| ◆8月1日(金)間違いだらけの・・・
いよいよ8月、そろそろ帰国へのカウントダウンを始める時期だ。
もっとも去年、韓国に来る前の今頃といえば、カウントダウンなんて考えずに、なかなか会えなくなってしまう親友と、その時をめいっぱい楽しんでいた。「最後だ」なんて意識せずに、自然体でいたい。
それでも、準備しなきゃいけないことは多々ある。帰国後の住む場所を調べたり、4日分溜まってたメールの処理をしたりしてたら、コンピューター室の閉まる5時になってた。あちゃー。
ところで、韓国の歌で勉強してて、よく思うこと。
「間違いだらけじゃん!」
一般人からの提供を受けて、インターネットに掲載されている歌詞が違うのは、まあ仕方がないだろう。聞き取りだけじゃ、韓国人でも区別しにくい歌詞があるのは当然だから。
その間違ってる歌詞の方が、いい味出してるなんてこともある。
でも、オリジナルCDの歌詞カードが間違ってるとは、どういうことだ?
一単語の違いなら聞いて分かるものの、1コーラス分の歌詞がまるごと脱落されていては、とても勉強できない(聞き取って歌詞が分かるなら、そもそも勉強の必要はない)。
さらに、カラオケの歌詞も間違いが意外に多い。好きな歌の歌詞なら、だいたい覚えているから訂正して歌えばいいのだが、周りから「あ、間違ったな」と思われるのが癪だ。
日本の通信カラオケなら、間違いに気付いた時点で訂正するのだろうが、そこはさすが韓国、おおらかだ。
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| ◆8月2日(土)雑用
今日はいろいろ用事があり、市内まで出かけた。
まずは三星(サムソン)のサービスセンターへ。ここ1週間ほど、携帯の呼び出し音もバイブも鳴らなくなって、ほとほと困っていたのだ。
「はい、そのような修理なら、1万5千ウォンほどになります」
修理したらどれくらいかかるかとの問いに、担当のお姉さんが即答したものだから驚いた。日本だったら、
「そうですね、お見積もりしなければ…」
となりそうなシュチエーションだけど、携帯本体の値段が高い韓国では、修理する人が多いのかもしれない。
今日は土曜で業務が終わったため、また月曜に来てくださいとのこと。
次は、写真のコピーのために、中心部の「現代タウン」へ。下層の商業施設の上に集合住宅を重ねた、都心再開発的なビルで、サンクンガーデンを設けるなど意気込みは伝わってくるのだが、いつも人が少ない。入ってみれば、空き店舗だらけだ。
決して地の利は悪くないのに、人々がよりつかないのは、建物が街路から5mほどセットバックしているため、周囲の商店街と異質な空間になってしまってるのも、一因じゃなかろうか。
町全体をひっくり返すような大開発ならまだしも、このようなビルの場合、周囲の街に溶け込む努力が、まず大事だと思う。そうでなければ、憩えるような公共空間を設けて人々を呼び込むのも一案だろう。
終わりには、忠州駅へ。休暇シーズンとあって、いつもはがらんとしてる駅も、大賑わいだ。
目的は、「鉄道会員」への入会のため。保証金2万が必要だけど、インターネットでの列車予約や運賃割引など、多様なサービスを受けられる会員制度だ。入会資格は、韓国内に居住する韓国人と外国人。
僕はあと3週間で帰国だけど、外国人登録をしている、いま入っておけば、後々日本から旅行に来るときに便利そうなので、大枚2万ウォンをはたいた。
この数日は元気に飛び回ってたけど、今日はなんだかバテてしまった。もう体力ももどったかなと思ってたんだけどなあ…
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| ◆8月3日(日)良心を捨てた店
今日は、また市内へ。市内へ行くバスも、街にもいつもの日曜より人影が少ない。理由は明白、半分くらいの店が、休暇のため閉まってるのだ。期間は3日から1週間前後。
正月休みと定休日以外、全く休まない(定休日に開けることもある)とやっていけない、うちの家族の店から見ると、うらやましい習慣ではある。
学食も開いていない日曜日。隣の部屋の中国人留学生と連れ立って、学生街まで夕飯を食いに行った。中=中国人、日=日本人(俺)。
中「どこで食べましょうか?」
日「○○○はどうです?ユッケジャンやソルロンタンが3,000ウォンですよ」
中「○○○!とんでもない。あそこで2日だけバイトしたことありますが、あの店は客が残したおかず出してますよ。残りを捨てずに、良心を捨ててます」
ここでいうおかずとは、韓国の食堂では必ずサービスで出される、無料のキムチやナムルのことだ。たいてい食べきれぬほど出てきて、仮に食べてしまっても自動的にお代わりが出てくるから、必然的に大量の残りが出る。
「全部捨てるのか、もったいないなあ」
と思っていたが、やはり再利用してしまう店もあったのだ。
○○○は安くて店もきれいで、主人もいい人そうだったから、好きだったんだけどなあ・・・
「○○○で食べて、病気になったことないですか?」
「そんなことはないですよ!」
と答えたが、夜になって急に思い出した。先週土曜の夜、急に腹痛に襲われたことを・・・ あの日は確か、○○○で亨鎬とタッカルビを食べたのだ。
もちろん、他人の残りを食べて腹を壊すなんてことはないだろうけど、他人の残りを食わすような店、衛生管理がずさんということも考えられる。
だとすれば、最悪だ。二度と行かないでおこう。
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| ◆8月4日(火)最高のA/S
今日は、車持ちのホギュ兄の力を借りて、昼2時過ぎに市内へ。済ませるべきことは、携帯の修理と、段ボール箱集めだ。
まずは、土曜に断られた三星(サムソン)サービスセンターへ。土曜とは打って変わって、客で溢れていた。おかげで8人待ちだ。
「長い間お待ちいただき、ご苦労をおかけしました。あ、お越しになったんですね」
終始にこやかな笑顔の担当者は、土曜の担当者と同じ人だった。
「それでは4時半ごろお越しください。高くても1万5千ウォン以上はかかりません」
日本でも、一度携帯の修理を頼もうとしたことがあるが、その時は見積もりだけで1週間ほどかかり、しかも修理すれば1万以上かかるといわれた。
少なくとも携帯に関しては、韓国の方がよいアフターサービスを受けられると言えそうだ。
ところで、アフターサービスという和製英語は、韓国でもそのまま有効だ。略してA/Sとも表現する。
次は、日本に荷物を送るための段ボール箱を、Eマートまで貰いに行った。大きなショッピングセンターでは、買った商品を持ち帰るために、仕入れ時に使った段ボール箱とテープを常備してるのだ。
ついでに4時半までどこかに行くのもおっくうなので、店内をぶらぶらして、時間をつぶすことにした。
ところが4時頃、サービスセンターから電話が。なんでも古い電話機なので修理に時間がかかっていて、直らないかもしれないとのこと。うーむ、だとすれば残念だが・・・
しかし夜8時前に再び電話があり、直ったとのこと。しかも行ってみれば、修理担当の方が、
「私も忠州大出身ですので・・・」
と、修理費をサービスしてくれた。おお、素晴らしい!
