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Chang! 韓国遊学日記2002年11月  △TOPへ


大田大学の学生街

サムギョプサル
◆11月1日(金)1年半振りの大田
 11月、今日から韓国は冬なのだそうだ。もう充分、始まっている気はするが。

 今日は、忠州から約2時間の広域市(日本でいえば政令指定都市)大田に住む、姜さんの家へ遊びに行くことにした。姜さんとは中学生の頃から手紙の交換を続けていて、これまでの2回韓国旅行でも大変お世話になった方だ。もし知り合っていなければ、大田に行くこともなかっただろうと思う。人の縁は、地の縁だ。

 大学から歩いて20分の小駅・達川まで歩き、大田までの切符を学割で購入。さすがに2割引の効果は大きく、百数十キロの大田まで490円。バスよりもずっと安い。
 5分ほど遅れてきたムグンファ号に乗り込み、冬晴れの抜けるような青空の中、一路大田へ。稲を刈り終わり土を見せた田んぼと、落葉樹が多くうっすらと色付き始めた山々が、秋の終わりを告げている。
 鳥致院からは、韓国の大動脈・京釜線に入り、幹線らしく頻繁に列車とすれ違いながら走り抜ける。8分遅れで12時前、大田に到着した。

 さっそく姜さん宅にお邪魔して、お昼ご飯を頂いた後は、幼稚園・学校が終わった娘さんと息子さんを連れて、市内へ。息子さんはテコンドーとピアノの教室に通っていて、合わせて1万3千円ほどの月謝がかかっているそうだ。テコンドー教室を覗かせて貰ったが、武道家の卵たちがたくましく鍛えられていた。

 耳鼻咽喉科の病院へ行った後、市内をブラブラ。前回に来たときはなかったファッションビルやブランドの店ができていて、大田の成長は相変わらずだと目を見張る。
 本屋さんには、日本文化専門のコーナーがあり、日本で先週発売になったばかりの倉木麻衣のアルバムが流れていて驚いた。そして、日本のCDそのものまであるではないか。日本文化開放はまだなので、もちろんニセモノなのだが、露店ならまだしも、店先で堂々と売られているのだから驚いた。日本文化の「草の根輸入」は、こんな形でも続いていたのだ。

 夜は、おなじみサムギョプサル(豚バラ焼肉)をつつきながら、おいしく韓国焼酎で乾杯。1年半前、同じように姜さんとサムギョプサルをつつき、その「食べ方」を土産として持ち帰ったら、家族にも友人にも大好評だったことを思い出す。もちろんその味は今日もおいしくで、話も大いに花が咲く。
 「最初に韓国に留学に来られると聞いた時には、驚きましたよ」
 と言われている僕自信も、パスポートも見せず、船にも飛行機にも乗らず、列車に2時間乗れば姜さんに会えるようになった環境の変化に、不思議な気分を抱いたのだった。


漢南大学校キャンパス

忠清南道道庁

大田郵便局
◆11月2日(土)大田市街地
 姜さんは今、大田より数駅、ソウル方面へ上った小駅に勤められているので、9時の出勤時間に間に合うために、6時半ごろ起床。胃に優しい、韓国の普通の朝ご飯を頂いて、タクシーで大田駅へ。列車で出勤する姜さんを見送り、僕は観光案内所が開く8時半を待った。

 案内所でバスの乗り方を教わり、目指すは漢南大学校。去年大田のバスに乗った時は、ずいぶんボロいバスを走らせているなという印象を持っていたが、この1年で多くの新車が投入されたようだ。その設備投資が響いたのか、昨日より600ウォンから700ウォンに値上がりした。地方都市の清州より高く、広域市のバスとしては高い部類になるだろう。
 漢南大で降りるつもりが、1つ手前の漢南大入口で降りてしまい、学生街の雰囲気を感じつつ大学までぶらぶら。ここまで来たのは、韓国の建築雑誌に紹介してあった、大学図書館を見たかったためだ。写真も撮るし、一応許可を貰っておこうかなと、正門の守衛さんに挨拶しておいたら、
 「頑張って下さい!」
 と激励されてしまった。ただ、わざわざやってきた図書館そのものは・・・ うーん、忠州大の方がいいかも?

 大学そのものの雰囲気はよく、枯葉舞う冬のキャンパスの空気を吸って、市街へ戻る。午後1時までの3時間、郊外のワールドカップ競技場まで行く時間もなく、アテもなく中心街をぶらぶら。すると駅前から伸びる中央路に、歴史的建築物の大田郵便局を見つけた。察するに、かつての日本が建てたものではなかろうか。
 さらに中央路を突き当たった所にある忠清南道庁も、日本時代のもののようだ。重厚でどっしりしていて、ホールの雰囲気は、以前に行った北海道庁を思い出させるものだった。その他にも、裏通りには日本時代臭い建物(見当外れかもしれないけど)を見つけて、興味をそそられた。

 それでも時間が余り、フラリとデパートに入ると、なんだか初めて来た気がしない。この雰囲気、そうだ、3年前に、初めて韓国に来たとき、姜さんに連れてきて頂いたデパートだ。当時は5階まであったフロアのうち、上2階が閉鎖されていた。
 これと同じ姿を、福岡県の西鉄久留米駅前にあったダイエー(今は閉店)で見たことがある。大田の市街地は今、新しい市役所ができた郊外に移りつつあるそうで、その影響を受けたのだろうか。日本に比べ、韓国は中心市街地が元気だと感じていて、その理由を探りたい思いもあったのだが、韓国の状況も、日本と軌を一にしているのかもしれない。

 列車で忠州の二つ手前の周徳駅まで戻り、バスで寄宿舎へと帰った。

 夜は日本語サークルの建築学科の先輩・後輩クンと、大学前で飲んだ。2日連続のサムギョプサル、そりゃ旨いとしかいいようがない。そのまま先輩宅に泊めて頂き、今週末はまだまだ続く。


水原華城

水原ワールドカップ競技場
◆11月3日(日)お腹いっぱい水原
 人の縁は地の縁。先週、都羅山の第3トンネルで出会った、日・中・英語を勉強している会社員の女性の方に遊びに来いと誘われていたので、留学生友達も誘って、ソウル南部の街・水原へと遊びにいった。大学前からターミナル行きのバスが何と40分も来ず、バスを1本遅らせるはめになったが、12時前には水原バスターミナルに到着。
 
 一週間ぶりに会ったお姉さんと3人で、市内のタッカルビ(鳥肉を甘辛く焼いた料理)の店で昼食。これが本当に美味しかったのだが、男らしく食べろということか、「食べて食べて、全部食べて」と勧められ(命令され?)、お腹が割れそうなほど食べた。く、苦しい・・・ この方、なかなか来ない上司に向かって、
 「何やってるんですか、早く来てください!」
 と怒りもしていたし、強い・・・ 韓国の女性らしいとも言えるのかも。

 その上司の方の車で、水原華城へと連れていって頂いた。首都として計画されたものの、ソウルへ遷都されたため幻に終わった、夢の城跡だ。城郭は周囲数キロに及ぶ大きなもので、今日は寒かったのでほとんど車の中から見るに留めたが、気候が良くなったら是非、歩いて一周してみたいものだ。

