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Chang! 韓国遊学日記2003年4月 △TOPへ
福岡空港にて | ◆4月14日(月)①帰国? 長い治療のための帰国も、一応はピリオド。自分で歩いての、韓国・忠州までの道に出発した。まだ装具は付けているし、ひざの力は弱まっているので、バリアの多い韓国での生活に、不安がなくはない。でもそろそろ戻らないと、残された留学期間は僅かになってしまう。 福岡空港までは父の付き添い付きだ。久留米からの高速バスは渋滞につかまり、国内線ターミナルから国際線ターミナルへのバス移動も時間のロスになって、大韓航空カウンターに着いたのはギリギリの1時間前だった。 手のかかる息子を持ってしまった父の見送りを受け、出国審査へ向かった。手続きはもうすっかり慣れてしまって、不安に思う事は何一つない。ただ不安といえば、何となく事故が多いイメージの大韓航空を利用することだけだ。 日航も近接した時間に飛んでいるのに、大韓航空を利用する理由は、安いからの一言に尽きる。格安券なら日航でも安いかもしれないが、それがない片道券では学割の有無が大きな差になった。留学生に限り、アシアナ=25%割引、大韓航空=30%割引になるのだ。おかげで税金込み2万円以下で済んだ。 さすがに韓国から帰ったときのような待遇はなかったものの、エレベーターを使わせてくれたし、座席もまたもやビジネスクラスだった。もっとも、他のエコノミーの利用者もかなり流してはいたようだ。座席の間隔は日航よりはるかに広い。機体そのものも大きく、単純に設備の差を見れば大韓航空の勝ちだが‥‥。 緊張の離陸を経て、福岡の街を見下ろしながら一路仁川へ。偏西風の影響を受けるのか、飛行時間は約1時間かかるものの、それでも近い。対馬を経て、釜山、大田とあっという間に上空を通過してゆく。早いは早いが、ぐらっと来るたびに緊張が走り、もっと早く着いてくれと願う。 「この10年間で二百回は乗りました。自動車の方がよほど危ない」 と言われるのは、隣の九大の大学院留学生の方。一見ビジネスマンのようだが、法律学を勉強している所で、韓国と日本を行ったり来たりしているそうだ。久しぶりに韓国の方と話したが、韓国語の会話はかなりつっかかる。ヤバイよヤバイよ。 「日本語は漢字が同じだから、本を読めばだいたい分かるけど、会話ができないんです」 こんな韓国人は、初めてお会いした。法律書は今でも漢字ばかりだから、漢字はよく勉強されているのだそうだ。 そうやってたどたどしい会話をしながら、いつのまにか着陸していたので、余計な緊張をせずに済んだ。 |
◆4月14日(月)②忠州への道 新しい仁川空港だが、広いし案内も行き届いてないしで、こんな時にはちょっと辛い。でも僕の様子を見た係官は、入国審査を早い順番に変えてくれた。 空港郵便局で貯金したり、電話をかけたりしてから高速バスターミナル行きの座席バスに乗り込む。たいていのバスターミナルにいる「案内おじさん」は、松葉杖を持ってバスの中まで案内してくれて親切だ。バスは空港高速道路を、KALリムジンを追い越す勢いで快調に飛ばす。朝の日本の高速バスとはえらい違いだ。 一部は商業施設に変身した、国内線中心の金浦空港からは市内の一般道を走る。市内相互の利用客も乗り込んできて、リムジンバスから普通の座席バスへと変身した。市外の仁川空港まで走るのに「市外バス」と言わないのは、こんな所にも理由がありそう。地元の雰囲気が味わえる点では、KALリムジンよりおすすめだ。 高速ターミナルは、座席バスは普通のバス停。忠州行きのバスが出る湖南線ターミナルは目の前に見えるが、地下道を行く道のりははるか遠い。手すりの無い階段あり、エレベーターがなくエスカレーターだけの上下移動ありと、いつもは見えないバリアが見えてくる。 高速ターミナルで一息ついたら、いよいよバスに乗り込み忠州へ。高速開通以来、初めて乗る。距離が20km縮まったおかげか、料金も500ウォン値下がりしていた。高速までこそ渋滞したものの、その先は快調。アスファルト舗装も真新しい高速を走り抜ければ、1時間20分ほどで忠州ICのゲートをくぐり、1時間30分と少しで忠州ターミナルに到着した。以前も1時間45分くらいで着いていたので、劇的な短縮とはならなかったけど、車酔いの心配は減ったと思う。 この足、この荷物で、乱暴運転の市内バスに乗る勇気はなく、初めて忠州のタクシーに世話になった。初乗り1500ウォンの距離が長いのはどこでも同じだが、それをすぎると一気に跳ね上がり、1区間200ウォンづつ上がっていく。忠州大まで約8000ウォン。こいつ、ぼりやがったな。 と思ったが、後から聞いてみれば、地方都市忠州ではそれが正規運賃だそうだ。日本人から、タクシーでぼられたなんて話をよく聞くけど、案外こんな思い違いもあるのかもしれない。 | |
