもいかない。
 そこで日本へ留学する人から譲って貰おうと、今まで待っていたのだが、
 「壊れているんだ」
 「親の物だから譲れない」
 など、みんなに断られ、自力で買わざるを得なくなった。一体、いくらするんだろう。

 留学生仲間に付き添ってもらって、市内の携帯電話屋(LG TeleCom)へ。
 「外国人の方は、プリペイド料金しかご利用頂けません」
 何、初耳だぞ。しかも基本料がないとはいえ、通話料はPCS(日本で言うPHS)にも関わらず、65ウォン/10秒。高い! ちなみに他のみんなは、韓国人に名義を借りて、普通の料金コースにしているそうだ。仕方ない、とりあえずプリペイドにして、高すぎるようだったら、誰かに名義を借りよう。
 ちなみに携帯本体は、中古で3万ウォンと、こちらにしてはかなり安く済んだ。メール機能しかないが、最新機種が20万〜50万することを考えれば、我慢のしどころだ。

 中古の宿命、説明書がない。帰ってからさっそく、機能の解読に挑戦。友達に教えてもらいながら、ようやくメールの打ち方を会得した。言葉がまだまだの段階だから、辞書を引きながら解読できるメールは重宝しそうだ。

 いままで携帯なしで過ごしてきたけど、2週間もすれば、そんな生活が信じられなくなるのだろう。大学1年生の頃の自分も、そうだったように。

◆10月13日(日)事実上開放
 古いだけあって、携帯の電池が持たない。満タンに充電しても、3〜4時間しか待ち受けできない。なるほど、スペアのバッテリーを持たされたわけだ。というわけで、今はバッテリーとともに携帯中。

 昨夜、MBC-FM(唯一と言っていい若者向けFM局)にBoAが出演していた。しかしいくら彼女が日本で活躍しようとも、「宇多田ヒカルさんやMISIAさん、ケミストリーが好きですね」と語っても、日本語の曲がスピーカーから流れることはない。ご存知の通り、日本の大衆文化が開放されいないないからだ。
 でもカラオケには日本語の曲があるし(毎月入る新譜は韓国曲より多いぐらい)、PCでダウンロードした日本のCDを持っている人も多い。未開放といっても、それは形骸化している印象だ。それとも、国として禁止していること自体に、意義を感じているのだろうか。

 ここで日本文化開放についての是非は問わないが、違法ダウンロード「せざるをえない」状況のため、日本の歌手に入るべき著作権料が支払われていないという事実は、もっと問題視されていいのでは? と感じる。

 そんな状況に一石を投じたかどうか、韓国語で歌い韓日同時にCDを発売した、日本人歌手・韓国名「チョナン・カン」の曲が、今朝FMで流れていたのを、1ヶ月半にして初めて聞いた。でも韓国人の評判は「変な歌〜」の一色。今度はもっと、かっこいい曲歌ってよ。

◆10月14日(月)試練期間
 本日より1週間、後学期の中間考査が始まった。
 1年のうち5ヶ月近くが休みの韓国の大学だが、その代わりに学期内はみっちり勉強ということか。試験準備期間から24時間開放となった図書館へ泊り込み、寄宿舎に帰らない学生もいるほどの、白熱の試験戦争の火蓋が切って落とされた。

 僕へも、
 「今日は試験ありましたか?」
 なんて聞かれることがあるのだが、答えは、
 「すみませんが、ないんだよ」
 正規の留学生向け講義は始まっておらず、唯一の専門科目も聴講生ということで、試験なし。羨ましがられている、お気楽留学生だ。

 というわけで、今日は呑気にネットで携帯電話の料金を調べていたのだが、ふと疑問が生まれ、韓国語翻訳サイトの力を借りつつ、メールを送ってみた。
 2時間後、携帯が震えた。発信番号通知サービスに入っていないので、だれだか分からない。最初は留学生友達(日本人同士でも、極力韓国語を使うようにしている)かなと思ったが、なんとLGテレコムから、直接かかってきた電話だった。
 一応先方も日本語を喋れる人だったが、僕の韓国語力より少しうまい程度で、韓国語:日本語=1:1でのたどたどしい会話。でもなんとか意志の疎通はできた。あー、緊張した。
 それにしても、メールには電話番号を書いてなかったはず。名前だけで探し出すとは、恐ろしい。

 ちなみに今日1日で分かったことは、国内通話は39円/分、日本への国際通話が28.8円/分ということ。国際通話はなんと、公衆電話の1/3程度! いったい、どういう料金体系なんだろう。

◆10月15日(火)世界の終わり?
 今日の風は違う。肌を刺すほどではないが、キリリと乾いた冷たい空気は、冬の気配を感じさせる。木々も色付き始めた。零下10度に達するという冬は、間もなくだ。

