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Chang! 韓国遊学日記2002年12月  △TOPへ


東大門とファッションビル群
◆12月1日(日)東大門№1
 後輩クンは日本語能力試験のため、朝8時に起床。ね、眠い・・・ 後輩クンは7号線で試験会場へ、そして僕らは4号線で東大門市場へと向かった。
 面白かったのが、朝の東大門に来ないと見れない、ファッションビル群への通勤ラッシュだ。東大門のファッションビルはご存知の通り、3畳程度の小さな店舗が数千も集まって形成されているので、中で働く人の数も半端ではない。そこで朝には、地下鉄駅から各ビルへと、驚くほど太い人の流れができるのだ。その様子を是非、写真に撮りたかったが、警備員さんに制止された。あなたにそんな権限、あるの?
 おなじみ東大門のビル群をいろいろ巡ってみたが、ファッションビルの中では、フレヤタウンの4階はなかなかいいねという結論になった。他のビルは男にとっては似たりよったりな印象だけど、ここはちゃーんとした質のいい本物の商品を安く売ってる。服だけでなく、鞄なんかもモノは結構よさそうだ。今度、何か買いたいものがあるときは、ここに目を付けて来よう。

 午後2時、帰路についた。あ〜、疲れた。こんなに冬の都会を、しかも睡眠不足で動き回って風邪をひかないだろうか? と思っていたのだが・・・


試験期間なので夜食が出た
◆12月2日〜8日(月〜日)ソウル1勝2敗
 危惧した通り、風邪をひいてしまった。それも、ここ数年ひいたことのないようなひどさで・・・ 月曜の試験は気力で受けたけど、その後4日間はほとんんどベッドの上で過ごし、後の3日間は熱は下がったけれども、頭がぼーっとして何も手に付かない感じだった。でも今回は周りの皆さんが助けてくれた分、とても気持ちは楽だった。
 それにしても、韓国に来て以来、少しづつ体が弱っている気がする。このままあと7ヶ月、大丈夫なのだろうか? 少し、こころもとなくなってきた。

 ちなみに、これまで3度ソウルに行って、2度も風邪を貰ってきている。ソウルに1勝2敗だ。次回、無事に帰ってイーブンに持ち込まなければ・・・

◆12月9日(月)冬から真冬へ
 しばらく安定していた気候も、今日を境にもう一段、寒くなった気がする。
 山が白い。昼間でも氷が張っている。耳が切れそう。
 南国九州では、体感したことのない季節「真冬」が近付いてきた。

◆12月10日(火)床屋日本観
 久しぶりに行った床屋。今日も、少し日本語のできるお姉さんだった。なんでも、少しだけ日本に住んだことがあるそうな。
 「ラーメンにみそ汁、納豆がとても食べたいの」
 特にラーメンは、日本に一度行って食べると、とりこになってしまう人が多いようだ。もちろん韓国にもラーメンという食べ物はあるし、辛くてうまいけど、即ちそれはインスタントラーメンであり、店で食べるようなラーメンはほとんど存在しない。それに味も、地域によって異なる日本の方がバラエティに富んでいるようだ。今度帰省するときに「お土産に買ってきて」というリクエストも、すでに何件か受けている。
 でも納豆が好きな韓国人には、初めて出会った。
 「最初は珍しくて嫌だったけど、本当においしい」
 「でも実は、私は嫌いです」
 「え〜、なんで?」
 なんて会話を、韓国人とするなんて、思っても見なかった。

 「日本は外は暖かくていいけど、部屋の中は寒い」
 これは、日本に冬に行ったことがある韓国人なら、おおかたが感じることだろう。それくらい、オンドルって暖かい。でも、日本人にとっては、少し暑すぎるかなと感じることしばしばだ。

 ところでお姉さん、もみあげ残してって言ったよね? なんでなくなってるの!?

◆12月11日(水)引越し・ダウン
 試験期間も今週の木曜で終わり、大学は2月末までの長い長い冬休みに入るのだが、それと同時に、なんと寄宿舎までも閉鎖されてしまう。最初に聞いたときは「マジかよ?」と思った。もし日本の大学でそんなことをしたら、集中講義を受ける人は? 休み中の課題をやらなくちゃいけない人は? 卒論生は? ということになってしまうだろう。
 どうやら、休みにはしっかり休むのが韓国流らしい。でも、そんなことで大丈夫なのかな。特に忠州大は工学系なのだから、勉強しなくてはならないことは山ほどあるはずだ。

 ともかくそういうわけで休み中は、女の子の留学生たちの住む下宿へとお世話になることになり、今日引越しをした。住み慣れた寄宿舎とも友達とも、しばらくお別れだ。旅行カバン1つでやってきたが、いつの間にやら荷物が3倍くらいになっている。僕はここで「生活」しているのだと、改めて実感した。
 この下宿、部屋が新しくてきれいで、夜のオンドルも暖かく住み心地は問題なし。ただ共用の洗濯機が凍結で使えなかったり、シャワーが朝しか使えなかったりと不便な所も結構多い。学校までちょっと距離があるのも少々面倒ではある。

 夜は試験も終わったということで、大学前へ飲みに行った。マッコルリという濁り酒だけぐいぐい飲み、やがて飲まされるはめに。このお酒、おいしくて好きなのだが悪酔いする酒で、しかも病み上がりで体調不良だったこともあり・・・つぶれた。オエ〜!!
 先輩に抱えられ歩いた、午前2時の下宿までの道は、はるか遠かった。