◆4月14日(月)③スタート ともあれ、自力で忠州大までたどりついた。がたがたの歩道に気をつけながら、寄宿舎へ。顔ぶれは変わったようだが、管理のおじさんは以前のまま。強面だけど、ずいぶん哀れんでくれていた。ちゃんと部屋はあるようで、114号室の鍵を受け取った。 部屋には、ちゃんと僕の荷物が入れてあった。冷静にみるとすごい量で、引越しは大変だったろうと思う。ありがとう・・・ 名札をみれば、ルームメイトは4年生。年上のはずで、どんな人だろう。ドキドキだ。 そうこうしている間に5時が近づいていて、日本語サークルの授業の部屋へ向かった。坂の多い忠州大、足が不自由で体力も落ちた身には大変だ。サークルの授業の部屋に飛び込めば、メンバーががらっと変わっていた。新入生はもちろん、日本留学から帰って来た人もいっぱい。軍隊に行ってしまった友達とはお別れになってしまったけど、その分の出会いはもちろん待っていたのだ。 でも僕のいなかった2ヶ月間の何よりの変化は、男3人に彼女ができたことだ。俺のいぬまに・・・ おめでたいこった。 今日は授業もそこそこに、軽く飲みに行く事になった。僕に多額の保険金が入る事は内々に伝わっているようで、「おごって〜」ということになったが、それは考えていた事。みんなには入院中まじでお世話になったし、心配だってかけたのだから。でも中間考査を1週間後に控えていた事もあり、これたのは8人だけ。こりゃ、また仕切りなおさないと。 寄宿舎に帰って程なく、ルームメイトが現れた。4年生だけど同じ81年生まれ。韓国では何年生まれかで上下関係が決まるので、日本式でも韓国式でも「タメ」という、初めて会った友達だ。日本に帰っていたこともあり、口に出る言葉はついつい丁寧型になるが、タメ口で話してよと言われるので、頑張ってみよう。 ようやく、韓国留学第2ステージの幕が切って降りた。失った2ヶ月は痛いけど、めいっぱい今を楽しんでいこう。 | |
◆4月15日(火)減退 寄宿舎のご飯を久しぶりに食べたが、とにかく辛い! 咳き込んでしまい、去年やってきた当初を思い出す。2ヶ月で、味覚はすっかり日本に戻っていた。これから嫌でも、また慣れていくのだろうけど。 午後からは帰った報告のため、土木と都市工学科に出向いた。山深い忠州大でもさらに上にあるので、たどり着くだけでも大変なリハビリだ。ご心配かけて申し訳なかった旨、挨拶にまわった。こけて折ってしまったことに関しては、「大変だったね」と「おいおいそんなことで折るな よ」に二分。後者ももっともだと思う。 講義については、とりあえず鎮教授が3つ登録してくれていたそうだ。単位はもう望めないだろうけど、それなりに出席はしよう。 昨日今日と感じるのは、とにかく韓国語力が落ちてしまった事だ。一応の勉強はしていたし、維持はできていたかなと思っていたが、やっぱり会話の応酬がないとどんどん落ちていってしまうものらしい。愕然。早く取り戻さねば。 | |
◆4月16日(水)2ヶ月前の我が家 韓国での入院は、国民健康保険のおかげでずいぶん安く済んだが、3月〜5月の保険料をまだ払えていない。いずれ診断も受けに行かなくちゃならないし、やす君の友達・ヒョンホ君の車で、市役所横の保険公団まで出かけた。 保険料は延滞のため、月あたり2000ウォンほどプラスになり、全部で9万ウォン程になった。決して安くはないけど、万一の事態がまた起これば(万二というのか?)それどころでは済まないのだから、納得して払い込んだ。 次は、1ヶ月間お世話になった忠州病院へ。レントゲン写真と松葉杖の返却、そして保険のために診断書を貰いに行ったのだが、入院費が足りなかったとかでプラス16万ウォンほど請求された。一瞬とまどったが、まあ安すぎるとは思っていたし、保険でカバーされるからいいか。それにしても、僕が来なかったらどうするつもりだったんだろう。 3階の看護師室へも挨拶に。婦長さんは以前のままで、回復をとても喜んでくれた。家族が来れない日本人ということで、いろいろと「仕事以外の仕事」をしてもらたこともあって、 「実はお礼があるんですが、まだ日本から着いていないんです」 「あら〜、楽しみにしてるわ」 このさっぱりさがイイ。 ところで今日は、韓日サッカー親善試合の日だ。やはり韓国にとって日本は永遠の宿敵なのか、かなりの話題になっていた。昨年の南北韓対決の時を、はるかにしのぐ盛り上がりだ。 前半戦は、近くの食堂でタッカルビをつまみながら観戦。熱烈に韓国を応援するやす君の彼女の手前、やす君と僕は日本のチャンスにも、諸手を挙げて喜ぶわけにはいかない。「うーっ!」と歓声をこらえる様は、唸っているようにも聞こえそうだ。 後半戦は、体育館前にプロジェクターを置いて、大写しにしてみんなで楽しんでいるというので、そっちに向かった。W杯の時もそうやって応援したらしく、誰でも決まって、 「あれは楽しかったよね〜」 と、うっとりした目で話す。今日はさすがにあの赤いTシャツは見られないし、「大韓民国」コールも少ないが、かなりの人が集まって観戦している様はまさしくW杯の再現だ。僕は危険を避けるために(?)車の中から見守ったが、やす君ペアは外で観戦。 ‥‥で、日本が点を入れてしまった。やす君は彼女に「ここに日本人がいまーす!」と叫ばれて、「まじこわかった」。そうだろうな。 その後は、なんと4ヶ月ぶりに赫昌兄のアパート(韓国語では「下宿」に対して「自炊」という)に遊びに行った。彼女さんは建築工学科ならぬ「建築学科」の所属だそうだ。日本と同様、工学科は構造、環境、設備など総合的に学ぶのに対し、学科は意匠に特化。しかも過程は5年間で、韓国ではソウル大と忠州大にしかないそうだ。また教育で、日本の一歩先を行かれてしまった。 やっぱり日本にいても韓国にいても、友達と遊ぶことは楽しい。それができる体になって、本当によかった。はやく全快できるよう、歩きまくらねば。 | |
