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Chang! 韓国遊学日記2003年7月  △TOPへ


史跡にてガイド風に

沈められる

◆7月1日(火)避暑
 梅雨とはいえ、本格的な暑さがやってきた今日このごろ、車で約1時間のソンゲ渓谷へ、友達5人で遊びに行った。

 まずは、市内でメシの買い出し。渓谷ではバーベキューして楽しむのが定石らしいが、今回はチキンとハンバーガーという、おおよそ不健康なメニュー。亨鎬曰く、
 「他人が見たら、絶対わらうね」
 この買い出しでかなり時間を食い、出発したのは12時前だった。

 1時前、到着。まずは山寺へ登る道の途中にある清流べりで、お昼ご飯。うーん、青空の下で食べるファーストフードも、また旨い! なんか間違ってる気はするけど・・・ 周辺にある、新羅時代からの史跡なども見学。

 さらに車に乗って、お目当ての渓谷へ。わあ、まじきれいな水! 濁り一つなく澄み渡っている。さっそく、半パンのまま飛び込んだ。暑くなったとはいえ、曇り空の日差しは弱くちょっと寒かったけど、久々に童心に返って水遊び。
 川に足をつけながら食べたスイカも、また格別だった。夕ご飯を食べる必要がなくなるほど多くて、お腹壊しかけたヤツもいたけど・・・

 ちなみにここは国立公園で、日本と違って入園料を徴収される。しかも時々巡回員が回っていて、ゴミ捨てなどの違反者は即、罰金刑に処されるようだ。おかげで、ゴミの少ない美しい環境が保たれていた。
 逆に考えると、もしこんな規制がなかったら、韓国人の性格上、「大丈夫大丈夫」と、どんどんゴミを捨てそうな気もするが・・・。

 

◆7月2日(水)幼稚園見学
 去年の冬、ソウルの幼稚園を訪れたものの、剣もほろろに見学を断られた話を、サークルのビョング兄にしたところ、
 「俺の知ってる幼稚園を見学させてやろうか?」
 という話になり、面白そうなので喜んで受けた。

 というわけで、亨鎬(コイツには毎日会ってる気がする)のクルマで、忠州から約30分の陰城郡へ。韓国にも市・郡という地域区分があり親しみを覚えるが、韓国の郡には「郡庁」が存在し、行政単位としての地位を確立している点が、日本と異なる。
 そして、郡の中心部も「市内」と呼ぶそうだ。

 というわけで、その市内でビョング兄に会い、まずは市内見物。目抜き通りは、「二日市」で賑わっていた。郡のような田舎の場合、常設市場がない代わりに、10日毎(ここ陰城では、2・12・22日。よって「二日市」)に市が立つそうだ。かつての日本と同じである。
 野菜、魚から、所々には衣類や古本、玩具店まで並び、どこか縁日のような楽しさがある。このような市が20年後、韓国に存在するか分からないが、残っていてくれることを願う。

 さて、目的の幼稚園は市内よりクルマで5分。お寺に併設されていて、仏教徒のビョング兄はまず本堂で祈祷。いつもの、ヤらしい話をしてるビョング兄とは別人のように見えた。
 幼稚園の雰囲気自体は、日本とほとんど変わらない。元気な園児たちの笑い声も、こどもサイズで作られた建具も、同じだ。
 ちょうどお昼ご飯の時間ということで、食堂で園児と一緒に昼食をご馳走になった。こんな経験をした日本人、滅多にいないだろうな。食事はやはり、純粋な韓国食だった。

 ただ一つ、決定的に日本と異なっていて、驚いた点。それは、遊戯室にずらりと並んでいた、インターネットに接続されたPCの数々だ。なるほど、幼児期からPCに触れるのか!

 幼稚園をお邪魔した後は、クルマで10分ほど行った森林浴公園を散策。ちょっときれいに整備しすぎている感はあるけど、それがなんだか日本の自然公園のような雰囲気だった。2日連続で、川のせせらぎに親しめた。
 裸足になって歩く、砂利の散策路はユニーク。こんな散策路、都市設計の「忠州大キャンパス改善案」の発表の時に先輩が提案しており、見たことないアイデアだと思ったものだが、韓国では実在していたのだ。
 歩いてみれば、かなり痛い。ビョング兄曰く、
 「痛かったら不健康だよ」
 はいはい。自覚してます。


プルコギ
◆7月3日(木)臨時収入
 懸案となっていたデジカメだけど、ようやく郵送で送られてきた。
 「わざとやったことじゃないんだよ。誤解しないで」
 てな手紙が入っていて、まあそうだったのかもしれないけど、カメラバックの中に煙草の吸い殻が詰まっていたのは、どういうことだ!!
 こんなことは初めてだけど、もういちいち怒るのは面倒だ。韓国人にだって、いろんな人はいる。

 学生課に以前話した、休暇中の食費を受け取りに行ったところ、なんと28万ウォンも入っていた。5千ウォン/1日で計算されているようだけど、昼・夕を学食で食べても2千4百ウォンなのだから、充分すぎる金額だ。

 というわけで、夕食は連れ立ってプルコギを食べに行った。個人的には、日本人の口に一番あう韓国食だと思う。3人だったけど、大(たぶん6人前相当)を食べて満腹になった。ああ、幸せ・・・


小さなドライブインで休息

仁川ワールドカップ競技場

門は立派な中華街
◆7月4日(金)①仁川散歩
 忠州バスターミナルまで行く道すがら、知り合い4人に出会った。忠州大に始めて来たとき、日本人の先輩方が次々知り合いに会うのを見て「すげえな」と思ったものだが、僕もだんだんそんな状況になってきた。

 さて今日の目的地は、前回街歩き出来なかった仁川への再訪だ。バスターミナルに着いたら、仁川行きは出た後で1時間待ち。
 切符売り場で切符を買おうとしてたら、横からおばちゃん2人が、ぐいと割り込んできた。このまま引き下がるのは癪なので押し返し、売り場のおねえさんに「仁川1枚!」と叫んだら、やはり僕の券を最初に出してくれた。
 遠慮してたら生きていけないとはいえ、俺も韓国人になってきたなあ。

 仁川行きのバスは市外バスなので、小さな街にも丹念にとまり乗客を拾ってゆく。時間はかかるが鈍行列車のような風情があり、ノンストップの高速バスより楽しい。途中、10分程度の休憩があり、外に出て大きく背伸びした。
 後半は高速道路を飛ばしたお陰で、定刻より30分はやく、1時20分に仁川ターミナル着。軽く昼ご飯を食べて、文鶴競技場に向けて歩き出した。

 文鶴競技場は、W杯会場の一つ。膜構造の屋根の意匠がユニークで、遠くからもよく目立つ。20分ほどかけて、ようやくたどり着いたのだが・・・
 「入れないよ」
 と、管理のおっちゃんが一言。ここまで来たのに・・・ソウルも水原も、見学自由だったぞ! もういい、こんな競技場、頼まれても見てやるか! なんて、半ばふてくされて競技場駅に向かった。ま、たまたま見れなかったのかもしれないけど。

 地下鉄、国鉄を乗り継ぎ、仁川駅へ。どんづまりの終着駅、しかも港に近いとあって、独特の風情を持つ駅だ。仁川の中心駅は東仁川だが、こちら仁川の目の前は中華街の入り口。自由公園にも近く、観光の拠点として利用できる。

 中華街は、中国風の飲食店が点在するものの、「賑わい」には程遠い。仁川市では観光資源として開発する計画だそうで、事実あちこちで工事の真っ最中。観光客で賑わう日も、遠くないかもしれない。

 今のところ、この周辺の魅力は古くから残る建物だろう。特に狙いをつけて歩いてた訳でもないのに、洋館を活用したカフェ(たぶん)や、日本第一銀行を改装した広報館など、どこにいるのか忘れるような建物たちに巡り合えた。


自由公園より見下ろす

どこか風情漂う坂道

日本時代の家屋?
◆7月4日(金)②〜4時
 さらに裏手へ、坂道を登ったところにあるのが「自由公園」。パンフレット曰く、韓国で最初の西洋式公園とか。生い茂る木々を渡る風が気持ちいい。
 公園の真ん中に堂々と立つのは、マッカーサー将軍の銅像。韓国では、苦境を極めた韓国動乱を挽回させた、仁川上陸作戦の功労者として知られる。今日も、多くの花束がたむけられていた。
 展望台からは、仁川の旧市街と港を見渡せる。ここまで来て、函館や長崎といった、日本の港町にとても近い空気を感じられることに気づいた。日帝時代、同じような軌跡を辿った街なのだから、当然といえば当然なのだが、韓国にもこんな街があったのかと新鮮な気持ちだった。