 寄宿舎の昼ご飯に行くと、なんだか様子が違う。なんと、焼肉定食ではないか! 今日は何の日だ、それとも今夜地球が滅亡するとでもいうのか!? というのは考えすぎで、恐らく試験期間の応援メニューということなのだろう。コーヒーまで付いていたが、寝るなということか。

 夕方、ルームメイトに誘われ、体育館へ体を動かしに行った。この体育館、外履きの靴のまま入れるのだから、至極合理的だ。まともに運動したのなんて、何ヶ月振りだろうか。いい汗かいて、夕ご飯がひときわ旨かった。昼ご飯よりおいしかったかもしれない。

◆10月16日(水)頑張りたくとも
 毎日が楽しい異国の学生生活だが、1つだけ悩んでいることがあるとすれば、携帯の電池が持たないことでも、恋煩いでもなく、疲れやすいことだ。特に最近、常に眠い。朝ご飯を食べ損ねることもしばしばだし、今日も昼寝してしまった。
 こんなことを書くと、ろくに寝らず卒研を頑張っている、大分の友達に怒られそうだが、僕自信、勉強もできずに、ほとほと困っているのだ。常に脳みそフル回転の外国語での会話は、知らぬ間に疲れてしまうものなのだろうか。なにか解決法はないものかなあ。

 ルームメイトに誘われボーリングに行って、夕ご飯を外で食べた後、そのまま図書館へ。そこにはあたかも昼間のように、否、それ以上多くの学生が、勉強に励んでいた。頑張っているな、大変だなと思いつつも、日本にいた頃、試験前にはこれくらい頑張っていたなと、その姿に自分を重ねた。


この日に撮った大学キャンパス

シンボルモニュメント
◆10月17日(木)また温泉
 「ちょっとノドが痛いです」
 「じゃあ、温泉行きたい?」
 という、分かったような分からないような経緯で、水安保温泉行きが決定。今回はやす君も誘って、一路水安保温泉へ。バスで行くと、一旦バスターミナルまで出ないといけないので1時間かかるが、今日はルームメイトの先輩が友達から車を借りてきたので、30分で着いた。山間の温泉地は、そろそろ紅葉が始まりかけているようだ。

 今回は、先先週オープンしたばかりの、水安保Hi-Spaへ。浴室内にはサウナ、熱湯・温湯・プールのような冷水の浴槽、アカスリ室。脱衣室には床屋ありと、韓国の大衆サウナの標準的なスタイルだ。浴室内にトイレがある所も多い。お風呂、サウナ、冷水を繰り返し、イスに(時には床にも!?)寝そべり、時にはトイレに行くほど、みんな長湯好きだ。

 5,000ウォンはやっぱり高いと感じるが、肌がツルツルになるいい湯だった。温泉までの距離感といい、ちょくちょく通っていることといい、なんだか大分にいる頃と変わらない生活のような気がする。

◆10月18日(金)飛んだ
 おなじみ市内の量販店、Eマートに、なんと「ダイソー」コーナーができていた。値段は50円と100円、150円、200円。。物価の安い韓国ではあるが、電池やノートなどは日本と同じか少し高いくらいなので、ダイソー価格は安い。この日、他のどのコーナーよりも大賑わいだった。

 その帰り道のバスにて。急に飛び出してきた車に、バスが急ブレーキ!! その瞬間、掴まる所がない最後部座席に座っていた乗客3名が・・・ 飛んだ。日本のバスだったら、運転士は客室に出てきて平謝りといった所だろうが、ここは韓国。運転手(韓国流には運転技師と呼ぶ)は、
 「大丈夫ですか?」
 と、放送で呼びかけただけ(案内放送なしの忠州のバスにも、ちゃんと放送装置は備わっていたのね)で、何事もなく運行は続けられた。
 今考えてみると、あそこまでの急ブレーキが必要なシーンだったかどうか、ちょっと疑わしい。さすがは韓国のバス、「お客様は荷物です」。

 夜は、日本人同士でノレバン(カラオケ)へ「練習」に行った。週2回通っていた日本にいた頃より、声が出なくなっている。ハングル文字を追っていけるのに声が出ないっていうのは、ちょっと悔しい。

◆10月19日(土)NHK
 試験が終わって一段落ついたからか、この週末は実家へ帰る人が特に多く、今日一日は暇だった。
 時間もあるし、たまにはKBS7時のニュースでも見ようかと、食堂のテレビのチャンネルを回していたら、見慣れた文字が画面に踊った。最初は、日本語講座? と思ったが、紛れもないNHKの衛星放送ではないか! 寄宿舎に住んで2ヶ月、初めてNHKが写ることを知った。さっそく、久しぶりにNHKニュース7を見た。
 北韓の核開発「開き直り」、拉致被害者の一時帰国など、韓半島関連のニュースがトップを飾る。日本語の「ソウルからの中継」を見るのは、なんとも妙な気分だった。

◆10月20日(日)誤解?
 今日も、誰もいない。行こうと思っていた床屋も休み。手持ち無沙汰。その分、一生懸命勉強したかというと、そうでもない。あれ、今日1日、俺は何をやったんだっけ?

