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Chang! 韓国遊学日記2003年6月 △TOPへ
こんなの絶対乗れません | ◆6月1日(日)無理は禁物 今日、南気兄と享鎬の紹介で、女子高生4人とソウルのロッテワールドで遊んだ。 で、反省することばかりだ。 そもそも、僕自身が乗り気じゃなかった。一度だって行きたいなんて言ったことはなく、いつのまにか「行くことにされていた」からだ。 そんな気持ちで行って、楽しいはずもない。 相手の4人も、話し掛けてもほとんど答えてくれず、会話にならなかったから、こっちもだんまりを決め込んでしまった。でも、雰囲気を良くする努力をしなかったのは僕自身も同じだ。むしろ、その雰囲気を助長していたような気がする。 来た経緯はどうあれ、来たからには楽しむ気持ちが必要だった。 最後の方には少し打ち解けられたけど、もうちょい心に余裕をもたねばなと、しきりに思った。 ただそもそも、体力が戻らない原状で、遊園地で遊ぶこと自体、無理があった。かなりバテた。最後には、動けなくなった。 無理をしないこと、無理なことは断る勇気、これも大切だ。 |
◆6月2日(月)温度差 ネットで見て知ったのだが、サッカー日韓戦の関東での視聴率は12%程度で、同時間帯のプロ野球、巨人×阪神戦と同程度だったそうだ(関西では野球の圧勝)。しかも、大分では中継すらなかったそうである。韓国では、車通りが少なくなるほどだったというのに・・・ 温度差を感じた。 1ヶ月ほど前から韓国語の日記を付けはじめ、それを韓国人のみんなに添削してもらっているのだが、その度に言われるのが、 「字がうまいね」「俺よりうまい」。 いやあ、照れるなあ・・・ 正直嬉しいのだが、日本人ならたいてい、ハングルを書くのがうまいと、大分大学の韓国語の先生から聞いたことがある。ハングル文字の構造は漢字に似ているし、文字の1つ1つも、書き慣れた「人」や「ト」といった文字とほぼ同じだからだ。 もっとも、 「創も10年くらい勉強したら、俺らみたいな(雑な)字になるんだろうね」 とも言われたこともある。そこまでたどり着けば本物だ。 | |
◆6月3日(火)今日は勉強 今日は久しぶりに、ちゃんと勉強した。したらしたで、 「今日は勉強しかしてないなあ、遊びたいなあ」 てな気分になる。 ところで、韓国に電話をかけて、突然音楽が流れはじめても、ビックリしないように。韓国の携帯では、待ち受け音の代わりに、好きな曲を流せるサービスがあるのだ。みんなの好きな曲も分かるし、相手が出るまで長く待つ気になるのがいい。 PC房、コンビニの飲食スペースと並ぶ、 「日本が韓国を見習ってほしい」点だ。 ※その後9月から、Docomoで同様のサービスが始まりましたね | |
◆6月4日(水)お礼 今日の都市計画概論の講義は、突然先生が「土地利用計画」と漢字で書き始め、「『土』の意味は何だ?」という具合に説明を始めた。韓国でも、その言葉の意味そのものを検討する時は、やはり漢字をつかうのだ。 こんな講義なら簡単に分かるぞ、と意気込んでいたが、その後の講義の内容はめちゃくちゃ難しく、ほとんどお手上げだった。 さて、1月の骨折の保険金が、ようやく全額おりた。入院保険に加え、たまたま付帯していたクレジットカードの旅行保険も出たので、「手取り額」もかなりある。 そこで、入院中にお世話になり、いまでもいろいろ助けてもらっているサークルのメンバーを、感謝の意味でメシに誘った。総勢15人。お金はかなり用意してきたけど、大丈夫かしら? 場所は、先週都市工学科の打ち上げでも行った食堂。ここの「コチュジャンプルコギ」はおいしく、しかも1人前2,500ウォンという値段もあってお気に入りだ。途中からは例によって焼酎も登場。この中で一番飲んでいたのが僕なのだから、我ながらたいしたもんだ。酔った勢いで、ここには書けないような話もだいぶした・・・ような気もする。 で、お会計は、15人で食って飲んでも10万ウォンに届かなかった。覚悟していたより安く済んだので、2次会はカラオケになだれこんだ。 韓国に戻ってきて来て1ヶ月半、だいぶ飲みなれたなぁ・・・ | |