 5時をまわった。そろそろ、ソウルへ向かうことにする。
 京仁線の急行、昼間の運転本数は限られているが、夕方のラッシュを迎え増えたようだ。途中駅で接続してた急行に乗り換えてみれば、駅を飛ばす飛ばす。緩行電車は1本追い抜いただけだったけど、それでも体感ではずいぶん早く着いたような気がした。

 今宵の宿は、おなじみの大元旅館。夏休みでもないのに日本人客は多く、夜9時、皆で連れ立って飲みに行くことになった。

 場所は宿から近いHOF。HOFだけど、屋外に椅子とテーブルを引っ張り出してきて、ビアガーデン風に楽しめる面白い店だった。最初の5人の中で、韓国語ができるのは僕だけ。期待されたけど、分かったメニューはほんの少しだった。面目なし。
 最初は5人だったけど、途中で来た人、帰る人も何人かいて、延べ何人で飲んだのか分からないほど。ほとんど皆さん30代なのだが、年の差なんて微塵も感じないほど若い! 元ビジュアル系・現在失業中の歌手さん、在日出身で今は韓国で活躍中のプロキックボクサー、その5年前の元彼女(日本語学院教師)、京都の雀荘アルバイター22歳・・・などなど、かなり個性的(変な?)面々で、楽しかった。
 そんな僕も、影では「フィリピン君」と呼ばれてたらしいが。

 明日も予定があるのだが、こんな夜もそうそうないので、
 「明日起きれないなら起きれないでいいや!」
 とばかり、朝4時まで飛ばした。飛ばしたはいいけど、歩き回った後なのでかなり酒が回り、後半は気分が悪くなってしまった。いつもの自分なら、このくらい飲めるけど・・・ うーむ、体調はわきまえないとなあ。

 オーダーストップは2時頃だったのに、店の主人、4時までだまって待っててくれた。いい人だ。
 で、ほかの皆さんはさらにはしごするとか。ひえ〜韓国人よりすごい。とてもついていけないとばかり、先に宿に帰った。
 「今度は、みんなでススキノで会おう!」
 の約束、果たされるかなあ・・・

◆7月5日(土)3時間忠州観光
 予定してた、朝8時に起きることができた。とりあえず銭湯に行ってさっぱりしたけど、体全体が重い。今日は、前回行けなかった鉄原に行く考えだったが、もしこのまま鉄原に行けば、体調を壊してしまいそうな気がする。
 多少体調を壊しても大勢に影響はないけど、今週は軍隊から休暇を貰って帰ってくる友達と会うことになってる。彼には元気な顔で会いたい。というわけで大事を取り、また眠りに就くことにした。

 携帯へかかってきた間違い電話に起こされれば11時。12時頃には、昨日の飲み会のメンバーも起きだしてきた。なんでも、2次会から帰ってきたのは朝7時らしい。行かなくて良かった。
 その一人、京都の雀荘アルバイターかおりん(タメ)は、特に予定を決めず旅してて、今日の予定もないそうだ。僕も鉄原行きを中止したのでやることがなく、なんなら忠州まで来てみる? と誘ってみたら快諾。忠州の友達にも車を出して貰うよう頼み、かおりんの日帰り忠州の旅は始まった。

 東ソウルに着いてみれば混雑してて、40分待ち。時刻既に1時40分。刻々と時間は過ぎてゆく。バスに乗っても、ソウル市内と利川付近で渋滞し気を揉んだ。折角の韓国旅行なのに、バス往復の時間に食われてはもったいない。
 結局、忠州に着いたのは4時過ぎだった。ターミナルまで出てきてくれた亨鎬の車で、さあ出発!

 かおりんは、まぎれもない関西弁。関西弁大好きの亨鎬だから嬉しかろうと思ってたけど、聞き取りはかなり難しかったらしく、得意なはずの日本語をなかなか口にできなかった。まあ俺も、釜山訛りで話されればお手上げだ。

 まずは、忠州に住んで長い僕ですら初めてだった、忠州の代表的観光地・弾琴台へ。韓国で初めて琴を作った職人が弾き初めを行った丘だ。園内はアップダウンが激しく、僕はよたよた。
 続いて中央塔、さらに忠州ダムと、忠州観光ゴールデンコースを巡った。田舎の風景は日本も韓国も変わらないが、かおりんは田舎の風景にほっとするそうだ。

 さらに、忠州といえば果物というわけで、市場に果物を買いに行った。
 ソウルで何につけては日本語で「美しいですね」と言われるのが
 「何か馬鹿にされてる気がする」
 といってたかおりんだが、ここの市場のおばちゃんの場合、我々が明らかに買う気がなさそうなのに、かおりんに韓国語で、
 「まあ、ホントにかわいい方ね。ミスコリアみたい!」
 と言って、スイカを一切れサービスしてくれた。もしかして、韓国人の本心だったのでは?

 あっというまに3時間が過ぎ、ソウル行きのバスの時間が近づいてきた。最後はターミナルの食堂で冷麺を食べつつ、アドレス交換。なんか、また会うことがある気がする。
 7時15分、バスはソウルへ向けて出発して行った。渋滞、ないといいなあ。

◆7月6日(日)ヤク
 昨日は楽しかったけど、体調を崩し気味だったのは事実(かおりんは「弱いな〜」と言ってた。事実だ)。風邪薬を飲み、こんこんと眠った。
 入院経験までしたのだから、韓国の薬にももはや抵抗はないが、それでも強いは強かったようだ。睡眠薬で頭はボーっとして、治ったのか否か判然としない。

◆7月7日(月)日本語講座
 一応、昨夜も薬を飲んだのだが、おかげで頭が重い。

 昼、食堂に行ってみれば、管理のおっちゃんや食堂のおばちゃんたちが、サムギョプサルをやっていた。食事はないので皆さん休みのはずだが、寄宿舎裏手の畑での農作業があったらしい(寄宿舎の食事の材料、一部は自給自足なのだ)。
 「お前も食え」
 とお誘い頂き、美味しく食べたが、腹の調子が良ければもっと食べたかった。

 夕方からは、南奇兄らとともに市内へ。勉強熱心では決してない南奇兄だが、休みの間は英語学院と、建国大学の市民向け日本語講座をハシゴしているらしく、誘われるままついていった。
 英語学院は外から覗いただけだったけど、日本語講座にはなぜか参加。さすが先生、一つも不自然な所がない、きれいな日本語だ。僕もちゃんと日本人であるという身分を明かし、対話文形式の例文を先生と読み合った。

 風邪気味ということで、夜はサウナでぐったり。韓国サウナ必須アイテムのうち、休憩室こそないものの設備は充実。これで3,000ウォンは、韓国にしては安い。
 ちなみに韓国の風呂屋、夏の場合、湯温が低い。ぬるま湯というよりは、水に近い感じだ。「熱湯」でようやく40度程度であり、日本人としては満足できない温度ではある。


治療中

これがオピロスだ
◆7月8日(火)歯医者
 この数日、前歯の歯茎が腫れてた。以前神経を抜いた歯なので痛くはないが、このまま放置してていいわけがない。
 でも、僕がこの世で一番嫌いなのが歯医者だ。しかも言葉の通じぬ韓国で歯医者にかかるなんて、気が重い。それでも意を決して、友達と一緒に歯医者に行った。

 ドアを開ければ治療室が見渡せてビックリしたが、それ以外、匂いや雰囲気も、日本の歯医者と大差ない。治療台に乗るときの緊張感も・・・ 設備は、日本と同等かそれ以上は揃っているようだ。
 診断の結果は、痛みと虫歯は関係ないので、心配する必要はないとのこと。ほんまかいな? ただ、歯石がだいぶ付いてるので、歯石除去だけはやってもらった。ドリルの音はやっぱり恐怖だったけど、たいした痛みもなく終了。
 なんと、こんなに歯石が付いていたのかと思うほど、歯の凸凹がくっきりした。帰るときには、ブラッシングの講習も受けた。

 歯医者嫌いだったけど、異国の歯医者に行けたことは妙な自信になった。もう日本の歯医者なら怖くない・・・かな?