 携帯を買って、国際電話が安くなったものだから、調子に乗って日本の友達にたくさん電話していたら、結構な電話代になってきた。それでも懲りずに、またかける・・・ 約1ヶ月ぶりの声が懐かしくて、思わず涙ぐんでしまっていたら、その後で、隣にいた先輩から、
 「韓国の生活、大変なの? 日本へ帰りたい?」なんて言われた。

 い、いや、そういうわけじゃないんです!
 「辛くありません。大丈夫です。友達に会いたくなっただけです」
 と、辞書を引き引き伝えたが、さてどこまで伝わったかどうか。決して辛いと思っているわけではないことを、態度で示していかなくては、誤解は解けないかもしれない。

◆10月21日(月)待ちに待った月曜日
 待ちに待った月曜日がやってきた。
 なんだお前は、楽しいことしか知らない小学生低学年か、などと言われそうだが、事実だから仕方がない。いろんな人に出会える、平日こそが楽しい。

 特に今日は、韓国文化についての授業の日。僕が2週間かけて調べてきた、日本の祭事について発表して、先生からは韓国の祭事について教えて頂いた。類似点の多い韓日文化。比較すればこそ分かることが多く、目を見開かされた思いだ。

 日本語サークルのメンバーには建築学科の2年生(といっても、1歳年上)の方がいて、試験勉強に追われていた。建築工学科だけは、1週間遅れの試験なのだそうだ。建築計画の勉強をされていたのだが、僕が2年前に学んだものと似ているような違うような内容で、興味を惹かれた。
 「韓国にまで来て、建築の勉強なんてしたくないやい!」
 なんて、逃げも少しだけ含んで(そう、そんな気持ちもあって)都市工学科へ行ったが、なんだ、やっぱり好きなのだ。来期は、建築工学科の講義も受講してみようかなと、少し思いを改めた。

◆10月22日(火)もみ上げ消失
 朝、約1ヶ月ぶりの床屋へ。日本では1ヶ月半〜2ヶ月毎に行っていたが、本当は短めにさっぱり揃えておくのが好きだし、なによりこちらではわずか4,000ウォンだから、懐に優しい。
 今日は、前行ったときの理容師さんとは違う人で、5年前に少しだけ日本語を、独学で勉強されたそうだ。しかしお互い、髪型を伝えられるほどの語学力はなく、以前はあった髪型カタログもなく、必然的に「お任せ」状態になってしまった。

 その結果が、もみ上げ消失・・・ うーむ、ますます韓国人になってしまったぞ。日本人からは大ウケだったが、韓国人からは、
 「あ、髪切ったんだ」
 程度の反応で、やっぱりこれは普通の髪型なのだ。まあいいや、韓国に居るんだし、これならソウルでも「日本人の方〜」と、声をかけられることもないだろう。

 ただ、この先1ヶ月間の韓国語学習の課題はできた。「このあたり」という単語と、「そのままにして下さい」あるいは「残して下さい」という表現をマスターすることだ。

◆10月23日(水)米百俵
 今日から、もう一段階寒くなった。最初の頃は、暑いと感じていた寄宿舎の暖房も、最近はそう感じない。真冬には、もう20度下がるというのに、大丈夫なのだろうか・・・

 2ヶ月目にして、ようやく今日から、韓国語の授業がスタート・・・の筈だったが、講義室が確保できないとかで、またしても休講。その時間、研究室で教授と雑談していたのだが、その中で、ルームメイトが土木工学科でトップの成績であることを、初めて知った。

 帰ってから先輩にそのことを話すと、すごく照れくさそうだった。
 「私も日本では、学科でいい方の成績でした」
 「へえ〜、それなら、奨学金を貰っているでしょ?」
 「いいえ、日本の国立大学には、ないです。私立ならありますが・・・」
 「え、そうなの? 今、1学期の登録金(授業料)が100万ウォンくらいで、奨学金をそれくらい貰っているから、ただで大学に行っているようなものだよ」
 「・・・(うらやましい、という言葉を知らないので、そういう表情を作る)」