車道側の掲示板(4月17日撮影) 危険な階段(5月撮影) 憩えぬベンチ(5月撮影) | ◆4月17日(木)出席 今日から、授業(大学の講義も、韓国ではそう呼ぶ)にも復帰してみた。 「計算よりも、概論的なことがいいでしょう」 と、鎮教授から代理で履修登録して頂いていた、都市計画設計と交通政策論の授業だ。 10時からは、都市計画設計。こじんまりした実習室で受講者も少なく、どこかアットホームな感じだ。まずトレーシングペーパーと絵を渡された。どうやら図面の練習らしい。やべえ、ロットリング(製図ペン)日本に置いてきちゃったよ、と思ったが、中にはボールペンで書いている人もいる。だめじゃん、製図ペンに慣れないと! 幸い筆入れの中にあった「なんちゃって製図ペン」を使って事無きを得た。 フリーハンドのトレースなんて、3年以上図面を引き続けた僕にはちょろいもの。まさかこれが終わったら帰ってよし、なんてことはないよなと思ってたら、やはり授業が始まった。 「空間に機能を加え、場所になるんだ」 そんな話から始まった授業。先生は丁寧語でゆっくり喋るので、50%くらいは聞き取れる。建ぺい率や容積率といった専門用語も、日本で学習済みなので理解可能だ。計算には少しつまずいたけど。 「自分が悪いな、おかしいなと感じることが重要です。例えばそこの建物、目の前に駐車場があるけど、何が主役に見える? 車だよね。自動車のための空間は必要だけど、建物の前は緑地なんかにすべきじゃ?」 「一方通行の車路と歩道が並んでるところ、掲示板は車道側にあるでしょう。この掲示板、見ている人を見たことある? 見ていたら車に跳ねられる‥‥ そんな設計じゃだめなんだ」 問題だらけのキャンパス計画というのもどうかと思うけど、大学内の身近な例を挙げて説明されるのも分かりやすかった。来週の中間考査も、 「みんながどう考えているのかを聞きたい」 ような試験らしいので、とりあえず受けてみよう。 午後2時からは交通政策論で、これも実習室での授業だ。日本やアメリカの交通政策を見ながら、韓国はどのような政策を取ってきたかを学ぶ。 人口が1/4なのに、事故死者は日本と同じくらいと言われてきた韓国。ここ3年は千人/年のペースで減っているそうだが、なお多いことには変わらない。それに、被害者に歩行者が占める割合は、日本の10〜15%に対し、韓国は40%にのぼるという。歩行者にとっては、10倍危険なのだ。 「事故死者がピークを迎えたのは、日本が1970年で、韓国が90年。社会問題なんかを見ても、日本の今は韓国の20年後だと、私はいっつも言っているんだ! それなのに‥‥」 「忠州の運転マナーは本当に悪い。見るたびにすごいストレス」 なんて教授のホンネも聞くことができた。 ところで授業の途中、なにやらよく分からないけど紙を配られた。辞書をひきひき調べてみると、都市工学科の学生会主催で、建設中の橋の見学会があるそうだ。 「その足で大丈夫かな〜」 とは言われたけど来月だし、その時までに少しは良くなってるだろう。「参加可否」にマルを付けた。 今日受けた2つの授業とも、みんな歓迎してくれて友達もできた。内容も面白いし、単位はもう無理だろうけど、出れるだけ出てやろう。成績とるために来たんじゃないのだから。 ※何をどう聞き間違えたのか知らないけど、見学会で行くは建設中などではなく、立派な現役の橋でした。 |
◆4月18日(金)日本食 暖かい、というより暑い。今日は25度以上を記録したそうだ。桜も散ってしまい、日本と同様初夏に向かいつつある。お気に入りだった秋物の服、春に出番はなかったな。 髪は、日本の美容院で切って以来、2ヶ月間ほったらかしなので、例の4000ウォン床屋へ行った。理容師のお姉さんは、変わりなし。 「しばらく見ないから、日本に帰ったのかと思ってた。足どうしたの!?」 あちこちで貰ってる反応だ。心配かけたお詫びに、 「実は日本から『みそしる』と『おちゃづけ』を持って来てるんですが、明日持って来ましょうか」 「本当!? とっても嬉しい!」 以前来たとき、日本にいたころ食べた日本食を、懐かしがられていたのだ。 ところで今夜は、冬休みの間住んでいて(といっても一週間くらいだったけど)、入院中もお世話になっていた下宿の大屋さん家へ、遊びに行くことにしている。お礼がてら日本のカレーをごちそうしようと、日本からルーを持って来た。あとは材料を揃えねばというわけで、いつもの農協ハナロマートへ出かけた。 肉はもちろん、野菜も量り売りで、泥だらけの野菜が山と積まれている。肉は、豚の肩がグラム400ウォンだからだいぶ安いが、野菜は季節が外れていることもあってか、日本と同じくらいの値段だ。市場で買えば、もっと安いのかもしれないけど。 生鮮類を買うのはもちろん初めてなので、その支払い方法は大いに迷った。