◆12月12日(木)終日ダウン
 朝ご飯の時間・8時に起きれる筈もなく、12時ごろ下宿のおじさんに、 「朝ご飯食べてないだろう。昼飯食べに来〜い」
 と起こされた。普通は昼ご飯をだしてもらえない下宿なのでありがたかったけど、
 「すみません、頭も痛いし、たくさん食べられません・・・」
 しかも、その少しだけ食べた昼ご飯も、すべて戻してしまった。なるほど、これが二日酔いってやつなのね・・・ 今まで、翌日まで酒を残したことがなかった僕だが、韓国に来て初体験してしまった。
 というわけで今日は、1日を下宿で過ごした。

 その間、忠州は終日氷点下とい気候へ突入。あらゆる水分が凍る。未曾有の経験にどう対処したものか、悩むことしきりだ。

◆12月13日(金)お買い物
 一時帰国の日まで、1週間を切った。卒研を頑張る友人達や、いつもお世話になっていた方々へのお土産を買おうと、郊外の量販店・ロッテマートへと出かけた。
 お昼前に到着。ターミナル内の食堂で、久しぶりに日式(日本式)うどんを食べた後、買い物の前に近くの「金鋼大衆サウナ」へ行ってみた。風邪気味だというと「沐浴場(銭湯)へ行っておいでよ」という友達が何人かいたので、韓国式の風邪治療を実践してみようというわけだ。このサウナ、以前から存在は知っていたのだけど、行くのは初めてだ。
 著名温泉地の水安保とも近い忠州だが、やはりここでも深く掘れば温泉が出るようで、地下100mから汲み上げた温泉水を利用しているそうだ。泉質も結構よさそうだし、新興団地内の浴場なので施設もまだまだきれい。それでいて料金も3,200ウォンと韓国にしては安めで、また来る機会もありそうだ。

 さて、何をお土産にしようか。まずは人気の韓国ラーメン「辛」かな。最近は日本でも人気の辛ラーメンだが、日本版と味が違うのかを確かめてみたい。友達も大好きな韓国焼酎「真露」も欠かせない。本当は、食堂でもよく出される小ビンの方がそれらしくていいのだけど、重いので小ペットを免税範囲ギリギリの3本を購入。
 そうそう、竹塩歯磨き粉も忘れてはいけない。と思ったら、売り場で「松塩」歯磨きを見つけた。店員さんも薦めてくれるし、安い(実は一番の理由?)のでこれもセットでカゴの中へ。そうだ、韓国海苔も好評なんだよね。一般的なパック入りの他、水で戻して食べるタイプもあり、これも店員さんに薦められるままに購入。
 キムチ!これがなくては。どれも0〜5℃の要冷蔵ではあるけど、これだけ寒ければ問題ないだろう。その他、下宿生活用にカセットボンベや牛乳も買ったけど、合わせて1万8000ウォン程度。日本で買うことを考えれば、劇安だろう。お、重い・・・

 みんな、楽しみに待っていてね。


選挙戦も佳境
◆12月14日(土)なんだ結構
 下宿では九工大留学生やす君との2人暮らしなのだが、なんと財布を落としてしまい外国人登録証がなく、インターネットの加入が出来ないという。そこで僕が名義を貸すことになり、一緒に市内の電話局(KT:韓国通信)まで出かけた。
 やす君は「大丈夫大丈夫」なんて言っていたけど、僕自信は「インターネットの加入なんて、今の語学力でできるのかな?」と不安に思っていた。蓋を開けてみれば、辞書の世話になることもなく申し込み完了。その後、どこでできるのかまったく見当もつかなかった合鍵の作製も、道行く人に聞いて分かり、無事に作れた。なんだ、俺らの韓国語も役に立つんじゃんと、ちょっと自画自賛。

 さて、下宿生活では生っ粋の韓国人の友達とは話す機会は少なくなったけど、その代わり朝・晩の飯の時間には、大屋さん家族と顔を合わせることになる。今日の夕ご飯ではタイムリーな、大統領選挙の話題をネタに頑張って話していたら、
 「まだ下手だけど、頑張って話してるね」
 と誉められた。う、嬉しい・・・
 でも、会話のためにはまず話題がなければ始まらない。もちろん日頃の何気ない出来事でも充分なのだが、もっといろいろと話せるように、こちらのニュースやTV番組、音楽の話題にも、常にアンテナを張っている。

◆12月15日(日)鍋を囲む
 今、僕を含めて大分から来ている留学生は4人。そのうち2人は、この12月で忠州を離れるので、今日はこれまで一緒に頑張ってきた仲間で鍋を囲もうということになった(準備は任せっきりだったけど)。外で食べたり飲んだりということは多いけど、こうして家でやるのは久しぶり。去年の今ごろ、週1回くらいこのように友達と鍋を囲んでいたので、懐かしかった。
 「2人がいなくなると本当にさみしいよ」
 という下宿のおじさん、おばさんも交えて、少しお酒も飲みながらの楽しい宴。こうしながらも、今までの「毎日」は終わろうとしていた。


お昼ごはん
◆12月16日(月)話尽きず
 日本語サークルの先輩から一度遊びに来いとの誘いを受け、何度目かの清州へと向かった。このところの遊び過ぎから、うとうとしながら過ごすこと小一時間、北清州ターミナルへ到着。先輩と落ち合い、市内へと向かった。
 用事を終え昼食も食べた後は、「清州国立博物館へ行ってみよう」ということになり、一般バスより100ウォン高い代わりに座席保証の「座席バス」に乗り込み、郊外の博物館へ向かった。しかし着いてみれば、大きな施設なのに人影が少なく、やな予感が走った。
 「ヒョン、今日は月曜日なので、博物館は大概休館ですよね」
 的中!