「ただ古い機械ですから、また故障すると思います。その時は新しいものをお買い求めください」
といっても、あと3週間だから、そんなことはまずないだろうな・・・
ともかく、最高の三星A/Sに大満足なのだった。帰国してからも、三星はひいきにしよう。
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| ◆8月5日(水)帰ってきた
カナダでの語学研修に行っていた、前ルームメイトの聖満が、1ヶ月の日程を終えて帰ってきた。昨日仁川に着いて、そのまま忠州まで来たので、まだ実家には帰ってないそうだ。
何より感じたのは、英語の場合尊敬語がないので、世代を超えて普通に語り合えることだったそうだ。
「韓国語や・・・日本語もそうなんだろうけど、年上の人と話すときは、喋り方に気を使わなくちゃいけないから、よく喋れないやん。でも英語だったから、オーストラリアから来てたおばさんとも普通に話せたよ。そういうの、いいって感じた」
あとは、まだ英語に慣れないうちは必死に話してしまうから、ついつい本音が出てしまうのが面白かったとか。
「討論の授業があったんだけど、『高校の時に彼女がいて・・・』なんて話し出した奴がいて、まじ面白かった」
これは、去年韓国に来た当初の、僕にも経験がある。
それにしても聖満すごいなあ、1ヶ月も外国生活してきたなんて・・・と思いかけた自分も、もう1年近く韓国で生活してるのだった。
だんだん、韓国が「外国」だという意識がなくなってきた。
ところで今韓国では、現代峨山会長の自殺で、国がひっくり返る大騒ぎになっている。なんて書くと大袈裟かもしれないが、台風で200人死んでも、小泉総理が北朝鮮を訪問しても延長されなかったニュース番組が、大幅拡大で放送されているのだから、事の重大さが分かろうものだ。(拡大したからといって、ローカルニュースを中止していいとは思わないけど・・・)
新大統領誕生や、大邱の地下鉄火災の時にはもっと大きなニュースになったのだろうけど、その時は韓国に居れなかったから、今回の事件が、僕が韓国にいる間に起きた、もっとも大きな事件だ。
闇送金疑惑で大きく揺れていたものの、北との交流に関しては、大統領よりも先頭に立っていた人物だけに、惜しい人物を亡くしてしまったとの見方は一致しているようだ。
大手財閥とはいえ、一企業の会長でありながら、この影響力。亡くなって初めて気付いた。
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| ◆8月6日(水)辛いから嬉しい
そろそろデジカメのメモリーが一杯になってきたので、聖満にサークルの部屋で、CD-Rへの書き込みをやってもらった。その帰り道。
「明日、実家に帰るんだよね? いつ忠州に戻ってくるの?」
「開講の前の日だな」
「ん、じゃ、今日が会える最後の日じゃん!」
一昨日帰ってきたばかりだというのに、もうそんな日になってしまったのか。
「がんばって勉強して、すげえ教授になれよ」
「お前も、素晴らしい公務員になれよ」
手を握り合い、お互いの将来の健闘を祈った。
別れって辛い。でも、それを辛いと思えるような友達ができたことが、とても嬉しい。
去年、こっちに来るときもそんな気持ちだった。
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終点を前にがら空きの電車
並木のきれいな違法駐車だらけの通り
駅から延びる歩行者専用道路
湖水公園
| ◆8月7日(木)①新都市
バスに乗ってソウルへ。今日の目的地は、ソウル北部の「新都市」一山だ。新都市という言葉は日本では聞かないけど、いったいどんな街なんだろう。
ソウル高速ターミナル行きのバスは、平日の朝なのに満席に近い盛況。まだ休暇のシーズンも終わっていないということだろう。狭い座席に閉じ込められると、やっぱり優等バスに乗ればよかったかなと思う。
高速ターミナルのマクドで軽く昼食を食べた後は、3号線に乗り込み一路、一山方面へ。江北地域を突っ切って、国鉄一山線まで直通で走る電車だが、一山までたっぷり1時間以上かかる。
途中、僅かな区間だけ地上に顔を出すが、広がるのはのどかな田園と、韓国では珍しい分譲住宅の住宅地。ぱっと見れば、こんな所にまで地下鉄を引っ張ってくる必要があるのかなと感じるが、この先に新都市が控えてることを知ってるので、驚きはしない。
再び地下にもぐり、終点の大化で下車。地上に出てみれば、片側3車線に及ぶ巨大な幹線道路と、ビル群が出迎えた。これらすべて、ここ十数年の間に作られたものである。
駅からは、歩行者専用道路が延びていた。区画内には歩行者道路のネットワークができていて、安全にアパートまでアクセスできるようになっているようだ。
さらに住宅地内には、きれいな並木道が伸びていて、腰を落ち着けて一休みしたくなるようなオープンカフェがあり、なかなかの雰囲気だ。
ただ、そんなきれいな街並みを台無しにしていたのが、街路にびっしりと並んだ違法駐車の列。さして広くない道の両側に止めてるものだから、緊急車両が通れず危険でもある。折角いい都市計画をしていても、運営がまずければ意味がない。
つぎは数駅戻って、馬頭駅で下車。この駅からは、縦に長い公園が伸びていた。その公園を歩いていくと行き着くのが、湖水公園。都市計画の講義でもその名が出てくる、有名な都市公園だ。
大きな湖の周りを取り囲むように公園が造成され、休日を楽しむ親子連れらで賑わっていた。周回道路も設けられていて、サイクリングやジョギングを楽しむ人も多い。一山はもちろん、ソウル市民の憩いの場となってるようだ。
そして、そんな景色を見ながら思い出したのが、大阪・千里ニュータウンの服部緑地公園。そう、新都市とは日本で言う「ニュータウン」だったのだ。
この界隈に来たら、ぜひ訪れてほしい公園ではあるのだが、一つ欠点があるとすれば、自転車やローラーブレードに乗る人のマナーだろう。自動車の運転マナーが悪いのと同様、がんがん飛ばすから歩いていて怖い。
それに自転車に乗りなれていない人も多いものだから、危なっかしい人も多い。歩行者と衝突して、双方とも動けなくなるほどのケガをしてしまうという事故を目撃した。計画段階で、自転車と歩行者を分離する必要があったようだ。
ぜひぐるっと全周したかったが、すべてまわっては何時間かかるか分からないので(体力も持たないかもしれないので)、1/4周したところで、公園を後にした。
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KT一山支社
これがW杯競技場とは!
新ソウル駅も姿を現し始めた
| ◆8月7日(木)②競技場再生
幹線道路に戻ってみると、門型ビルディングのKT一山支社が現れた。管理のおじさんに、建物内の写真撮影の許可を求めてみたが、だめとのこと。木浦ではOKだったんだけど、同じ会社でも対応する人によって変わるのかな?
3号線から7号線に乗り継いで、次なる目的地のソウルワールドカップ競技場へ。7号線の終端部はループを描いていてユニーク。単線のトンネルを、車輪をきしませぐるっと周り、来た道を戻ってゆく。
ソウルのワールドカップ競技場には去年、足を運んだことがあるが、改めて訪れたのは、観客席下の空間を利用して、商業施設がオープンしたと聞いたからだ。
競技場に来て見れば、スポーツイベントがあるわけでもないのに、前回とは比べ物にならないほど賑わっていた。皆さんのお目当ては、もちろんその商業施設。とりわけシネコンを目指す人が多かった。
入ってみれば、ここが競技場とは信じられない思いだ。映画館にもショッピングセンターにも、ここが競技場だと思わせる要素はまったくない。まだ工事中の区画もあるが、全面オープンすれば、スタンド下をぐるっと一周できるようになるようだ。
もちろんその際も、競技場への観客との動線は、交わることのないよう設計されているという。完璧、これなら競技場運営で赤字に苦しむなんてこともないだろう。
一つ沸いた疑問が、駐車場。商業施設への客だけでかなり埋まっていたけど、競技開催日にはこれに観客の車が加わることになる。商業施設は、その時には休業するのかな。
今日は、地球の歩き方にも載っている、ソウル駅前の民泊を予約。自力でたどり着こうと地図を見ながら探し回ってみたが、これが見つからない。
汗もかいたし、一旦ソウル駅に戻って、駅内銭湯で汗を流そうと思ったのだが、こちらは店じまいした模様。夕食を近くの食堂で食べてから、電話で場所を聞いてみれば、地下鉄の駅まで迎えに来てくれるとのこと。
10分ほどで、人のいいおばちゃんが現れた。民泊にたどりついてみれば、さっき通った道だった。なんで分からなかったんだろう??
民泊は2万ウォンに値上がりしてたけど、パンやら林檎やら出してもらい、ずいぶんよくしてもらった。一階のPCも無料で使えるし、建物もきれいでなかなかの居心地だ。
宿の周辺も、実に庶民的な下町で、生活感にあふれている。食堂や飲み屋は、ほとんどが道路にテーブルを出して、即席ビアガーデンと化していた。夜風に吹かれながらの一杯は、美味しそう。こういうのも、豊かさなんだろうなとおもう。
今日は天気が涼しく、たくさん歩いたわけでもないのに、ちょっと疲れたなあ。11時には電気を消して、眠りについた。
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鉄道分断駅・新炭里
おだやかな表情の駅前
観光ツアーの出発点はここ
| ◆8月8日(金)①分断駅
今日の目的は、韓国最北端の駅・新炭里から出る、鉄原・月井里の観光ツアーだ。これまで二度、参加しようとソウルまでやってきたのだが、疲労のため行くのをやめていて、今回3度目の正直だ。
朝のニュースを見ていたら、大邱で列車衝突・1名死亡の速報が飛び込んできた。韓国の鉄道が危険だと即断しようとは思わないが、大邱地下鉄火災、セマウル脱線、ムグンファ列車分離に続く、今年4度目の重大事故。多いのは確かだ。
ソウル駅から地下鉄1号線に乗り込み、議政府駅へ向かう。この路線に乗るのは2年半振り。前回は車窓右側を見ていたので、林立するアパート群に目を見張ったものだが、左側を見てみれば、北漢山の山肌がよく見え、案外自然に近い地域なのだなと、思いを新たにした。
議政府に着いたのは9時45分。乗り継ぎ列車の発車まで30分以上あるが、はやばやと入線していた列車の中には、すでに多くの乗客の姿が。急いで切符を買い、乗り込んだ。発車の頃には、立客も出る混雑となった。
議政府から北に伸びる国鉄京元線は、現在の北朝鮮を超え中国、ロシアまで延びる重要幹線だったが、分断で盲腸線になってしまった悲劇の鉄路。それでも現在ではソウルの近郊路線として、1時間に1本以上の本数が確保されている。
実際乗ってみれば利用客はかなりのもので、5両で1時間間隔にするくらいなら、3両で30分間隔で走らせたい路線だ。実際、途中までは地下鉄直通化工事が進行していて、何年かすれば景色も一変するのだろう。