いつもの親切なおばちゃんがいなかったら、買えなかったかもしれない。野菜売り場の隅にある軽量器で計って、バーコードの付いたシールをプリントアウト、それを貼り付けてレジに持っていくのだそうだ。なんだか、いくらでも不正を働けそうな方法ではある。 下宿までの道のりは、雨の中はるかに遠かった。おばさんもおじさんも、お元気に過ごされていたようだ。下宿生の方もがらっと変わっていて、男だらけになってしまってる。下宿のお姉さんからは、 「韓国語うまくなってるじゃない!」 と誉められ、今まで会った人とは逆の反応なだけに、正直嬉しい。単に、お姉さんの韓国語が聞き取りやすいだけなんだけど。 カレーはどうなったかというと、来たとき既におばさんがポックンパプ(炒飯)を作っていたので、また今度ということになった。 「うちは6人いるから、韓国のカレーも作らないとね」 「別々に作りましょうね!」 | |
◆4月19日(土)自立自信 自立していかねばということで、今日は一人でバスに乗って病院に行くことにした。今以上に足が悪かった時にも、日本のバスに乗ったのだが、それでも恐れるのは、ひとえにバスの運転が乱暴だから。ステップが高くて、乗降が困難という理由もある。 バス停にたどり着くまでも地下道があり、手すりはないので慎重に一段ずつクリア。この国の老人の苦労が、身をもって分かろうというものだ。 変わらぬ市内行きのバスがやってきた。高いステップも一段ずつ上り、停車している内に空いている席に着いた。やれやれ。以前と変わったのは運賃で、現金850ウォン、回数券830ウォンになった。日本の感覚から見れば尚安いが、「韓国で一番高くなった」と、みなブーブー だ。運賃投入口には、以前なかった運賃の掲示がなされていたけど、ほとぼりが冷めればなくなるのだろう。 問題は降りるときだ。 「バスが完全に止まってから席を立ってください」 なんて甘い国ではない。 「円滑な運行のため、あらかじめ出口の前でお待ちください」 というのが、この国のバスの流儀。信号で停まっている間に出口へ移動。手すりにしっかり掴まって、停留所まで耐えた。降りるときも運転士が急かすようなこともなく、無事降車。バス一つ乗るのにこんなに気を使ったことは初めてだが、思ったより大丈夫だった。 病院で残りの入院費を払い、入院時はお世話になった先生からの診断も受ける。レントゲン写真を撮ってもらい、この先何に気をつければいいか、やさしい言葉でゆっくり話してもらった。日本と同じように、病院に一人で来れた。診断も受けられた。これなら、万一病気にかかっても大丈夫と、ある種の自信が生まれた。 「骨折なんて二度としないなんて思うより、もう何が起きても大丈夫と思った方がいいよ」 そんな、日本の親友の言葉を思い出していた。 帰路、CD(BoAの2ndと野人時代のO.S.T.)を買うため、Eマートへ寄り道。土曜とあって、レジの列は長い。ようやくあと3人となったところで、順番を巡って前の二組で戦いが始まった。 「私がここにカゴ置いてたでしょ!」 「じゃあ前の人に聞いてみろよ!」 いやはや、すごい迫力。「あんた」やら「あなた」なんて、普段聞けない二人称が次々飛び出す。しかも割り込まれた(と主張する側)が「もういいよ、行け」と言っても、相手がぼそっと何かつぶやくものだから「なんだと!」てな具合に、いつまでたっても終わらない。止めに入ったのは周りの人たちで、店員は傍観するだけだった。 つまらないことに、随分真剣に怒るものだ。日本人だったら、争いを裂けるためどっちかが退いて終わりになるのだろうが、納得できないことには声を上げざるを得ない国民性なのだろう。一日本人から見れば、怖かった・・・ 帰りのバスは混んでいたが何とか座れた。が、僕より足の悪そうなおじいさんが乗ってきたので、年功序列とばかりに席を譲った。 「じゃあ鞄をお持ちしましょう」 なんかガイドブックで見たような風景になったが、やっぱり座らないときつい。すると後ろの女の人が席を譲ってくれた。年長者だけでなく、ケガ人にも譲ってくれるんだ。よかった・・・ | |
勉強?? ルームメイト聖満も | ◆4月20日(日)カレー 下宿へ再度、カレーを作りに行った。久しぶりに、そう本当久しぶりに包丁を持ったが、料理の感覚なんてとうの昔に忘れてしまったようだ。野菜の皮までおばさんがむいていてくれたのに、切るだけで悪戦苦闘してしまった。 「『韓国のお母さん』と料理したこと、いい思い出になるんじゃない?」 確かに。 一方で興味があったのが、韓国の人は日本のカレーをどう感じるのかということ。日本人ではカレーはみんなが好きで、代表的な日本食とまで言われることがある食べ物だがが、韓国ではそこまでの地位はない。それに寄宿舎で食べたカレーは甘く、似て非なる食べ物だった。普通、韓国の食べ物は辛いのにまったく逆だ。 さて、日本のカレーに対する下宿生の感想は「似てる」。え、そうかなと思い、一緒に作った韓国のカレーを食べてみたら、寄宿舎のカレーより日本のカレーに近かった。そういえば、日本でも給食のカレーって、市販品とはちょっと違う食べ物だ。でも、なんだか香辛料が効いていないんだよな。