喫茶店から眺めた鐘路 路地裏・嘉会博物館 中央高校 | ◆6月5日(木)①北村を歩く 今日は開校記念日で休講。そこで、以前から行きたかったソウルの「北村韓屋村」に行くことにした。大学院入試対策のため、本を買いに行くというやすも一緒だ。 途中、渋滞に巻き込まれつつ2時間かけて江南ターミナルへ到着。サークルの先輩のビョング兄と会い、まずは江南ターミナル内の「セントラルシティ」を見物。新世界百貨店やショッピングモールが軒を連ねる、一大複合施設だ。僕は何度目かだが、やすは初めてで、 「こんなトコ初めて来た〜楽しい〜」 と浮かれ気味。気持ちはよく分かる。要は俺ら、韓国ではイナカモンなのだ。 3号線と5号線を乗り継ぎ、市内の書店を巡る。昼飯を食って、やすと別れた後は、二人で仁寺洞(インサドン)へ向かった。道に迷い、体力の戻らない僕には辛かった。 仁寺洞は日本人観光客もよく訪れる街で、その雰囲気は僕ら日本人にもしっくり馴染む。ゆっくり腰を落ち着けて、時間を楽しみたくなるような、落ち着いた雰囲気の店が並ぶ。 でも今日の目的地は、さらにその北側の韓屋村だ。保存地区に入れば、さっそく補助金を受け補修工事を終えた、きれいな韓屋が迎えてくれた。建築雑誌の記事で見た通り、歴史的な韓屋とは一味違った、現代風な韓屋だ。 韓屋一軒一軒の歴史的価値は、それほど大きくないのだろうが、それらと細い路地が作り出す雰囲気と、そこで生活する人々こそに価値を見出せる。別府の旧市街地と同じだ。 路地裏には韓屋を改装した博物館があり、ようやく韓屋の中に入ることができた。入場料は2,000ウォン。緑茶のサービスがあり、中庭に腰を下ろし喉を潤す気分は、歩きつかれた身には格別。展示品は、昔の生活に根差した品々が多く、昔から住宅地だったという北村の文化を垣間見れた。 この町内の歴史的建築物は韓屋だけでなく、ゴシック様式の校舎の「中央高校」もある。守衛さんに許可を得て入ってみれば、そこはまるで大学の雰囲気。こんな校舎で学べるとはうらやましい。 その学校から続く街並みも、庶民的で活気がありとってもよかった。建築雑誌の記事には、 「大都市ソウルで『洞内』という概念が残る場所」 という件があった。洞内・・・日本語でいえば、「向こう3軒両隣」なのかな? 確かにそんな空気が漂っている。 韓屋を活用した北村文化センターには、この韓屋保存事業を統括している北村事業チームがあり、事業の内容を紹介していた。韓屋を活用した、生活文化体験コースも用意されているそうだ。今でこそ静かな北村だが、10年もすればソウルの代表的な観光地になりそうな予感がする。 この区域には、やはり韓屋の「ゲストハウスソウル」もはり、こちらも庭の緑が美しく素敵だったので、一晩を過ごせば思い出になるのではないだろうか。 |
アパートから眺めた街並み | ◆6月5日(木)②友達の親戚 3号線と5号線を乗り継ぎ、チョノ駅へ。ここはビョング兄の親戚がお住まいの街だ。 駅前の現代百貨店で待ち合わせしていたのだが、その間見てて面白かったのが、ナイトクラブ(ディスコ)の客引きだ。スーツを着た、見るからにその店員とわかるお兄さんが、次々女の子に声を掛けている。女の子もさるもの、かわすように避ける人、笑ってごまかす人、さまざまだ。 まあそんな光景、日本でも見られるのかもしれないが、その場所が高級イメージを誇る現代百貨店の目の前なのだから恐れ入る。百貨店側からの苦情はないのかしら。 さて、韓国に来て友達の家に泊まった回数といえば数知れぬが、友達の親戚の家というのは初めて。それでも、見ず知らずの外国人である僕を、暖かく迎えてくれた。 小学生、中学生、高校生の三兄弟も人なつっこく、話してて楽しかった。中学生の娘さんは、学校で日本語会話を習っているそうだ。文法事項はひとまず置いておいて、会話の練習から入っているそうだが、それだけにかなり自然な発音で驚いた。 中学から外国語を2つも学ぶとは、すごい教育熱ではある。 |
京仁線急行電車 デザインに長けた仁川市地下鉄 | ◆6月6日(祝)趣味は鉄道です 今日は、南北分断の悲劇のさなかで消え去った街、鉄原の観光バスツアーに参加する予定だったが、疲れのために朝起きれず、代わりに仁川に行くことにした。 ご家族の皆さんの見送りを受け、一人地下鉄を乗り継ぐ。8号線、2号線を乗り継ぎ新道林駅へ。ここから乗った京仁線は、韓国で最初に開通した鉄道。今では首都圏電鉄網の一部だ。 この路線、韓国では唯一、複々線を利用して、料金不要の急行電車を終日運行している路線でもある。運行区間は路線の途中までで、本数も緩行より限られているため、便利とは言い難い。だが、ホーム上で乗り継げる緩急接続はしているようで、目ざとくホームで接続している急行を見つけた人たちが、早足で乗り継いでいた。 利用者の急行志向は強いようだから、ソウル〜仁川の直通電車こそ急行運転すべきでは? と思う。複々線の全通時には、何らかの改善を期待しよう。 電車内は休日とあって、サラリーマンより家族づれの姿が目に付く。そんな親子から、席を譲ってもらった。だいぶ普通に歩けるようになったつもりだけど、まだまだ見た目には不自由らしい。きついのは確かなので、ありがたく好意を受けた。 さて、そうして2時間かけてたどり着いた東仁川駅だが、観光案内所はおろか、地図の一つもない。