 またバスで市内へ戻り、お気に入りのメインストリートをぶらぶら。月曜の昼間でもそこそこの人通りがあるのだから、やはり大した街だ。そして大統領選挙まで一週間を切り、各陣営の選挙戦も一層熱を帯びてきている。国民の手で国を決める日が近付いているわけだが、案外「関心がないです」という人が多いのも事実だ。
 忠北大学のキャンパスを覗いたあとは、市内の映画館へ出かけて映画「光復節特赦」を見た。韓国に来てから3本目の映画だ。翌日特赦されることを知らずに6年越しの脱走計画を達成させた、不運の2人の男を描いたコメディー映画だったのだが、やはり会話の内容までは理解できずに、笑いのツボは押さえられない。でも全容なら大体掴めて、結構面白い映画だった。

 その後は、先輩のお姉さんとともに海鮮鍋をつつき、アパートに帰ってからも話は尽きずに、楽しい時間を過ごした。床に入ったのは、2時前くらいだっただろうか。

◆12月17日(火)お泊まり会
 朝、先輩宅よりタクシーで市内へ。先輩は用事があるとかで、僕ら日本人2人だけで乗っていたのだが、…? メーターの上がり方が150ウォン刻みだ。おかしい、たいてい100ウォン刻みの筈だ。ターミナルまで普通は3,000ウォンくらいで着くらしいが、4,500ウォンもかかった。
 文句なんてどういったら分からないけど、このまま引き下がるのは悔しい。そこでタクシー運転士さんの名前と車両番号を控え、しかるべき所に申告しようと考えた。僕らが日本人だから騙したのかどうかは知らないが、客を欺くなどという行為自体、商人の息子として許せない。道路を走る資格などない!
 …なーんて思っていたのだが、後で友達に聞いたところ、韓国のタクシーには「早朝割増料金」なるものがあるらしく、おそらく正規の料金だったのではないかとのことだ。ということは、去年の春に慶州で乗ったタクシーも、決してボッていたわけではなかったのか。ごめんなさい、僕が無知でした。

 清州からは、各停のバスで忠州へと一歩一歩戻って行く。小さな街の寂れたターミナルにも丹念に寄っていく姿は、まさに鈍行列車。直行バスよりも、韓国人の日常が垣間見える。

 さて、ちょっとお疲れモードではあるが、今日は日本語サークルのみんなと遊びに行くことになって、昼過ぎに学校へ向かった。建築学科の女の子も合わせて、総勢7人。途中ロッテマートに寄り、お菓子やご飯、そしてお酒などを… え、お酒?
 「今日はお泊まりなの?」
 「そーよ、知らなかった?」
 知らないよ〜。明日の朝早く、ソウル経由で帰省の途につくことになっているのに、困ったなあ。というわけで、急遽下宿に戻って荷物を取りに行き、翌朝直接忠州バスターミナルへ向かうことになった。あらかじめ荷物をまとめておいてよかった。

 というわけで気を取りなおして、忠州湖畔のコンドミニアムへ。このコンド、20階以上はあり、少なく見積もっても300室以上はありそうだが、今夜は10室も埋まってなさそう。満室になる日はあるのかしら。
 コンドなので、雰囲気はマンションに近い。室内にはキッチン完備で自炊OK。というわけで、みんなで作って食卓を囲んだ。なんだか家族みたいだ。もちろん酒の宴の深夜まで続いていたようだが、体力減退の折、明日の予定もハードだし、先に床に就いた。せっかくのお泊まりなのに、意識は祖国の方を向いていて、ちょっと申し訳ない。


コンドからの眺め

社会党候補の演説
◆12月18日(水)①安くソウルで
 朝、窓の外には、朝霧の中に佇む忠州湖が映っている。そして室内に目を転じれば…みな撃沈。それでも僕の見送りにはみんな起きてくれて、
 「新年、福をたくさん受けて下さい」(=よいお年を!)
 と、しばし2週間の別れを惜しんだ。お土産、待っていて下さい。

 先輩にターミナルまで送り届けて貰った僕は、重い荷物を持って9時発のバスで東ソウルへ。久しぶりにちょっと贅沢して、優等バスに乗った。ソウルまでの道は夢の中だ。
 1時間40分で到着。地下鉄の駅から、市内とは逆方向の電車に乗った。7号線に乗り換え、目指すは、ソウルでも有名なアウトレット街・文井洞だ。一見、普通のスポーツブランドの店が建ち並んでいるだけのように見えるが、実はほとんどアウトレットのディスカウント店で、50%OFFは当たり前だ。東大門「フレヤタウン」もそのくらいの値段だが、品揃えはこちらの方が良さそう。店員さんは少し日本語ができて、日本人も多く訪れていることが分かるが、こちらが韓国語を話すとすぐ韓国語に切り替わってしまった。迷った末、ジャンバーを1着購入。これで真冬も乗り切れそうだ。

 観光案内所で預かってもらっていた荷物を受け取って、7号線〜5号線〜4号線と乗り継ぎ、市内中心部へ。来月3日、両親が使う帰路の航空券の確認を済ませれば、時間に余裕も生まれ、ソウル駅地下の大衆サウナへ行くことができた。早朝からの営業で仮眠室もあるので、夜行列車で到着した時には重宝しそうだ。3,500ウォン程度だったか、立地を考えれば値段もさほどではない。
 一方、駅前では大統領選を明日に控え、候補者の演説にも熱が入っていた。この時演説をしていたのは社会党。TVではこの10年間のニュース映像を流し「10年先を予想できますか」という印象的なCMを流していたが、有力候補ではなく、噂に聞く「サクラ」らしい若者達が周囲を盛り上げていた。