韓国人が感じない辛さの感覚なのだろうか。下宿のお姉さんは「うん、どっちもおいしい!」と言ってくれた。 カレーの食べかたで興味深いのは、とにかく誰でもみんな混ぜる混ぜる! 韓国のカレーは、ビビンバプ(混ぜご飯)の一種のようだ。 食事後、しばらく雑談していたのだが、ドキッとすることを指摘された。 「話す途中で『フフッ』て言うの、だめよ」 まったく意識してなかったけど、言葉が見付からず間が出来たとき、持たせるためか鼻で笑うような声を出していたのだ。目上の人と話すときは、間違わないよう慎重になるから、特に顕著になるようだ。自分でも分からぬ間に、失礼をしていた。いかんいかん、気を付けねば。 「顔はかっこいいんだから、それさえなければいい男よ」 そ、そうですか? 俄然、気を付ける気になった。 |
忠州駅 カンさん宅にて | ◆4月21日(月)①国際会議 「日本だと1/3出席しないと試験受けられないんだけど、忠州大もそうだよね」 「いや分かんないよ。相談に行った方がいいよ」 月曜からスタートの中間試験を受ける気は更々なかったのだけど、ルームメイト君からこう進言されて、学科事務室へ向かった。 「単位なくても、受けてみないと」 なんですと!? 韓国に帰った翌日の挨拶回りの時に、各先生にちゃんときいておけばよかった。しかも今日の午後から明日の昼まで、予定が入ってるんだよね・・・ 都市計画概論の試験は明後日。日本の恥にならない程度の点数は取れるかしら。顔見知りの女の子が受けているとかで、重要な部分をピックアップして教えてくれることになった。感謝! で、その「午後からの用事」のために、バスで忠州駅に向かった。我らが大分大学井上研究室のメンバーが、大田で開催されている国際会議に来ているので、お会いしに行くのだ。 バスでは席を譲ってもらい、無事駅まで到着。平日なので、大田までの指定券も余裕で確保できた。田舎の駅は、プラットホームまでの道が跨線橋でなく、構内踏切。こんな足の時は、楽でいい。あんがい簡単な「ユニバーサルデザイン」なのかも。 大田までの1時間半は通いなれた道だが、列車に乗ること自体は4ヶ月ぶりで、ここ何年で最長記録かもしれない。久しぶりのガタンゴトンのリズムに眠りを誘われたが、清州では建設中の高速鉄道の車両が車窓をかすめ、目が冴えた。 約束の6時までは時間があるので、久しぶりにペンフレンドのカンさん宅にお邪魔する約束をしている。赤ちゃんが寝ているので、タクシーに乗って来てくださいとのこと。料金がよくわからないタクシーに乗るのはストレスだが、ボルようなことはなくかなり安かった。 昨年11月以来、約5ヶ月ぶりのカンさん。前回はほとんど日本語で会話したけど、今回は韓国語で話せて嬉しかった。カンさんの方は日本語の勉強を中断、次は何と中国語の習得を目指すそうだ。 「英語は?」「その後で」 すごい語学熱だ。 コレクションの切符の分類を手伝ったり、地図をネタに話したりしながら時を過ごした。井上研メンバーとは連絡がすれ違い、8時集合に変わったと思えば6時に戻り、時すでに5時半。ロッテホテルまでは市内を横断する形になり、時間もないのでタクシーでホテルに向かうことになった。 |
◆4月21日(月)②国際会議 カンさんにつかまえて貰ったタクシーに乗り込み、一路大田の学術エリアへ。このタクシーも明朗会計、運ちゃんも話好きで、約30分話通しだった。 「日本人が韓国へ交換留学に来るときは、生活費まで出るのに、韓国人が行くときはなんで出ないんだ?」 いやいや、それ以上払ってるんですけど・・・ 「韓国のタクシーは安いから、子供でも乗るんだよ。しかも子供料金があるから・・・」 それは初耳だった。日本人からボリたくもなるかもしれない。 ロッテホテルに着いてもどこに行けばいいか分からず、連絡もできないのでロビー周辺をウロウロしていると、2階からスーツ姿が似合わない院生T先輩が降りてきた。上がってみれば会食パーティーの真っ最中。隅っこで小さくなりながら、韓国で会う約束を果たせたことを喜んだ。 会議の参加者でもないし、会場に入るのだけはためらっていたけど、韓国舞踊の公演だけはこっそり忍び込んだ。韓国といえども、国際会議なので公用語はもちろん英語。韓国人と日本人以外が怖い。 8時には宿泊先の儒城温泉に移動。水安保のような温泉街を想像していたが結構街で、逆にいえば風情に乏しい。実際、参加者の皆さんも温泉地だとは認識していなかったようだ。 ホテルに荷物を置いて、九州大の先生とともに街へ繰り出した。日本人旅行者も多い街らしく、意味不明な日本語に皆さん大盛り上がり。マークまでトヨタ自動車と同じサロン「ルームトヨタ」にも興味津々だった。 我が研究室の韓国人留学生・権さんとも協議の結果、普通の焼き肉店へ。サムギョプサルやテジカルビに「百歳酒」をご馳走になった。韓国の焼き肉も久しぶりだ。テジカルビは最初、みんな牛肉だと思っていたそうで、やはり韓国人は豚肉の食べ方がうまいんだなと再認識した。 コンビニLG25でも何かと盛り上がり、宿に着いたのは11時。権さん、T先輩の部屋にお邪魔した。権さんは学術成績も優秀な留学生なのだが、T先輩の影響もあってか(!?)、かなりはじけていた。こんなに面白い韓国人をみたのは、初めてだ・・・ | |