おまけにガイドブックも持参しておらず、雨まで降り出した。残念だが、市内見物は断念した。 かわりに仁川ワールドカップ競技場へいってみようと、仁川地下鉄に乗った。この地下鉄、車両からサイン計画まで一貫してデザインされており、これまで韓国で乗った鉄道でも一番の出来栄えだと感じた。 やっとのことでたどり着いた競技場駅だが、競技場までは若干距離があり、おまけに雨はますます強くなっていた。仕方ない、そのままソウルへ戻ろう。 結局、今日という1日はソウル〜仁川の往復で終わってしまったが、俺の趣味は「鉄道」なんだし、いろいろ珍しい電車に乗れたのだから、ま、いいか。 帰りのバスを、途中忠州大前で降りるときのこと。運転士さんから、 「ちょっとそこの窓拭いてくれよ」 と頼まれつつ、交した会話。 「どこから来たの?」 「忠州大からです」 「(そういうことじゃなくて)フィリピンの人?」 「(ガーン!!)・・・日本です」 また会いましょう、と笑顔を残し、バスは忠州ターミナルへ去っていった。 |
◆6月7日(土)社会人 やはり、今の体力での「街並み散歩」は体に堪えたようで、11時半まで眠り続けた。 午後は、ルームメイトのサークルの部屋で、CD作りに精を出し、夕方、また寝る・・・ 夜10時、この3月に卒業し就職した先輩が、忠州へ遊びに来た。今の勤務地は仁川(笑)。韓国は週休2日制が普及しておらず、今日も午前中は仕事をして、渋滞のため4時間かけてここまで来たという。しかも滞在わずか2時間で、風のように仁川へ帰っていった。 韓国でも日本でも、社会人と学生はやっぱり違う。 でも人柄も、おやじギャグまでOKの日本語力もお変わりなく、そこはなんだかほっとした。 | |
◆6月8日(日)壊れる 午後、所用で市内へいって、久しぶりにじっくりと繁華街を歩いた。この数ヶ月の間に、新しい建物がいくつか建っていて、その変化の早さに驚いた。 もっとも韓国の建築物、土木構造物は、 「すぐ出来て、すぐ壊れる」 というのは、韓国人も認めるところではある。 夜のニュースでは、盧大統領の日本訪問、TBS出演の話題がトップで流れた。今回の訪問、やす共々大統領がどんな外交を展開するのか気を揉んでいたのだが、日韓ともに「未来指向」で一致していたようで、ほっとした。 韓国内から「弱腰だ」との批判が出なければいいけど・・・ | |
◆6月9日(月)準2への道 保険公団まで国民健康保険の更新に行くついでに、誘われるまま映画を見に行った。 今回は韓国映画ではなく、「マトリクス2」。 ○「1」を見ていない ○台詞は英語 ○字幕は韓国語(すぐ替わる) こんな条件で、楽しめるはずもなかった。しかも、シネコンならではのゆったりした椅子、程よく効いた空調に、最近の疲れも重なって、心地よく夢の中へ・・・ もっとも終わった後、他のメンバーの感想を聞いてみたら、 「腹痛でそれどころじゃなかった」 「眠かった」 今度から映画は、お互い体調を整えてから行こう。 夜、寄宿舎に帰ると、日本へ注文していた「ハングル学習の手引き」が届いていた。日本での韓国語(北朝鮮の単語・表現も含む)検定試験である「ハングル能力検定」の出題基準、単語が載った本だ。 さっそく開いてみると、3級はともかく、準2級の必須単語が想像以上に多かった。厳しいなこりゃ・・・ 実は1ヶ月前、過去問を解いてみたのだが。3級でもギリギリ合格ってレベルだったのだ。1年間も留学した以上、準2級くらい取れなくちゃいかんのだろうけど・・・ がんばらにゃー!! | |
◆6月10日(火)眠い 最近の平均睡眠時間は、約8時間。そして尚、眠い。 今日など、3時間も昼寝した上に、普通に夜0時半に眠ってしまった。 ルームメイトの聖満曰く、「眠り狂だね」。 体の中で何が起きたんだ! 大丈夫か、俺!? こんな日記、以前にも書いた覚えが・・・ | |
◆6月11日(水)完全サポート キャンパス内を都市科の学生同士で話していると、キャンパスの計画上の問題なんかを話題にすることが多い。後輩の、2年生クンとの会話。 「違法駐車が多いでしょう。夕方なんか、夜間の学生の車でいっぱい・・・」 「うちの大学だと、許可証がないと入れないよ。大学の近所の学生には、許可しないんだよ」 「それはいい考えですね」 もっとも忠州大にも入構制限はあり、11日の今日は、ナンバーの下一桁が「1」の車は入れない。 「誰も守っちゃいないですよ。ほら、あの緑の車」 『×××1』・・・あ、ほんとだ。 ところで、僕の留学期間は今学期までだから、試験が終わった1週間後には帰らなくてはいけない決まりだ。でも大分大学の留学生課は、8月末までいてもいいよと言ってくれている。それならばというわけで、今度は忠州大の学生課に足を運んだ。 「うちは1年間という約束で受け入れてるから、8月末までいていいですよ。休みの間、寄宿舎の食事はないけど、代わりに食費は出します」 本来の留学期間を超過するのだから、夏休みの間は寄宿舎費を出さなくちゃいけないかもと思っていたので、食費まで出るという言葉には驚いた。 「交換留学」とは、在籍校(僕の場合、大分大学)に学費を収める代わりに、受入校(同、忠州大)への学費は不要というシステム。 今、大分大学に納めている学費は、半年で25万円程度。一方、忠州大の学費は半額くらいで、寄宿舎費を足しても25万には遠く及ばないのだから、食費くらい当然の権利かも? いやいや、休みの間の食費まで考えてくれている、その心使いにまず感謝だ。おごっちゃいけない。 | |