※翌年(2003年)の夏、ソウル駅に行ってみたところ、地下の大衆サウナは姿を消していた。休業か廃業かはしらなけど、ぜひ復活してほしいものだ。


ロッテリアスナックカー

流れる車窓を眺めながら…

釜山到着
◆12月18日(水)②速達セマウル4時間10分
 帰路は明日、釜山からの高速船を利用するので、ここソウルから一気にセマウル号で南下する。それも、ソウル〜釜山を大田・東テグのみ2駅停車・4時間10分で結ぶ、速達タイプのセマウルだ。セマウルの停車駅が増えていく中、この本来のセマウル号は1日2本にまで減っていて、ぜひ乗ってみたかったのだ。
 利用駅が限られる速達列車だが、ほぼ定員の乗客を乗せて発車。漢江鉄橋を渡り、一路ソウルを離れていく。ソウル南部の副ターミナル・永登保も通過。数多い乗客は、速達列車と知って利用しているのだろうか。質問してみたいが止めておく。質問の意図を理解してもらえないに決まっている。
 ところで韓国の鉄道は食堂車が健在なのが嬉しいが、速達セマウルを始め一部列車には、ユニークな食堂車が連結されている。なんと、ロッテリアが営業しているのだ。キャンペーン価格こそないものの、値段は市中のロッテリアと同じ。内装も手が加えられており、流れる車窓を見ながらのハンバーガーも、なかなかオツなものだ。日本の新幹線にもマクドかなにか、いや日本らしく「吉野家」でもあれば楽しいのに・・・などと思いを巡らせた。
 ただ、平均乗車時間が長いはずの速達セマウルなら、普通の食堂車にした方がいいのでは、と思うのも事実。そして、食堂車→カフェテリア→サービスコーナー、そして廃止という道筋をたどった新幹線の供食設備のように、合理化の第一歩でなければいいなとも思う。
 速達タイプとはいえ、4時間10分は長い。日没を迎え、車窓の楽しみもなくなってしまった。こんな時に持っておきたいのはイヤホン。というのも、セマウル号車内ではテレビ放送が行われているのだ。あいにく忘れてきてしまったが、持っていれば好きな歌手が出ていた番組も見れただろう。惜しかった。
 停車2駅での入れ替わりも多かったが、全区間を乗り通す人も多く、釜山に着いた時は「ああ、疲れた」といった雰囲気だった。

 今夜の宿は、地下鉄で1駅下った中央洞の旅人宿。旅人宿とは旅館より1ランク下の宿泊施設で、1万1千ウォンとなるほど安い。その代わり部屋は3畳ほど、オンドルの効きも悪いし、テレビはなんと赤黒(白黒にあらず!!)だが、まあ1人で寝るだけなら問題なし。ただペンシルビルで階段は狭いものが1本しかなく、下の階が火事になれば、飛び降りるほかに逃げ道はなさそうだ。
 付近は住宅街でスーパーなどは多いが、めぼしい飲食店はなく、そうそう無駄遣いもできないので、コンビニでインスタントラーメンを食べた。まあ、これも韓国らしいといえるだろう。
 さあ、明日はいよいよ4ヶ月ぶりの日本だ。


投票所の入り口
◆12月19日(木)①投票所潜入
 安宿だったが、一晩を過ごすには申し分なく、すっきりと朝を迎えることができた。昼すぎの船を予約しているので、午前中は久しぶりの釜山の街を散策する余裕がある。まずは地下鉄の駅に荷物を預け、LG25(コンビニ)で、パンとコーヒーの朝御飯。そして街へと繰り出した。
 南浦洞の繁華街へと向かって歩いていると、なぜか金融機関も郵便局も、軒並みシャッタ−を降ろしている。今日は平日なのだが‥‥ さらに中心部に行けば、映画館には子供たちが列を作っている。もしやと思い、ショッピングセンターの警備のおじさんに尋ねてみた。
 「あのー、今日は公休日ですか?」
 「ハイ」
 「大統領選挙のために?」
 「ハイ」
 なるほど、この事は迂闊にも知らなかった。5年に一度の、国を休日にしてしまうほどの日に、今僕は立ち会っているのだ。時間も中途半端だし、日本語を使えるPC房でも見つけて暇を潰そうなどと考えていた自分は、この時に考えを改めた。
 「ショッピングするの?」
 「いえ‥‥あの、この近くに投票所はありますか?」
 おじさんに教えられた道を、途中市場の人に聞きながら、ようやくこの地区の投票所にたどり着いた。ここの洞(日本でいう、市域の中の町)の“洞事務所”で、日本で言えば公民館のような所だ。なるほど、なるほど。とりあえず外観だけでも写真に撮っておこうと、前に立っていた女性にお伺いを立ててみた。
 「私じゃよく分かりません。中の‥‥」
 と、ラッキ−にも、投票室の前まで案内された。こうなりゃ何でも頼んでみようと、中のおじさんに、
 「私は日本人なので投票権はありませんが、関心があります。写真を撮ってもいいですか?」
 さすがに担当の方の手には余るようで、しばらく待ってくださいと招かれたのは、何と投票所の中。チラリと覗けただけでも充分だったのに! 座らされたのは、どうやら選挙管理のバイトの席らしい。受付、記入、投票と進んでいく、ニュースそのままの光景を見ることができた。国民の手により、指導者が直接選ばれていく瞬間だ。
 その間おじさんは電話で「上」へ問い合わせていたようだが、やはりダメとの返事が返ってきた。でも、
 「見れたので充分です。ありがとうございました」
 とお礼を言って、その場を後にした。貴重な経験だった。