新型ムグンファ号 明るい車内 | ◆4月22日(火)帰って勉強 朝はT先輩とともに、ホテル内の温泉へ行ってみた。宿泊者割引でも4,950ウォンと、かなりの高値だ。T先輩は、お風呂場までの長いアプローチや、浴室内の小便器(たまにある)に興味深々。僕も初めて韓国の風呂に入ったときは、きょろきょろしてたっけ。 忙しい国際会議なので、朝8時にはホテルを出発。よくわからぬままロッテの送迎バスに乗ってしまったが、駅から余計に遠くなったようだ。教授はお忙しく、さよならをする時間もなかったのは心残りだが仕方ない。院生は、抜け出してバス停まで見送りに来てくれた。 まさか韓国でお会いできるとは、思っても見なかった。いい研究室に入ったものだ。帰ったら、少しは力になれるよう頑張らねば。 大田駅までのバスは、時々思い出したように案内放送が入るものの、どのあたりまで来たかは自分で判断しなければならない。見慣れた景色になったなと思ってると、突然英語の放送も入りそこが大田駅前だった。ロッテホテルでは1時間以上かかると言ってたが、実際は40分程度。フロント係の方は、乗ったことがないのだろう。 帰路に利用した大田発10時のムグンファ号は、おろしたてピカピカの新型客車だった。デッキは広く、トイレの前にはちょっとしたフリースペースが生まれた。窓は大きく、デッキとの仕切りもガラス戸になり開放感が増している。薄緑が基調のインテリアもなかなか素敵。広い車体幅を生かし、空調を側面に設けて、その分天井も高くしたようだ。ゆとりはセマウルにかなわないが、韓国鉄道の車両の中でも秀逸な出来栄えと評価していいだろう。 我らがローカル忠北線に、こんな新型車が入るとは嬉しい、大田ならバスより列車だと思うが、利用者の反応は特にないようだ。僕は初めてだったが、投入してしばらく経っているのかもしれない。それとも、どんな車両かだなんて関心がないのだろうか。 周徳駅から市内バスで帰り、昼飯を食って、あくびをしつつそのまま学校へ。友達は他の試験があったようで、明日の試験の要約を貰えたのは午後4時半だった。さあ、勉強勉強! 田園都市論や近隣住区論といた内容は、日本でも都市計画の講義を習ったので復習のようなものだし、韓国の都市問題も程度の差こそあれ、何を問題にしているかはほとんど同じだ。苦労したのは都市計画の法規関係。3段階に別れた計画は、内容が多く覚えきれない・・・ 読み取れない単語についてはルームメイト君に、日本でもやったけど思い出せない内容は、なんと大分の都市計研究室に国際電話して、尋ねた。ご協力ありがとうございます。なんとしてでも、ある程度は点を取らねば・・・ 2時までなんて、大して頑張った方じゃないかもしれないが。 |
◆4月23日(水)必殺漢字記述 朝は7時に起きて、試験勉強再開。いまいち集中力が出ない。日本にいた頃は、試験日朝の勉強で点数を稼いでいたが、韓国に来てからことに朝が弱くなった。 10時、試験スタート。韓国の定期試験を受けるのは始めてなので、興味深々だ。まずバラけるように座らされ、机の上の落書きをきちんと消すよう指示される。試験が始まった後も、監督の先生の見回りは丹念だった。事実上カンニング認可だった、大分大学の「一部」の試験とはえらい違いだ。 試験は、10点問題5つから4問選択、20点問題4つから3問選択の、計7問だ。すべて論述式で、これは日本の概論系試験と同じ形態。もちろん、友達から貰った要点整理でカバーできる問題を選んで解いたが、法制の問題はやっぱりうまくい書けなかった。 辞書の持ち込みは認められたものの、書いてなんぼの論述式なので、分からない単語をすべて調べてる時間はない。そこで使うのは、日本人にとっての必殺技「漢字記述」だ。特に専門用語はほとんど漢字語だし、教授レベルなら漢字も解してくれる。ただし気をつけなければならないのは、韓国の漢字は旧態字であること。特に難しい字はハングルで書けるようにしておいたが、「団地」など何個所かは、日本式略態字で書いてしまったことに後から気付いた。 他の学生は結構早く出ていってしまい、最後まで残ったのは数人。各問ともある程度は書いたつもりだけど、提出時に他の人の答案を見れば、ゲッ、裏まで書いてる‥‥ 俺だったら、日本語でもそんなには書けない。 ひとまず今日の試験は終了。寄宿舎の昼食が、試験期間特別メニューのサムギョプサル(量多すぎ)だったのは嬉しい。明日も都市計画設計の試験があるが、お腹いっぱいになって眠い。ひとまず横になる。 で、起きてみれば5時。昨日勉強を始めた時間と一緒じゃん! 夕食を挟んで勉強を続けたが、昨日ほどの熱が出ない。内容が少なかったこともあり、0時には寝てしまった。あれだけ昼寝したのにパッタリ眠れるとは、どういうわけだろう。 | |