 その後は、南気兄のドラムの先生(女性)のお宅に遊びに行った。以前、学校前で酢豚をご馳走になった、X−JAPANのファンの方だ。漆琴洞のアパートで、まわりのアパートと外見は同じなのだが、入ってみればビックリ。まさに「豪邸」で、ドラマのセットのようだ。
 「いきなり来るからなにもなくて・・・」
 と出してもらった食事は、自家製イチゴジャムを挟んだサンドイッチとクッキー。大きなコンポからは、クラシックが美しい音色を奏でる。

 帰り道乗せてもらった車は、韓国の国産車の中では最も高級車というオピロス。うーむ、ドラマというより映画かも・・・ こんな世界って、本当にあるんだなあ。

◆7月9日(木)再会
 空軍に服務中の光栄(1歳年下)が、休暇を貰って出てきた。今日は、運転免許の実技試験ために忠州へ来るそうだ。短い、たいせつな休暇に会ってくれる。ホント嬉しいこと。
 「(故郷の)原州でも試験うけられるんじゃない?」
 「忠州の方が、試験簡単だから・・・」
 なるほど。

 バスターミナルで待ち合わせ。最初見たとき、一瞬誰だか分からなかった。
 「何で気付かないんですか!?」
 「だって、高校生みたいだもん」
 長かった髪がすっきりしていた上に、服装も若かったから、とても軍人には見えなかったのだ。ともあれ、嬉しい再会だ。
 「最近の高校生は、もっと髪長いですよ」
 「じゃあ、中学生だな」

 原州までは市外バスで1時間ほど。2車線の、クネクネ曲がった山道。韓国の幹線道路としては珍しい気もするが、やはり4車線の高規格道路に改修中だった。
 車中では、この7ヶ月の近況報告。空軍は機体整備やデスクワークが中心で、軍隊の中でも比較的、ラクな方らしい。いじめも、以前問題になったため、暴力はなくなったそうだ。施設も新しく(なんとサウナまである!)、自由時間にはCDも聞け、TVを見る時間もあるので、三大音楽番組もすべてチェックできるという。
 
 それでも先輩からの“口撃”はあるため、ストレスは相当感じるし、やっぱりきついそうだ。ひょろっとしていて、自分に近い感じだった光栄の体つきも、だいぶがっちりしたように見える。
 「夕方には、みんなでサッカーやるんですよ」
 「雨の日もだろ?」
 事実らしい。

 原州では、お母さんのパート先のハンファマートへ。ここ、日本のスーパー(九州でいえばマルキョウやサンリブ)の雰囲気に極めて近く、なんだか懐かしい気がした。
 光栄の実家は、1年前にできた公団アパート。お父さんも9時ごろ帰ってきて、夕ご飯を共にした。胃の調子が悪く、お酒を満足に共にできなかったのが心残りだ。

 深夜には、日本映画「トイレの花子さん」を鑑賞。光栄の日本語力は、俺の韓国語力なんかよりずっと上。
 「台詞と字幕が、全然違うね!」
 と、お互い驚きつつ鑑賞したが、内容は・・・特に覚えてない。


男二人で熱唱

鏡を使って撮ってみました
◆7月10日(木)男の世界
 今日は結局、夕方近くまで光栄の家でごろごろ過ごした。まあ、軍隊生活から開放される貴重なひとときなのだから、こんな時間もまた大切ではある。僕自信も少し風邪気味で、遊びまわれるわけじゃないし。
 「他に会う友達はいないの?」
 「みんな軍隊に行ってるから」
 知ってる人に会うと、「また出てきたのか、それでも軍人か」と言われるのがちょっと負担でもあるという。厳しい、韓国の男の世界があるのだ。

 夕方5時近くになって、ようやく原州の市内へ。よく知らない街だったけど、忠州よりずっと都会。人口も45万を数えるそうだ。
 そんな市内のカラオケで、40分ちょっとだけ熱唱。光栄の日本の歌の実力は、相変わらずのものだった。日本語会話自体も、僕と話すことで、少しづつ勘を取り戻してきたようだ。

 市外バスターミナル前の食堂で、晩飯を伴にしてお別れ。明日も忠州で、これに落ちたら最初の段階からやりなおしという、「最後のチャンス」の試験があるとかで、明日も会うことができるだろう。
 夜には、親類の車を借りて練習するという。健闘を祈る!

◆7月11日(金)維持
 今日、光栄から連絡がなかった。夜電話してみれば、どうやら落っこちてしまったらしく、カラオケで、憂さ晴らししているようだった。さぞ無念だろう。
 「今度落ちたら、あんたが金出すんだよ!」
 と言ってた、光栄の母上の言葉を思い出す。

 夜10時、たまには様子を伝えなきゃと思い、大分大学の所属研究室に電話してみたら、出たのは韓国人留学生だった。
 「他の人はいないんですか?」
 「はい、一人です」
 「こんな時間まで、何やってるんですか?」
 「遊んでます」
 一人で何遊んでんだろうという疑問はともかく、嬉しい知らせを聞けた。我が研究室に、来期(9月〜2004年9月)も、韓国人留学生が来るのだそうだ。

 もちろん、日本語での会話が中心になるとは思うけど、ネイティブスピーカーが日常的に近くにいる生活が、卒業まで続くことになる。韓国語力が伸びるかどうかは知らないが、少なくとも維持はできそうだ。


第4工学部前
◆7月12日(土)施工不良
 かねてから建設中だった、わが忠州大の第4工学部棟だが、ようやく完成が近づいてきた。
 建物前のオープンスペースも姿を現し、木々の緑豊かな、憩える空間に仕上がっている。忠州大キャンパスの中でも、秀逸の出来栄えの空間といってよいだろう。1つを除いては・・・

 というのも、地面が街中の歩道でよく見かけるタイルで仕上げられており、完成から一週間も経たないのに陥没が発生、排水もよくないため雨が降れば池と化し、その後は地面から吹き上がった砂でざらざら・・・といった有り様なのだ。
 こんな状態になるなら、見てくれは悪くても道路のように、一思いに舗装してしまった方がずっとましだ。これは街中の歩道にも言えることで、特に陥没は危険な上、ベビーカーや車椅子にとっては高いバリアになる。

 ちなみに工事の様子を見たことがあるが、
 ①地面を固める
 ②タイルをならべる
 おしまい。そりゃ陥没もするよ。

◆7月13日(日)縁
 明日は、友達4人で東海(日本海)へ海水浴に行く予定。往復6時間程度のドライブを少しでも楽しくしようと、カーステレオとCDプレーヤーを接続するアダプターを買いに出かけた。
 いずれ日本で買うつもりだったし、安く買えれば御の字である。

 日本だったら、ホームセンターやカーショップで買えば良いのだろうが、韓国の場合は電子商店、それも家電量販店ではなく、電子小物専門の店で買うものらしい。韓国は日本より分業が徹底しているように思うが、時に不便ではある。

 でも一応、電器屋も覗いて見ようということになり、おなじみの家電量販店・ハイマートに行ってみた。店員さんに聞いてみると、
 「ああ、少々お待ちください」
 とどこかに消え、戻ってきた。
 「これでしょう?」
 「そうですそうです。いくらですか?」
 「いや、私が個人的に持ってるものなんですけど・・・」
 売り物じゃないんかい! しかもこの方、なぜか2つ持っていて、1つを1万ウォンで個人的に売ってくれた。

 「ところでお客様、どちらの大学に通われてますか?」
 「忠州大学校に・・・」
 「私も卒業生ですよ。私の1年後輩が、1年間日本に交換留学したんですけど」
 「○○さん?」
 「そう、○○!」

 うーん、忠州「市」という都市部で、しかも韓国でトップクラスの家電販売チェーンなのに、「人の縁」を感じるなあ。韓国のこんな所も好きだ。

 海水浴の方は、いろいろあって流れてしまったけど、また役に立つこともあるだろう。

◆7月14日(月)徹夜
 2ヶ月振りに忠州病院へ行った。
 この2ヶ月間の病院の変化といえば、名前が「忠州新しい病院」に変わったこと。新市街を中心に、新しい病院が次々開院しているので、改装したついでに対抗したのだろうか。ま、見た目は新しくなったけど…

 診断の結果は良好。骨もほとんどつながった。何度聞いても教えてくれなかった、手術の時に使った器具の名前も、ようやく教えてもらえた。これで、日本に帰って再手術を受けられる。めでたしめでたし。

 夕方、だいぶ睡眠をとったので、どちみち夜は簡単に寝つけそうもない。なら寝なきゃいいやと思い、学校に行ってネットに没頭。
 最初は眠くなったらサークル部屋で寝ようと思っていたのだが、いつしか外が薄ら明るくなっていた。結局、8時間、PCに向かっていたことになる、ははは、我ながら…