いつしか乗客も減ってきて、車窓ものどかな田園風景となっていた。平野部の久大本線や、長崎本線に乗っているような気分だ。
議政府より1時間20分。北の終着駅、新炭里に到着した。ここまで乗り通した乗客も案外多く、ハイキングの拠点駅となっているようだ。「鉄路中断駅」の看板は痛々しいが、夏晴れの賑わう駅に、歴史の影は感じない。
観光ツアーは、駅前の旅行者の小さな事務所で受付。日本語堪能な職員さん、この方1人で、受付からバスの運転、ガイドまで一手に引き受けているようだ。バスは、非冷房のマイクロバス。「地球の歩き方」に取り上げられ、月刊観光交通時刻表にも広告を出しているツアーなのに、なんとも素朴だ。
本日の参加者は、おばちゃんグループに家族連れ、そして熊大の講師氏に、津から参加の女性。韓国人十人余りと、日本人3名の陣容だ。
12時ジャスト、酷暑の最中を、バスは北に向けて発車した。
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白馬高地の慰霊塔
旧月井里駅舎(次項参照)
戦乱で破壊された列車
| ◆8月8日(金)②国境
出発したバスは、京元線の廃線跡を見ながら走る。廃線跡は、鉄道好きとして気になる存在だが、ここの場合は普通の廃線とは意味合いが異なる。国家の分断という悲劇に巻き込まれた、悲運の鉄路だ。見方を変えれば、再び繋がる日を待っている、希望の鉄路とも見れる。
日差しは暑い今日だが、ここ数日ふった雨のお陰もあり、田畑を渡る風は涼しい。
「え〜、今日は日本からの参加者が3名おられます。理解しやすいよう、主要な部分だけ日本語も入れてまいります。よろしいですね」
「は〜い」
と、日本語で答えたのはおばさんグループ。わいわい話したり、歌を歌いだしたり、韓国のごく平均的なおばちゃんたち。こんな中に紛れ込めるのも、このツアーの魅力かもしれない。
まずは、韓国動乱の激戦地・白馬高地へ。この地で10日間に渡った激しい戦闘で、数百人の韓国人兵士、その十倍もの中国人兵士が亡くなった、歴史の舞台だ。周辺の山は、数万に及ぶ爆弾の投下で、山の高さが1〜3m低くなったという。
この丘に立つのは、亡くなった方々への慰霊碑だ。まずは黙祷。ガイドさんのユーモアを交えた解説は面白くて分かりやすく、ずっとこのコースのガイドをされているのだろう。おばちゃん達も「説明うまいね」と、感心することしきりだった。
次は、北が掘った南攻第2トンネルへ。地下数十メートルまで上り下りせねばならないようで、今の僕の足を考えると辛そう。同種のトンネルは、以前都羅山で見たので、ここではパスした。
その代わり、展示館で展示物を見ている間、軍人と話すことができた。軍人とはいっても、心通う同じ23歳。オーストラリアの大学を卒業し、現在ここでの服務1年目だという。
「ここの勤務はきついですか?」
「来る人が多いし、きついですよ」
実際に勤務している軍人と話すのは、これが初めて。軍服に身を包み、拳銃を持っていても同じ世代。今、軍隊にいる友達も、こんないでたちで毎日を送っているのだろうな… 何人かの顔が、思い浮かんだ。
次は、北が見える鉄の三角展望台へ。開設当時は文字通り一望できたそうだが、非武装地帯の木々が伸びたため、展望はよくなくなったそうだ。
印象的だったのは、建物の前に連なる、南方限界線の鉄のフェンスだ。そのものをこの目で見るのは初めて。韓国/朝鮮を分かつ、何人も超えられぬ線だ。
軍事境界線まではまだ距離があるし、それとて休戦ラインであり国境ではない。しかし、それはまぎれもなく、日本では見ることができない、「国を分かつ線」なのだった。
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旧労働党庁舎
破壊されたままの風貌
京元線の廃線跡
| ◆8月8日(金)③ここはかつて北だった
展望台の前にあるのは、かつては非武装地帯内にあった月井里駅の駅舎だ。傍らには、戦争で破壊された列車の残骸を展示している。あまりに破壊されたその姿から、元の列車を想像するのは難しい。
バスは、旧鉄原市内を走り抜ける。戦争前には2万人が住んでいた、ありふれた地方の街だったというが、今では跡形もない。所々に、かちての農業倉庫などの建物の残骸が残るだけで、後は全て畑となっている。
鉄原駅も、金鋼山電鉄の始発駅として賑わったというが、往時を偲ぶのは難しい。
最後の見学地は、日本からの解放後5年間、ここが北の領土だった時に建てられた、労働党庁舎の跡。戦争時に破壊を受けており、一階の柱も多くが吹き飛ばされている。原爆ドームと同様、その朽ち果てた姿が、戦争の悲惨さを訴える、歴史の遺産だ。
子供たちの明るい声が響くが、近付くとなんとも不気味な雰囲気。かつては北の政府による、住民たちや資本家への拷問が行われたというが、その霊魂が今でも留まっているのだろうか。
「北韓のやつらめ!」
と叫びながら、建物に石を投げつける子供たちの声が、なんとも印象的だった。
コースはこれでおしまい。最後は、名ガイドを務めた運転士さんへの拍手で終わった。
15時45分、新炭里駅に到着。16時の列車に、余裕を持って乗れた。
帰路の列車では、日本人3人で集まって今日の感想を語り合った。コース自体ももちろん魅力的だけど、何よりあの素朴な雰囲気がいいという点では、みな一致した。
「僕、来週に板門店観光に参加する予定なんです」
「私は行ったことあるけど、今日のに参加したんなら、面白いと感じないかもしれないな。事務的な観光コースだから…」
と言うのは、熊大講師氏。なるほど。
ところで津からの女性は、今日の夕食を、韓国語ジャーナルで知った議政府の「ブデチゲ通り」で食べるという。チゲは、皆で囲んで食べてこそ美味しい料理。というわけで、僕に熊大講師氏もお供することにした。
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電鉄
| ◆8月8日(金)④ブデチゲ元祖
17時20分、議政府着。韓国語ジャーナルに地図はなく、通りと交差点の名前だけを頼りに、なんとかたどり着いた。
通りには何件かのチゲ店が並んでるが、5時過ぎとあっては客は少ない。そんな中でも人を集めていたのが、韓国語ジャーナルに載ってたお店で、やっぱここでしょとドアを開けた。
ブデチゲのブデとは「部隊」の韓国語読みで、チゲは鍋。米軍からのハムやソーセージを使ったので、この名が付いたそうだ。確かに議政府駅前には米軍の基地があったし、議政府が元祖で間違いなさそうだ。
ここのお店は、1人分6,000ウォン。ん、高い?
しかもおばちゃんが食べるタイミングを教えてくれないものだから、ずいぶん煮込みすぎてしまった。僕らが日本人だと分かってるんだから、ちょっと説明してくれてもいいものを…
でも、量は多かったし、味も申し分なしで、満足したことには間違いない。教えて頂いた津の女性、そして、
「1人W2万5千なら割り勘ですけど、全員でW2万5千なら、かまわないですよ。」
と、全額おごってくれた熊大講師氏。本当にご馳走様でした〜
東ソウルターミナルまでは、1号〜7号〜2号線を乗り継いで、1時間の道のり。忠州大にたどり着いたのは、10時前だった。
体調が万全ではなかったからちょっときつかったけど、まずは満足のソウル行きだった。
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炭作り中
| ◆8月9日(土)焼酎一杯
帰国にあったて、こちらで取得した成績の証明が必要。というわけで、学生課に成績証明書を受け取りに行った。
受け取ってみてびっくり。4月後半からしか受けていない、1学期の講義の成績が、すべて認められてたのだ。「すべった!」と感じてた都市計画概論はBだったものの、あとの2教科はA。試験は、あんなダメダメな解答だったのに… 先生方、どうもありがとうございます。
今日は、都市科4年生のみんなに「焼酎一杯」と誘われていた。
で、夜も更けた9時にどこに行ったかといえば、車で15分ほどの南漢江の河原。ここで、バーベキューしながら焼酎を傾けた。なるほど、こんなのも「焼酎一杯」の範疇に入るのか。
もちろん、僕自身こんなのは大好き。しかもみんな、野外での焼肉のノウハウを知っていて、炭火でじっーくり焼いた、めちゃくちゃウマイ焼肉だった。韓国最高!
周りには、キャンプに来ている家族連れや、夜釣りに興じるおじさんがたくさんいて、平和で安全な雰囲気だった。これなら、多少遅くまで飲んでも安心だ。
午前1時、酒を飲んでない先輩の運転で、先輩のアパートに帰って泊めてもらった。
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| ◆8月10日(日)離別
朝、兄の自炊部屋(学生アパート)で目覚め、例によってお昼までTVを見ながら、ごろごろ過ごした。こんな時間、実はあまり好きではないのだけど、この先もう何度もないことではある。
日曜昼のTVといえば、映画紹介番組。日本の感覚で信じられないのは、あらすじをかなり詳しくまで暴露してしまうことだ。僕なんかはあらかじめ内容を分かっていると、韓国語オンリーでも理解しやすくてありがたいのだが、こんな番組を見ちゃった韓国人、本編がつまらなくならないのかな?
いろいろ楽しく遊んでもらった都市科4年のみんなとも、おそらく今日でしばらく会えなくなるだろう。メールアドレス、住所をしっかりと交換して、この先の再会を誓った。
「兄、ペンション開業の夢、頑張ってくださいよ」
「お前も、しっかり勉強しろよ」
そして午後には、この夏休みから日本語の勉強を始めたこともあって、仲良くしてた寮の先輩が、故郷に帰省。こちらも写真を一緒に撮って、この先のお互いの健闘を祈った。
留学試験合格の為には、かなりの勉強が必要になりそうだけど、ぜひ頑張って、日本にきてほしい。
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空港のような大田駅
大田大学図書館
にぎわう大学前
| ◆8月11日(月)大田ともしばらく
明後日から、日本の親友がソウルまで遊びに来ることになってる。そして、今日は大田のペンパルと会う予定。明日、一度忠州に戻るのもおっくうなので、5日分の着替えを準備して出発した。
今回、大田まで列車を利用するにあったて、初めて鉄道会員のネット予約システムを利用した。予約は瞬時に終わったし、決済まではしなくてもいいので、面倒な手続きがないのもいい。駅に着けば、会員証と学生証を出すだけで「はい、4,900ウォンね」。このスマートさ、クセになりそう。
列車は平日にも関わらず満席に近く、予約しておいてよかった。
大田駅は、駅舎新築工事が一部完成し、空港のような豊かな空間ができていてびっくり。
その待合室でしばらく待って、もう8年来のペンパルである姜さんと再会。今日は、鉄道庁の同僚の方と、息子さんも一緒だった。息子さんは日に焼け、別人みたいに見えた。人見知りもしなくなってたけど、俺が韓国語できるようになったからかな??