◆4月24日(木)試験終了 二科目目の試験は「都市計画設計」。問題は3問、空間と場所の違いを比較して述べよ、都市設計の意味を重要な点を中心に述べよ、3問目は「君は分かんないだろうから」ということで、忠州大周辺で印象に残った景色を述べよ、という問題になった。書ける分はハングルで書いたが、例によって漢字も混ぜた回答を、なんとか完成させた。どんな評価が返ってくるのだろう。楽しみなような恐いような。 午後は、改めて忠州病院へ向かった。実家から、病院向けの快気祝いを送ってもらっていたのだが、その賞味期限が2日前に切れていたのだ。賞味期限切れのものを送るのもどうかとは思うが、韓国の人は賞味期限を日本人以上に気にしない(ような気がする)し、早めに渡しに行こうと思い至ったのだ。 不自由な足でのバスにも、すっかり慣れて無事市内へ。まずは3階の看護婦室へ手渡しに行った。一応、日本式に奇麗に包装してあったが、案の定すぐ開けられる。韓国では、あまりちまちました包装はしないらしく、これも単なる「包装」と思われているのかも。 「まあ、パンみたいなものね。ありがとう」 おいしく食べてくださいと言い残し、エレベーターで6階へと上がった。 6階の物理治療室は、3ヶ月ぶり。先生は一瞬あれって顔をした後、すぐに思い出されたようだ。いつものようにコーヒーを入れてくれて、 「市内に来たときには、ここまでコーヒーでも飲みにおいで」 と言ってくれた。ホント、いい先生だ。 ついでに、父から貰っていた日本円の現金を、韓国ウォンに変えようと近所にあった国民銀行へ。韓国の代表的金融機関である国民銀行を使うのは初めてで、そこで面白いものをみつけた。その名もずばり「LOTTO6」の発行機だ。 韓国でも宝くじ(福券と言う)は大人気だが、たいていはスクラッチ式のスピードくじ。そこに日本から持ち込まれたのがロト6だ。購買意欲を煽るかのように、カウンター上には「午後3時現在の1等賞金64億4千万ウォン!」の字が躍っている。日本より高いではないか。実際、両替を待っている間にも、買う人は後を経たなかった。福券も一種社会現象のように言われるが、ロト6も問題にならなきゃいいけど。 夜は、ホギュ兄の誕生日パーティーへ参加した。1つのケーキをみんなでつつき、スンデで酒を浴びる韓国式誕生日も久しぶりで、なつかしい感じもする。ちなみに兄の誕生日は旧暦を基準にしているそうだ。年齢の数だけろうそくを立てるのは日本と同じだけど、韓国式「数え年」では正月に一斉に年をとるだけに、ちょっと変な感じがしないでもない。 こうしてみんな集まった時に、韓国語できないことを否応無しに実感する。盛り上がる話を聞き取れればいい方で、入っていくのはかなり難しい。まだあまり話したことのないホギュ兄と話せたのも、みんながちょっと出ていって2人になった時だった。 今夜はそのまま兄のアパート(韓国では自炊部屋という)で、川の字になって寝た。 | |
◆4月25日(金)飯食ったか 結局、兄宅で11時までもだらだら寝てしまった。我ながら、よくこんなに眠れるものだと思うし、それでも眠い。兄宅でお昼ご飯も頂いて寄宿舎に帰ったが、そのまま部屋にいては寝てしまいそうなので、一念発起(!)して図書館へ歩いて向かった。 コンピューター室はあいにく閉鎖で、それではと4階の雑誌コーナーへ。韓国版「新建築」とも言える建築雑誌「建築文化」のバックナンバーを見ていると、面白いプロジェクトにあたった。なんでもソウルに韓式家屋が多く残る地域があり、その建物を再生して、バーや茶店として活用しているそうだ。それも、うまく現代風にアレンジしたものあり、昔を大切にしたものありとバラエティに富んでいる。ぜひ行ってみたいし、その為にも足を治さねば。 夜、ルームメイト君と韓国語・日本語の挨拶の勉強をしあっていて、こんな話になった。 「日本語では『パンモゴッソ?』はなんていうの?」 「『飯食った?』だけど、あんまり使わないよ。もしそう言ったら『もし食べてなかったら、一緒に食いにいこう』って意味になる」 「そうでしょ。俺もこの挨拶、変だと思うんだ。まあ『うん』って答えればいいんだけど、『どこ行くの?』なんて挨拶されたら、いちいち答えるの面倒だよ」 なるほど、韓国の慣用的挨拶はおもしろいなと思ってたけど、韓国人でもそう思う人はいるのだ。英語をよく学んでるからこそ、思うことなのかもしれない。 僕も外国語の勉強をしている身。逆に、日本語の面白い所も発見できるかもしれない。 | |
◆4月26日(土)ナマ日本 テスト明けでみんな実家に帰ってしまった週末。今日は、ヒョクチャン兄の家で、僕が日本で撮ってきたビデオを一緒に見た。 日本で語学学習する人もよく見るという手話ニュースは、やはり聞き取りやすいと好評。NHKハングル講座も、歴史や文化まで分かりやすく教えてくれるのがよいということだった。 でも音楽好きの兄に一番好評だったのは、「カウントダウンTV」(TBSの音楽ランキング番組)。MC(?)がCGなのも韓国にはない形だし、日本でどんな音楽が流行っているかどうか、韓国ではなかなか分からないそうだ。確かに、韓国の音楽サイトの邦楽アクセスランキングを見ても、X-JAPANやアニメソングが上位に食い込んでいて、日本の流行とはかけ離れた感じがする。 ちなみにお昼ご飯は、日本からもってきたインスタントラーメンで、これまた好評。なんだか日本づくしの一日だったが、日本語はほとんど口にしなかった。 | |