 そして、密かに打ち立てた「済州島を除く、韓国の全ワールドカップ競技場を見る」目標を果たすべく、水原ワールドカップ競技場にも連れていっていただいた。ここでもお姉さんの勢いは止まらず、行われていたイベントの入場券代を、4人3,200円から2,000円にまで値切った(値切らせた?)。す、すげえ・・・ さらにお姉さんから大盛りポップコーンをすすめられ、またも死にかけた。
 競技場は、模様を描いたスタンドが美しく、華城を模したという屋根の形状も独特で、ソウルよりも好きなスタジアムだ。

 忠州までのバスは5時半が終発のため、これでタイムアップで、ターミナルに着いたのは発車15分前。たまたま、彼女に会いに水原に来ていたルームメイトが切符売場に並んでいてくれたお陰で、売り切れ寸前の切符を手にすることができた。感謝!
 お姉さんからはいたく気に入られてしまったらしく、別れ際に、
 「毎週、日本語を教えに来なさい」
 と言われ、固まる。さらに、またも「豚まん」をおごって頂いた。殺す気か・・・

 というわけで、ルームメイトとともに忠州へ生還。今日はもう1人の留学生友達の誕生日ということで、僕もケーキ代を出して下宿にお邪魔した。下宿の韓国人とも共謀して、知らずに帰ってきた友達をクラッカーとケーキと花束で祝い、泣かすことの成功。日本では毎回、友達の誕生日をこんな風にして祝っていただけに、そのドキドキ感が久しぶりで楽しかった。

◆11月4日(月)避けて通れぬ
 今日の「韓国の文化」の講義テーマは、「戦争」。予想通り、時間オーバーの白熱した講義になった。韓国に来たものとして、当然避けては通れない、そして難しいテーマだ。いずれ韓国語力が上達すれば、韓国人との会話でこんな話題が出ることもあるのだろうが、その時までに自分なりの歴史認識を構築しておかないと、無恥を恥じることになりそうだ。

 今日は、留学生友達の誕生日を、日本語サークルで祝った。こんなに飲んだのは久しぶりで、寄宿舎に帰ってから、ルームメイトからの大事な話を、聞き逃すことになったのだった。

◆11月5日(火)青天の霹靂
 朝、ルームメイトとの会話。
 「今日からソウル行くからね」
 「いつまでですか?」
 「継続(ずーっと)」
 「・・・え? 帰ってこないんですか?」
 「就職のためだから。昨日の夜に言ったじゃない」
 「酒を飲みすぎてて分かりませんでした。早く帰るのだと思ってました・・・」

 というわけで、夕方には引越しの手伝い。わずか1ヶ月間の共同生活だったけど、いろいろと遊んでもらったし、言葉も吸収できた(少し方言だけど)。あまりに突然のことで、なんだか実感も湧かないまま、
 「ソウルに来たときには、遊びに来いよ!」
 と握手して、ヒョン(兄)は社会へと旅立っていった。

 1人なんて慣れているはずなのに、部屋が広すぎる。寒い。

◆11月6日(水)学生飲み屋
 日本にない、韓国の大学の面白い行事に、「1日飲み屋」がある。サークルや学科による模擬店のようなものだが、大学内で行うのではなく、大学前の飲み屋を借り切って普通に営業してしまうのだから面白い。今日は、よくお世話になっている土木工学科がやるというので、教授から貰った生ビール3リットル券を手に、さっそく行ってみた。
 もちろん店員はみんな学生。いろいろと根回しがあったのかどうか、いつものその店よりずっと繁盛している。おつまみメニューは、いつもの方が安くておいしそうだけど、いろんな人と話したり、ダンサーの華麗な舞いに盛り上がったりと、一味違う雰囲気が楽しかった。

◆11月7日(木)日本語英語
 また風邪をひいてしまったが、大事を取って授業も休み、安静にしていたら、ほぼ治った。異国の地、保険も効かない身での無理は禁物だ。

 ところで、韓国語を勉強していて気付くのは、日本語より自国語を使う場合が多いなということ。例えば、
 「蹴玉」(=サッカー)
 「便宜店」(=コンビニ)
 「自動門」(=自動ドア)
 「文字」(=携帯メール)
 「物品保管箱」(=コインロッカー)
 「化粧室」(ほとんどこの表現を使う)
 「娯楽室」(=ゲームセンター)
 「ノレバン」(歌の部屋=カラオケBOX)といった具合だ。

 「ハンディーホン(=携帯電話)」など、逆のケースもあるが、概ね日本語の方が英語表現が多いように感じる。

 そういうわけで、お互いの国の言葉を勉強していると、たまにこんな会話になる。
 「○○って、日本語で何と言うの?」
 「××です」
 「それって英語じゃない。日本語を教えてよ」
 「△△って日本語もあるけど、使いません」
 「日本語も大事でしょう?」
 「いいえ、日本人は英語が大好きな人たちなんです!」

◆11月8日(金)ドライブ気分
 市内の銀行へ換銭(両替)に行った帰り、心の中でラッキーと思える事があった。

 大学前〜市内へのバスは主に2路線あって、いずれも幹線道路を駆け抜け、15分程で着くものがほとんど。しかし希に、田舎道を経由する路線がある。今日は「運良く」そのバスに当たった。というのも、なんとものんびりしている、韓国の普通の田舎の風景が好きなのだ。
 前回乗ったのは9月だが、11月の今日は稲の刈り取りも終わり、農家の庭先には、収穫を終えた忠州名物の林檎が山積みにされていた。通学の小学生がいたり、おばあちゃんの乗り降りをゆっくりと待ったりと、市内とは違う時間の流れがそこにはある。

 ただ、さすがは韓国のバス。本当に大型バスで通るの!? と思うほどの狭い道を、時には遅い離合車に運転士が舌を打ちながら、猛スピードで飛ばす。そしてこの路線の難点は・・・ 時間が倍かかるんだよね!

◆11月9日(土)携帯3話
○携帯メールには、独特の文章が飛び交う。入力が面倒で、文字数も限られていることから、みんな省略した文を使うのだ。「何してますか?」を正しく書けば5文字だが、メールではわずか2文字。最初は何の意味だか分からなかった。
 他にも、ハングルの子音字だけを使って、笑い声を表現する方法(日本なら(笑)と表現するシーンだろう)などもあり、これも韓国の若者文化なのだなと感心。たぶん、僕が分からないことを承知で、後輩がよくそんなメールを送ってくるのだが、勉強になっている。
 ただ、韓国語を勉強している身としては、きちんとした文章を知りたい気持ちもある。

○各国際電話会社が、携帯経由の通話料を競っている。日本なら、携帯からの国際電話は申し込み制で一般的ではないが、こちらではダイヤル1本でどの会社ででもつながるので、競争が激しいようだ。
 ラジオCMの数も半端ではなく、
 「♪携帯Phone国際電話00345」
 「美国(アメリカ)通話、1分で174ウォン」
 なんてフレーズも、いつの間にか覚えてしまった。
 おかげで日本へ24時間いつでも288ウォンという格安通話料を甘受しているが、それくらい国内通話料も安くしてほしい。

○「携帯しながら運転」はこちらも禁止されているそうだが、バイクのヘルメット着用がほとんど守られていないのと同様、有名無実の規則のようだ。一度など、市内バスの運転士が「ながら」運転していたことがあり(しかもどう考えても、内容はバス運行に関係ないこと)、おったまげた。