 寄宿舎へ帰る道。もちろん朝6時前のキャンパスに、人影はほとんどない。なんだか独り占めしているような優越感があった。
 ほんとは、徹夜より早起きで味わいたい気分ではあるけど。

◆7月15日(火)もう1年・・・
 起きたのは12時45分。前学期から仲良くしてたヨンチョルが、ドアを叩く音で目覚めた。
 「お昼ご飯食べましょう!」
 また寄宿舎職員用のお昼ご飯に、混ぜてもらえるらしい。学校から食費貰ってんのに、これじゃ二重取りだな・・・なんて思いつつ、食後の緑茶までしっかり頂いた。ご馳走さまでーす。

 そうしてる間に、留学期間も「残り2ヶ月」から「残り1ヶ月」と言える時期になってきた。
 やり残した事、会わなくちゃいけない人、いないだろうか? 悔いを残さぬため、「今」を「帰国後」につなげていくため・・・

◆7月16日(火)初伏
 昼飯を食いに学食に行ってみたら、いつもの定食1,100ウォンが姿を消し、3,000ウォンの参鶏湯しかない。どうゆうことだと思いながら食べてたら、構内郵便局員のお姉さんが解説してくれた。
 曰く、今日は暑さが始まる日とされる「初伏」の日で、この日に参鶏湯を食べて暑さを乗り切るという風習があるそうな。日本でいうと、土用の丑の日のようなものなのだろう。韓国の文化の一つなのだ。

 だからって、夕ご飯まで参鶏湯とはどういうことだ!? おいしくて好きだけど、さすがに1日に2回は勘弁ということで、外に出て食べた。


バスレーンもある京釜高速道路

ワールドカップ競技場

教保大田ビル
◆7月17日(祝)①バス苦労
 忠州から1時間半の広域市、大田には、知り合いがいることもあって何度か出かけたけど、まだまだ見足りない街だ。亨鎬が、大学の休みに入ったお姉さんを、大田まで迎えに行くというので、ついていくことにした。

 清州まで国道を走り、そこから高速に乗った。さすがは高速道路天国の韓国。大田郊外の儒城まで1時間ほどの区間なのに、中央、京釜、湖南の3高速道路を渡り歩いた。通行量も多く、道路社会を感じる。
 最初の目的地・大田ワールドカップ競技場は、儒城ICの目の前。やはりここも、サッカー専用のスタジアムだ。フィールドまで近く、観客が一体となって応援できそうな雰囲気である。色彩は、ソウルのスタジアムより美しく感じた。
 ユニークだったのは、2〜3階に上がる通路が、すべて大きなスロープで仕上げられていること。これなら、試合終了後に観客が押し寄せても、危険は少なそうだ。

 忠南大まで送ってもらい、そこからはバスで市内へ。祝日とあってバスは満員で、積み残しを出すほどだ。同区間に建設中の、地下鉄開通が待ち望まれる。
 まずは、旧市内まであと一歩の所にある、教保生命ビルで下車。ソウル光化門にある教保ビルとまったく同じデザインで、全国各地にこんなビルがあるそうだ。このデザインで、すでに「教保ここにあり!」と示せてるのだから、屋上の不粋な大看板は必要ないように思えるが・・・
 地下に書店の「教保文庫」が入っている点までも同じ。もっとも規模は比較にならず、中心部から距離があって客足も少ないのか、売場面積を縮小した跡が。椅子とテーブルが置かれ、読書室と化していた。

 中心部まで出て、お気に入りのカジュアルブランド店で夏物を買い求めた後は、駅から800mの所にある「ハンバッ教育博物館」へ。日帝時代の小学校校舎を改装した博物館で、韓国の学校教育史がわかる・・・はずだったが、意気揚々と入り口に向かう僕を呼び止める声。
 「行っちゃダメ!」
 休館日らしい。休館日は、月曜のはずなんだけどなあ・・・

 次の目的地は市庁(市役所)だが、そこに行くバスを探すのに一苦労。停留所には案内用の機械が置いてあるが、乗り場の検索まではできずに用をなさない。道行く人に聞いてみても、
 「さあ、わからないな・・・」
 もっともそんな人でも、周りの人にも協力を求めてくれ、なんとかしてやろうという気持ちが読み取れ嬉しい。
 と、バスの運転士が交代で降りてきた。餅は餅屋とばかりに聞いてみれば、いかにも面倒臭そうに、
 「ん、市庁? 道渡って、180番の乗れ」
 命令形である。さらに恐い態度の、バス切符売り場のおばさんに聞いて、ようやく分かった。バス1つ乗るのにも、一苦労だ。


大田広域市庁舎

儒城ホテル
◆7月17日(祝)②露天風呂
 そのバスも随分待って、ようやく乗れた。バス車内にも案内システムがあるが、停留所名が出るのはほんの一瞬。あとは市からのお知らせに天気予報ばかりで、こちらも要をなさない。停留所の案内システムにしても、利用者に近づこうとする気持ちが感じられない。

 周りの景色で判断して、市庁前で下車。
 日本より地方分権の進んでいない韓国だが、広域市の市庁舎、それも近年できたものともなると別格。天を突き刺すツインタワーが出迎えてくれた。周囲の公園もきれいに整備されており、成長する都市の勢いを感じさせられた。
 休日なので、やっぱり中までは見れなかったけど・・・

 さらにバスに乗り、儒城温泉へ。このバス、ずいぶん遠回りする路線で、おかげで科学技術団地を車窓観光することができた。

 儒城温泉は3ヶ月前に一度来たけど、じっくり回りたくて再訪。温泉は、老舗の儒城ホテルを選んでみた。日本のホテルと違い、温泉の入り口は別にあって、日帰り入浴でも気軽に来れるのが、韓国のいい所だ。
 休日の夕方とあって、親子連れで賑わっていた。小さな子供用浴槽も、大賑わいだ。ここには韓国では珍しい部類の露天風呂があり、岩風呂のいい雰囲気。合間には、「岩の寝台」で寝そべったり、石で作った碁盤で碁を打ったりできるのが面白い。

 こんな露天風呂が受けるのだから、別府の温泉が韓国人に好評なのも分かる気がする。これで4,500ウォンなら、韓国では安い方だ。出たり入ったりを繰り返し、1時間ほどゆっくりした。
 面白かったのは、韓国の温泉ならどこにでもいるアカスリ師(兼浴場清掃係)のお兄さん。他の浴場の人は海パンをはいてるのに、ここの人は素っ裸で仕事してるのだ。「制服」は支給されないのかな?

 亨鎬は先に帰ってしまい、僕一人バスで帰路についた。もちろん儒城にまで忠州行きのバスはなく、清州で一旦行かなくてはならない。清州までは3,000ウォンのはずなのに、渡されたのは4,100ウォンの切符。2度確認してもこれだというので、そのままバスに乗ってみたら、
 「お客さん、どこに行かれます?」
 やっぱり高かった。発音の間違いで、損したのは何度めかだ。


こんなレストラン、なかなか行けない
◆7月18日(金)天国
 先輩のドラムの先生で、ヨシキファン、高級車オピロスに乗る、通称「オピロスお姉様」から映画のお誘いを受け、夕方、単身市内へ出かけた。
 ところがうまく連絡がとれず、会えた時にはすでに映画が始まって30分経過してた。ただでさえ理解が難しいのに、30分たっていては楽しめそうもない。

 「ごめんなさい、私が遅れちゃったから・・・かわりに、夕ご飯ごちそうするわね」
 「わ〜、うれしいっす」
 というわけで連れていっていただいたのは、ビル地下にある洋食屋さん。韓国でこんな店に入るのも、それ以前に韓国でまともな洋食を食べるのも初めてだ。
 ソウルまで行けば洋食の店も賑わってるが、忠州にこのような店があるとは驚きだった。なんて言っては失礼かな?