 就職試験の学校推薦の優先順位が決まる以外、成績のいい、悪いを同列に扱われた僕の経験とは、えらい違いである。もちろん成績が全てではないし、「金くれ!」と言っているわけではない。ただ、努力の結果を評価し認める、韓国の国立大学の姿勢が羨ましいだけ。お金以外にだって、認める方法はいくらでもあるはずだ。

 「私も、忠州大学校の大学院に行きたいです」
 「ハハハハ・・・」

◆10月24日(木)下がって上がって
 韓国語では、大学の講義も「授業」と呼ぶが、その授業が分からない、ますます。さらに、まわりの友達の話も分からない。

 少しずつ、韓国語が理解出来るようになってきたな、と思うこともあるが、
 「全然できないじゃん、オレ・・・ 分かるようになるんだろうか」
 と思うことの方がずっと多く、特に授業を受けている時は、その思いが強くなる。

 「質問のある奴いないか〜質問。みんな分かったのか〜(韓国語)
  真崎さんは、まだ分かりませんね(日本語)」
 「は・・・ ハイ」

 でも飲みに行くと、間違いを恐れず勢いで喋り、場の雰囲気から話を理解するのは相変わらずで、今夜もそんな感じだった。そんな時は、日本語のできる韓国人の先輩が、その場にいたことも忘れて、
 「なんだ、ちょっとずつ出来るようになってるじゃん」
 なんて妙な勘違いを起こすが、まあ、いいか。お酒なんて、気分を良くするために飲むものなんだから。


忠州ターミナルで出発を待つ高速バス

2号線江辺駅

韓国銀行本店(旧朝鮮銀行)

賑わう夕方の明洞
◆10月25日(金/①)死にそうなのでソウルへ
 日本から、旅行かばん1つでやって来たので、冬服の用意はほとんどない。近頃の天気は、韓国語的表現でいえば、「あまりに寒くて死にそうだ」。それにどうしても今月中に行きたい場所があったので、2度目のソウルへ行くことにした。
 13時40分、忠州ターミナルを出発。今回は、東ソウルバスターミナル行きのバスだ。時刻表では所要2時間だがやはり早く、1時間45分で到着。空港のようにきれいだったソウル高速ターミナルに比べて、東ソウルは暗く、どこか田舎臭い。上野駅的雰囲気といったところだろうか。

 地下鉄2号線と1号線を乗り継ぎ、ソウル駅へ。観光案内所に、明日乗る列車の切符売場をたずねた。1ヶ月前に尋ねた方と同じ人で、その時は韓国語ができずに日本語オンリーだったが、今回韓国語で話し掛けたら、僕でも分かる聞き取りやすい韓国語で話してくれて、うれしい。韓国語のできる外国人観光客みんなに、こう接しているのだろう。
 明日の列車の切符は、無事に入手できた。

 一仕事終えれば4時半。見たい建築物があるのだが、日が沈んでしまっては写真が撮れないので、すぐさま地下鉄で1駅、会賢駅へと向かった。歩いて5分ほどの交差点に並んでいる建物が、新世界百貨店と、韓国銀行本店、第一銀行。いずれも日本統治時代に、三越、朝鮮銀行、日本貯蓄銀行として建てられた、歴史的な建築物だ。周辺の歩道もきれいに整備されていたこともあって、なんだか韓国にいる気がしなかった。

 さて冬服の買い出しだが、定価のない、市場や韓国式ファッションビルは、どうも苦手だ。とりあえずミリオレ明洞へ行こうとブラブラ歩いていると、格安衣類販売店として有名な「明洞衣類」を発見。入ってみればなるほど、値札の値段自体が安い。品質は定かではないが、値切り下手な僕にとっては買いやすく、結局ここで済ませてしまった。
 賑わう夕方の明洞を見ながら、久々にスタバの美味しいブラックコーヒーを飲みつつ休憩。前回、明洞は午前中にやって来たが、なんだか寂しいだけだった。賑わう時間に来て、雑踏に呑まれてこそ楽しい街だ。

 その後は、歩いて鐘路方面の書店へ。ソウル市内で有名な大型書店といえば、永豊文庫と教保文庫の2店。永豊文庫では、韓国人の女の子2人から何やら話し掛けられた。
 「○×○×○×・・・?」
 「ごめんなさい、日本人です」
 「あ〜、日本人? 大丈夫よ。どこから来たの?」
 「留学です。忠州、知ってる?」
 「へ〜、忠州、そう」
 てな感じで雑談して別れたのだが、一体何の用だったのだろう。その間、会話に集中していて、注意力が散漫になっていたことに気付き、急いでポケットの中を確認したけど、何事もなかった。