◆11月10日(日)笑えれば
 日本語サークルで、建築工学科所属の先輩とともに、街まで出かけた。韓国版「新建築」のような建築雑誌「建築文化」を探しに行ったのだが、何軒か書店を回っても見つからなかった。日本の、これくらいの規模の街の本屋になら、「新建築」は置いているんだけど・・・
 そこで、先輩宅からインターネット通販を検索してみると、ちゃんと取り扱っていて、定価10,000ウォンのところが割引価格で8,500ウォン、送料込みでも10,500ウォンだったので即決。ネット先進国韓国なのだから、最初からこうやって買えば良かったのだ。

 日曜日のお楽しみは、KBS・夜9時からの「ギャグ・コンサート」。雰囲気やテンポは、NHKの「爆笑!オンエアバトル」に近い、コント・漫才の番組だ。もちろん、どう面白いのかなんて分からないが、笑いのレベルは結構高そうで、雰囲気だけでも楽しい。
 韓国のテレビは、日テレのバラエティーのように、セリフのテロップを出したり、観客の笑い声や歓声を足して、出演者の実力以上に「面白く見せようとする」傾向が日本以上に強く、その不自然に辟易することが多い。でもこの番組は、芸人の実力だけで勝負していて、初めて見たときには、韓国にもこんな番組があるんだと、嬉しく思った。
 韓国人の性格も、韓国語のテンポの良さも、大阪のそれと似ていると思う。漫才・コントに対するセンスは、なかなか近いものがありそうだ。

 帰国の頃には、この番組の内容で、笑えるようになるかなぁ・・・

◆11月11日(月)漢字
 日本語を勉強している韓国の友達から、
 「日本語は漢字が多いから難しいです」
 なんてよく言われる。それに対して、僕はいつも、
 「韓国語にも、漢字はあるでしょう?」
 と答えている。

 実際そうなのだ。日本語は5割くらい漢字だと言われているが、韓国語だってハングルで表記しているだけで、同じくらい漢字だらけの言語だ。同じ単語だって山ほどあるのだから、韓国人でも韓国語の全ての漢字を知っていれば、日本語の勉強はかなり楽だろう。

 でも、そう簡単ではない。日本では小学校1年生の2学期から延々、漢字を学習し続けるが、韓国語の漢字学習は中学1年生から始まる。必修の漢字も日本よりずっと少ないし、それとて日常的に使うものではないから、みんながみんなマスターしている訳ではなさそうだ。
 公式的な文章や教科書も、ほとんどがハングル。日本語と同様、例えば「自信」と「自身」のように同音異義語も多いのだが、ハングルは表音文字だから、文章でもどちら判断するためには、前後から推測する他ない。同音異義語のための誤解なんてのも、結構あるそうだ。

 韓国でも、漢字学習の復権が必要なのでは? なんて考えることもあるが、延々と漢字ノートに向かわされた、小中の苦しかった漢字学習をしなくてもいいと考えると、ちょっと羨ましい気もするし、そんな状況ならば、僕だってあえて漢字を学ぼうなんて考えないだろう。

 それにしても、日本留学を目指している韓国人学生は、僕ら日本人が小中9年に渡って学んできた漢字を、数年でマスターしなくてはならないのだから、本当に大変。僕らが韓国語を学ぶ労力の、何倍が必要なのだろう。想像もできない。

◆11月12日(火)屋台に集う
 忠州大の正門前には、毎晩屋台が出る。おでんや天ぷら、そして韓国人が大好きな「トッポッキ」(もちを甘辛く味付けしたもの)や「スンデ」(豚の腸詰め)が、おいしそうな湯気を立てていて、ついふらふらと寄っていきたくなる雰囲気だ。
 今日も日本語サークルが終わった後、後輩君に誘われて寄り道してきた。ここのおばちゃんは気さくで学生たちにも人気があり、僕には韓国語のレベルを合わせて話してくれるから、簡単な会話もできる。こんなおばちゃん、実はかなり珍しい。こんな人でなければ、3件もある屋台から毎回、ここを選ぼうなんて思わない。
 そして、トッポッキもスンデもおいしいんだ。韓国に来てからしばらくは、トッポッキは、
 「そんなに美味しいものかな?」
 と思ってたし、スンデは見た目のグロさから敬遠すらしてたが、今では大好き。口もだいぶ韓国人化してきたようだ。

 そういえば最近、一時期のように「カレー食べたい」「牛丼食べたい」「ラーメン食べたい」なんて思わなくなってきた。

◆11月13日(水)トイレ8話
○韓国の場合、トイレの個室の扉はたいてい、閉まっている状態が基本。だから「使用中」表示がない場合、中に人がいるかどうか、いちいちノックして確認しなくてはいけない。
 日本の場合、和式では開いている状態が基本だし、使用中の表示もあるので一目瞭然、煩わしさがなかった。当たり前のことも異なった状況から見れば、実は優れていることに気付く一例。

○洗面台の「上げ下げ式」コックは、日本とは逆に上げると水が出る。最初の頃はだいぶ間違ったものだが、今ではすかっり慣れた。しかし希に日本と同様、下げると出るコックもあり、紛らわしい。日本に帰ったら、やはりしばらくは慣れないだろう。

○3ヶ月になろうとしている今でも、癖でトイレットペーパーを便器に投げることがある。覆水盆に返らず。そんな時は、「頼む、詰まらないでくれ」と願いつつレバーを下げる。

○韓国でも、公衆トイレや古い建物では「しゃがみ式」トイレが多いが、新しいアパートやデパートなどでは、洋式の方が多いようだ。若者は日本と同様、洋式派が多いようで、各1室しかない寄宿舎の洋式トイレは、トイレットペーパーの減りが異常に早い。

○駅やバスターミナルのトイレに、トイレットペーパーがあまりないのは日本と同様で、トイレットペーパーの自販機があるのも同じだ。しかし不当なまでに高い日本と比べ、韓国の場合は20円程度でかなりの量が入っていて、親切だ。公衆トイレや列車内には自販機もないので、外出の時にはこの自販機で予め買って行くことが多い。

○自販機といえば3年前からの疑問。地下鉄や国鉄の駅にだけ、トイレの洗面台横にコンドームの自販機があるのはなぜだろう? トイレットペーパーと間違えそうになる。

○汚いトイレはとことん汚く、きれいなトイレは驚くほどきれい。電気店や床屋など、普通トイレを使わせない店の場合、店とトイレのきれいさが比例しないので、あまりのギャップに驚くことがある。清潔派なら、デパートなどで済ませておくのが懸命だ。

○暖房便座、ウォシュッレット、消音機・・・ 見たことがないな。日本人が清潔好きすぎるのかな?