お昼を食べた後、アパートにお邪魔したが、4時から6時まで奥さんの母上が来るとか。忙しいのに無理いって会いたいといったのは僕なので、この間、近くの大田大学校近辺をぶらぶらすることにした。
大田大学校は中規模な学校だけど、周辺は以前からの繁華街らしく、学生街は忠州大よりずっと発達している。大学施設は忠州大とどっこいどっこいだな・・・と思いながら歩いていたが、大学図書館は実に立派だ。
その入り口の前にはデッキを設け、憩えそうな公共空間に仕上がっていて、下層は駐車場となっている。本当はキャンパス内に車が入ってこないのが望ましいのだけど、そうもいかない場合、景観上も安全上にも、一つの解決法だなと感じた。
それでも1時間ほど余ったので、近くのPCバンで暇つぶし。日本語のDLには失敗したけど、韓国語オンリーでも1時間くらいなら暇をつぶせるようになってきた。値段も600ウォン/1時間と安かったし、ノープロブレムだ。
明日の切符も、ネット上で予約。数少ない食堂車付きのムグンファ号を狙っていたのだが、
「○〜○日まで、検査のため食堂車は連結しません」
と、きちんと注記が表示されて、便利。
街中で姜さんと待ち合わせして、近くの市場へ。他に、周辺にはスーパーも充実してるし、学生街なので飲み屋やカラオケBOXも多い。住みやすそうな街だ。
メインストリートに信号機さえあればね(渡れないって!)。
帰ってみれば、奥さんも息子さんも実家に行ってしまったようで、二人で夕食。その後は、日本の歌を練習しようと、ノレバンへ繰り出した。
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沐浴場の脱衣室
教育博物館内部
特室者
| ◆8月12日(火)①教育史
大田駅まで20分、そこから列車で15分、さらに車で十数分の場所に職場がある、姜さんの朝は早い。朝6時半には起きて、出勤の準備だ。
タクシーに乗って大田駅まで行けば、時間に少し余裕があり、きれいな職員用控え室で、しばらくお茶を飲みながら雑談した。こんな経験も、めったにできないな。
出勤していく姜さんを見送れば、まだ朝の8時。開いている店や観光名所もないし、PCバンで時間つぶそうかな・・・と思っていた僕の目に飛び込んだのは、煉瓦の煙突にかかれた「沐浴湯」(=銭湯)の文字。昨日は風呂に入ってないし、これ幸いと飛び込んだ。
場所は、駅前の公設市場の前で、その名も「駅前沐浴場」。値段は3,000ウォン、サウナもついているけど、飾り気がなく、まさに地元の人を対象にした「銭湯」そのものの雰囲気だった。こんな沐浴湯に入ったのは、初めてだ。お湯にホコリが浮いてるのは、ちょっと気にはなったけど・・・
さっぱりして、駅からソウル方面へ歩き出した。目指すは、前回訪問を果たせなかった「ハンバッ教育博物館」だ。今回は、開館の9時半を待って、すんなり入ることができた。職員さんたちは9時には出勤しているようで、早く入りたければ入れそうだ。
この博物館では、古代からの教育の移り変わりを展示していて、韓国の教育史を知ることができる。日帝36年間の教育については1室を割いており、展示されている教科書は日本語のもので、当時どのような教育を韓国にも強いていたか、よくわかる。もちろんそこには、当時の教育に対する肯定的記述は、一つもなかった。
ただ、この博物館の建物自体は、日帝時代に建てられた建築物だ。全体的に重厚で、特に階段室の空間の豊かさときたらどうだ。今では、休憩所や展示室として使えるほどの広さがある。
日帝時代の展示室は、特に時間をかけて見たので、さほど大きくない博物館なのに1時間をもかけた。適当にバスに飛び乗って、残りの時間は駅前広場左手のPCバンで暇つぶし。あのPCバンの、入り口から一番手前のPCに日本語ソフトをDLしておいたので、ご利用下さい。
ここからソウル南部の水原までは、ムグンファ号を利用。いつもと違った車両に乗ってみたくて、特室車を予約してみた。
席に行くと、僕の席におばあさんが座ろうとしていた。僕の切符を見せると、「あ、座ってください」と避けてくれたが、そこを動こうとしない。どうやら立席券で乗ってるようだ。一般席だったら年功序列で譲るべきシーンかもしれないが、ここは特室。ゆったりした旅を楽しみたくて、みな追加料金まで払って乗ってるのだ。
そう簡単に譲れない、テコでも動くものかと思ってると、ほどなく後ろの車両に移っていった。やれやれ。
ちなみに特室の追加料金は2,200ウォンで、日本のグリーン車に比べればさほどの差ではない。座席は、セマウルの普通車よりもすこし狭い感じだ。敷居もそれほど高くないようで、車内の雰囲気も、重苦しい感じではなかった。
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水原駅の待合ホールを望む
日本の駅ビルのよう
485系のそっくりさん
| ◆8月12日(火)②賑わいの駅
久しぶりにやってきた水原駅は、がらりと様変わりしていた。以前の暗い雰囲気は微塵も感じない、明るい駅ビルに生まれ変わっていたのだ。
待合室はひろびろと明るい、円形の吹き抜け空間。周りには、フードコートやファーストフード店が取り囲み、デパートも併設、買い物客で賑わっていた。列車での来訪者だけでなく、駐車場も完備。改装後の小倉駅や長崎駅の新駅舎を見ているようだ。
韓国の場合、日本以上に街外れにある駅が多く、駅にも列車の乗降と、それに付帯する必要な機能しか備わっていないことが多い。このような賑わいを呼び込んでいる国鉄駅を見たのは、これが初めてだ。機能的にもよくできており、韓国鉄道の駅舎の中でも秀逸の出来栄えだ。誉めておこう。
昼ご飯は、ここのロッテリアで。ここで、一つの事実を知った。ロッテリアでは、黒いアイスコーヒーが出てくる!
マクドでアイスコーヒーを飲んだときには、ホワイトコーヒー(ミルクたっぷり)が出てきて参ったが、ここではシロップも好みで調節できるのだ。ちょっと薄い気はしたけど、
「韓国で気軽に苦いアイスコーヒーを飲みたければ、ロッテリアへ行こう!」
ここから3駅、電鉄で上って富谷駅へ。2年前訪れた、鉄道博物館への再訪だ。
鉄道会員の特権で、入場無料。屋外の車両展示場は、前回よりかなり充実していた。国鉄485系のそっくりさん・ムグンファ用電動車は、日本人にとって必見だ。側を走る京釜線で、まだ現役ばりばりで走ってる初代地下鉄の電車も、早くも展示されていた。いずれは鬼籍に入れば、その貴重性も出てくるだろう。
屋内展示の方はさほど大きな変化はなかったものの、韓国語が分かるようになっただけに、理解の深まりは大きかった。
電鉄でさらに上り、ソウル駅へ。今回も、この近所の民泊に宿をとった。明日から3日間、ハードな日程が待っているので、まずは昼寝と決め込んだ。
起きてから、夕食は一人さみしく、近所の粉食屋でカルククス。量は充分じゃなかった。宿に帰ってみれば、日本人の方がいて、夕飯がまだというので、そんじゃもう1軒と、街に繰り出した。
宿の近くの、おじちゃんたちが集まってた焼き肉屋で、キムチサムギョプサルをつまみに乾杯。彼、中国に1年半留学していたとかで、その時にできた韓国人の彼女に会いに来たのだとか。出身地は滋賀で、僕の佐賀と1文字違い。さらに誕生日も1日違いとあって、妙に意気投合。乾杯を重ねたのだった。
その後は、腹ごなしに近所を散策。彼女の家は安山の新都市にあるとかで、
「韓国のきれいな所しかみてなかったけど、こんなアジアな所もあるんだなあ。なんだか安心した」
その両面性も、韓国の面白いところだ。発展の過渡期にあるともいえるだろう。ゲーセンやビデオバン(レンタルビデオ屋)にも潜入、飾らない韓国を紹介した。
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問い合わせ中(友人T撮影)
空港ターミナル(友人T撮影)
| ◆8月13日(水)①外国人にも冷たいバス
朝8時起床。仁川空港に向けて出発だ。ソウル駅から仁川空港までは、リムジンバスと一般路線バスの両方が出ているが、乗り場がよく分からなかったので、金浦空港まで地下鉄に乗り、路線バスに乗り継ぐことにした。おかげで若干安く済んだものの、思いの他時間がかかり、仁川空港に着いたのは、友人Tの飛行機が到着する時間だった。
まだ手続き中だろうと思って到着ゲートに向かっていたら、突然日本語で呼び止められてビックリ。友人Tだった。先に手続きを受けられ、すぐ出られたんだとか。4ヶ月ぶりの再会だけど、ここしばらく頻繁に連絡を取り合っていたので、そんな感じがしない。
そう、忙しい社会人Tの旅程は2泊3日。この3日間をめいっぱい楽しむべく、Tと僕はお互いの意見をぶつけ、周到なリサーチを重ねたのだ。そんな、今回の旅のタイトルは、「韓国欲張り観光」。
第一の目的地は、この仁川空港のある永宗島よりフェリーで30分の、長峰島だ。船の出る三木乗船場までのバスは未リサーチだったので、さっそく案内所へ。空港案内所から交通案内所へ、さらに仁川市観光案内所へとたらい回しにされた。もともと長峰島は、仁川市の観光案内パンフで知ったので、さすがにこちらはスムーズ。
「三木までのバスは1時間に1本しかないので、よい方法を教えて差し上げます」
というわけで、まずは空港内循環バスに乗り込んだ。空港周辺は、開発工事の真っ最中。社会人になっても、相変わらず好奇心旺盛なTは、
「あれ何?これ何やってんの??」
うるせえ、いちいち分かるか!