 一方、教保文庫には、ちょっとした日本の本屋には負けないほど日本語書籍が揃っていて、今日の新聞まであったのには度肝を抜かれた。日本語が読みたくなったら、ここに来るのが1番のようだ。ただ、でたらめな僕の韓国語にも応対して、担当者を呼んで本を探してくれた永豊文庫に対して、教保文庫の店員は「私は分かりません」とそっけない感で、もう一歩の親切さがほしいところだ。

◆10月25日(金/②)ここは日本
 今日は、ドミトリーの旅館に泊まることにした。日本人に人気のある旅館だ。談話室?にいた北九大生というお兄さんは、バイクで日本1周し、英語圏への留学経験もある持ち主で、韓国ではあまりに英語が通じないことに驚いたそうだ。サービスの「辛ラーメン」を食べるというので、相当に辛いですよと脅したら、スープを半分しか入れず、それでもむせているのを見て楽しんでいると、女の子2人が入って来た。
 彼女たちは初韓国で、いきなり個人旅行、しかも旅館に泊まるとは、女の子にしてはかなりのセンス(勇気?)の持ち主だ。辛ラーメンも「おいしい!」と言ってのけ、いい筋だとお見受けした。まだ街をあまり歩いていないというので、北九大氏も誘って、鐘路まで出ることにした。

 つたないとはいえ、僕しか韓国語ができないのだから責任重大。てっとり早く韓国らしくて面白い所ということで、コンビニや地下街を案内、鐘路の飲食街や路地裏にまで入ってみた。さすがは今日が初韓国という3人、2ヶ月の間に僕が見えなくなったものもよく見えていて、逆に参考になった。もっと歩いたり、ノレバンに行ったりしたい気持ちもあったのだが、雨が落ちて来たので、急いで旅館へと戻った。

 こんな旅館に泊まる人たちだがら、ツワモノで話好きな人ばかり。某区役所職員さんは、卓球が縁で韓国に興味を持ち、区役所で韓国語の研修をみっちり受けているという経歴の持ち主。韓国語力はかなりのもので、韓国人の友達も数え切れないほどいるそうだ。横浜からの大学生2人は、今っぽいくせに、勘だけで食堂に飛び込んだり、普通のサウナの垢スリに挑戦したりと、旺盛な行動力で、僕も含めてみんな感心していた。
 皆さんにとっては異国の夜なのだろうが、僕にとっては日本に帰ったような気分。深夜1時まで、話の花は咲き続けた。


ソウル市庁近くの二重街路樹

臨津江駅

次は平壌
◆10月26日(土/①)北へ
 朝、英語圏からの旅行者と韓国人の、楽しげな英語の会話が聞こえてきた。僕もちょっとだけ混ぜてもらったが、今となっては英語の方がこわい。逃げるように、区役所氏と近所のサウナへ行って、朝風呂を浴びて来た。キーンと冷えた朝だけに、極楽極楽。
 8時に神戸の女子大生2人と待ち合わせて、一緒に出発。その経緯は昨夜の会話で・・・

北九大兄さん「月曜に板門店に行くつもりなんだ」
神戸女子大生「私たちも行きたかったんですけど、予約できなっかたんですよ」
僕「ふーん、俺は行ったことないけど、明日は列車で北が見えるところまで行くよ」
神戸女子大生「え〜、そんなのあるんですか? ・・・付いていってもいいですか」

 というわけで、切符がなかったらソウル駅であきらめてよ、という条件で、一緒に行くことになったのだ。そういう僕とて、一人で行くより楽しいに決まっていて、頼むから切符よ、残っていてくれ、という思いだ。
 ソウル市庁、南大門などを見つつ、ソウル駅へ。1回300人(ソウル駅発は100人)限定、京義線・都羅山行き乗車券は、まだ残っていて、現在の終点で北に最も近い駅・都羅山駅までは行けることになった。ただし北韓を見るにはバスツアーへ参加しなくてはならず、そちらはさらに人数限定。まだ北を見られると決まったわけではない。

 京義線の統一号(普通列車)は5両編成で、転換クロスシートの快適なディーゼルカー。北へ向けて、坦々とした足取りで進んでいく。いざという時には、戦火に包まれる恐れのある北側地域なので、車窓はすぐ田園風景に変わった。しかしソウル都市圏の膨張は、そんなことを言っていられない勢いで進んでいて、特に一山新都心は高層住宅群に目を見張る。今のところ、通勤輸送は電鉄網が受け持っているが、この京義線も電化工事が進んでいて、1時間に1本のローカル線から、大動脈へ脱皮する日も近いのかもしれない。