※ウォシュレットに関してはその後、「ビデ」の名で発売が始まって、結構な人気が出ているようです。

◆11月14日(木)活気みなぎる
 日本語サークルの後輩クンもいる放送部で、イベントをやっているというので覗きに行った。場所は講義棟前。とうとう舞った初雪の中、テントもストーブもない屋外でやっているのだから大変だ。
 イベントの内容は、インターネットによる1日放送局だったのだが、合わせて上映されていた模擬ニュース番組に目を見張った。韓国のニュース番組風に作っているのだが、かなり「それらしく」できているのだ。
 「面白いですか?」
 と聞いてきた上級生の方に、つい、
 「私の大学にも放送部はありますが、こんなにすごくないです」
 と答えてしまった。放送部のみんな、ゴメン!
 しかし忠州大学の放送部は毎日、朝と昼に1時間程度ずつラジオ番組を放送していて、その労力たるや、やはり半端なものではないと思う。

 先日書いた1日飲み屋にしても然りだが、サークル活動や学科内での活気は、少なくとも大分大学よりは熱いように感じる。これも、韓国特有の「ウリ(私たち)の意識」によるものなのだろうか。

 ただ、サークル活動に対する国からの補助はかなり手厚いとかで・・・ そんな所も、十二分に影響していそうだ。

◆11月15日(金)ニュースと大学生
 久しぶりにTVニュースを見た。今日の何よりの話題は、マラソン選手・孫基禎氏の90歳での大往生だ。
 孫基禎選手は1936年のベルリン五輪で、2時間半を破る世界新記録で優勝。しかし、当時の韓国は日本統治下だったため日本の選手として出場し、掲揚された国旗も日章旗だった・・・ 大手有力紙である東亜日報が、胸の日章旗を塗りつぶして掲載し、記者の逮捕や発禁処分を受けた話は、あまりにも有名だ。
 そういうわけで韓国の人々にとっては、1人のマラソン選手の死去以上の重みを持つ出来事であり、「民族の誇りと自尊心」「日帝統治下の屈辱の象徴」の大往生を期に、もう1度、あの時代を静かに振り返ってみよう・・・ そんな雰囲気だった。

 ところで、韓国に「アナウンサーによるニュース番組」はあるが、「ニュースキャスターによるニュースショー」は存在しないようだ。大手民放のMBC、SBSの全国ニュースは20分程度で淡々としていて、進行も早い。公共放送のKBSは特集コーナーが多く、TBS「NEWS23」位の雰囲気はあるが、キャスターは前面に出ずニュースショーではない。
 
 ニュースショーに関しては、その報道姿勢に対し賛否両論(特にニュースステーションに関しては?)あるので、韓国でもやったら面白いんじゃない? と軽々しくは言えないだろう。
 でも韓国のニュースでは、最後に必ず「○○ニュースの××でした」と言うように、報道責任が誰にあるかを明確にしているので、日本で時に問題となるような、勇み足の報道は少ないはずだ。また、そんな記者さんの中から力のある人が「編集長」となり、ニュースショー的な番組を立ち上げれば面白いんじゃないだろうか。

 僕の見た限りでは、寄宿舎でTVニュースを見ている大学生を見たことがない。日本より世の中の動きに無関心なのかなと感じていたが、「見て楽しいニュース」がないことも一因なんじゃないかな? と思っている。

◆11月16日(土)現状打破
 今日も時間があったので、建築工学科所属の日本語サークルの先輩のアパートに遊びに行った。そこでちょっと建築学科同士らしい話をしたのだが、その中で、
 「日本のたたみ室は寒いでしょう?なんで床暖房しないの。夏は涼しくてよさそうだけど」
 というような話になった。韓国では床暖房「オンドル」が一般的で、暖かくて気持ちいい。それだけでなく、建築熱工学的にも床暖房は優れていて、勉強の能率だって上がる。幼い頃からオンドルに慣れ親しんでいればそんな感想が出るだろうし、寄宿舎でも、禁を破って電気毛布を使う人が跡を絶たないのも、よーく分かる。日本でも早く「贅沢品」の考えを脱して普及してほしい・・・ とは前々から思っている。
 でも逆に、真夏でも冷たいシャワーというのは、日本人には耐えられないんすよ! と主張したものの、これは分かってもらえなかった。

 夜、NHKニュースを見た後、チャンネルを回していたら、自然な日本語が飛び込んできた。放送局は韓国のMBC、日本のドラマが放送されているわけないし、どうゆうこと? と気になって友達に電話してみると、
 「オッパ(お兄さん)、それ日韓共作ドラマですよ」
 なるほど、昨年の「フレンズ」に続く第2弾というわけだ。最後の40分だけだったが、楽しんだ。
 前回と同様「?」だったのは、日本人には韓国語を喋らせておきながら、韓国人はほとんど日本語を使わなかったこと。ドラマの設定上、日本語のわかる韓国人はたくさんいるはずなのに・・・ 下手な韓国語を日本人が使うのはいいが、不自然な日本語を韓国人が使って、日本人に笑われるのは耐えられないということ? そこまで考えたのかは分からないが、不自然だなと思った点だ。
 前回はもちろん日本で見て、「ああ、韓国のドラマっぽいな」と思ったが、今回韓国から見て、「なんだか日本のドラマを見ているみたい」と感じた。共同制作だけに日韓の中間的な雰囲気だから、見る位置によって感想が変わるのかな? もっとも脚本は前回が韓国人、今回は日本人で、そんなところも影響してるのかも。
 そして驚いたのは一番最後、共作相手が前回のTBSから、フジTVに変わってるじゃん!

 前回、「フレンズ」を放送した後、日本文化解放前なのに日本語の台詞を遠慮なく放送したことに対して、批判の声も上がったそうだが、屈せず第2弾を決行したMBCの意気込みはなかなかのものだ。こんな形で現状を打破して文化交流を続け、いずれよい形で開放に向かってほしいと思う。
 もしそうなれば、フジとTBSのドラマは、共作という形で交流を続けていたMBCの独占放送になるかもしれない。ん、もしかして、MBCはそれを狙っているのかな?
 だとすれば、来年の共作相手は日テレで決まりだ。


すでに冬の訪れを感じる水安保温泉
◆11月17日(日)下見
 来年のお正月、両親が韓国に来ることになった。自営業者にとっては年に1度の連休、それとて大した時間があるわけでもないのに、忠州まで来たいという。ほとんど移動の旅になってしまいそうだが、両親にとっては滅多にない旅行だから、少しでも楽しいものにしてほしい。
 そこで、泊まるホテルを現物をみて決めようと、単身水安保温泉へと出かけた。

 忠州ターミナルでバスを乗り継ぎ、約1時間・2,350ウォンで水安保ターミナル着。観光案内所で温泉の割引券を貰い、まずは街外れのパークホテルへと向かった。落葉樹ばかりの韓国の山、もうほとんどが葉を落とし、茶褐色の山並みへと変わった。天気もみぞれ交じりの雨だが、これはこれで雰囲気を作っている。
 温泉街から山道を歩くこと10分、ようやく到着。さっそくフロントに、
 「来年1月、両親様が韓国へいらっしゃいます。どのホテルへ泊まろうか考え中なのですが、よければ部屋を見せてください」
 とお願いすると、部屋の鍵を渡された。部屋は広く、山の上にあるので眺めがいい。温泉街までは遠いが、レストランや土産物売り場は充実していて、ホテルの中で自然を楽しみつつ、ゆっくり過ごすのには良さそう。まずは合格点だ。
 そしてこのホテルの売りは、韓国では珍しい露天風呂のある温泉。割引価格の5,000ウォンで入ってみた。風に吹かれ、山並みを見ながら入る温泉なんて、本当に久しぶり。泉質、設備、雰囲気ともに申し分なしだ。
 なんてくつろいでいたのだが、露天風呂でしばらく会話をしていたおじさんとおじいさんが、だんだんヒートアップしてきた。韓国でもあまり聞かない「あなたが・・・」というフレーズを何度も使っていたが、そんな言葉使いが癪に触ったのだろうか。とうとう立ち上がり、つかみ掛からんばかり(といっても掴む所などないが)の勢いになった。まわりも止めに入ったが、だれもいなかったら、素っ裸の殴り合いになっていたのだろうか。
 韓国人は喧嘩っぱやいというが、初めてそんな場面を目撃した。