貨物ターミナル前で下車。旅客ターミナルビルは立派な建物だが、貨物はさすがに実質本位だ。それはいいとして、ここで乗り換えるはずのバスは、姿形もない。間違えたかな、と思ってると、バス停の遙か先に1台のバスが停まった。
聞けばこのバスでいいそうだが、運転士の態度は愛想の悪さを越え乱暴。バス運転士への暴力事件が問題になっているが、運転士側に負う責任も充分に大きいと思う。増して様々な人が訪れる国際空港周辺にこんな運転士を配属しては、韓国のイメージに関わると思うが。
発車時間まで10分程待ち、予告なく発車。
「ここで降りな」
と言われ降りた三木乗船場入り口バス停から、乗船場までは遙か遠い。出航まであと10分。いそがにゃ〜
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車で満載の船
食べつくした(友人T撮影)
遠浅〜
乗り込みます!(友人T撮影)
| ◆8月13日(水)②飾らない島々
なんとか船の時間には間に合った。乗船場周辺には、岸壁ぎりぎりに建った刺し身屋が並んでいて、いい雰囲気だ。乗船場に立派な設備は一切なく、海に落ちてゆく道へ斜めに接岸して、板を渡しただけ。そこに人は歩いて、車はバックで乗り込んでゆく。なんとものどかな雰囲気だ。
定刻より、やや遅れて出航。島の人より、島外からの人が多いようで、みなデッキに出て景色を楽しんでいる。首都圏とあって海の美しさは望めないものの、国際空港からほど近いとは思えない程、のんびりした雰囲気だ。えびせんを買い込んで、海鳥に与えて楽しんでいる人が多い。
途中、信島にも寄港して、長峰島に着いたのは12時50分前。船に合わせて島内バスが接続していて、どこに行くかも決めずに反射的に飛び乗った。
「いくらですか?」
「どこまで行くの?」
「え、良く決めてないんですが‥‥じゃあ、一番近い海水浴場まで」
島に着いてから、ほとんど僕とTの勘だけで行動してるが、僕らの旅はいつもこんな感じだし、それで大抵うまくいっている。
韓国といえども、道路は離島サイズ。すれ違う車もなく、車窓左手には大海原。5分程で着いた「一番近い海水浴場」は、松林の広がるいい雰囲気だった。やっぱり、今回も勘は当たった。
さて、1時も回り空腹が絶頂。道沿いには何件かの食堂が並んでおり、呼び込まれるまま1軒に入った。食堂といっても、オープンエアで海の家みたいな雰囲気だ。呼び込まれてみたものの、賑わう隣の食堂をよそに客はいないし、値段も決して安くないし、はずれだったかなと思いつつ海鮮鍋を頼んでみた。
出てきたそれは、貝に海老、蟹がこれでもかと入った大鍋。潮風に吹かれ、真昼のビールを傾けつつ、1時間かけて格闘した。味はなかなか、あとから他のお客さんも入ってきたし、はずれではなかったようだ。
食後は、売店で買ったコーラを飲みつつ(日本から来たというと、いくらかおまけしてくれた)海を眺めた。実は泳げる準備もしてきたのだが、ちょうど引き潮の時間。巨大な干潟となり、今は潮干狩りタイムとなっているようで、海水浴は叶わなかった。まあいいねと、その時間の流れを楽しむことにした。
またバスと船を乗り継ぎ、三木乗船場へ。ほとんどの人は車で散ってしまい、バス停に歩いたのは僕らくらいだった。次の目的地、仁川・月尾島行きの船が出る永宗乗船場までのバスは、どっちの車線から乗るのか分からない。ちょうど島内循環バスが来たので聞いてみると、とりあえず乗れとのこと。
本当は反対車線から乗れば早かったらしいのだが、このバスも一旦他のところを回ってから永宗乗船場まで行くとのこと。で、同じような所を何度もグルグルまわり、反対車線のバス停まで戻ってきたのは40分後だった。新都市の風景はよく見れたけど、だいぶ時間を無駄にしてしまった感じだ。
空港高速道路から降りれば、突然狭い道に入った。昔からの家々、集落が並び、先程までの空港新都市とは別世界のようだ。これが本来の、空港が出来る前までの永宗島の姿だったのだろう。月尾行き船の発着場周辺は、島の中心地といった趣だった。
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キムチバーガー&アイスコーヒー
1,500ウォン生ビールを傾けつつ
| ◆8月13日(水)③アパート宿泊
月尾島行きの船は、長峰行きとは比べ物にならない程の立派な船。群がるカモメ達の数も半端ではない。広がる景色は、仁川のアパートや工業団地で、港町の活気を感じられる。時間のない方には、月尾島からの往復ミニトリップとしてもお勧めできそうだ。
月尾島は、仁川とは陸続きとなっている、港町仁川の観光地・デートスポットだ。海沿いには、刺し身屋や洒落たカフェが並ぶ。僕らはトッポッキをつまみながら、暮れゆく夕陽を楽しんだ。
バスで駅に向かい、京仁線の電車でソウル市内へ。例によって、途中で急行電車の乗り継ぎ、5分ほど時間短縮を図った。夜の帳もすっかり落ちて、漢江鉄橋から見た63ビルは輝いていた。
4号線に乗り継ぎ、明洞へ。彼と以前に来たときは朝だったけど、この街は夜に来てこそ、もっと魅力的だ。出店が並び、ショーウインドウが輝く。メインストリートの人の多さは、通るのをはばかれるほどだ。
まずは、Tにぜひ「キムチバーガー」を食べてほしくて、ロッテリアへ。ライスバーガーとキムチ、チーズの組み合わせが絶妙で、日本でも販売すれば人気が出るどころか、ロッテリアへの見方が変わるんじゃないかと思うほどの名メニュー。案の定Tの感想も、
「こりゃうまい!日本でも売ってほしい」
だった。
間食の後は、街をブラブラしつつ靴の品定め。各ブランドの専門店を始め、いつの間にかABCマートまで出来ており、比較検討ができる。ニューバランスの専門店では、店員さんが忠州の隣、陰城の出身だそうで、田舎者同士、意気投合した。
ここからは歩いて鐘路へ。ソウル観光ではついつい、地下鉄に足が向いてしまいがちだけれど、旧市街地に限れば案外徒歩圏内が多く、下手に地下鉄に乗るより早く移動できる。鐘路では食べ物屋が並ぶ裏通り(モッコリ)を歩き、いつもの大元旅館に到着した。
さすが旧盆を迎えたとあって満員の盛況。予約は押さえておいたんだけど、どうも部屋が足りないらしくバタバタしている。おいおいどうなるのと思っていたら、主人の息子さんのアパートにお邪魔することになった。
そのアパートは、市街地のど真ん中にありながら、広々きれい。息子さんは日本留学の経験があるとかで日本語ペラペラ、僕の韓国語なんて足元に及ばない程だ。
そこに泊まってる人と連れ立って、近所のHOFへ一杯やりにでかけた。この店、なんか見覚えあるなと思ってたら、以前も旅館に泊まってる人と一緒に来て、二日酔いになってしまった所だ。その時の思い出があるので、飲む量はセーブし続けた。
韓国では、ビールはピッチャー飲むのが一般的だと思ってたけど、今日は周りの人を見てみれば、ほとんど中ジョッキだ。夏はすぐビールが温まってしまうので、韓国の人でも生中を好のだそうだ。その価格は、一杯1500ウォン! 一杯に留めるのが惜しいほどの値段だ。
その後は、Tと二人で回りをブラブラして、アパートで眠りに就いたのは1時頃だった。
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徳寿宮
グラバー園を思い出した
ロッテホテル喫茶(友人T撮影)
| ◆8月14日(木)①時間への投資
朝7時前に目覚めた。最近、無理はできない、特に睡眠時間は削れない体調ではあるけど、不思議と体は動き、そのまま今日がスタートした。
まずは大元旅館でサービスの朝御飯(パンとラーメン)を食べて、近所の銭湯へ。大元旅館から来る客が増えたのか、外国人の対応に以前よりも慣れてきた感じだ。どの浴槽にいても落ちつける空間構成に、Tは90点の評価を付けていた。なるほど、そうとは感じてなかったな‥‥
世宗路を下り、市庁前にある徳寿宮へ。ソウルといえば歴史都市の一面があり、各地に散在する王宮も見どころの一つだが、こちらの王宮も見どころが多い。王朝末期の1900年代初頭に作られたこともあり、韓国式だけではなく石造りの宮殿も並び、どことなく文明開化の香りを漂わせている。
景福宮や昌徳宮などと比べ規模が小さいこともあって、あまり注目を集めない王宮だけど、一味ちがって楽しめるとお勧めしておこう。
歩いて10分ほどのロッテホテルへ。今日のメインは、ここから出発の板門店・共同警備区域の観光ツアーへの参加だ。これまで何度か、民間人統制区域内の展望台までは足を運んだが、板門店までは参加費が高い(7万ウォン〜)こともありこれまで行く機会がなかった。今回、Tの希望もあって、ようやく参加することにしたのだ。
参加手続きを済ませれば出発時間まで少し時間があり、豪華絢爛なロッテホテルの中を探検。特に中庭からの陽光ふりそそぐコーヒーショップに、目を見張った。
「いくらするかわからないなあ。アイスコーヒーでも5千ウォンとかかな」
なんてつぶやいている僕を尻目に、Tは興味津々で、
「金なんか俺が出すから、入ろう!」
と、尻を叩かれた。
メニューを見てみれば、アイスコーヒー1杯なんと11,000ウォン+20%。2杯で2万5千ウォンという計算だった。うーむ、特級ホテルのコーヒーショップって、こんな値段なのか…
しかし、心地よい音楽が流れる中飲んだ、アイスコーヒーの味は格別。学生には過分な贅沢だろうが、たまにはこんな「時間」に投資するのも悪くはない。社会人Tよ、ごちそうさん!