釜山出発

明るい色でまとめられたキャビン
◆12月19日(木)②祖国へ2時間55分
 その後はお土産を買うべくスーパーに寄り道して、時間に余裕を持って釜山港へ向かった。4ヵ月前、重い荷物と希望(?)を、いっぱいに抱えて降り立った地だ。ここで既に、半分は帰ってきたような気分になった。
 今回帰路で利用するのは、博多行きの高速船コビー。韓国の海運会社、未来高速が運航している。同区間の航路はJR九州のビートルが有名だったが、未来高速も今年、新規参入を図った。韓国発の学割往復運賃は13万6千ウォンと安いが、運賃はビートルも同額で、コビーは回数割引で対抗。主に韓国人をターゲットにした営業を行っているそうだ。
 船内で軽食程度の販売はあるそうで、空きっ腹のまま手続きへ。乗船手続、出国審査とも簡単なものだった。これでしばらくの間、韓国ともお別れだ。
 コビーはビ−トルと同じく、ちょっと頼り無げな小型高速船。船内は明るい色彩でまとめられ、座席も少しゆったりしているようだ。ただトイレは韓国船らしく韓国式‥‥つまり用済みの紙はごみ箱に捨てねばならず、この点だけで女の子の留学生は「同じ値段なら絶対ビートル」と言っていた。女性らしい視点だろう。
 かなりの空席を残したまま、12時45分、コビーは釜山を離れた。韓国船なので、船内放送も韓国語・日本語・英語の順番で流された。揺れが大きい。これは湾外に出て高速運航に移ってからも同じで、ベルト着用のサインも、なかなか消えない。博多までずっとこんな揺れが続くなら、うんざりだ。
 こんな状況で何か食べても、気分が悪くなるのは目に見えているので、飲み物だけ求めに売店へ降りた。缶コーヒーは韓国のもので、一本千ウォン。市価なら5〜600ウォン程度のもので、高い! しかし日本円での支払いもOKで、それなら百円。ん、安い!? 千ウォンも百円も価値はほとんど同じなだが、この感覚の違いが我ながら面白かった。韓国の物価の感覚が、染みついていた証拠だろう。
 「ところで皆さん、韓国語と日本語と英語を喋れるんですか?」
 と、さっきから思っていた疑問を、カウンタ−の客室乗務員に尋ねてみたら、
 「少しづつ出来ます」
 という、謙遜した答えが帰ってきた。少しなんてものじゃない。
 「私も韓国語を勉強していますが、うまく出来ません‥‥」
 と韓国語で返してみたら、しばらく韓国語での雑談に付き合ってくれて、その後見かけた時も韓国語で通してくれた。勉強中の日本人にとって、これは嬉しかった。


福岡が見えてきた

博多港到着、4ヶ月ぶりの日本
◆12月19日(木)③新大統領誕生
 玄界灘の途中で波も収まり、釜山より約3時間。ようやく博多の街並みが見えてきた。韓国の街並みに対して特に違和感はないが、ビルの片仮名の看板を見て、韓国の人はどう感じるのだろうと思う。
 入国審査も難なく終え、4ヶ月ぶりに日本の空気を吸った。しばらく海外にいると、日本の国そのものの匂い‥‥醤油か味噌のような匂いを感じるというが、するような、しないようなといったところだ。周囲の言葉がすべて分かる環境には、違和感を感じなくもない。

 博多駅へ向かうバス、これはやっぱり丁寧な運転だと感じる。曲がり角を曲がるときの、あのグッと足を踏ん張らねばならない感覚がない。すこしじれったくも感じる。180円の運賃は忠州の約3倍だか、特に高いとも感じない。これは、この後に乗ったJRでも同じだった。
 帰国後初の食事は吉牛で。うまい、言うことなし。驚いたのは、博多駅の男子トイレに入ったとき。一瞬「女子トイレ?」と思ったのだ。それくらい、華奢で長髪の日本人の男は女っぽく見えた。そういえば、久しぶりに見た博多の女の子は可愛く感じた‥‥けど、そのあたりの深入りの考察は避けよう。
 快速、バスを乗り継いで、ようやく佐賀県三養基郡北茂安町の自宅へと戻った。TVニュ−スを見てみれば、大統領選挙から拉致問題へ、韓半島関連のニュ−スが続いていて、どこの国にいるのかを忘れる。注目の大統領選挙は当初、大方の予想通りハンナラ党イ候補の優勢だったが、最終的には逆転、新千年民主党盧候補が勝利を収めた。

◆12月20日(金)順応
 日本の土を踏んで24時間も経っていない翌日の午後、僕は原付に乗り込み佐賀市方面へと向かっていた。原付自体久しぶりだし、ずっと右側通行を見慣れていたけど大丈夫かな? と思っていたが、いざ跨がってみればその感覚はすぐに戻り、気付けば制限速度+αのスピ−ドになっていた。危ない危ない。
 目的は、期限まで迫っていた免許の更新だ。だが更新期限までは惜しくも2週間あり、「期限前更新」になったため、有効期限が1年縮まってしまったのはもったいなかった。

◆12月21日(土)ダウン
 冬休みに入ってから帰るまで、ほぼノンストップだったので、今日は家でおとなしく過ごした。高校入試を控えた妹の勉強を見てやったが、数学でつまずいたのは我ながらショック。語学もいいけど、理数を忘れちゃいけない。

◆12月22日(日)日本の韓国
 実家に帰ってまだ3日だけど、会いたい人は北九州にも大分にもたくさんいる。そこで、小倉まわりで大分へと出発した。
 久留米から西鉄電車を乗り継ぎ、まず向かったのは太宰府天満宮。受験シ−ズンを控え、参道は学生で賑わっていた。道行く人の声に耳を澄ませていると、どうやら韓国からのツア−客のようで、「11時までに‥‥」といった韓国語が聞こえてきた。韓国の生活でも、街やテレビで日本語を聞くと反応してしまうが、日本では真逆だ。お節介かなと思いつつも、「私が撮りましょうか?」と、シャッタ−を押してあげた。
 さて、わざわざ天満宮までやってきたのは、1月から軍隊へ行く後輩クンへの、お守りを買うため。危険も伴う2年以上の軍隊生活を無事に乗り切れるように「安全」、そして「学業」も求めておいた。彼、日本語の実力はかなりのものなのに、専門教科の成績が思わしくなく、留学試験を受けられなかったのだ。3年後は念願叶い、思うような結果が出せますようにと願をかけた。