 再び温泉街に戻り、第二候補の常緑ホテルへ。ここではベルボーイさんに案内して頂いた。若干安いためか少し部屋が狭いが、ロビーの雰囲気はさすが1級ホテル。以前に入った温泉の設備はごく普通だったが、ここなら温泉街歩きにも便利で、全体的には合格点だろう。そしてフロントマンの、
 「どうぞ他のホテルもご覧になってから、決めてください」
 という、自信と心意気が気に入った。もっとも、フロントマンがベルボーイに、
 「このお客様は日本人ですが、韓国語はうまいですので・・・」
 と言ったのを、聞き逃した上で気に入ったわけではない。

 帰宅後、家族と電話して、
 「露天風呂なら日本にもたくさんあるし、韓国の街を歩きたい」
 ということで、常緑ホテルに泊まることになった。

◆11月18日(月)体罰合法
 今日は、来年3月から新聞奨学生として日本に留学する先輩と、市内へ映画を見に行った。この先輩、まだ平仮名の読み方を勉強している段階だが、僕が留学する4ヶ月前も、ハングルをスラスラ読める段階ではなかったから、同じような境遇だ。

 見た映画は、男子中学生が教師への片思いを募らせる物語・・・ といえば聞こえはいいけど、思春期を迎え、果敢な時期の中学生を描いたコメディーと言った方が正確。中学生の男なんて、考えてることもやってることも、日本とほとんど変わらないなという印象だった(そんな描写は韓国映画らしく、直接的だ)。
 むしろ面白かったのが、中学校そのものの実態。男女別学なのはもちろん、棒でお尻を叩く体罰は認められてるとも聞いてたけど、本当にあるんだ・・・ もっともこの映画は88年のオリンピックイヤーが舞台で、
 「最近は減ってきてる」
 らしいが。

 明日はいよいよ、忠州大学から日本への留学試験の日。この日のために頑張ってきた、先輩方の努力の成果を試される日だ・・・ って先輩、ドラマ「野人時代」を見てる場合ですか!?

◆11月19日(火)9時間耐久
 本日、いよいよ日本留学試験。図書館で勉強を続けた人、毎日部屋の明かりを絶やさなかった人、前晩に「野人時代」を見た人、それぞれ頑張ってこられたが、ひとまず苦しい勉強とも、今日で一区切りだ。というわけで、いきおい飲むことになるわけだが・・・
 まさか、午後4時から始めるとは、思っても見なかった。まずは食堂で、焼酎を乾杯。この時すでに、そこそこ酔っていた。2次会はカラオケで熱唱。韓国曲の持ち歌3曲を使い果たし、勢いでかねてから練習中だったラップに挑戦したら、大敗を期した。3次会はHOF(飲み屋)でビールをぐいぐい。だいぶ口が軽くなっていたような気がする。で、先輩宅でまたまた焼酎・・・
 寝たのは午前1時頃で、都合9時間、飲み続けた。大した量ではなかったけど・・・

◆11月20日(水)選挙戦
 二度寝して、起きたのは11時半頃。その後、レポートのためコンピューター室にこもりっきりだった。このところ、韓国語の勉強はどこへやら。

 ところで今、忠州大では2つの選挙戦で熱い。
 1つは、学生会長選挙。学生会長と副会長を同時に決める、政党選挙みたいな感じのようだ。投票番号「1」vs.「2」の一騎打ちで、連日、正門前では候補者と支持者による、
 「頑張ります!」
 コールが激しい。雨の日も、風の日も・・・ もっとも、韓国語力がまだまだの僕にとっては何を「公約」しているのか分からず、周りから投票を頼まれている側に入れることになりそうだ。

 もう一つの選挙戦は、言わずと知れた来月の大統領選挙。僕は外国人だから投票権はないが、韓国人大学生にとってはやはり関心事のようで、ニュースを見ながらああだこうだと話し合っていた。以前、韓国の大学生はニュースに無関心? と書いたけど、どうやら誤解だったようだ。日本と違って、一国の指導者を決めるのに直接、自分の意志を反映できるのだから、無関心ではいられないのかもしれない。
 まだ選挙制度も、どんな候補者がいるのかもよく分からないが、これから全土が盛り上がっていくのだろう。楽しみだ。

◆11月21日(木)地方は待ってる
 今日の、「交通計画論」の講義は長かった。2時〜5時、少しの休憩を挟み、交通需要予測の計算のお話だった。実は正規の講義時間は2時〜5時なのだが、この通り行われることは滅多になく、たいてい4時過ぎには終わってしまう。集中力は続かず、最後には教授の韓国語もあまり耳に入らなくなっていた。
 もっとも韓国の学生にとってもしんどかったようで、居眠りも続出。こんなところは日本の大学と似ている気はするが、違う点を挙げれるとすれば「返事のよさ」だろう。教授の「分かるか」の問いには「はい」、「分かるか、分からないか」の問いには「分かります」の、威勢のいい返事が返ってくる(時には「分かりません!」という答えもある)。講義の「参加率」は、韓国の方が高そうだ。

 ところで、今日の講義の中で、驚いた話があった。
 「今、ソウルまでは2時間くらいだが、中部高速道路ができるとどうなる? そう、1時間20分〜30分だな」
 高速道路が建設中なのは、大学からも見えるので知っていたが、そんなに早くソウルへ行けるようになるとは、思ってもみなかった。韓国の交通行政は、日本にも増して道路一辺倒で、「こんなことでいいのかな」と思う事もままあるが、その効果を知ってしまえば現金なもの、「留学しているうちに完成しないかな」と、心待ちにしてしまう。
 きっと数年前の大分の人たちも、同じように大分自動車道の完成を待っていたのだろう。そして現在、高速道路が計画されている地域の人たちも・・・

◆11月22日(金)帰れない
 今日は訳もなく眠い。9時くらいには寄宿舎へ帰って、早く寝ようかなと思っていた矢先、飲みに行くことになった。2週間、日本に一時帰省してた留学生友達が帰ってきたのを祝い、「1杯だけ」ということだったけど、それで済まないことは分かってる。分かってなければ、外泊許可証を提出したりはしない。
 というわけで、8時頃から2時頃まで、6時間やっぱり飲み続けた。ちなみに1次会は僕が出したのだけど、ビールにつまみに、5人で結構飲み食いしても3,200円だった。日本で飲みに行ってた時は、割り勘で1人それくらい払ってたな・・・ 物価の差こそあれ、「形に残らない物」の安さは、やっぱり羨ましい。