◆6月12日(木)ヤラセ 5週間ぶりの「都市計画設計」は、いきなり授業風景の撮影会から始まった。しかも、先輩方が残していった発表図面を使っての「ヤラセ」撮影だ。そこに僕まで参加しているのだから、インチキも極みだが、面白い体験だった。 しかも撮影のために、先輩方が苦労して作ったであろう模型を、壊す壊す。当人がいないところで、何が行われているか分からない。「後輩の参考のために」と、大分大学に置いてある僕の図面が、なんだか心配になってきた。 写真は、学校のパンフレットやHPに載るとかで、完成が楽しみだ。 授業の間の1時間の昼休み。片道15分の道のりを、苦労して寄宿舎まで戻った僕を待っていたのは、なんと昼食のサムゲタンだった。しかも、ちゃんとひな鳥1匹を丸ごと調理しての、本格的なものだ。例の「試験期間特別メニュー」らしい。 時間がない中、鳥一匹の「解体」に格闘した。 午後は、やっぱり5週間ぶりの「交通政策論」。教授が以前、忠州市に向けて行ったという発表をやって頂いた。諸外国の先駆的な例として、岡山市の市民団体による路面電車の取り組みが紹介されていたのは嬉しい。 「いま忠州で、どれだけの道路工事をやってる? それで、交通問題は解決できている?」 「忠州には、冬も使える水泳場もないし、公園も少ない。道路に使う金をまわせば、できることなのに・・・」 「私がこれだけ言ってるのに、忠州市は考え方を変えない。ほんともどかしい」 もどかしいどころか、ストレスまで感じていられるようだった。 | |
◆6月13日(金)1週間 起きてみれば11時。一日頭がぼーっとしていて、試験勉強もはかどらなかった。やらないかんのだけどなあ・・・ ところで試験が終われば、2ヶ月半のながーい夏休みである。冬休みと違って、夏休みは寄宿舎に住むことも可能だが、韓国人学生はこの間ずっと、帰省する人が大多数だ。例年、寄宿舎には十数人程度しか残らないとか。 ルームメイトの聖満は、勉強熱心なので忠州に残るが、帰省する先輩のアパートに住むという。 食堂に人が溢れ、ルームメイトもいるこの生活も、考えてみれば残り1週間なのであった。 | |
◆6月14日(土)歌番 韓国の3大放送局、KBS、MBC、SBSがそれぞれ放送している看板歌番組「ミュージックバンク」「音楽キャンプ」「人気歌謡」。なんで? と言いたくなるほど、それぞれ雰囲気がそっくりであるけど、微妙な差異はある。 日曜4時のSBS「人気歌謡」は、日本人女優の「ユミン」こと笛木優子が司会をしていることもあり注目されるが、お気に入りは土曜4時のMBC「音楽キャンプ」。生歌で聞くに堪えるレベルの歌手は、ちゃんと生歌で出演するからだ。韓国版3rdアルバムをリリースしたBoAも、今日の音楽キャンプではダンスとともに熱唱していた。 これが人気歌謡になると、口パクになってしまう(その分ダンスは激しかったような気はするが)。そこそこの実力はあるのに、もったいないなとおもう。 口パクの歌なら、CDやラジオで聞けるのだから、特に見たいと思いません。 夜のトップニュースは、南北で分断された鉄路、京義線と東海線の南北連結工事の完成だった。南北統一までの道のりは長いが、先行しての直通鉄道工事であり、アジアの物流動脈として期待されている。 それにしても、ずいぶん早く工事が済んだものだなと思って見ていたが、オチがあった。今回の「開通」は休戦ライン前後数百メートルずつで、京義線は北側のみ十数キロ、東海線に至っては南北双方百五十キロあまりが未開通だという。「統一列車」など、走るすべもないのであった。 多分に象徴的な開通式だったのだろうが、東海線はおろか、京義線の工事すらなかなか進めようとしない北側に対して、はっぱだったのかもしれない。 生きてるうちに、釜山からロンドンまでの列車旅行をしてみたいと思っているが、まだまだ遠い先のことのようだ。 ※韓国のTVは、以下のサイトで見れます。お試しあれ。 http://www.cdmatv.com/ http://www.indibox.com/tv/tvpop.html | |