 A定食2万ウォンなり。前菜から始まるコース料理の内容も、店の雰囲気も、大満足だった。ほんと、おごちそう様でした〜

 いろいろ話してて、ようやくオピロスお姉様の「正体」が分かった。ご主人は開業医の先生なのだそうだ。なるほど、生活に余裕があるわけだ。
 以前は、ソウルの江南に住んでいて、高級店が並ぶあのアックジョンドンなんかも行動圏内だったとか。忠州の普通の女性とは(!)、ずいぶん違う雰囲気だと思ってたけど、まさに話に聞く「江南のお嬢様」だったのだ。

 来月、僕の友達がソウルに遊びに来るときには、ソウルを案内できるかもとのこと。またソウルの、そして韓国の違った一面を見ることができそうだ。

◆7月19日(土)旅
 骨折以来体が弱ってしまい、思うように旅行できないのが、何より残念。
 その前は、9泊10日で旅館に泊まったのは1泊だけ(それ以外は夜行列車)、なんていう激しい旅もできてたけど、今の体力では夢のようだ。
 できるなら、韓国全土を渡り歩くような旅がしたいものだ。

 ただ、動きまわれること自体は、とても嬉しい。せっかくの夏休み。1泊2日でも、何度か回数を重ねてあちこちいってみたい。
 まだ足を踏み入れたことのない、湖南地方を訪ねる旅を、鋭意計画中だ。

◆7月20日(日)ラブハウス
 休みの間、寄宿舎の残ってる学生は20名余り。それも週末になると、ほとんど姿を消してしまう。
 土日は学食も空いていないので、寄宿舎に残ってる4人、連れ立って外食に行った。一人は、中国からの留学生だ。もちろん、僕は中国語も英語もできないので、共通言語は韓国語である。
 中国でも韓国語を専攻していたそうだが、中国訛りの韓国語を聞き取るのは容易じゃない。たぶんそれは、相手にとっても同じだろう。

 日曜夜のお楽しみはTV。韓国のバラエティ番組って、あんまり面白いと感じないけど、日曜の番組はなかなか侮れない存在だ。
 特に好きなのは、おなじみ「ギャグコンサート」に加え、最近見始めたのが、十数年の歴史を持つというMBCの「日曜・日曜の夜に」。6時〜8時の大型プログラムで、前半は芸能人たちが対戦する、頭脳系と体力系のゲーム、後半は雰囲気ががらりと変わり、生活に不便を感じる人の家を改築するコーナー「ラブハウス」だ。

 というと、日本の「劇的!ビフォーアフター」のようだが、こちらの場合、生活の困窮度が違う。
 昨日の放送の場合、父が急に亡くなり、母は朝早くから遅くまでキャディーをして生活をささえ、高校生の娘が兄弟の面倒を見、内職しながら生きている・・・という涙なしでは語れぬような家なのだ。家の方もひどく、屋根は抜け雨漏りがひどく、トイレは雨の日に傘が必要なほど・・・

 こんな家だから改築費なんて出せるはずもなく、そのお金はMBCと視聴者の募金でまかなうのだからすごい。完成した家は、まさに建築家が建てた家。これまでの暮らしから、二階級特進だ。

 ちなみに、この企画が始まったのは2001年だから、けっして「パクリ」じゃない。さすがはMBC。自分たちの番組企画力で勝負してる。


かわりにピザ頼みました
◆7月21日(月)中止
 明日から、湖南地方へ行ってみよう。予定も立てたし、見たい場所へも見学可能か電話で問い合わせたし、あとは列車の切符を押さえればOK!

 というところまで準備したのだが、明日から大雨らしい。多少の雨ならなんとかなるけど、故郷九州では大雨で、列車は脱線転覆、土石流で死者多数などの被害が出ていて、こちらも大雨になることが予想される。
 中止中止!


バイト頑張る
◆7月22日(火)バイト
 予報通り、ひどい雨になった。でも、明日まで辛抱すれば梅雨も終わりだそうだから、遠出できなくても我慢我慢。その先には太陽輝く、僕の一番好きな季節の真夏が待っている。

 代わりに、今日は忠州湖畔の「忠州コター」に行った。去年の年末、サークルの旅行で訪ねたリゾート施設だ。今回訪ねたのは、“くま”とロシア留学生の友達がバイトをしているから。その様子を見学(ひやかし?)に行こうというわけだ。
 運転手はもちろん亨鎬。で、いつも通り道に迷った。お前、忠州の人間だろ?

 着いてみれば、やってるやってる。雨の中、食事をホテルの食堂に運び込んでいる最中だった。ホテルと言っても研修施設のような感じで、日本の「少年自然の家」といったところだろうか。
 泊り込みのアルバイトで、仕事は朝6時からあるそうで大変だが、勤務態度の方は・・・建物内のそこらじゅうに唾吐くし、煙草の吸い殻は捨てるしで、お前らもっと真面目にやれよ!
 と思ったのだが、「ちょっと建物の中見物しようぜ」と、2階への階段を上がった我々の目に飛び込んで来たのは・・・動物のクソだ! これじゃ、俺でもきれいにしようなんて思わないな。

 夕ご飯は、ここの夕食(1,500ウォン相当)をご馳走になった。ごっつぁん!


CMでもお馴染みの炭酸温泉

漆琴洞ロッテリア
◆7月23日(水)温泉
 亨鎬は、あまり温泉が好きじゃない・・・というか嫌いらしいが、僕のリクエストに応える形で、忠州市郊外の仰城温泉に連れてってくれた。しかも家に、無料入浴券まであったとか。感謝感謝。
 行きは、やっぱり道に迷った。

 目的地の温泉センターは、大きくて雰囲気もいいし、この日はやってなかったけど露天風呂まであった。そして仰城温泉の何よりの特徴は、炭酸泉であることだ。
 炭酸泉といえば、以前開慶の開慶温泉に入ったことがあるが、そこよりも温泉の成分は薄い感じ。しかし炭酸の量がすごく、入ればすぐさま体中炭酸の泡だらけになった。こりゃ、おもしろい。
 飲泉も効果的らしく、飲泉場があったり、お持ち帰り用のポリタンクを売ったりしてた。一口飲んでみたけど・・・市販の炭酸水をそのまま飲んでも、うまくないのと同様だ。

 お昼ご飯は漆琴洞のロッテリアで食べて、そのままそこで5時ごろまで勉強。2階席まで来る人は少ないし、全面ガラス張りの展望に加え、ガンガンに効いた冷房とあって勉強するには最適だ。
 食事代は今朝、亨鎬がTTLカードを作ったので、それを提示して20%オフになった。TTLカードとは、携帯のSKテレコム加入者の会員券で、その他ロッテワールド入場半額、PCバン2時間無料などの特典がある。
 僕のLGテレコムにも会員制度があり、マクドやコンビニ「LG25」での20%割引特典があるのだが、僕は外国人だからプリペイド式しか加入できず、それでは会員券の発行はできないとのこと。毎月3〜4万程度は使ってるのに、外国人だから不可というのが、くやしいな・・・

 夕ご飯は、お気に入りの食堂でコチュジャンプルコギを食べた。2人分でもお腹いっぱい、と思ってたら、会計の時3人分の請求が来た。え〜、俺の発音「2人分」と「3人分」の区別もできてないの!?
 先週は、「1匹分」と「半匹分」の区別ができず損したし、バスの切符を間違ったこともある。自信なくすな〜
 もっとも側にいた亨鎬は「ちゃんと2人分って聞こえたよ」と言っており、周りが騒がしくてよく聞こえなかっただけかもしれないけど。


まさに居酒屋の雰囲気

メニューも日本にいるみたい
◆7月24日(木)飲みすぎた…
 今日は蒼洙兄の誕生日ということで、我らがサークルから3人、兄の友人3人とでお祝いした。
 知らないもの同士引き合わせることって、日本じゃそうないことかなと思うけど、韓国ではこんな経験随分ある。おかげで、知らない人ともたくさん知り合えた。

 まずはHOFで、ケーキの火を消して乾杯。HOFとはいえキムチチゲや焼酎といったメニューもあり、韓国式にどんどんお酒が進んだ。
 兄と彼女はこの7月に、めでたく付き合って100日目を迎えたそうで、記念に作ったボールペンを貰った。韓国では、100日目の持つ重みってとても大きいのだけど、記念品まで作ってしまう人は初めて見た。日本で同じことをやったら、どうなるかな?
 寒がられるだろうな・・・

 2軒目は居酒屋・・・韓国では民族酒場っていうのかな?・・・へ。本当に、日本の居酒屋そのままの雰囲気で、ヤキトリまで出てきた。
 ここで盛り上がったのが、整形手術の話。女性の場合はもちろん「美容整形」で、大学に入った記念に、親からのプレゼントとして受ける人も多いのだとか。親から貰った体を傷つけるなんて!なんて考えはないようだ。
 一方、男性の場合、中高生の間に包茎手術してしまう人が「9割くらいいるよ!」とか(マジでそんなに?)。一般的なだけに、手術料もW9万程度で、20分もすれば終わってしまうような手術らしい。
 いずれも、日本の感覚とは随分かけ離れてるなと感じた。

 3件目はカラオケに行ってお開き。出たのは3時頃で、外は豪雨に見舞われていた。昼はカラっと晴れ上がり「本当に梅雨が終わったんだな」と感じたものだが、あと1回分、残ってたらしい。

◆7月25日(金)二日酔い
 朝11時まで赫昌兄のアパートで、その後は寄宿舎で眠り続け、3時頃、寄宿舎のおじさんが、有無を言わさずドアを開ける音で目覚めた。
 「消毒するから、しばらく出てろ」
 おっさん来なかったら、何時まで寝てたかな・・・?