 車内が混んできたこともあって、おじいさんと相席になった。会話のきっかけを掴みたくて、
 「これ(新聞)、見ていいですか」
 と恐る恐る話しかけてみると、日本語のできる方だった。もちろん日本統治下で覚えたものだそうだが、
 「あの頃に、日本人の友達がたくさんできました。この間、初めて日本に行きましたが、まるで家族のように歓迎してくれました」
 と、嬉しそうに話されていたのが印象的だった。日本という「国」についてどう思っているのかなんてとても聞けなかったが、友達として、日本人も韓国人も関係ないよというお話を聞くことができた。

 かつての終点、ムンサンで多くの人が降りたが、この先まで乗る人も多いようだ。京義線はご存知の通り、戦前は南北の大動脈として活躍した路線。この程の南北和解ムードに乗って再連結工事が始まり、韓国側で復旧を終えた区間を順次、観光客へ開放している。よって、この先まで乗る人は、皆観光客だと思っていい。
 真新しい線路を走り、日本でも有名な臨津江(イムジン川)手前の駅、臨津江駅に到着。この先は民間人統制区域なので、パスポートを見せて手続きをして、バスツアーへの参加も申し込まなくてはならない。実はこの時まで、バスツアーは都羅山駅で申し込むものと勘違いしていたので、焦った。それでもなんとか間に合い、参加証をゲット。料金W8,700。
 「やったね、ここまで来ちゃったね!」
 と大喜びしたのだったのだが・・・。


これからトロッコでトンネル内部へ

南攻トンネル内部
◆10月26日(土/②)北を見て
 発車まで1時間。2人へ、にわかハングル講座をやったり、「臨津閣 ソウル/平壌」の駅名板を記念に撮ったりしていたのだが、ふと脳裏に電流が走った。昨日買った服を車内に忘れた! まだ列車はいる、急がねば! しかし、「忘れた」「荷物」なんて単語はまだマスターしていない。とっさに駅員さんに向かって出た言葉は、
 「私のカバン、まだ列車の中にあります!」
 我ながら、うまく置き換えたもので、意図は通じた。しかし車内には見当たらず、駅員さんの説明も「おばさん」「都羅山」以外、よく分からない。そこへ、日本語のできるおじさんが現れて、助け船を出してくれた。なんでも清掃のおばさんが見つけて、この後の列車の清掃作業を行う、都羅山駅まで持っていったそうだ。2人には、頼りない所を見せてしまったが、都羅山駅で受け取れるようで、安心した。

 これがきっかけで、柳さんご家族との話のきっかけができた。柳さんは日本語を、本だけで独学で勉強されたそうだが、時々単語が出てこなくなる以外、発音・文法ともスラスラだ。留学しながら、未だ話せないの僕が恥ずかしくなる。
 軍人さんから説明を受け、金属ゲートをくぐって、いよいよ都羅山へ。臨津閣駅を離れた列車は、臨津江を渡る。ついこの間まで考えられなかったことで、これだけでも貴重な体験だ。渡った先には、線路の両側に鉄条網が張り巡らされ、正常な地域ではないことを思い知らされる。
 そして、北からの線路を待つ現在の終点・都羅山へ到着。驚くほど立派な駅だ。とうとう来ちゃったねと、またもはしゃぐ。忘れ物の件は、まだ話が来ていないようで、帰りに受け取ることになった。

 バスでは、さらに軍人さんからの説明があり、カメラもカバンに閉まった。駅周囲から都羅山展望台まで、人の気配が全くない。
 都羅山展望台着。今、目の前に広がる景色が、南北の非武装地帯、そして北側の村と都市だ。非武装地帯には豊かな自然が残り、空は抜けるように澄み渡っている。南北が睨みをきかせている現実が、まさに目の前にあるというのに、のどかな風景だ。双眼鏡を覗けば、北朝鮮国旗が揺れ、小さな家々や、開城市の高層アパートまで見える。
 それでもその風景が、かの閉ざされた国のものだとは、にわかに信じられない。
 「心が痛いです」
 を繰り返す柳さんを前に、僕の思いは、そこまでで止まってしまう。
 「すごく興味を持った。韓国の事や歴史について、もっと勉強しようと思った」
 という2人の方が、よほどいい感性の持ち主なのかもしれない。

 ちなみにこの展望台、鉄道連結のための地雷除去工事のため、来月からしばらく閉鎖されることになっている。それで、今月中に来たかったのだ。

 統制線内にある普通の村、統一村を車内から見学。立派な家が並ぶ、ごく普通の農村だ。昼ご飯も、ちょっと高い以外は普通の韓国食。統制線内の、北との最前線にいることを忘れてしまいそうだ。