10時40分、板門店への観光ツアーは出発した。乗客はすべて日本人で、僕らの隣に座ったのは、関西からの親子連れだった。息子さんは僕らと同じ80年度生だが、ご両親はなんと40歳! しかも見た目にはもっと若く見えた。いいなあ、若い両親って…
ちなみに今までソウルで会った日本人って、半分以上は関西の人だった。それも「コリアンタウンに行く機会が多くて、自然と興味を持った」とか「在日の友達がいてね」という人がほとんど。実は、大阪って一番韓国に近い街なのかもしれない。
バスは、統一路を北に走ってゆく。現在は4車線だが6車線に拡幅できる余地を持っており、いずれ統一を成し遂げた日には平壌を結ぶ大動脈になるという。だが今は一地方路。所々には、北からの戦車の侵入に備えた、道路の爆破封鎖施設がみうけられる。
1時間ほどで、民間人が自由に行ける北限・臨津閣に到着、休憩となった。ミニ遊園地の「平和ランド」があり、賑わう売店を見ていると、そのような緊張は感じない。
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臨津閣・今は北へ延びる線路
JSA
非武装地帯を始めて撮影
| ◆8月14日(木)②緊張の50年間
ここからは民間人統制区域だ。入場者検査を行う軍人は私服で、これまで参加したツアーと違っていたけど、えりすぐりのエリート軍人なのだそうだ。臨津江をわたる橋にはジギザグにバリケードが立てられ、異様な雰囲気だった。
しかし渡ってしまえば、のどかな農村となった。統制線内でも、許可を受けた人々が農業に従事しているのだ。車が無秩序に走り回っていない分、統制線外の普通の街よりも、むしろ平和に見えるのは皮肉だ。
昼食は、このエリアの米軍キャンプにて。手前の臨津閣で食べても問題なさそうなのに、なんともすごい場所で食べさせるものである。メニューは、アメリカンスタイルのビュッフェ。がつがつ食いたいところだが、腹の具合が悪く、すこし食べただけで気分が悪くなってしまった。
すこし安静にしていれば治るかなと思っていたけど、最悪戻しそうな勢いにまでなってしまい、念のためにガイドさんから「袋」を貰ってきてもらった。うーむ、こんな所にまできて、なんたる事態。板門店で「おえ〜!!」なんてことになったら、北側の宣伝材料になりかねない。
キャンプ内で、これから向かう共同警備区域・JSAについての説明と、各種留意事項が説明される。万一の事態がおきても、安全は保障できない旨了解を求められ、これから向かうのがそういう場所なんだと、改めて感じた。
国連のバスに乗り換え、JSAへ。行動する際は、終止2列での整列を求められる。南側が南北離散家族面会のために建てた立派な施設(面会は金鋼山で行われていて、ここが使われることはない)へ入る。ガラスの向こうには、TVや映画で見慣れた光景が広がっていた。
建物に半分身を隠し、北をじっと見つめる南側兵士。北側も、こちらを見ている。絶えることのない緊張感は、蝉の鳴き声以外聞こえぬ静寂が伝えてくる。融和ムードも感じられるとはいえ、まだ終わらぬ南北の対立を、まさに描いたような光景だった。こんな対立が、もう50年も続いているのだ。
半部が北側に入っている会議場を見学。この建物の中だけでは、北の領域にまで足を踏み入れることができる。建物内には、いつでも拳銃を抜ける姿勢で、韓国の兵隊が守ってくれている。
それにしてもこの緊張感と異様な空気の中で、よくはしゃげるなあと思うのが、高麗大学に1ヶ月の語学研修に来ているという、日本の大学生の団体だ。軍人からの制止を受けなかったから許容範囲ではあったのだろうが、それでもこの地の持つ重みを知っていれば、もっと違った行動になるんじゃ?
「日本人って、変な人間だよな」
そんな彼らを見ながら、Tがぼそっとつぶやいた。
展望台からは、非武装地帯を一望。これまで行った統一展望台では撮影禁止だったけど、ここでは堂々と写真に収められる。人の手が入らない手付かずの自然で、統一の暁には貴重な自然公園となるのだろう。そんな日が、はやく来てほしい。
最後に立ち寄るのは、米軍キャンプ内の売店。JSAの記念品を求めることができて、この地の歴史を解説した本がもっとも売れていたのには、ほっとする思いだった。
再びもとの観光バスに乗り込んだ後は、ひたすらソウルへ向かうのみ。休前日ということもあってソウルへ流れる車は多く、約30分遅れでロッテホテルに到着した。バスの中でゆっくり寝たので、気分も少し良くなった。
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北村の路地裏
炭火を作る
まぜまぜビビンバプ(友人T撮影)
| ◆8月14日(木)③食べたかった
これから名物ミュージカル「NANTA」を見に行くという大阪の親子と別れ、僕らは地下鉄を乗り継ぎ安国駅へ。駅前にそびえる現代ビルディングは、現代嵯山会長自殺の現場でもある。現場がどこかは分からなかったか、対北事業で数々の功績を残した故人に思いを馳せた。
まず、北村韓屋再生事業を統括する北村文化センターで、北村地域の概要をしってから、今夜の宿である「ソウルゲストハウス」へ向かった。前回北村を訪れた際、「今度はきっとここに泊まってみたい!」と思った、韓屋の旅館である。
目指したそこは、変わらず中庭の緑が豊かだった。夏も終わりに近づき、中庭の草木をわたる風は涼しい。ソウルの都心とは思えないほどだ。庭を駆け回るうさちゃんも元気いっぱい。幸せに生きていることは、見れば分かる。
ちょっと休んでから、北村散策へ。路地裏や坂道を入った先に広がる、韓屋とそこで生活する飾らない人々。下町情緒が色濃く残っている点でも、この界隈って楽しい。
メインストリートを登った先にあるのが、かつて日本時代に建てられた中央高校。前回来たときに撮った写真を友達に見せる度、「これ、大学?」と言われたほど、立派な校舎である。Tもしきりに感心しながら、シャッターを重ねていた。
町内の所々では、韓屋再生工事に平行して、道路の改修作業も進められている。これから観光地として、今以上の脚光を浴びていくのだろう。
この街から道を挟んでしばらく歩けば、骨董屋や伝統茶房がならび日本人にも人気の街・仁寺洞に出る。雰囲気はがらりと異なるが、古い物を大事にする姿勢という点では同じだし、セットにして楽しむとなおいっそう面白いところだと思う。
さて僕の方は気分がまた悪くなってきた。歩くのも辛く、休みつつ歩みを進めていく。今日の夕食はプルコギを食べようということになっていたが、とても僕の喉には通りそうもない。
でもTは楽しみにしていた晩餐であり、とりあえず狙っていた仁寺洞の焼肉店に入った。プルコギは1人前の値段が出ていたものの、聞いてみればやはり、二人分からの注文しか受けないという。しかし…
「僕、お腹がよくなくて、食べられそうもないんです。できれば、一人分くれませんか」
韓国って、時にこんな甘えが通じる国である。おばさん、しばらく考えた後、
「いつもは二人分しかだめなんだけど…特別よ」
といって、受けてくれた。どうもありがとう。本来は炭火で食卓の上で作るのだが、Tの前に出されたのは、石焼ビビンバプ用の釜にあらかじめ調理されたものだった。Tはその後、石焼ビビンバプまで注文、すっかり満腹、幸せな顔になっていた。
僕の方は、胃に優しく冷麺。それでも、一杯平らげるのは辛かった。ほんとは、Tと一杯やりつつおいしく食べたかった所だ。その点では残念だった。
ところで、僕の後ろに座った5歳くらいのガキンチョが、気になって仕方がない。韓国語、日本語とも、完璧な普通の5歳児レベルなのだ。漏れてくる話を聞く限り、どうやら在日らしく、韓国に住む祖母を親子で訪ねてきたらしい。在日なら珍しくないのかもしれないが、韓国語を勉強している日本人として、素直に尊敬した。
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夜もムードあるゲストハウス(T撮影)
| ◆8月14日(木)④軍隊行かねば高校生
この後は夜の南大門市場の散策に行く予定だったが、僕の体力が続かないので、そのまま宿に戻ることにした。Tは、一人で行っても大丈夫な行動力を持ってるけど、宿の雰囲気を楽しみたくもあるようだ。
その帰路、煙草を買いに店に寄った時のこと。店のおばちゃん曰く、