 西鉄春日原からJR春日へ10分ほど歩き、普通電車に揺られること延々1時間半、九州工大前駅に到着した。帰国以来、すっかりお世話になりっぱなしの公衆電話で呼び出したのは、忠州大学校日本語サ−クル・元会長のテファン兄(ヒョン)。現在は念願叶い、九工大での留学生活を送っているが、その出発1ヶ月前までお世話になっていた方だ。
 「韓国語うまくなったねえ」
 と褒められたけど、あの時に比べれば、の話。兄の日本語に比べたら、まだまだのレベルだ。
忠州大への留学をしなければ、恐らく来ることはなかったであろう九工大キャンパス。新しくはないが、大分大学より歴史と風格を感じる。だが留学生寄宿舎は、忠州大と比べるのが酷なほど新しくて綺麗だ。柔らかいベッドだけは体に合わないらしく、布団との間に板を敷いて使っていた。そういえば固いオンドルに直接敷く布団、あれってたいてい薄い。
 「昼ご飯まだだったでしょう」
 と出していただいたのが、本場韓国の辛ラーメンとキムチで、しかも忠州大でお世話になっていたトンヒョク兄にマサユキさんにも会えたものだから、ここがどこなのか分からなくなってくる。他愛もない雑談で終わった気はするけど、3ヶ月振りの再会は嬉しかった。

 夕暮れの九工大駅まで見送っていただき、西小倉から日豊本線を城野まで下った。この日の夜は、ここ城野に住む、北九大生の同級生宅に厄介になった。僕が船で韓国へ渡るとき小倉駅で、最後に見送ってくれた友達でもある。その時の自分の写真を初めて見せてもらったのだが、出発前夜祭の徹夜明けで、別れの涙も乾ききらない時分とは思えない笑顔だった。今の自分に、こんな笑顔は出来るのだろうか? しばらく写真を見たまま、止まってしまった。
 少し風邪気味、喉も痛い。カラオケ行こう計画をおじゃんにして、おとなしく寝た。

◆12月23日(祝)第二の故郷
 熱はなさそうなものの、体調は「二日酔いの朝」状態で極めて悪い。友達に見送られ、城野駅へたどる足取りは重かった。
 行橋からは「にちりんシ−ガイア」で一路大分へ。新生JRの第一号として生まれた特急電車・ハイパーサルーンだが、乗り心地、スピードともに輝きを失っていないのは立派。しかもソニックと違い「振子式」ではないので特有の揺れがなく、今日のような体調の日には極めてありがたい。気分はすぐれないままだが、4ヶ月振りの故郷の海を見たら少しずつ高揚してきた。紛れもない、僕の生まれた大分だ。
 新鋭キハ200系の普通列車に乗り継ぎ、大分大学前駅へ。僕が3年半を過ごした敷戸の街も少しずつ変化しているし、住んでいたコーポ衛藤102号室も、新たな住人を見つけたようだ。それでも僕の街。友人Tの家に行けば、変わらぬ笑顔が待っていた。

 今日は城島後楽園のスケートへ行くことになっていて、ゆっくりする間もなく出発、待ち合わせ場所へ。みんなと会った瞬間、4ヶ月なんて時間は一気に取り戻せた。
 「相当変わったんだろうなと思ってたけど、中身も外見も全然変わってないやん」
 これは喜んでいいのやら、どうやら。

 城島に着けば、韓国にも負けない寒さで、ジャンバーも大活躍だ。スケートそのものは小学生以来、その時もリンク端でボケっとしていた記憶しかないが、友人の優しい指導もあって、ほんの少しだけど滑れるようになった。嬉しい。忠州は寒いからスケートをする機会もありそうだけど、ひとまずは大丈夫だ。
 帰れば、前のようにスーパーで酒にお菓子に買い込んで、そのまま忘年会! 気兼ねなく笑いながら酌み交わす酒に、変わらぬ仲間を実感した。

◆12月24日(火)イブもみんなで
 昼まで友人Tの家でぐったりさせてもらい、午後は4ヶ月ぶりに研究室登校した。なにげに「こんちはー」と扉を開けたら、「わっ、なんで!」といった雰囲気だった。不登校の4年卒論生が相変わらず多くて、大変だとか。卒業保留にしようかという話も、本当にあるそうだ。
 それでなくても国際論文(=英語)やら実験やらに追われて忙しい皆さんを尻目に、個人的な写真のデータ整理をしていると、実験室から内線電話が鳴った。
 「人手がいるから、手が空いている人は手伝って〜」
 俺、空いてる‥‥。というわけで、そのままになっていた僕の棚から作業着を取り出し、何食わぬ顔で実験室へと向かった。健在ぶりをアピールせねば。
 木質構造研究室も国際化の時代を迎えていて(!?)、9月に大分へやって来た密陽大学校からの韓国人留学生の先輩とも、ようやくここで会うことができた。日本語は学びはじめたばかりだが、専門ほか英語の実力もかなりのものだそうだ。専攻は建築史で、うちには建築史の研究室がないこともあって木質研に配属されているそうだが、やりたい勉強はできているのかしら?
 ところでクリスマスイブ、別府では花火が名物行事となっていて、幸せな人達はそれを見に行くのが大分県人の「定番」になっているのだが、
 韓国人の先輩「別府の花火には行きますか?」
 僕「彼女がいないから、行っても寂しいです(韓国語)」
 日本人の先輩「なんてなんて?」
 韓国人の先輩「彼女がいないから‥‥」
 僕「訳さなくていいです!」