◆6月15日(日)意地 今日は、はかどらない頭を回し、都市計画概論の試験勉強。概論的なことなので、何度も読んで理解を深めた。都市計画の講義は大分大学で受講したので、復習のようなものだが、万一合格しても同じ内容なので、単位としては認められない。 なぜ勉強するのか、支えてるのは「意地」だ。 | |
これは前学期に出たハンバーガー | ◆6月16日(月)ハンバーガー 今日から試験期間というわけで、点呼の後に夜食が配られた。今日のメニューは、缶コーヒーとハンバーガーである。点呼の放送では、 「食堂のおばさん方から、作っていただいたハンバーガーです。感謝の気持ちで頂いてください・・・」 と言われたものの、マクドやロッテリアのハンバーガーなら大好きだが、このテの手作りハンバーガーは、すこぶる苦手だ。前学期には我慢して1個食べてたら、 「留学生、食え食え」 ってな感じで何個も集まって、困った思い出がある。 今回も、余ったらしく2個貰った。ため息一つ。食らいついて、飲み込んだ。 |
◆6月17日(火)工学部生 唯一の試験は明日。先輩から関数電卓(韓国語では「工業用計算機」という)を借りて、まだ不十分だった計算問題に挑んだ。 わ、わからん・・・高校時代に習った、基本的な対数の問題につまずいた。10分ほど考えてようやく思い出したが、こんな基礎的なことを忘れるようじゃだめだ。留学生である以前に、俺は工学部生なんだから。 何度もやっているうちに、だいたい解けるようになったけど、1個所だけ計算式の導出過程が分からない。・・・「丸覚え」で対処した。 | |
◆6月18日(水)なんだかんだで好き 1週間、ほとんどこの勉強を続け、万全の(?)態勢で挑んだつもりだった「都市計画概論」の試験。結果は惨敗だった。 まず、中間試験のような選択問題がなかった。どうしても難しかった単元は捨てていたのだが、その単元はお手上げだ。勉強していた所にしても的を外していて、肝心の答えまでたどり着けず。30点も取れていないんじゃなかろうか。 惨敗・・・ ところで、明日は都市計画設計のグループ発表(忠州大キャンパスの問題点と改善案)の日だが、メンバーからは相変わらず音沙汰がなし。授業の度に、 「やる時は電話くださいね!」 「うん、○曜日に電話するから」 と約束してるのに、連絡がない。 なんてことを友達に話したら、 「仲がいい人とは協力できるけど、そうじゃない人とは絶対にできないのが韓国人。気にせず放っておけばいいっすよ」 「軍隊に行った人に任せておけば大丈夫」 なるほど、そんなものかと思ったが、やっぱりなんだが気が咎める。迷った末、夜9時に意を決して電話したら、都市科で作業しているという。差し入れの缶ジュースを買い込み、夜道を急いだ。 おお、みんな集まってやってるやってる。僕らの班は、写真も文章も揃い仕上げの段階のようだが、改善案の完成予想図はまだらしい。視線が僕を向いた。 「絵、うまい?」 「建築学科だから、少しは・・・」 と言っても、そんなにうまい方ではないので、「なんだ日本人、こんなものか」なんて思われないかドキドキしながら筆を走らせていたが、 「わあ、うまい!」「最高!」 他の班からも「見学者」が来るほどの評価だった。こんな作業は約1年ぶりだが、腕は忘れていなかったようだ。最初は「門限までに帰っていいよ」と言われてたけど、いつしか「もう1枚書いて!」ということになり、寄宿舎に外泊届を提出した。 ただ、うまいと誉めてくれた先輩にしても、ボードの構成の仕方は慣れた感じで、見やすく仕上がっていた。おぬし初めてではないなと思っていたら、やはり建築系の学校を一回卒業したのだとか。 そんな話をしながら、眠気を我慢しつつ机に黙々と向かう。この感覚、辛くも楽しかった大分大学の設計課題を思い出す。懐かしい。そして僕自信、こんな作業が大好きなんだということも再認識した。 結局、仕上がったのは草木も眠る午前2時半。同級生のアパートで、眠りに落ちた。 | |
◆6月19日(木)まずはめでたし 7時に寄宿舎に帰って、改めて朝寝。8時半、いつもの時間に重い頭を叩き起こした。 10時、授業スタート。僕の描いた完成予想図は、 「わあ、誰が書いたん!?」 「めちゃうまいなあ」 「日本式はこうなのか!!」(建築学科式なんだけど) と大評判。人物の描写とか立体感とか、かなりヘタなんだけどな・・・と思いつつ、実習室にあった過去の作品を見てみると、なるほど僕の方がうまい(笑)。まあ、書き方を授業で習ったか否かの差異なんだろうけど。 発表は、各班とも代表の1人が行った。日本でグループ設計の発表と言えば、全員でなくとも何人かが交代でやるものだったけど・・・もっとも先生からは、 「次回からはぜひ、交代でやるように。