「大学生?」
「はい…留学生ですが」
「そういうことじゃなくて…19歳以上よね。未成年は吸っちゃだめだから」
「ああ、そういうことですか。(Tを指しながら)コイツ23歳ですよ。本人が聞いたら喜ぶだろうな」
案の定、後で話したら喜んでいた。要は軍隊に行ってない分、幼く見えたという話だとは思うけど。
ちなみに僕はタバコを吸わないので分からないが、T曰く韓国の煙草、THISもうまいがTIMEの方がうまいとのこと。
宿に戻ると、幹線道路の喧騒が嘘のように静かな時間が流れていた。寝るまで、何をするでもなしに過ごした数時間は、なんとも素敵な時間だった。
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うさぎと戯れ中
| ◆8月15日(祝)ダウン
朝8時に起床。体が重い。
「きついんなら、俺一人で行ってもいいんだぜ」
Tはそう言ってくれるけど、わざわざ俺に会いに来たのに、それじゃ申し訳ない。起きてみれば、思ったほどきつくもなかったので、ひとまず宿からも近い宗廟まで行くことにした。
しかし体力は、歩く距離を重ねるたびに消耗してゆく。地下鉄鐘路3街駅まで来たところで、もう無理だと悟った。せっかくの親友との二人旅。僕自身、ここまですごく楽しかったけれど、悔いは残った。
地下鉄3〜2号線を乗り継ぎ、11時の優等バスへ。優等バスでなければ辛いくらいの体調だ。海水浴へ向かう行楽客のため、嶺東高速道路は大渋滞。忠州まで3時間を要し、もし一般バスだったら辛かったろうと思う。
そんな渋滞では運転士の機嫌も最悪。最前列だったので、何度も舌打ちが聞こえてきた。こんな機嫌じゃ、「忠州大で降ろして」とも言いにくいなと思ってたが…
「学生、この番号に電話してくれるか?」
バス営業所へ遅延の連絡らしい。借りができたおかげで、すんなり言えた。
帰って、もちろんベッドに倒れこむ。結局、5時ごろまで昏々と眠り続けた。
5時ごろ、サークルの先輩から、ご飯に誘う電話がかかってきた。今日は韓国の暦で暑さが終わる日とされているらしく、この日もやはりスタミナのつく料理を食べるのだそうだ。胃の調子は幸い良くなってきているようなので、受けることにした。
そのお店は陰城から少し先の国道沿いにあり、ちょっと高級な食堂らしい。
「まあ、今日は会える最後の日かもしれないから」
食べたのは、鳥をまるごと料理した、それでいてサムゲタンとは少し違った料理。なんというのかは忘れちゃったけど、とても旨かった。食欲も、戻ってきたようだ。
考えるに、単なる睡眠不足だったんじゃなかろうか。もちろん、ある程度の睡眠時間は確保していたけど、疲れ気味の僕にとってはそれでも不足気味だったらしい。以前、大学の課題の図面の締め切り前、徹夜してこんな症状になった覚えがある。やはり寝ることって基本だ。
Tから電話はなかったが、夜こっちから電話してみれば無事福岡までたどり着いたらしい。一人でもソウル市内のあちこちにいって楽しんだようで、安心した。
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| ◆8月16日(土)ダウン2日目
一応、体調は戻ったと思ってたけどもちろん万全ではなく、昼夕飯は消化にいいものを選んで食べた。
最後の週末でもあり、友達の家に遊びに行きたいなとも思っていたのだが、この調子では無理。うーん、留学もあと1週間を迎えようとしているのに、何たることか。
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| ◆8月17日(日)こどもたち
夕方、もうしばらく行くこともできないだろうと、下宿に挨拶がてら夕ご飯をご馳走になりにいった。
行ってみれば部屋の中に、所狭しと小学生用のサッカーユニフォームが並んでいた(乾かしていたらしい)。なんでも今、小学生のサッカーチームが忠州大のグラウンドを利用して練習しつつ、この下宿に合宿しているらしい。なるほど、学生のいない休み期間、こういう商売もやっているのか。
ご飯をいただいてゆっくりしてたら、彼らが帰ってきた。いるわいるわ、20人。入ってきた子から、どんどん素っ裸になってシャワーに入ってゆく。中では世話役の兄さんが待機して、順番にじゃんじゃん洗っているらしい。
この兄さん、子供たちに対して厳しく接してたけど、慕われている様子も見られた。それもそのはず、この子たちはみな孤児で、このメンバーで集団生活をしているのだそうだ。大人数でも、家族のようなものなのだろう。
風呂から上がった子から、居間に移ってきた。小学生といえども十人十色、見知らぬ僕に無関心な子もいれば、興味をもってどんどん話しかけてくる子もいる。
「え、お兄ちゃんウチの国の人じゃないの?」
ふふふ、一目では見破れなかったらしい。少しでもおかしな発音があると遠慮なく笑われるので、実はこんな子供たちと話すのが一番怖かったのだが、ちょっと自信になった。
「え、お兄ちゃんもう帰っちゃうの?」
名残惜しそうに言われたときには、嬉しかった。
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数々の料理を前に
| ◆8月18日(月)①日本人と割れず
今日は、忠州大の交流協定校である、九州工大から学生訪問団がやってくる日だ。九工大の訪問団プログラムの場合4泊5日で、前半3日は忠州滞在、後半2日はソウルでの自由散策という日程である。大分大学の場合2泊3日で忠州しか見られず、わざわざ韓国まで来てもったいないなとおもうが、九工大方式ならいろいろ楽しめそうだ。
さて、彼らが福岡から仁川に到着するのは午前10時。我ら日本語サークル「笑顔」を中心にした、忠州大側「歓迎団」は、忠州大前を6時出発という日程だったのだが、体調が不調の僕には早起きは厳しい。3日間の日程もまっているし…というわけで、やってくる皆さんを忠州大で待ち受けることにした。
夕方4時、やってきた皆さんを忠州大体育館前で待ち受けた。九工大といえば男子学生が多いはずなのに、思いのほか女性が多いのに驚く(これは忠州大歓迎団みんなの感想だ)。こちらから自己紹介する機会がないものだから、僕のこと韓国人だと思ってるんだろうな…
まずは大分大学がやってきた時と同様、忠州大の伝統芸能サークルによる公演見学。一通り終わった所で、隣に座っていた斤銖兄がささやいた。
「ほら創、みんなに『前に出てきて一緒にやってみましょう』って言いな」
「そんなの、兄が言えばいいじゃないですか」
「俺は、さっきまでずっと日本語でしゃべってたから…」
というわけで、僕が前に出て喋ったのだが、いきなりだったものでシドロモドロしてしまった。おかげで、この時点で僕が日本人だと分かった学生は、いなかったようだ。
その後は、学長棟にて歓迎会。
「日本人はここに、韓国人はここに座って」
と言われたものの、僕はどこに座ればいいんだか…
「ほら創、お前韓国人だろ」
まわりからはやされた。例によって、どうやって用意したのと問いたくなるような様々なご馳走がならんでいて、体の調子さえよければ、ガツガツ食って飲むのだけど、ここは抑えてえて…ようやく話す機会を持てて、日本人だと分かってもらえたけど、まだ周知率100%ではないようだ。
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残った料理を持ち込んで
| ◆8月18日(月)②モーテル
今回の宿舎は、新市街にあるプリンスホテル。そんなホテルあったっけ? とみんな言ってたけど、行ってみれば安宿の雰囲気。フロントは閉鎖的だし、自販機をみればゴム置いてるし、みんなの結論は、
「こりゃモーテルだ」。
われわれ、韓国側の男子学生の部屋が、今夜の学生歓迎会=飲み会の会場らしい。寝るな、ってことね…俺、寝ないと持たないんだけどなあ…
各部屋に散らばったみんなを呼び出し、飲み会スタート。歓迎団側にも日本語ができない人は多いので、もっぱら僕は通訳側。まだまだ不足とはいえ、昨年9月に大分大学訪問団が来たときには完全に日本人側で「参加者」の顔をしていたことを考えれば、えらい進歩である。
そんな中で、発せられた九工大生の一言。
「あの〜、なんでそんなに日本語うまいんですか?」
やっぱり、まだ気付いてなかったか!!