 さてそんなイブをどう過ごしたのかというと、分大へ来ている忠州大生と、忠州大へ行った分大生とで、キムチチゲパーティーで盛り上がった。全員が独り者というわけではないのだけれど、クリスマスといえども「みんなで盛り上がった方が楽しいじゃーん」というノリらしい。その後はイルミネーション見物へと繰り出した。
 この日は、中判田の友人宅へと厄介になり、またまた酒を交わした。もう外泊3日目で体力もそこそこ使っているはずなのに、不思議と風邪を跳ね返している。韓国にいるときはこうはいかず、やっぱり海外って、知らず知らず体力使うものなのかなと思う。体が弱ったわけではないと分かったのは、なによりだが。

◆12月25日(火)韓国人好みの別府
 また昼前まで寝てしまった。中判田駅から列車に乗り、分大前と大分駅で忠州大学からの留学生2人と合流し、別府へと向かった。本日、2人の別府案内を仰せつかったのだ。
 別府駅の案内所にて、別府八湯温泉本を3冊(900円)購入。このお金は年上の先輩がスパッと出してくれて、さすがは韓国人だ。この本、別府の裏の裏まで詳しいガイドブックで、内容もさることながら、市内のホテルの温泉の無料入浴券が付いている、お得な一冊。狭く暗い地下道をくぐり、北浜旅館街の「ホテル清風」へと向かった。

 北浜旅館街の高層ホテル群には、海を見渡せる展望露天風呂があり、ここも例外ではない。抜けるような青空と海に、行き交う船や高崎山を眺めながら入る温泉は、やっぱり格別。内風呂も自然光が溢れ、サウナもある豪華版。ほぼ貸し切りの贅沢さだった。値段も中身も、僕はもちろん韓国人的にも大満足だったようだ。韓国で温泉に入れば500円くらいが相場だから、やっぱり湯は別府に限る。
 路地裏情緒溢れ、設計の課題の時には毎週のように訪れた、竹瓦温泉界隈にも足を向けておいた。竹瓦温泉前のオープンカフェ・TAKEYAは残念ながらお休みだったけど、近くの藪そばは食べることができた。大根、納豆などを載せてぐっちゃぐちゃっと混ぜて食べるそばは韓国的ともいえ、「ビビンそばです」と紹介しておいた。
 夜は研究室に顔を出し、寝床は旦の原ハイツの友達の家に厄介になった。会う人会う人が4ヶ月振りだから、深夜まで話は尽きない。で、気付かぬうちにいつのまにやら眠っていた。


湯平温泉の坂道

この温泉も100円
◆12月26日(木)忘年会
 というわけで、やはり正午近くまで寝てしまった。
今日は、構造系研究室で毎年恒例の、湯平温泉泊まりがけ忘年会だ。実質休学中の身ではあるけど、今回を逃せばなかなか会えなくなる人もいるし、「大枚」1万円を叩いて参加することにした。
 バスで1時間程の湯平温泉に到着。行政区画上は湯布院町だが、由布院町と湯平町が合併して湯布院町となった経緯があり、雰囲気はまるで違う。湯布院の喧騒から離れた、山の中の温泉地だ。

 旅館に荷物を置いて、景気付けに一杯引っかけた後は、院生、学部生連れ立って温泉巡りへ出掛けた。石畳の坂道がいい雰囲気だ。100円也の、実質本位の共同温泉を2軒ハシゴ。加水も循環もない、ホンモノの濃い温泉が気持ちいい。さらに飲泉場やライトアップされた川なども、雪の残る寒さの中散策した。
 宴会はお酒ももちろん、海の幸、山の幸がずらりと並び、さすがは1万円。特に豊後牛の網焼きは絶品で、
 「こんなうまい牛肉食べたの、4ヶ月ぶりだ!」
 「お前、韓国行ってんだろ!?」
 いやいや、贅沢品だから滅多に口には入らないんですよ‥‥
 ここでようやく再会できた人も多く、「何でいるの?」はともかく、「4ヶ月ぶりとは思えんな」という反応がやっぱり嬉しい。日本にいた頃は「発音なんとかしてよ」と突っ込まれてた韓国人の院生さんからは、「発音うまくなってる!」と褒めて頂き、無上の喜びだった。
 お酒は果てることなく続き、いける奴は朝までいけというサバイバルだが、「土瓶焼酎イッキ」(ちょっと無理した)も効いて、1時ごろにはそそくさと布団に入った。


ヒットパレードクラブにて

夜の路地裏散歩
◆12月27日(金)二夜連続忘年会
 よく眠れなかったし、お酒もだーいぶ残ってる。それでもせっかく温泉に泊まったのだからと、朝風呂はしっかり浴びてきた。久しぶりの、朝ごはんらしい、日本の朝ごはんが食卓を飾っていたのに、ほとんど喉を通らず残念。
 夜汽車状態のバスで大学に戻ったのは、朝10時。午前中は都市計画研究室や、留学生センターへ挨拶してまわった。ちゃんと、あと7ヵ月頑張りますと宣言。

 嬉しいことに、今日も予定は目白押しで、まずは友人T+αとともに、久しぶりの市内へ出掛けた。フォーラスの前ではバッタリ、忠州大訪問団に参加していた1年生クンに出会ってびっくり。日記のHPをマメにチェックしてて、日本に帰ってたのは知ってたそうだけど、あまりの偶然に驚いた。
 食べたかった日本のカレーで、遅すぎる昼食を食べた後は、一路別府へ。今宵は、韓国からも時たま参加している、別府八湯メーリングリストの忘年会の日なのだ。会場は竹瓦温泉前の「ヒットパレードクラブ」で、留学前日には友人Tの主催で「出発前夜祭」を開いてくれた、思い出の店でもある。
 開場時間の6時には、お楽しみ抽選会の景品を手にした参加者の皆さんが、続々集まってきた。僕も、重かった韓国からのお土産のうち、半分くらいはこのために持ってきたようなものだ。後刻、3つに分けられた景品のうち一つは、内輪の都市計研H助手の手に渡ってしまった。