 それでも酒が残ってる感じ。うーん、韓国に来てから酒強くなったと思ってたけど、最近だめだな。亨鎬曰く、
 「体が先に帰る準備してるみたいっすね」。
 そうかもしれんが、できればこの力は日本に持って帰りたかったな。

 ちなみに、昨日の深夜の雨での被害は大きかったらしく、道内でも死者が出たらしい。忠州でも、道路則面崩落等の被害が出たそうだ。
 でもこれで梅雨も、本当に終わった。空は晴れ上がり、各企業も来週まで休暇のシーズンに入った。夏本番、到来!


髪も切らなくてはいけません

髪は自分で洗うのが基本
◆7月26日(土)さよなら
 韓国に戻って以来、ずいぶん仲良くしてくれた亨鎬だけど、明後日から1ヶ月間、訓練所での厳しい日々に突入する。
 彼は腰に持病を煩っているので、徴兵は免除されているものの、代わりに1ヶ月間、訓練所での訓練を受けなくてはならないのだ。
 その後は2年間、市役所での勤務が待っている。給与は月額僅か10万ウォン。それでも、ほぼ2年間拘束され給料もないに等しい軍隊に比べ、9時〜5時の勤務で日曜は休みなのだから、ずっと楽ということになるのだろう。
 それにしても比較論であり、軍隊のない日本から見れば、大変なことに変わりはない。
 ともあれ、明日はソウルに行く用事があるので、今日が「毎日のよう」に逢える最後の日。

 ここしばらく、軍隊に行く前ということで、いろいろと飯をご馳走してたから、今日だからといって特別に奢るようなことはしなかったけど、それでもタッカルビを一緒に食べに行った。
 その後は、ゲーセンのカラオケで、いつもの1.5倍・3,000ウォン分を熱唱。何度となく、こいつとカラオケ通いしてたけど、それも今日で最後だと思うと感慨深かった。

 でも、インターネットは世界を一つにしてくれるし、ましてや日本と韓国はすぐそこ。また会える日が来るに決まってる。
 「今度は日本であおう!」
 と手を握り、バイクの後ろ姿を見送った。

 明日は早い。早めに床に入ったのだが、なんだか腹が痛み出した。一昨日飲みすぎて胃の調子は良くなかったけど、こんなには悪くなかったぞ。なんでかなあ・・・
 というわけで夜中も、部屋とトイレの往復を繰り返し、よく眠れなかった。
 弱いぞオレ! 大丈夫かオレ!

◆7月27日(日)再サヨナラ
 腹痛、結局治まらずに、予定していたソウル行きも断念した。は〜・・・体弱いなあ。

 でもというか、だからというか、しばらく会えなくなるはずだった亨鎬に、もう一度会うことができた。赫昌兄の家でPS2に興じたけど、いつも通り遊んでるみたいな感じで、しばらく会えないなんて信じられないなぁ・・・
 なんてこと考えると寂しくなるから、考えずにいた。

 今度こそ、しばらくのサヨナラだ。


クロスシート並ぶ車内

豊かな田園地帯を行く

光州到着
◆7月28日(月)①旅立ち
 昨日の夜、急に「そうだ、木浦へ行こう」と思い立った。以前、雨のために断念した、湖南地方方面への旅だ。天気も良くなったし、今こそ旅立ちのときである。
 ただ、急に思い立ったことなので、もちろん切符の用意などできていない。休暇のシーズンだけに、取れるかは怪しい。朝、駅に行って切符が売り切れていれば、そこで旅は中止だ。

 朝5時45分に起床。こんな時間に起きるのは数ヶ月ぶりだけど、旅立ちの嬉しさもあってすんなり起きれた。
 達川駅までは歩いて20分強の道のり。朝霧に包まれた、爽やかな空気が気持ちいい。
 1日上下各4本しか列車が停車しない達川駅だが、早朝から営業していて、乗りたい列車の指定券をすべて押さえることができた。順風満帆、いざ出発だ。

 湖南線との乗換駅、鳥致院までは、各駅停車の統一号に乗った。清州まではバスで5,700ウォンだが、さらに先の鳥致院まで乗って2,300ウォンなのだから、激安だ。
 ただいかんせん、本数が1日3本と少なく、今日まで利用する機会がなかった。使ってる車両は急行型で、忠北線では全車指定席で運行されてるということもあり、雰囲気は鈍行というより、長距離の急行列車だ。
 それでもデッキのドアを開け放して走ってて、車掌さんが客席でくつろいでるあたり、かなり大らかである。ローカル線の旅情を感じたいなら、おすすめの列車だ。

 鳥致院は、京釜線上下、湖南線、忠北線の4方面乗り換えターミナル。街の規模は小さいが、鉄道利用者にとっては忠州より知名度が高いという、九州でいえば鳥栖のような駅だ。
 広くはない待合室は、乗り換え客であふれていた。

 40分の待ち合わせで、光州行きのセマウルの乗り継ぎ。韓国国鉄の誇る、最上級の列車。ゆったりリクライニングシートの座り心地は、バスの比ではない。
 大田の手前で京釜線と別れ、いよいよ未知の湖南線の旅が始まった。大田の市街地を離れれば、田園風景が広がる。国鉄第二の幹線とはいえ、いたってのどかな車窓風景だ。

 沿線では、電化工事の真っ最中。来年の京釜高速鉄道の開通にあわせ、湖南線にも高速列車を直通させるための工事だ。日本と違い在来線も標準機を採用してるので、電化さえすれば直通できるから、お手軽でいい。
 車内のTVではKBSの番組を放送中で、今回はちゃんとイヤホンを持参してきた。いつしか番組は「ギャグコンサート」に変わり、車内はかみ殺した笑い声に包まれた。
 
 鳥致院から約3時間、快適な道中は光州で終わる。


全羅道庁

光州のメインストリート

道庁前にあった日本風の空き家
◆7月28日(月)②人の思い出
 光州は、人口140万を数える全羅道の中心都市。地下鉄の建設工事が進捗中で、2002W杯の会場の一つになるなど、鋭意発展中の都市だ。
 まずは腹ごしらえに、駅近くのビル地下の食堂で、キムチチゲを食べた。ホントに4,000ウォン? 一人分? というほど多く、まだ調子が戻らないお腹にかき込んで大丈夫かなと思ったが、栄養満点、おかげで元気が出た。

 駅近くの教保生命ビル(やっぱり同じデザイン、やっぱり屋上の看板が邪魔)を見物した後は、一路市内バスで道庁のある中心部へ。
 地下街があり、地下鉄駅の案内板も姿を現すなど活気を感じられるが、そんな道庁前にひっそり1軒、日本式の家屋の空き家が残っていた。時代に取り残されたような風景だ。

 まずは道庁の近くから延びる「芸術の通り」を散策。画材店や美術学院が軒を連ね、確かに文化の香りを感じられるけど、ソウルの仁寺洞のような「街の空気」を造るには至ってないようだ。
 さらに中心部に出れば、おなじみのファッションビル「ミリオレ」が姿を現し、歩行者天国の雰囲気も全国共通。中心部で、街の特性を見つけるのって、特に韓国では難しい。

 次なる目的地は、5.18記念公園。1980年5月18日に起きた、5.18民主抗争を記念した公園だ。もともと行く予定はなかったのだけど、光州駅の観光案内所にあった民主抗争関連の日本語パンフを見て(というか、それしかなかった)、興味が湧いたのだ。
 道庁からどう行けばいいのかを、観光公社の電話案内で聞いたのだが、番号を教えてくれただけで、乗り場は市民の聞いてほしいの事。

 というわけで、バス乗り場探しがスタート。前回の大田では苦労したけど、今回は何かが味方してくれた。最初に尋ねたおばさん曰く、
 「その番号は、たぶん別の○○公園に行くバスでしょうね。私はその近所に住んでるので、一緒にバスに乗れば、降りる場所を教えて差し上げますよ」
 ラッキー! しかも座席バスより安くて早い、W1,000の空港バスだった。