 この後は、北が南への進入のため、極秘裏に掘っていた「第3トンネル」の見学。電動のトロッコで、奥深くへと潜入していく。ヘルメットがぶつかりそうなほど狭く、閉所恐怖症の人は絶対に来れないだろう。
 数百メートル走り、到着。ドリルや素手で掘ったのだろう。北側兵士の、血の滲むような労働で掘られたトンネルだ。やはり、
 「偉大なる将軍様のため」
 という思いで掘ったのだろうか。そして今そのトンネルに、南からの観光客がいる現実を知ったら、どんな思いを抱くのだろうか。想像もできない。


江辺駅前テクノマート

どこか泥臭い東ソウルターミナル

照明も薄暗いけど活気はある
◆10月26日(土/③)南へ
 第3トンネルにて、このツアーはほぼ終了で、都羅山駅まで戻った。忘れ物は、無事に受け取ることができて、一安心。観光の間、荷物を持たずに済んだし、柳さん一家とも出会えたのだから、結果的にはオーライだった。
 思わず気が緩んでしまい、民統線内にいるということを忘れて、北へ伸びゆく線路を撮ろうとしたら、軍人さんに制止された。いかんいかん。

 臨津江を渡り、南へ南へ帰っていく。柳さんの子どもさんと遊んだり、トンネル内で話した会社員の女性2人も交えて話が盛り上がったりと、帰路の列車も楽しく過ごした。
 「韓国に来てよかった!」
 「いい人たちに出会えて、うれしかった!」
 と、終始感激してた神戸の2人だけど、一応、
 「決していい人ばかりというわけじゃないから、気をつけてね」
 と、釘は刺しておいた。せっかく、ここまでいい思い出を作ったのだから、例え何か失敗するとしても、笑い話で済む程度で帰ってほしい。

 僕は留学前、高校3年生と大学2年生の時に、韓国を旅したことがある。もちろん、もともと興味のある国ではあったのだが、韓国の人たちと仲良くして、親切にされたことで、もっともっと好きになった。それと同じように、あの2人にも韓国を好きになってもらう手伝いを、僕が出来たとすれば、こんなに嬉しいことはない。僕が、1年という時を捧げた程の国なのだから。

 午後5時前、ソウル駅着。水原へ帰る会社員2人と、歩いて観光するという神戸の2人とは、ここでお別れだ。柳さん一家とは、市庁駅で別れた。僕は1人、黄昏の2号線でターミナルへ。

 東ソウルターミナルの側にある高層ビルが、歴史ある龍山の電子商街をしのぐ、「新・ソウルの秋葉原」こと、テクノマートだ。大型資本が経営しているわけではなく、小さな電気店がぎっしり詰まっている。特に6階の携帯電話売り場など、「SK」「KTF」「LG」のロゴが無数に並び、どこに行っていいか分からない程だ。ただ僕の求めていた、携帯のバッテリーだけを安く売っている店はなさそうで、ここで買うのは諦めた。

 土曜の夜とあって、バスターミナルは混雑。「忠州まで1枚!」と言って渡されたのは、1時間後、午後7時の、優等高速バスだった(一般W6,100、優等W8、000)。
 ぶらぶら時間を潰し、ようやく7時前。優等に乗ったのは初めてだが、フットレストまでついた3列シートの座り心地は、一般の比ではない。特に今日のような満席状態では、その差は歴然だ。大学生としては身分不相応な贅沢かもしれないけど、たかだか190円の差でこのゆとり。癖になりそうだ。
 発車するとすぐ、夜行バスでもないのに消灯されたのにもびっくり。おかげでソウルの夜景を堪能できたし、ぐっすり寝ていくことができた。

 ソウル市内で渋滞につかまったこともあって、忠州までは2時間20分かかった。もっとも、運転士さんが、韓国にしては珍しくおっとりした運転で、途中、何台も他のバスの追い抜かれ、忠州では15分後にソウルを発車したバスに追いつかれていた。

◆10月27日(日)2ヶ月目の回想
 24日で、こちらに来て2ヶ月。思えば当初、いろんな不安を抱えて韓国にやってきたが、それらの不安は、今、このようになっている。

○初めての学生寮生活、大丈夫かな?
 日本の(大分大学の)学生寮には、上下関係が妙に厳しかったり、寮内の飲み会でイッキを強要して殺したりと、おおよそ僕はついていけないような雰囲気があり、「韓国は軍隊生活を経験した人ばかりだし、もっとすさまじいのかな」という不安があった。共同生活自体も始めてだ。
 実際は、原則寮内禁酒だし、住み心地は思っていたよりずっと良かった。この点の不安は、解消。