◆11月23日(土)50円PC
 ああ、眠い・・・ 飲んだ後、先輩宅に泊めて貰ったのだが、隣で寝ていた日本人友達に枕と布団を奪われたり、寝言がうるさかったりでよく眠れなかった。本人は「あぁ、さわやかな目覚め!」。こ、こいつ・・・ ただ、彼は韓国に来てまだ2ヶ月足らずなのに、寝言が100%韓国語だった点は、理屈抜きに尊敬した。たぶん僕は、見てる夢の内容から8割方は日本語のはずだ。

 午後は、いつも通っている寄宿舎前ではなく、表通りのPC房へと浮気してみた。というのもこのPC房、なんと1時間50円なのである。激安! ドリンクのサービスはないけれど、通信速度に不満はないし、PCカメラだってある。ちょっと遠いけど、散歩がてら、こちらに通う機会が増えそうだ。
 ちなみにこのPC房のおばちゃん、自らPCゲームに熱中していて、だれが店員さんなのか分からなかった。

◆11月24日(日)口パク
 こちらへ来て、とうとう3ヶ月を迎えた。最初のころ日本人の先輩に、
 「最初の2ヶ月は辛いだろうけど・・・」
 と言われていたが、今もってもどかしく、伝えられないことだらけ。土木工学科のおねえさんからは、
 「あなた5歳ね」
 と言われる始末だ。今に見てろよ。

 ところで来た当初、3年半の日本での大学生活をいったん離れて、別の環境に飛び込むことで、今まで分からなかった「何か」が分かるようにならないかな、という期待があった。ところが来て2ヶ月くらいから、余計に分からないことが増えてきた。
 一時期、だいぶ思い悩みもしたけれど、時の経過や日本の友達のアドバイスもあって、心の整理はついた。「分からない事」があることを「分かった」ことも「分かったこと」の内の一つで、大事なことなんだと。
 で、最近分からなくなってきたこと・・・ 「日本と自分」。日本って何だろう、国ってなんだろう、そこにいる自分とは、日本人とは? 難問だ・・・ こんな疑問を持てたのも、10月からやって来た留学生友達に依るところが大きい。ありがとう。

 最近、歌番組の時間が分かったので、毎週見るようにしている。
 「韓国の歌番組は口パクが多い、いやむしろ、生歌の方が珍しい」
 なんて話を聞いていたが、そんなことはない。たしかにアイドル系の人はほとんどそうだけど、CD音源とは違う生声を聞かせてくれる人の方が多い。最近までは確かに口パクが多かったそうだけど、今はそれじゃ通用しないのだそうだ。
 ただ日本人としてショックなのは、BoAが口パクなことだ。あれだけ激しい踊りをしていれば確かに難しいだろうけど、せっかく実力があるのに、惜しい。
 そんな口パク歌手にせめてものお願いがあるとすれば、「口パク用」の音源を用意して欲しいということ。歌番組でまでCDの音源なんて聞きたくないし、不自然で見てるこっちが恥ずかしくなるよ〜

◆11月25日(月)第一次大統領選
 大統領選挙が熱い。候補者2人による「TV討論」が行われ、ニュースでも連日トップ扱いだ。なるほど、この2人による一騎打ちか。それにしても、候補者同士で事前にTV討論をやるなんて、双方とも随分、思い切っているな・・・
 などと思っていたが、それは勘違いだった。このところ行われていたのは、選挙戦の「予選」とも言うべき、候補一本化の作業だったのだ。与党で有力候補を何人も立てても票を分散させるだけで、野党・ハンナラ党の現政権を倒すことはできない。そこで候補を1人に絞り、選挙戦を有利に進めよう・・・ そういうことだったのだと、解釈している。
 この1本化の作業、「新千年民主党」と「国民統合21」の密室の議論によって決められるようなことはなく、世論調査によって行われたというから、事実上の第一次選挙戦だったのかもしれない。結果、新千年民主党の盧武鉉氏が統一候補となったようで、夜のMBCでは政見放送のようなものが、手話通訳付きで放送されていた(お陰でドラマ「野人時代」が10分遅れた)。

 これによって、ハンナラ党の李会昌氏との、事実上の一騎打ちとなるという。このような一騎打ちの選挙戦は31年ぶりだそうで、国を二分してしまうことへの懸念もある。しかし、国の指導者を直接、民衆が決めるという過程は、日本では決してみることはできない。今後どのような選
挙戦が繰り広げられるのか。楽しみに見守りたい。

※これを書いた当時、まだ韓国の政治に関して無知な部分が多く、この日の記述も誤り。正確に言うと、現政権(野党)は新千年民主党、与党はハンナラ党である。この後の大統領選挙では、民主党候補のノ・ムヒョン氏が当選したのは、周知の通り。

◆11月26日(火)日本語浸透
 たまに、韓国語で言われて「グサッ」とくることがある。本日、寄宿舎の夕食の時間。
 先輩「彼女いるの?」
 自分「いません」
 先輩「日本にも?」
 自分「はい」
 先輩「今まで何してたの」・・・グサッ!

 月・火曜日のSBSドラマ「野人時代」を見始めて1ヶ月、少しづつ何を話しているのか、分かるようになってきた。もちろん、知らない単語が出てくればお手上げなので、知っている単語を聞き逃す率が減ってきたといった方が、正確だろう。まだまだ解読率20%にも満たないだろうが、映像ではなく話の内容で笑えると嬉しい。

 ところでこのドラマ、日帝統治下の時代の話なので、多くの日本人が登場するのだが、すべて韓国人が演じ、韓国語で話しているのだから面白い。
 それではあまりに不自然なので、日本人役同士の会話では臨場感を出すため、時々長い日本語の台詞が登場する(もちろん字幕付き)。日本語を勉強しているわけではない、普通の役者さんが話すのだから、発音は下手だ。何を言っているのか、分からないことすらある。ただ、「奈美子」を演じる女優さんだけは聞くに耐える日本語で、以前に勉強していたのかもしれない。
 その日本語自体も韓国人が作っているのだろう、韓国語的日本語も登場する。昨日は、
 「ここでお会いできて嬉しいです」
 という台詞が飛び出した。なるほど、韓国語ではこう表現するのかと、逆に勉強になる。

 その他、「よし」「はい」「すみません」「親分」などの短い日本語なら、字幕なしで頻繁に出てくるので、こうした日本語なら、かなりの若者が知っている。もし日本の「林さん」が韓国に来て、韓国の普通の若者と話す機会があれば、まず間違いなく「おお、林親分!」と言われるだろう。
 かつて圧政を誇った日本人に、韓国ヤクザが挑むというストーリーなので、決して親日的な話ではないが、こうして日本語が定着していくのは面白い。そういえば日本でも、「愛してる」「おいしい」程度の韓国語なら耳にする機会も増えたし、こうした些細なことから、お互いの言葉に興味を持つきっかけになれば楽しいなと思う。

◆11月27日(水)行く・来ない
 自他共に認める「朝型」生活だった僕がまさか、朝起きれないことに悩むことになろうとは、思ってもみなかった。逆に夜になるほど目が冴える。このまま順応して、夜型に転向するというテもあるが、そうなると朝ごはんを食べられない。朝・昼・晩は等しく食べているから、1日のカロリー摂取量が2/3になって、体力が落ちそう・・・ やっぱり、ちゃんと体力を使っていないと、夜、眠れないのかな。