 このおばさん、80年当時も光州住まいだったとかで、
 「あの時の学生達は、本当に偉かった。私も少し参加したのよ」
 と、現場にいたナマの声を聞くことができた。
 「最近の若い人って、どうしても楽に生きようとして・・・あなたはそうじゃないでしょうけど、子どもたちにもいろいろ知って欲しくて、こんな本を買ってきたの」
 と見せていただいたのは、日本の「だからあなたも生き抜いて」の韓国版と、韓国語の本だった。その韓国の本、
 「せっかくだから、あなたに差し上げます。あなたも他の人のためになるような人になってね」
 というメッセージと共に、頂いた。忘れられない思い出・・・旅に限らず、思い出って「人」の思い出なんだと、また強く感じた出来事だった。


自由公園の慰霊モニュメント

ワールドカップ競技場

なかなかかっこいいが…
◆7月28日(月)③第一印象No, 1
 おばさんと別れ、一人記念公園へ。一帯には新市庁舎やKBSの新館が姿を現していて、新都心としての開発が進行中らしい。
 そんな中にある記念公園は公園らしく、多くを語らない。倒れる青年と、彼をささえる二人の銅像が無言で何かを訴えるだけだ。その後ろにある階段を降りていけば、事件の犠牲者となった市民達の名前を刻んだ、追悼空間になっていた。
 今でこそ自由を旨とする韓国も、ほんの20年前までは、民衆の声を権力で抹殺するような国だったのだ。自由を手にすること、それに対する犠牲・・・その大きさが、刻まれた名前の一つ一つからひしひしと伝わってきた。

 次の目的地は、W杯競技場。もちろんバスなど分からず、競技場事務所に電話してみたら、
 「(笑)バスは分からないです〜」
 はいはい、自分で何とかしますよと、近くのEマートに入って店員に尋ねたら、仕事の手を休め尋ね回ってくれた。Eマートって、接客のよさからもともと好きだったけど、今日ますます好きになった。
 ただ教えてもらったバス乗り場はよく分からず、一人探し回った末、偶然発見。
 競技場経由のバスは、マイクロバス。近くのおばちゃんに、近くまで来たら教えてくださいと頼んでおく。なんだか、見知らぬ土地でもどこにでも行ける自信がついてきたぞ。

 停留所で下車して、歩道橋に上がったら、競技場が目に飛び込んできた。客席を覆う、二つのアーチ。思わず韓国語で「かっこいいな〜」とつぶやいた。
 ただ、入り口を探すのに苦労した。正門は閉まっており、どこから入るのか電話で聞いてみてもらちがあかない。2度電話して、歩き回った末ようやく入ることができた。見学者を受け入れている以上、正門にも案内出しておこうよ!
 見学コースはフィールドまで入ることができたけど、案内の不備のおかげでなんだか冷めてしまった。第一印象までは、W杯会場の中でもNo.1だったんだけどなあ。

 さて、今日は木浦まで移動して泊まる予定。ここから西光州駅までは近いはずで、列車なら安くて早いから是非乗りたかったのだが、道ゆく人に聞いてもよく分からないらしい。2000年の線路付け替えでできた新駅だし、なじみないのかな・・・探し回ってもきついので、あきらめてバスで行くことにした。
 バスターミナルへも市内バスでかなりの時間を要し、タクシーで西光州まで行けばよかったかなと思ったけど、あとの祭り。記念公園まで、ほとんど来た道を戻った。


インターネット放題
◆7月28日(月)④木浦へ
 光州ターミナルは、光州へ来るバスを一手に引き受けているだけあり、扇形の巨大な建物だった。木浦との交流は深いらしく、市外バスは頻発しているようだ。席も狭く、ぎっしり詰め込まれて、6時30分、出発した。
 途中から高速道路に乗り、快調に走ったものの、到着したのは8時を回っていた。列車だったら、7時半には着いていたんだけど・・・このまま市街地へ出るのも面倒だし、ターミナル周辺で宿を探すかな・・・
 と思ってたら、急におっちゃんから声をかけられた。タクシーの運ちゃんらしく、明日観光ガイドしてさしあげますといった勧誘らしいが、「タクシー=ぼる」というイメージしかないので、丁寧にお断りした。

 バスが主要交通機関の韓国では、たいていターミナル周辺に安宿街が広がっている。忠州のように新たに移転したターミナルでは旧ターミナル付近まで行かなくてはならないが、幸い木浦は古いターミナルで、歩ける範囲に固まっていた。
 さっそく探し周り、直感で1軒の「モーテル」へ。韓国でモーテルといえば、駐車場付きの一般的な旅館も含まれる。
 「1泊いくらですか?」
 「2万5千だけど、2万でいいよ」
 「外にインターネットできる部屋ってありましたが・・・」
 「ああ、その部屋は3万なんだけど・・・うーむ、どうするか・・・いいよ、2万で」
 というわけで、1万の値引きに成功。汽車で、駅まで行かなくて良かった!

 ただこのモーテル、1人で泊まってる人しか見なかったけど、成人放送が無料だし、廊下の照明が怪しげだし、ダブルベッドだし・・・そうゆう用途もあるんじゃないかな〜? と思わせる雰囲気ではあった。
 無料ネットは、1万引いてもらったのが申し訳ないほど、楽しませてもらった。おかげで、疲れてる割に寝るのが遅くなった。いかんいかん。


これも日本の家かな?

看板以外は日本風の街並み

◆7月29日(火)①タイムスリップ
 8時20分起床。前日買っておいたパンをつまんで、市内へ出発した。
 木浦の市内バスに、案内放送はない。地図とにらめっこしながら、中心部にある木浦駅を探していたが、位置の見当がつかない。道路標識に木浦駅の看板が見えたので、反射的に降りてみたけど、ここどこ・・・?
 通行人に聞いてみれば、駅はバス停で3個先らしい。最初から、バスの乗客に聞けばよかった。昨日はそうやって、乗り切ってきたじゃないか。

 その代わり、バス停前に面白いものを見つけた。切妻屋根の商店・・・どう見ても、日本式の家屋だ。木浦は、日本式住宅の多く残る街としても知られているが、こんな幹線道路沿いにも残っているのだ。
 そして右手を見れば、大きな踏切。韓国の場合、市街地はおろか郊外でもほとんど立体交差を採用してるのに、これは珍しい。決して列車の本数は少なくないのに、ほとんどの車が一時停止しないのでヒヤヒヤする。遮断機を、過信してはいけないよ・・・

 次のバスは待つほどもなく来て、木浦駅に到着。さっそく、駅の観光案内所へ。ちょっと大きな駅ならば、たいてい観光案内所を備えており、バスと比べた鉄道の長所だと思う。備えてる資料も、日本で売ってるガイドブックなど足元にも及ばぬ情報量だ。
 まずは、木浦駅方面に向かって歩き出した。一歩裏に入れば、そこは日本式家屋が立ち並ぶ街だった。日本の旧街道筋に迷い込んだようだ。
 これまで韓国で、当時の日本が建てた建物はたくさん見てきたけど、ここほど「日本」を強く感じたことはなかった。55年前まで、間違いなくここを日本が統治していたのだ。

 ただこのタイムスリップしたような感覚、日本では味わったことがない。おそらくこの街に、人の営みを感じられるからなんだろうと思う。町工場からの騒音が朝を告げ、通りでは市が開かれる。それが、日本式の町並みの中で営まれている。
 それは紛れもなく映画の中で見る、そして皮肉にも日本で見ることが少なくなった、昔の日本の「下町」の光景なのだった。
 この町内には港が近いこともあり、旅館や旅人宿が軒を連ねている。ここで1晩過ごしてみるのも、楽しそうだ。今回は見つけられなかったけど、さがせば日本式家屋の旅館だってあるかもしれない。

 港まで出ると、済州島行きの船が着いたのだろうか、バカンス姿の家族連れが目に付いた。体力さえあれば、このまま船に乗って旅立ちたいものだけど・・・今日はここまでだ。


まるっきり日本式の屋敷

木浦文化院

儒達公園からの眺め
◆7月29日(火)②日本との関わり
 
港から帰る道にも、大きな日本の屋敷を見つけた。どこにいるんだか、分からなくなる。

 次に訪ねたのは、かつて木浦市立図書館だった木浦文化院・朴花城文学記念館だ。建物は、100年前に日本が建てた、瓦屋根の洋館だ。館長さんから、建物や作家朴花城の足跡を、展示物を見ながら説明して頂けた。
 1階のホールではダンス教室が開かれており、図書館から用途は変わったものの、文化の発信基地としての役割は、むしろ増してきているようだ。