多少下手でも、頑張りが伝わってくるから」 との意見があった。もっともだと思う。 発表そのものは、やっぱりまだ2年生。ボードの構成の仕方は不慣れだし、何をやりたいのか図面から伝わってこない。自分が2年生だった時も、こんな感じだった。これからこんな経験を重ねていくうち、慣れてくるのだろう。 我が班は慣れた先輩が主導権を握っていたので、この中ではうまい方だったと思うけど、先生の評価はなかなか手厳しかった。僕の絵に対する評価のなかったけど、完成予想図を書いたこと自体は、高く評価してもらえた。まずはめでたし。 なによりも、韓国での最後も最後の授業で、自分の存在感を示せたのが嬉しかった。「芸は身を助ける」だ。 夜は2年生のみんなと、試験終了の打ち上げ。最初の方はなんだか白けてたけど、飲むにつれて雰囲気が盛り上がってきた。 「注目!今からマサキが、みなさんに一杯づつ注いでまわりまーす!」 なんて展開になったお陰で、この場にいた一人一人と会話を交わすことも出来た。ようやく、2年生の「仲間」に慣れた気分だ。 2日連続の外泊申請をして、1時まで宴は続いたのだった。 | |
◆6月20日(金)放学 友達の家で目覚め、そのまま寄宿舎へ。 午後、数日前に仕上げておいた「交通政策論」のレポート提出。ようやく、「やるべきこと」が終わった。 韓国語では、学生の休みのことを「放学」という。学業から放たれた、まさに今の気分がそんな感じで、うまく言ったものだ。韓国語の中でも、好きな表現の一つである。 ただ、夏休みも故郷で過ごす学生がほとんどで、寄宿舎からもどんどん人がいなくなっている。遊び相手もいなくなるし、どちらかというとさみしい。 今日の夜は、やすの友達の、ロシアとウズベキスタンからの留学生と飲んだ。もちろん共通言語は韓国語で、ちょっと妙な気分ではある。彼らの韓国語力は、僕など足元に及ばないほどだ。タメ口まで、しっかりマスターしている。 お互いの国の政治・文化から、ここでは書けないようなことまでいろいろ話せて、面白かった。日本と韓国は似てるところが多いけど、さすがにロシアやウズベキスタンともなると、話が違うなと思った。 ちなみに彼らは休みの間、ソウル近郊でアルバイトをしながら過ごすとか。ホント、会えなくなっちゃう人ばっかりだ。 | |
◆6月21日(土)そして誰もいなくなった 今日は、寄宿舎の退舎日。夏休みもいる予定の学生も、今週末は清掃のため、一旦引き払わなくてはならないそうだ(なんて面倒くさい!)。もっとも僕らや他の留学生は、身寄りがないということで、寄宿舎にいることが許可された。 玄関前には、学生の家族の車が次々横付けされ、荷物を運び出してゆく。建物の中から、人影が消えてゆく。ルームメイトも、先輩のアパートへと移っていった。やっぱり、なんだか寂しい。 夕方は、南奇兄(以前まで「南気兄」と書いていたのは誤りでした)の家のベランダで、サークルのみんなと焼肉をやった。 昼間は夏到来を思わせる暑さだったけど、帳が下りれば吹く風が涼しい。そんな風に吹かれての焼肉は、ことのほか旨かった。こういうの、大好きだ。 夜、寄宿舎に帰ってみれば、見事に人影が消えていた。前日まで声が絶え間なく響いていた寄宿舎とは、まるで別の建物のようだ。 点呼も、翌朝の朝ごはんもない。いつ寝ても起きても構わない、メリハリのない生活になりそうな気がする。 | |
◆6月22日(日)参鶏湯 ちょっと(かなり?)困ったことが起きた。都市設計の課題のため、2年生の後輩にデジカメを貸したのだが、戻ってこないのだ。 「金曜日に返すよ」 という約束だったので、金曜日に彼の部屋を訪ねたのだが、すでに引き払った後だった。それ以来、何度も電話をかけているが、まったく電話をとってくれない。 最悪、もしかして… もっとも、彼がそんな悪人である確率よりも、電話に出れないような一大事が起きている可能性の方が大きいとも言える。いずれにしろ、大変なことなのだが… ともかくデジカメが帰ってこないと困るので、明日にでも信頼できる人に相談しよう。 夕方、下宿にでかけた。前回、お出かけのため会えなかったおじさんおばさんと、久しぶりの再会だ。 ご馳走になった料理は、参鶏湯…そう、ひな鳥のお腹にご飯を詰めて煮込んだ、あの高級料理である。寄宿舎でも一度出たが、おばさん手作りの参鶏湯は、まったく別物と言っていいほど…うまい…まじうまい…かんなしうまい…おごちそうさまでした〜 1階の下宿生たちは、昨日故郷に帰ったという。今日の夕食のメニューを知ったら、さて何と思うことやら。 | |