 留学試験を頑張ってき兄さん達の合格が、見事!決まり、今日は軽く飲みにいった。うち1人は来年秋から、大分大学に来る予定だそうだ。来年秋には、卒研で死ぬような毎日になるのだろうけど、大分でも時間を作って、韓国語で話していれば、韓国語を忘れることもなさそうだ。
 一方、来年度は大分大学から誰も留学に来ないことも、今日知った。寂しい・・・ と同時に、「韓国語」「韓国文化」の講義も、来年は開かれないことが決まってしまった。まだまだ韓国について、教授方から教わりたいことは山ほどあったのだけれど・・・ 残念だ。

◆11月28日(木)ラジオ出演①
 今日、ラジオに電話出演した。といっても、日本のラジオだけど。
 九州にいると、韓国、時には中国のラジオが聞こえてくるが、同じようにこちらでも日本のラジオが受信できる。中でもよく聞こえるのが福岡のKBCラジオ。といっても韓国語を勉強している身なので、なるべく韓国のFMを聞くようにしていて、KBCを聞くのは21時〜22時に決めている。福岡No.1の人気DJ・北野順一(JK)が活躍している、大好きな番組の時間だ。
 その中に、JKと1分間自由に話せる「1分テレホン」というコーナーがある。実際は1分のカウントが始まる前にだいぶ喋れるのだけど、そのコーナーに出演希望のメールを送った。なんせ、海外からの出演希望だ。電話がかかってくる率は、高いだろうと踏んでいたが、やはり・・・

JK「今日の1分テレホン、何と国際電話、インターナショナルでございます。この間、大阪からという方がいらっしゃいましたが、韓国まで届いているんですね。いつもはかけない番号ですから、ディレクターも緊張しております。」

 携帯が鳴った! さっそく開けようとしたのだが、緊張のあまり、なんと開きかけた電話が閉じてしまった。

・・・ツーツーツー・・・
JK「オイ!! ま、いたずらと思われたのかもしれません。もう一回、かけてみましょう。
   もしもし!」
私 「JKっすか!? こんばんはー!!」
JK「アンニョンハセヨ!!」
私 「アンニョンハセヨ〜」
JK「ラジオネーム、Rテンだな」
私 「Rじゅうです」
JK「そうかそうか。ありがとう」
私 「カムサハムニダ!!」
JK「今、何て?」
私 「ありがとう、です」

JK「なるほど。R10は今、21歳」
私 「はい、大学4年です」
JK「今、何勉強してるの?」
私 「韓国語だけ、勉強してます」
JK「何でまた、韓国語を学ぼうと?」
私 「こんなに近い国じゃないですか。この国の人たちと話せたら、楽しいだろうと・・・」
JK「・・・スバラシイ!
   たぶんこの福岡にも、韓国を離れて生活している人がいると思うのよね。そんな人たちに
   今の韓国の様子なんかを、そっちの言葉で伝えてもらえるかな?」
私 「え・・・っと、スミマセン、無理です!」
JK「無理なんかい!」
私 「ごめんなさい、そこまで実力がないんです」

・・・つづく

◆11月28日(木)ラジオ出演②
・・・つづき

JK「そーかそーか。そっちでは、今どんな曲が流行ってるの?」
私 「BoAのVallentiがこっちでもはやってて、もちろん韓国語ですけど、今、9位くらいです」
JK「BoAね。1位には、どんな曲?」
私 「カワイイ系の女の子の曲が流行ってます」
JK「韓国のアイドル系って感じかな」
私 「そうですね。それと2位の曲が夏ごろからずーっと流行っているんですが、僕すごく好きなんです」
JK「なんて人の曲?」
私 「ソン・シギョンです」
JK「ソン・シギョン。曲名は?」
私 「ノン・カンドンイオッソっていいます」
JK「ノン・カンドンイオッソ。よし調べてみよう」
私 「お願いします! ぜひかけてください!」

 ここまでが、その1分のカウントが始まるまでで、1分の間には、日本の音楽についてよく分からなくなってます、“ロードオブメジャー”って、何者なんですか? というような話をした。その後にも少し時間が残り、

JK「まだ聞きたいことある、何でもいいよ」
私 「えーっと、えーっと、・・・あー、思い付かない!!」

 で、ブチっと切れて1分間が終わった。
 ああ、緊張した。実は電話でラジオに出るのは3度目だったんだけど、相変わらずうまく話せない。韓国語で韓国の様子を伝えるくらい、できなくもないのに、語学力以前に何を話していいか思い付かなかった。最後の「日本の音楽」についてだって、聞きたいことはいくらでもあったのに・・・
 でも、高校の頃からよく聞いていたJKと話せたこと、韓国にもKBCリスナーがいることを伝えられたこと、それで僕は大満足だ。日本の友達、1人でも聞いててくれたかな。


城東区立聖水2街3洞こどもの家

城東区杏堂1洞庁

景福宮横の「開かれた本」社屋
◆11月29日(金)①幼稚園突撃訪問
 今週末、3度目のソウルへと旅立った。忠州ターミナルよりバスに乗り込み、高速道路をひた走ること1時間40分、おなじみ東ソウルターミナル着。曇りの空模様で、ちょっと寒い。きょうはあちこち歩き回る予定なので、雨だけは降らないことを祈るのみだ。

 まずは、緑の環状線・2号線に乗り込み、聖水駅へ。2号線はこのあたり、地上を走り風景を楽しめる。
 聖水駅で降りて、歩いて15分ほどの住宅地の中にあるのが、「城東区立聖水2街3洞こどもの家」という幼稚園だ。建築雑誌に載っていて、いいなあと感じ、訪ねてみた。雑誌の住所を韓国の地図サイトで調べれば、正確な場所が分かるので、1人でも行くことができる。まったく便利な世の中だ。
 さっそく外観の写真を数枚。道路側は一面、コンクリート打ちっぱなしで、一瞬なんの建物か分からない。アパートに面した側は一部ガラス張りだけど、全体的には外部と断絶を図っている印象だ。
 でもガラス超しに見た中には、小さいながらも気持ちのよさそうなサンクンガーデンがあり、周囲の雑多な雰囲気とは離れて遊べそうな空間だった。狭い街路に車がひしめく都会の中で、安全を確保しながら、最小限の敷地でいかに豊かな空間にするか、心血を注いだ印象だ。
 中も見たくて、失礼を承知でベルを押した。
 「ここは幼稚園ですので、大学の方からご連絡頂かないとお見せすることはできません。申し訳ないです」
 突然やってきたのはこっちなのに、謝っていただいて恐縮してしまう。入れないのは覚悟の上だったので、平謝りしてすぐに引き下がった。今回はダメだったけど、いつかちゃんと許可をとって再訪してみたい。

 続いて同じ2号線の往十里駅へ。この駅から5分の場所にあるのが、先ほどの幼稚園と同じ設計者の作品・城東区杏堂1洞庁舎だ。斜めの敷地を生かし、階段状の公共空間を設けている。
 幼稚園との共通項を見出すならば、敷地に入れば周囲の雑多な環境が目に入らなくなる点だろうか。開けた側に見えるのは、整備された文化会館で、住宅や雑居ビルの並ぶ他の方角は壁などで、それとなく見せないようになっていた。