◆4月27日(日)眩春 今日は本当にやることがなく、午前・午後と図書館で勉強。地下の売店で気分転換する相手もおらず、ぶっとおしで勉強しようとした結果、自学自習での集中力の限度が2時間であることを悟った。 足の調子はかなり良くなってきていて、階段を普通に上れるようになった。坂道にしろ階段にしろ下りの方が怖く、エスカレーターが1つしかない駅では、足が不自由な人にとって下りこそ必要という話が、よく分かる。 足を保護する装具は、もうつけなくても大丈夫らしいが、万一転倒したのショックを和らげるため、まだつけたまにしている。ドライバーやバスの運転士さんに、足が悪いことをアピールするためでもある。一度、見知らぬ人に、図書館から寄宿舎まで乗せていってもらったこともあった。 周りからジロっと見られる視線はちょっと痛いけど、割合平気だ。小学生のころ、乱視を治すために片目に眼帯をつけて生活していた時に、慣れてしまったのかもしれない。 韓国の春はきれいだ。花が咲くのはもちろん、落葉樹林ばかりなのでこの季節、山は若葉色に染まる。強く春を感じ、目に眩しい。この気持ち、冬眠から覚めた熊のようなものかもしれない。冬の間、ずっと入院していたのだから。 | |
ヒョンホのバイク 笑顔サークルの授業にて | ◆4月28日(月)2ケツ 我らが日本語サークル「笑顔」に、サークルの部屋ができて数週間。メンバーが溜まるようになったし、掲示板やらパソコンやら持ち込まれて、ようやく「らしく」なってきた。アニメ好きで日本語に興味を持った人が多いだけに、今日、アニメのポスターも持ち込まれた。感想、 「わー、アニメトンアリ(サークルのこと)だ!」 そのサークル部屋から寄宿舎まで往復する用事があったので、友達のバイクに乗せてもらった。大分にいたころは、よく友達のバイクに乗っけてもらって、あちこち行ってたけど、それ以来久しぶりだ。最高気温が24度になり、4月にして半袖で過ごしたその日、そりゃもう気持ちよかったこと。 でも何が気持ちよかったって、韓国式にノーヘルで吹かれた風! 日本じゃちょっとできない体験だけど、負傷中の右足のこともあるし、万一のことを考えれば恐かったのが正直な心境だ。バイクの所有者本人が運転してたわけじゃないから、運転も慣れない感じだったし・・・ ところで3日前から、韓国語での日記も付けはじめた。自分で考えた文章なので、単語も文法もよく頭に入りいい勉強になっているが、今日の夜、それを元に韓国語版留学日記のホームページを作ってみた。ハングルのキーボード打ちはほとんど経験がなく、悪戦苦闘。それでも、なんとかホームページらしくなった。 アドレスの公開は、もうちょっと書いてからにしよう。 夜11時前、シャワーを浴びてみたら、水しか出ない! いくら夏のような天気といっても、水シャワーの季節には早すぎるのではないかと思ったが、ルームメイト君によればさっきまで出ていたという。そういえば昨夜は逆に、遅く行ったルームメイト君が水シャワーだった。 どうやら暖かくなってきたので、ボイラーの能力を落としたということらしい。今しばらくは早めのシャワーが鉄則だが、気合と根性の水シャワーの季節は、すぐそこに迫っているのかもしれない。 |
500ウォン野球場 (バッティングセンター) ノレトン内部 | ◆4月29日(火)歌筒 昨日半袖、今日重ね着。嘘みたいだが本当の天気で、昨日より10度も下がったらしい。こういう時こそ風邪をひきやすい。気をつけなければ。 雨もシトシト降ったこの日、授業もないのにやったことといえば、韓国語のホームページ作りくらい。ハングルの入力は難しいものの、左に母音、右に子音と規則的なので、だいぶなれてきた。 ただ面倒なのは漢字の入力。日本のように一発変換できず、一文字づつ変換しなくてはならないのだ。まあそれだけ、韓国では漢字を使う必要がないということだろう。ホームページ上でも、補足説明くらいにしか使われない。 ・・・なんて早合点していたのだが、ワードソフトが入ったパソコンなら、F7キーで変換できるそうだ。なんでも友達に聞いてみるものである。 夜には、ひさびさにゲーセンのカラオケに遊びに行った。韓国ではカラオケBOXも、ゲーセンのカラオケブースも「ノレバン」(歌部屋)と表現するのだが、ヒョンホ君いわく「ノレトン」(歌筒)とも表現するらしい。「筒」より「箱」じゃない? と思っていたが、今日初めていったゲーセンにあったのは、まさしく「筒」! いずれにせよ、日本にはない面白いアトラクションだ。僕の好きな歌は、声が高いものが多く、ノレトンでは思いっきり歌えないのだけど。 |
◆4月30日(水)寝る子 午前中は、初めて聞く(韓国では授業の出席をこう表現する)都市計画概論の授業。試験も一応受けたのだけど、出席確認の名前は呼ばれなかった。抹消されちゃったのかな。日本でも都市計画の講義を受けたので、どちみち単位にはならないのだけど。内容は、既習とはいえ結構高度だ。 昼飯のあと、寄宿舎のベッドに横になったら、そのまま2時間の眠りに・・・ 実は毎日、8時間以上寝ているのだが、それでも足りていないらしい。知らぬうちに体力を使っている。おそるべし韓国。 |
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