 その裏手を上っていったところにあろのが、儒達山公園。あいにくの空模様で小雨も落ちているが、ともかく登れる所まで登ってみよう。入園料700ウォン。
 最初の展望台まで登ると、先ほど文化院でお会いした観光ガイドのおじさんが待っていた。霧がかかっていて市内全域は見渡せないものの、さきほど巡った下町を見降ろしながら説明していただけた。
 日本式の家屋が多く残る木浦だが、特にかつて日本人が多く住んでいた儒達山から港側で、よく見られるという。なるほど、逆側にも古い住宅がたくさんあるが、ほとんど韓屋だ。日本式の豪邸に、今は地元の有力者が住んでいるという。
 「ここまで来る日本人って、1日に何人くらいいます?」
 「だいたい2〜3人くらいですね」
 これは、ソウルから遠いことを考えれば、予想外に多い。市内には日本人が100人くらい住んでいて、国際結婚した人もいるのだとか。今も、日本との関わりは深いようだ。

 さらに上の展望台まで登ってみたが、息が上がる。昨日の待ち歩きも疲れたが、心地よい程度の疲労感だった。今日はまだ午前中なのに、「バテた」って感じだ。まだ無理はできない体。どうせ山頂まで行っても景色なんて見えないだろうし、ここで引き返すことにした。
 帰り道は、港とは逆側の道を下った。地図も見ず、ヤマカンで路地裏の道を下っていく。生活臭の濃い界隈を通り過ぎ、駅へのメインストリートにたどり着いた。

 時間も中途半端だし、足も疲れたしと思って訪ねたのは、駅からもほど近いお風呂屋さん。一見なんでもない韓国式の銭湯だったけど、温湯は緑茶湯、熱湯にはゲルマニウム泉だった。
 そして冷泉には、地下150mからくみ上げた、海水を使っているという。なるほどしょっぱいし、体がプカプカ浮かぶ。3,200ウォンと安い割には面白い銭湯だ。早朝4時から営業してて仮眠室もあるようなので、夜行列車で到着した朝に利用するのも、いいかもしれない。


KT木浦支社

ムグンファ号
◆7月29日(火)③まずは成功
 駅から近い教保木浦ビル(やっぱり同じデザイン、やっぱり屋上の看板が邪魔)と、KT韓国通信の木浦支社を見物。KTは、ガラスを多用した現代的な建物だった。木浦のような地方都市にしては珍しい、といっては失礼かな??

 帰路の列車は、13時45分発・ムグンファ号のソウル行きだ。鳥致院まで4時間乗り続けることになるだけに、新型車両だったのは嬉しかった。窓が大きく、展望にかけてはセマウルに勝る。
 市内は例の踏切がある古い線路だったが、光州郊外の松汀里までは大規模な線形改良を行ったらしく、新幹線を思わせる立派な高架橋が続く。田んぼの中に高架橋作るより、まず木浦市内の踏切をなんとかしろよとも思うが、部外者が口出しすることでもないか。
 後ろの席の子どもが、ガンガン座席を蹴ってくる。うっとおしい。俺が注意しても聞かない。ちょっとお母さん!
 シートピッチも広く快適な新型車両だが、座席そのものは在来客車と大差なく、後半はちょっと疲れた。特室(グリーン車相当)を取ればよかった、なんて思っては贅沢だろうか? 大した金額ではないのだが。

 10分遅れで鳥致院に到着して、30分の待ち合わせで統一号に乗り継ぎ。この列車は時間帯のよさもあって、ほぼ満席だった。1日3往復なんていわず、1〜2時間間隔で運行すれば、利用者も案外集まるのでは? と思うが、日本人的発想だろうか。第一、この運賃で利益が出ているのかも分からないし・・・
 達川駅到着。ひとまず旅はめでたしなのだが、駅前には日本語サークルのメンバー4人が待ってた。この留学生活、苦楽を共にしたやすが明日帰国するので、最後に1杯やろうということになったのだ。

 場所は、大学前のいつものHOF。こんな機会も、この先そうないだろうと思うと、ちょっとしみじみしてくる。

 さあ、ひとまず無事忠州まで帰れた。明日朝起きて、風邪をひいてなければこの旅も成功だ。


にぎわう体育館前広場

旅立つ人だらけの堤川駅

やす、出発
◆7月30日(水)サヨナラⅡ
 やすは、明日の蔚山発の船で、日本へ帰る。もし普通に昼間のバスや列車で行こうとするなら、今日の午前中には忠州を出発しなくちゃいけない。
 だが、夜行列車が発達している韓国。忠州から1時間ほどの街・堤川から蔚山経由の夜行列車がある。これを利用すれば1泊宿泊費が浮くし、なにより今日という1日が生まれる。堤川といえばサークル前会長の斤銖兄の実家だから、最後に会うことだってできるのだ。
 夜行列車さまさまである。

 というわけで、各所への挨拶を済ませたやすと共に、ホギュ兄の車で堤川へ出発。車で約1時間の道のりだ。寝つきのよさが取り柄のやすだけど、さすがに昨夜はいろいろと考えることがあり、よく眠れなかったという。
 俺も、こんな気持ちになるのかな・・・? 口をポカーンとあけて船を漕ぐやすを見つつ、そう思った。

 堤川までの道は片側1車線の山道だけど、例に漏れず、高規格道路が平行して建設されている。途中オーバーヒートの危機に見舞われつつ、なんとか堤川に到着した。

 斤銖兄を乗せ、スーパーでビールやらお菓子やら買い込んで、山へ向かった。渓谷から道を挟んだ公園で、昼間から乾杯!
 で、飲んだ我々はころっと眠くなり、夕方は斤銖兄の実家でごろごろ。
 夕食は、斤銖兄のお姉さん家族とともに、カムジャタン(じゃがいも鍋)をつついた。こういう食べ物も大好きだけど、やすはしばらく食べられなくなる。そして僕も1月後には・・・

 その次は、斤銖兄の友達がインラインスケートをやっているというので、市立体育館の前に出かけた。インラインの流行は知ってたけど、9時過ぎの体育館前で練習してる人の数ときたら、相当なものだ。周りで見てる人も含めれば、100人以上はいるんじゃなかろうか。
 日が沈んでからなら涼しいし、仕事が終わってからでも遊べる。これだけ人がいれば、子どもにとっても安全だ。なんだか、TVの中のアメリカの公園を見てるようだった。

 最後に銭湯でさっぱりすれば、列車の出発まで1時間。余裕を持って堤川駅へ向かった。
 堤川も鳥致院と同様、4方面が集うターミナルで、夜行列車も多い。それを待つ人の数も相当なものだ。ラフな格好の若者は東海岸へ海水浴に、家族連れは故郷に向かうのだろう。
 やすの巨大トランクを地下道経由で運べば(僕は足が悪いので見物)、もう列車が入ってくる所だった。最後の一仕事、列車にトランクを押し上げれば、出発時間だ。

 あ〜あ、行っちゃった・・・明日から、忠州大の日本人留学生は、僕一人だ。頼れる人も少なくなった。自分で動かねば、動かない世界。がんばらにゃ。


普通の顔では絶対写ってくれない
◆7月31日(木)幼稚園
 そのまま斤銖兄の家で寝て、起きたのは午前9時。斤銖兄のお姉さんの子供が来た声で目覚めた。なんでも幼稚園が休暇のシーズンになったとかで、その1週間、斤銖兄が面倒を見てるんだとか。
 「図書館にも行けないし、日本語の勉強も・・・」
 最近、斤銖兄のMSNメッセンジャーのHNが「日本語に夢中になりたい」になってたけど、なりたくてもなれない裏があったのだ。

 でも子供の遊び相手になり、時にきちんと叱っている姿は、5年か10年後の斤銖兄を見ているようではある。いい父親になるんだろうな。
 僕も言葉はできないけど、ギャグコンサートのおかげで持ちネタはあるので、遊び相手になることができた。

 そうして1日を斤銖兄の家でだらだら過ごし、3時半の忠州大直行バスで忠州へ戻った。

 この4日間、動きに動いたけれど、体調はいったて健康(むしろ元気になったかも)。もう少し、心が思うままに動いてもよさそうだ。

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