 地下鉄5号線と3号線を乗り継ぎ、景福宮駅へ。景福宮周辺は、警察官がたくさん出ていて、なにやらものものしい。近くの会社の建物の写真を撮っていたら、制止された。私服だし、かなり若い人だったので、何だか高校生にでも注意された気分だ。
 「ここで写真を撮ってはいけません」
 「なぜですか?」
 「・・・・・だからです」
 「(?)分かりました。ところで、撮った写真はどうしましょう?」
 「今から撮らないでください」
 結局理由は分からなかったが、警察官の数は半端ではない。まだまだ写真を撮りたい所はたくさんあったのだが、近くのスタバのコーヒーを1杯飲んで、大人しく引き下がることにした。


イルミン美術館
◆11月29日(金)②日本人同士
 光化門駅まで下り、日本時代の建物を大改装した美術館を覗くと、日本人写真家の写真展が行われていた。なんだか嬉しくて、よくわからないまま入ってみたけど、難しかった。どうとらえればいいのか分からない。でも、明日の公演のために訪れていたご本人を、チラッと拝見できたのはラッキーだったかも。

 前回と同じく、この近くの旅館に宿をとった。今回出会ったのは、オーストラリアに留学して3年目という大学生。建築を学ばれているそうだが、海外の大学なので工学というよりは芸術の色彩が濃い勉強をされていて、1年休学して日本に帰り、建築家・槙文彦さんの元で働くのだそうだ。話に付いていくのがちょっと大変だったが、やっぱり建築を勉強している人と話すのは楽しかった。
 一方、夜11時半を回った頃、1人旅の女性が入ってきた。英語圏の人たちと、何やら話してる。英語恐怖症だけど話を聞いてみると、泊まりたいけど宿のおじさんの姿が見えないとのこと。話を続けたいけど、僕が英語を出来ないものだから話が続かない。
 「あなたはどの言葉ができますか?」
 「わたしは、韓国語と日本語ができます」
 「えっ、日本人!?」
 なんと、お互い日本人であることを分からなかったのだ。今考えれば笑い話だが、僕はすっかり韓国人に見えたそうだし、彼女も黒髪ではあったけど英語ペラペラで、どこか日本人離れして見えたのだ。
 それも道理、これまで14ヶ月間、インドから東アジア各地を巡り、さっき中国の青島から最終国・韓国の仁川港に到着したそうだ。それだけ旅をしていれば、少しは日本人離れしてくるかも知れない。
 まだまだ韓国のことも分からないし、日本にどうやって帰るかも手探り状態だという。明日は夕方、友達に会うまで時間があるし、お付き合いすることのして午前1時、ベッドに入った。


ウリ銀行

クリスマス準備に入ったロッテ百貨店

記号3番候補
◆11月30日(土)①先進国韓国
 朝、まずはおなじみ観光公社へ。来年正月に泊まるホテルの予約と、日本への船の確認をしておく。彼女、東京の人なのだが、大阪までの船に、夜行バスの「青春ドリーム大阪号」を組み合わせればソウルから17,000円程度で帰ることが出来る。思ったよりも安く帰れそうだと喜んでいた。
 「久しぶりにこんなしゃれたパン屋に来る」
 というパン屋で朝食を買って、地下でモグモグ。これまでアジア各国を回ってきたという彼女の韓国に対する視点は、
 「韓国は先進国」「日本に帰ってきたような気分」
 と、やはり大方の日本人とはかなり違う。たしかに、他の途上国に比べれば、日韓の差などほんの僅かなのかもしれない。流血の交通事故を目撃した話、作り話でヒッチハイクした話、赤ちゃんの死体で物乞いをする子どもの話・・・ など、いろんな話を聞かせていただいた。でも、僕にとって1番ガツンと響いたのは、
 「研究室配属をくじ引きで決めるような大学の大学院に行っちゃだめよ」
 の一言だったかも。
 「うちの大学院にも建築学科あるし、実力あるなら来ればいいんじゃない?」
 「そうですね・・・」
 なんて返事をした時、彼女が東大大学院生であることを、まだ知らなかった。さすがに東大はちょっと・・・ 無理かな。

 今日は土曜日で銀行は休みなので、ロッテホテルの両替所で両替。銀行よりレートはよさそうだが、市中の両替所の方がもっといいと後々気づくことになる。
 中央郵便局の寄って、南大門市場へ。特に買い物のあてがあるわけでなく、観光に来た感じ。午前中なのに人は多く、店々が並ぶ雰囲気はアメ横に近いそうだ。この市場、日本人への呼び込みが激しいことが有名で、何度も「いいかばんありますよ」「眼鏡安くします」と声をかけられた。本人同士でさえ日本人とわからなかったのに、よく日本人と分かるなと驚くほどだ。
 その後は明洞の通りを歩き、PC房へも寄り道。中国などにも、1時間10円程度で利用できるインターネットカフェはあるそうだが、速度が遅く、日本語ソフトのDLに5時間かかるなんてこともあるそうだ。ネット先進国の韓国ならわずか30秒程度。目を見張る速さだ。ただ明洞という地の利からか、1時間1,700ウォンは高かった。
 昼ご飯は明洞の食堂で食べたが、一番安いメニューで4,000ウォンと割高。中国などの安い物価に慣れてしまえば、相当高い昼ご飯だったろう。
 「雰囲気も物価も、だんだん日本に近づいている」
 と感じているそうだ。

 そんなお姉さんとも別れ、僕は友達との待ち合わせの時間まで1人で明洞の街をぶらぶら。TVの公開収録があっているらしく、黄色い歓声が上がっていた。かと思えば一方で、大統領選挙の候補者の演説も。事実上の一騎打ちとなった大統領選だが、それ以外の無名候補も多数立候補していて、そんな1人のようだ。演説に耳を傾ける人は少なかった。


美味!スンデ
◆11月30日(土)②スンデから刺し身まで
 今日ソウルへやってきたやす君、日本語サークルの後輩クン(韓国語では弟という意味で同生=トンセンと呼びます)、そしてそのお友達の男の子1人、女の子2人と落ち合って、総勢6人で江南の新林までやってきた。ここ新林は後輩クンが中学生時代を過ごした街で、にぎやかなソウル大の学生街だ。
 看板をネタに女の子相手に必死で冗談をかましていたら、
 「さむっ!」
 といわれてしまった。ショック!
 ところでここは、スンデ(豚の腸詰め)料理で全国的に有名な街なのだそうだ。もちろん夕飯は、その名も「スンデタウン」にて、野菜と一緒においしく焼いたスンデ料理だ。うまい! スンデとトッポッキがあるから、俺は日本に帰れないんだというと、みんな喜んでくれた。
 さて、現在の後輩クンの実家は、江北の街だ。新林からだと、もろに市内を横断する格好となり、2号線と7号線を乗り継いで1時間以上かかった。ソウルはでかい。

 その後はお決まりでノレバン(カラオケ)へ行って、女の子2人と別れ、後輩クン宅へ着いたのは0時前。う〜、疲れた。さあ寝ようや、と思っていたのだが1時過ぎ、
 「刺し身食いに行きましょう」
 まじで? というわけで、車で近所の立派な食堂へ。先にいらっしゃっていたご両親さんから、かなりの量(値段も結構したはず)をご馳走になった。刺し身なんて食べたの、何ヶ月振りだろうか? おごちそう様でした。
 というわけで床に就いたのは午前3時頃。ところで後輩クン、明日は日本語能力試験じゃないのかね?

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