 6時半に開演。生演奏のステージはもちろん、「別府の元気人」の皆さんとのお話も盛り上がり、楽しいひととき。「韓国の人は、何を求めて別府に来ているのか」なんて、マジメなお話もできた。
 別府には巨大宿泊施設という、大口団体の「受け皿」があるからこそ韓国からの客も多いわけで、積極的に「別府」に来ているいるわけじゃないのでは、とのことだった。でも韓国人にも個人旅行が流行らないとも限らないし、その時のために「いいところ」は積極的にアピールしたいもの。別府湾からの日の出や、山の温泉など、韓国人も大好きそうな名所には事欠かない。
 間には「竹瓦界隈・夜の路地裏散歩」も加わり、充実の忘年会だった。午前1時にはお開き。友人Tと、24時間営業の駅前高等温泉にゆったり浸かって、酔いを醒ました。

◆12月28日(土)エンジョイ
 卒研で忙しかったみんなも、ようやく昨日で一応の仕事納め。セントラルプラザの「無料でもう一時間」コースを使って、ボウリング+カラオケと相成った。
 ボウリングは自己最高(といっても二桁)をマーク。カラオケは「J−POP最強宣言」のサイバーダムだったが、韓国曲の多さには目を見張った。新曲が毎月20曲くらいは入っていて、ちょっとした韓国のカラオケ会社程度はありそうだ。韓国曲の持ち唄6曲のうち5曲も揃っていて、調子にのって全部披露してしまった。一方、みんなが歌ってる日本の歌が、分からない‥‥ 4ヵ月の時の流れを、思い知らされた。

 今日お世話になったのは、再び中判田の友達の家。就職活動のイロハのレクチャーを受けた。


不思議な神社でした
◆12月29日(日)アゲイン2
 故郷大分とも今日でまた、しばしのサヨナラだ。
 友人T+αとともに、西大分の神社で感性を高めた後、またまた別大国道を別府へ。古い日本家屋にソファがなぜかよく似合う「信濃屋」で、大分の思い出にだんご汁をすすった。その後は、竹瓦温泉前の「TAKEYA」の、おいしい水出しコーヒーで一息。もっといたいのはやまやまだけど、出発の時間は近付いてきた。
 留学中の帰省はしない方がいいという人もいるけど、僕の留学の原点になった大分で思い出したことも多かった。そして思い出させてくれたみんな、ありがとう。連日連夜、お世話になりました。友人T+αに見送られ、別府駅の改札をくぐった。

 ソニックで博多へ一気に駆け抜け、チンタラ走ってダラダラ止まる、偽物快速に乗って久留米へ戻った。
 夜には、今度はこっちの友達とカラオケに。明日からは働かなくてはならないけど、勢いに乗って“延長OKー!”。2時まで弾け飛んだ。(ちなみに、J−POPでは結構マイナーな曲まで網羅している「ハイパージョイ」も、韓国曲の曲数はイマイチでした。)

◆12月30日(月)韓国曲も出前
 1週間、たっぷり遊ばせてもらった分、今日明日はしっかり働かねば。うちの家業であるうどん屋は、年末に多忙を極める。久々の車の運転もなんのその、カセットに録ってきた韓国POPをBGMに、出前で町を駆け巡った。


今年も終わりですね…

2003年のスタート
◆12月31日(火)締めくくり
 2002年の1年間は、本当に長かった。グループ設計の講義で、徹夜を続けていた日々が今年の出来事だとは、何だか信じられない。
 そんな今年も今日で終わり。地元FM局のJ−POP年間TOP100を聞きながら、年越し蕎麦を売る、いつもどおりの年末だ。年の終わりを実感。一般的な「家でゆっくり」の年末などより、よほどその気分になる。

 さて、韓国に行ってからの心境の変化に、日本人として、日本の習慣を大切にしたいと思うようになったことがある。そこで今年の年越しは初詣にでも出掛けてみようと思い、思う人に声を掛けてみたが、「家でゆっくり過ごす」というしっとり派ばかり。そこで一計を案じて、来年高校受検の妹と、その友達を誘った。
 まずはお寺に行って、初めて間近で除夜の鐘を聞いた。神妙に108個の煩悩を払ってゆく‥‥わけもなく、妹ら三人はすっかり盛り上がって、騒がしいこと。こんな友達とならば、あと二ヵ月の受験戦争も、明るく乗り切れるだろう。
 次は日本人らしく宗教の渡り歩きをして、町内では有名な千栗(ちりく)八幡宮へ。幼いころは遙か遠かった石段のてっぺんも、今やあっと言う間で歳月の流れを感じる。境内に出れば、天まで届かんばかりの炎を囲んで、近所の人たちが新年の瞬間を待っていた。今年もいろんな事がありました。来年もいい年にしたいですね。

 神主さんの合図で、2003年が幕を開けた。賽銭を投げ、自分と周りの多幸を願う。おみくじは末吉だったが、「願事:早く目標を定め全力を尽くせ」には、もっともだと思うばかり。神様はちゃーんと見てるのだ。
 他の神社にも足を向けたけど人影はなく、寂しいばかり。そこで記念にゲーセンでプリクラを撮ることになった。お兄さん何か書いて下さいよと言われ、「セヘ ポンマニパドゥセヨ」=新年おめでとう、と記しておく。
 中学生どもをこのまま深夜徘徊させるわけにもいかないので、1時頃には家路についた。7ヵ月の留学期間を過ごすこの年、さてどんな年にしようか。

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