○酒、弱いんだよな
 韓国ではガバガバ飲むと聞いていて、実際、決して弱くない留学生の先輩からも「記憶飛ばした」という話を聞いているが、幸いにして、今のところそんな経験はなし。ただ、いずれやってくるだろうから、いまだ少し不安ではある。俺の場合、壊れるからな。

○言葉、出来るようになるのかな
 この不安は、ずっと持ち続けるもののようです。

○友達できるかな?
 出来ました。

◆10月28日(月)雰囲気だけ
 毎週月・火曜日の午後10時、寄宿舎の食堂のは30人くらいの学生が集まる。といっても夜食が出るわけではなく、SBSのドラマ「野人時代」を見にくるのだ。全然内容は分からないが、僕も先週から見始めた。
 舞台は1930年、日本統治下のソウル(当時の京城)・鐘路。というわけで、セットの看板は漢字やカタカナが目に付くし、時々「チキショー!」「バカヤロー!」なんて日本語が飛び出すこともある。当時存在した路面電車まで再現しているのは、驚きだ。
 このストーリー、有名な当時の実話らしく、内容までわかれば楽しいし、日帝時代の世相の勉強にもなりそうだが、残念ながら全くもって分からない。でもコメディータッチで描かれていたり、最後には必ず決闘シーンがあったりと、雰囲気だけは楽めている。

 毎回見ていれば、少しは分かるようになるかも。明日も午後10時、食堂へ集合だ。

◆10月29日(火)うどんにあらず
 お腹も空いたし、ラーメンでも食べながらドラマ「野人時代」でも見ようかなと、寄宿舎の売店へ。そこで初めて、カップうどんを見つけた。これには興味津々、さっそく食べてみた。

 これ、ラーメンの麺と同じじゃん・・・

 うどん屋の息子として、これを「うどん」と認めるわけにはいかない。うどんだしで食べるラーメンだ。それはそれで、おいしかったけど。


市内の量販店Eマート

バッテリー3個
◆10月30日(水)20円カラオケ
○中古の携帯本体(バッテリー2個付き):3千円
○新品のバッテリー1個:3千8百円

 なんだか釈然としない思いはあったけど、3〜4時間しかバッテリーが持たず、不便極まりない生活だったので、思い切って新品のバッテリーを買った。サムソンサービスセンターのお姉様曰く、
 「完全に充電すれば、48時間は待ち受けできますよ」
 とのこと。そこまで持たずとも、17時間待ち受けできれば御の字だが、さて本当かどうか。

 6時に日本語サークルが終わり、所在なかった後輩とともに、大学前のゲームセンター(「ゲーム房」や「娯楽室」と表現する)へ遊びに行った。雰囲気が日本とほとんど同じなのも道理、9割方は日本製のゲームなのだとか。ただし1回10円と、日本よりずっと安い。
 そして面白かったのが、十数台置かれていた「カラオケブース」。2人入ればいっぱいになるような小さな箱の中で熱唱できる、優れモノのアトラクションだ。1曲20円と格安だが、置いてある機械はノレバンと同じ本格的なもので、日本語の歌もOK。
 他のブースを見ると、友達同士で歌っている人が多いが、1人で熱唱している人もいて、なるほど、ここで練習して、ノレバンで披露するというわけか。

 僕も、韓国の歌を新しく覚えたら、ここでこっそり練習しよう。
 「妙な発音で韓国曲を歌う日本人が、よく来る」
 なんて噂が立たない程度に。

◆10月31日(木)英語vs.韓国語
 実証実験の結果、携帯のバッテリーは9時間しか持たなかった。サムソンサービスセンターのお姉さん、嘘つき・・・

 ところで恥ずかしながら、僕は英語が大の苦手だ。そんな僕が語学留学に等しいことをやっているのだから笑い話だが、この2ヶ月で僕の韓国語力は、英語力を追い抜いたのか。答えは「どちらとも言えない」だ。
 表現に関しては、韓国語と日本語が似ていることから、韓国語の方がずっとできる。日本語で文章を考えて、それをほぼ順番通りに置き換えればいいのだから、
 「関係代名詞がどうで、比較級だからこの順番で・・・」
 なんて考えなければいけない英語より、ずっとたやすい。知らない単語があっても、表現を変えることで通じることもある。
 でも単語力に関しては、まだまだ英語に追いつかない。時々、分からない言葉を英単語で言ってもらうことも多く、英語のできる人の方がスムーズに会話が進む。
 「8年間の英語学習は、伊達じゃなかったんだなあ」
 と、思う。

 ただいずれにせよ、「丸暗記」が苦手なのは相変わらずで、もどかしい。感情を表す言葉や、色の表現をなかなか覚えられず、肝心な事が分からないこと、しばしばだ。

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