◆6月23日(月)X-JAPAN なんでも、梅雨入りしたらしい。7月15日前後まで続く見込みで、雨は前半に集中する見込みとか。早く終わってほしい。俺を寄宿舎に閉じ込めないでくれ。 昼過ぎ、南気兄の「お姉さん」から、ご飯に誘われた。とっても優しく話してくれて、それでいて外車のような超高級車の乗るこのお姉さん、いかなる人物なのか聞きそびれてしまったが、日本の歌に対する関心は深いそうだ。 特に好きなのは「X-JAPAN」。 「日本の歌手っていたら・・・X-JAPANだねぇ」 なんて人はゴマンといるけど、このお姉さんは正真正銘、筋金入りの「ファン」らしく、 「あんなに素晴らしい歌手のいる、日本の人と会えて嬉しい」 と、僕との出会いを喜んでくれた。日本代表として(!)お礼したいので、いろいろ遊びましょうと約束。 僕自信、X-JAPANは好きでも嫌いでもないけど、こうして日本自体に好感を持ってくれるきっかけになってるのなら、素晴らしいことだ。 逆にBoAやユンソナにも、日本人にとってそこまでの存在になってほしいもの。こんなのが、掛け値なしの日韓交流なんだと思う。 | |
◆6月24日(火)PC 「デジカメ」問題について、学科の事務室に相談に行ったら、先生が、 「よしわかった、俺がかけてやる」 と請け負ってくれた。 で、家の電話に出られたのはお母さん。曰く、今は大学訪問団で1週間、なんと日本に行ってるらしい。そ、そういえばそんな話もあったような… しかし黙ってデジカメ持って行くとは、悪いヤツだ。滅多にない日本旅行だし、言えば快く貸してやったのに… 帰ってきたら、ガツンと言ってやらにゃいかんなあ。 ひとまずは、帰ってくる見込みが立ったことで安心した。 ここ最近、忠州大学キャンパス内のあちこちに、コンピューターが設置された。大したものじゃないだろうとタカをくくってたら、なんとXP装備の高性能PCで、インターネットにもばっちり接続されている。 こりゃいいとばかりに使っていたら、その僕を見たことでインターネットも使えることが周知されたらしく、順番待ちが必要になるほど盛況になった。 こっそり使わにゃいかんかったなあ… | |
◆6月25日(水)3時間 昨日、誕生日を迎えた「くま」(日本語サークル2年生。あだ名の方が通りがよい)のお祝いに、男3人でカラオケに行った。ゲーセンカラオケを含めると、かれこれ3日連続通ってるような… 1時間1万ウォンだったけど、休みの学生街で客が少なかったこともあり、サービス時間延長がどんどんついて、結局3時間くらいいれた。これだけ歌っても、韓国曲のレパートリーが尽きないのだから、われながらたいしたもんだ(笑)。 | |
◆6月26日(木)美味 今日のお昼ご飯は、鎮教授からお誘いいただいていた。 「こうしてご馳走したい気持ちはいつもあるけど、気持ちだけで・・・」 とおっしゃられるが、どれだけお忙しいかは、よく知っている。この夏休みも、日本とモンゴルへの出張予定があるそうだ。 ご馳走になったお店は、以前、大分大学訪問団が来たとき一緒に行った、韓定食のお店だ。 その時は、 「こんなご馳走なんかよりも、寄宿舎のメシの方がうめーや」 なんて、甚だ罰当たりな感想を漏らしたものだが、今日食べた昼食は、絶品! と言ってのけてしまいたいほどの美味しさだった。 ひとつひとつのメニューは、いつも食べているようなものもあるのに、味がまったく違う。山菜の一つ一つまで味わい深い。 この美味しさが分かるようになったことは、大きな喜びの一つだ。 ところで、交通がご専門の鎮教授からお聞きした、(個人的に)興味深いお話のひとつ。 韓国語で「電鉄」と言った場合、普通都市圏の通勤電車を差すことは知っていたが、もし日本語風に「電車」と言った場合はどうなるか? なんと、韓国では今はなき「路面電車」が連想されるのだそうだ。 てっきり今まで、「路面電鉄」と表現するのだろうと思ってた。そう言った場合、路面を走る郊外電車が連想されるのかしら? 大津や福井で走っているような・・・ そうなると、松山の「坊っちゃん列車」は「路面汽車」かな? 話が脱線してきたので、今日はこの辺で・・・ | |
◆6月27日(金)お願い 朝から大雨。なんでも今日一日、忠州で、80mm降ったらしい。今日は、先輩の紹介で幼稚園の見学に行くはずだったのだが、あまりの雨に文字通りお流れになった。 雨くらいで中止にしなくても…と思われるかもしれないが、韓国の道路は排水も悪く、雨が降れば「池」が出来上がる。車を持たない人間にとって、雨の中外出することはそれこそ、濡れ鼠になることを意味するのだ。 雨よ、俺を寄宿舎に閉じ込めないでくれ! しかし、 「毎日は降らないわよ。1日おきに降ったりやんだり」 とは、一緒に昼食を食べた郵便局員さんの弁だ。一度降りだせば数日続く、日本の梅雨との違いであろう。出かけるときは、それこそ雨の合間を縫って行こう。 ところで明日から、鉄道庁が全面ストをやるらしい。それもかつての国鉄ストのように、旅客列車はほとんど止まってしまうそうだ。首都圏の通勤電車は6〜8割の運転が確保されるようだし、長距離輸送もバスが担っているので、大きな混乱は起きないだろうが… 久々に、鉄道旅行もしたいと思っていた時分だ。 早いところ終わってくれ。鉄道庁よ、俺を忠州に閉じ込めないでくれ! | |
◆6月28日(土)新発見新世界 やすの進言もあって、足をきたえなくちゃと思い、一昨日から「ヘルス室」(寄宿舎の運動器具がおいてある部屋)で運動を始めたのだが、ひどい筋肉痛になってしまった。というわけで、おなじみターミナル横の「金鋼大衆サウナ」へ出かけた。 そのついでにターミナルに行き、 「忠州で(バスの)交通カードは、いつから使えるようになるんですか?」 という質問を、分からないだろうなと思いつつ、案内所のおねえさんにぶつけてみた。いわく、今のところクレジットカード専用で、プリペイドの交通カードの導入予定はないだろうとのこと。 「ところで、ソウルから来られたんですか?」 という質問をきっかけに、40分に渡る世間話が始まった。なんでもこの方、交通事故で7ヶ月の入院をされたそうで、その苦労に意気投合。まだ運動は控えたほうがいいわよという、ありがたい忠告を頂いた。知り合いに、再骨折を経験した人がいるそうだ。 「忠州病院? おかしいわね。119に頼めば、たいてい建国大学病院に行くものだけど。やっぱり忠州でいい病院といったら、建大病院よ」 建国大学病院なら、最近の方法である、骨の中にピンを通す手術を受けられたそうだ。 昼過ぎ、突然亨鎬から「周徳までドライブ行こう」との携帯メール。なぜに車で10分の周徳? と思ったら、周徳郵便局に、昨日落とした財布が届いたとのこと。 ついでに、郵便区分室を覗くこともできたのだが、数人の局員さんが手作業で区分していた。郵便番号は6桁ということもあり、てっきり機械でやってるのだろうと思ってた。こんな発見も、亨鎬のおかげだ。 夜、亨鎬に教えてもらいながら、MSNメッセンジャーのチャットに初挑戦してみた。さっそく、学科の友達とチャッティング。韓国語チャット、やっぱり難しいけど、思ったよりできたし、いい勉強になった。 それこそ、会話をそのまま文字に置き換えた感じなので、日本に帰ってからもやっていれば、韓国語を忘れずに済みそうだ。 亨鎬と友達のチャッティングにも混ぜてもらった。知らない人とも気軽に話せる。新しい世界が開けた思いだ。 はまりそうでこわいけど…実際、チャットに費やす時間の長さが、社会問題にもなってるし… | |
◆6月29日(日)来る人拒まず 朝、鎮教授からお誘いを受け、市内の教会に出かけた。無宗教、無信仰の僕だけど、こんなお話をお断りする理由はない。 新興住宅地・漆琴洞の教会だけあり、新しくてきれい。新たに尋ねてきた人を暖かく迎え入れるのがモットーのようで、暖かいものを感じた。僕の名前も読み上げられ、なんだがこそばゆい思いだった。 その後は、昼食にカルククス(うどんのようで、うどんでない麺)と、マンドゥ(餃子のようで餃子でない)をご馳走になり、教授のアパートにもお招きいただいた。築10年で家賃も安いそうだが、古さは感じないし、窓から市内を一望できすばらしい。 初めてお会いした教授の奥さんも、教授の日本留学の際、ご一緒に日本に行かれただけあり、流暢な日本語だった。 そのまま漆琴洞の亨鎬の家に遊びに行って、映画「同感」(邦題は“リメンバー・ミー”だったかな?)のビデオを見た。 なぜか、20年の時を超え繋がった無線機を通して交信する、男女の物語だが、設定が単純なだけにその設定さえわかれば、だいぶ理解できた。でも情感を込めた、細かい台詞までは分からないんだな。そこまでの語学力に達せればという思いと、とりあえず字幕版を見たいとの思いが交わる。 | |
重み変わらぬ鉄道輸送 (本文と写真は直接関係しません) | ◆6月30日(月)鉄道の重み 鉄道庁のストライキは3日目に突入、初の平日を迎えたソウルの交通は大混乱しているらしい。首都圏の国電の運行率は、55%に留まっているそうだ。 首都圏交通の鉄道分担率は50%程度、その中でも国鉄が運行する区間は一部なのだが、それでも電車・バスの大混雑と、道路渋滞を招いているという。 長距離列車は運行する列車の方が少ないという状況だが、もともと長距離輸送はバスによる面が大きいので、大きな問題はなさそう。但し、貨物の滞りは深刻らしい。 鉄道先進国の日本から見ると、鉄道が頼りなく見える韓国だが、それでもこんな事態になれば、その役割を実感できる。特に、もしソウルの電鉄網がなければ、今日のソウルの発展はありえなかったろうと思う。 こんなスト、起きない方が望ましいのだが・・・ |
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