明日も市内散策のスケジュールがあるというのに、時間を忘れて会は大盛り上がり。明日の起床は7時半なのに、大丈夫なのかな…? すみません、ついていけませんとばかりに、先に眠りについた。
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何度目かの中央塔
ムードある韓屋の中で
田舎の農家のよう
| ◆8月19日(火)①やはりフィリピン
朝7時半、僕が起きたのを皮切りに、みんなも、ごそごそ起きだした。朝ごはんは、ホテルの隣にあるヘジャンクク専門の食堂にて。韓国の汁物って、塩やコチュジャンを入れて、味付けは自分でやる料理が多いのだが、味付けしながら、みんな、
「味がない、味がない」
なんて言うから、ドキドキする。「味が」「ない」を直訳すると、韓国語では「まずい」の意味になってしまうのだ。案の定聞いてみれば、まずがっているのだと理解していた韓国人学生が多かった。
今日のプログラムは、午前9時から午後7時まで、班に分かれての自由行動だ。大学側からは、支援金として1人あたり2万ウォン出た。このお金で、学生同士好きなように忠州を見て回りなさいという1日である。
この日はあいにくの雨で、解散となったのはいいものの、さてどうしようかと思いあぐねる。忠州って、車がないとどこにも行けない街だし…そこで一計を案じ、2グループ合同でレンタカーを借りてくることになった。12人乗りワゴンで1日7万程度というから、予算内だ。
ひとまず車を借りて来るまで、市内を見物しようということになり、タクシーに分乗して市内へ移動。たまたま僕の車は、日本人だけになってしまった。日本人とみるや、ぼるタクシーもいるので警戒していたが、
「ん、君フィリピン人??」
またかよ!
会話のきっかけが掴めたので、以前から疑問だったタクシー運賃の話について、(ぼるなよという牽制も含めて)疑問をぶつけてみた。
「忠州大まで行くと、急に運賃が高くなりますよね。あれってなぜですか?」
「あ、それはね、達川小学校を過ぎると、区域外になって帰りの営業ができないの。だから高く取るんだよ」
忠州大に行くたび、いきなり運賃が高くなるものだから、ぼられているのかな?とずっと思っていたが、こういうことだったのだ。この1年来の疑問が、ようやく解けた。
市内では、サーティーワンアイスを食べたり、雑貨屋さんをのぞいたりしてブラブラ歩いていたが、朝とあって、人通りも開いている店もわずか。車もやって来たので、さっさと次の目的地に向かうことにした。
まず忠州の観光地といえば「中央塔」。忠州を訪ねてきた人を案内するため、何度か来た所だ。雨とあって記念写真を撮るのには苦労した。塔さえ見てしまえば、これといって見るものもなく、次なる目的地へ。
お腹も空いてきた…というわけで行った食堂は、古い韓屋の農家を改装したものだった。忠州へ住んで1年というのに、初めて行った店だ。薪で焚く釜が現役で、元気に炎を上げている。室内の雰囲気も歳月を重ねていい味を出しており、農家に遊びに来たような気分だ。
料理は、どんぐり飯にどんぐり寒天、どんぐり酒と、どんぐりづくし。素朴な味わいで、かなりの量があったけど、おいしく平らげた。
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これが最新型ノレトン
中はこんなカンジ
| ◆8月19日(火)②珍しい体験というわけで
次も忠州観光の定番、忠州ダムへ。何度も行って楽しい場所ではないものの、忠州の観光地といえばここぐらいだから仕方がない。
この後は、雰囲気重視で水安保温泉に行こうか、設備重視で市内のチムチルバンへ行こうかということになり、日本人のみんなに意見を聞いたところ、日本にはなく珍しいということでチムチルバンということになった。
というわけで、新市街の漆琴洞にある、一度いったことのある新しいサウナ・チムチルバンへ。チムチルバンにまで入るのは、始めての体験だ。チムチルバンとは服を着たまま入る、韓国伝統の低温サウナのこと。館内着はレンタルしてくれるし、サウナと違って男女一緒に入れるのも楽しい所だ。
入ってみればなるほど、そんなに暑くはなく、寝そべったりジュースを飲んだりしながら、みな思い思いにくつろいでいる。しばらく座っていると、ジワリと汗が出てきた。冷房の効いた休憩室で休んだり、冷凍室に入ったりしながら、じっくりと汗を流す。食堂コーナーもあり、食べたり飲んだりして1日を過ごすようだ。
ただ僕は、服にべっとり付く汗の感覚が好きになれない。上の階のお風呂場には、裸で入る普通のサウナがあるので、早々にそちらに移った。この開放感が気持ちいい。
時間は5時。中途半端に余っちゃたねというわけで、みんなでゲーセンに向かった。そこにあったのが、最新型のカラオケマシーン。今までのゲーセンカラオケと違いヘッドホンを着用して歌えるようになっていて、音は半端なカラオケボックスを上回る。さらにMDやCD—Rにまで録音できるようになっていて、気分はレコーディングスタジオである。
従来型のカラオケは賛否両論だったけど、この新型に関しては「いいコレ!日本でもはやりそう!」となかなかの評判だった。
最後に、みんなでイメージ写真のスタジオに行って、プリクラ撮影大会。いい記念ができた。日本人の目から見て驚きなのは、機械から出てきた写真が完成系でないこと。担当の人に渡すと、ラミネート加工を施し、はさみで1枚1枚丁寧に切って完成となる。なかなか面倒な作業だ。
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| ◆8月19日(火)③今日も長い夜
今日の夕食は、ホテル横のビュッフェでのバイキング。日本からのみんなは韓国式焼肉が始めてだったらしく、野菜をたっぷりとれてヘルシーだと、大評判だ。
他のグループは今日一日、同じくレンタカーを借りた班あり、レンタカーを借りずに豪遊した班あり。その班はここに来るまでに1時間、やることがなくて飲んだらしく、すでにダウンしてしまう日本人も発生。まったく、何やってんだか。
飯の後には門限の11時まで、残ったお金でグループ行動ということになり、カラオケかボーリングかということで意見が分かれたが、ボーリングはお金がかかるというわけで、カラオケに決着。ただ市内の新興住宅地ということもあり、カラオケでも1万5千ウォン/時間と、結構な値段ではある。
それでも、日韓両国の歌が飛び出したカラオケ大会は、大盛り上がりだった。カセットの録音装置もあり、こっそり録音していたようだけど、あのテープ、誰の手に渡ったんだろう??
11時からは、例によって飲み会となった。昨日も飲んでろくに寝ずに観光したというのに、みんな元気いっぱい。今夜も寝ないぞといった雰囲気だ。お互いのプレゼント交換したり、不十分な日本語と英語で必死に会話したりと、いい雰囲気だ。
ただこれだけ騒がしくしているのだから、ドアを閉めておくくらいの配慮は必要なはず。僕は何度も閉めに行ったのだが、みんなまったく閉めてくれない。
「なんで静かなんだろう」
「あ、ドア閉まってるからね」
なんて言いながら入ってきて、開けたままにしようとしていた韓国人の女の子たちに、
「おいお前ら、閉めやがれ!」
と一発、雷を落としてしまった。
場の雰囲気、下げてしまったかなと思ったが、後で韓国人の男の先輩から、
「いやあ、創は気配りがきく奴だね。驚いた」
と言ってもらって、救われる思いだった。
未熟な韓国語ながら、日韓両国語にできる人は少ないので、もっぱら僕は通訳役。みんなのコミュニケーションのために頑張ったけど、体も頭もバテバテ。日本人男子の部屋に逃げ込んで、先に眠らせてもらった。
僕が眠っている間にも、明け方近くまで会話の花は咲き続けたらしい。この数ヶ月、学科運営と専門の勉強で、ほとんど日本語の勉強ができていなかった赫菖兄も、必死にソウルの観光案内の相談にのっていたようだ。お疲れ様でした。またとない勉強の機会になったのでは。
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いい会社でしたが…
2度目の民族村
2本平行の中部高速道路
| ◆8月20日(水)また会う日まで
今日は、昨日より30分早く起床。あんなに飲んだ上に、なのだから、雰囲気は昨日の朝より重い。
今日のコースは、まず陰城の薬剤工場見学。陰城?と思っていたが、国道3号線バイパスから左に十数分行くと、大きな化学工場団地が現れた。ただの田舎の「郡」だと思っていた陰城だが、こんな顔もあったのだ。
見学先は、韓国内でも5本の指に入ると言うハンドク製薬の工場だ。工場内の庭も建物も、清掃が行き届いていて美しい。
会社の紹介ビデオを見た後は、併設の薬品工場見学。これが広く充実した博物館で、文化財級の展示物も多数あるという。それはいいのだが、案内役である幹部の方の説明が丁寧すぎて、見学予定時間が30分、40分と過ぎていく。というか、教授も幹部の方も、時間を把握されているのだろうか。学生側は、日本人も韓国人も、見るからに不満顔だ。
時間は50分過ぎ、ようやく放免となった。展示は面白くて勉強にもなったし、見学記念に貰ったペンセットには社名が一文字も入っておらず好感を持ったものの、次の予定である民俗村の見学時間、1時間と少ししかないんだぞ…どうするんだろう。
水原までは案外遠く、2時間弱かけて民俗村へ。大分大学訪問団のときは場外の食堂だったけど、今回は民俗村の中にある食堂で食べることができた。メニューはビビンパプ。ん、朝も石焼ビビンパプだったんだけど…?
ここで嬉しい知らせが。見学時間の予定を、30分延ばすとのこと。それでも1時間しかなく、大分大学訪問団のときも短いと評判が悪かったが、改まっていない。さまざまな時代の家々が並ぶ民俗村、とても1時間で見られるものではないのだけどなあ…
2度目ではあるけど、駆け足で見学。今回も村内では歴史ドラマの撮影が行われており、昔を再現した光景や、韓国の有名俳優を見ることができた。こうした光景を見られるのも、民俗村の魅力だろう。きれいな女優さんは、煙たそうなマネージャーをよそに笑顔で応じており、好感。韓国って、こうして芸能人を間近にみる機会も、日本よりはるかに多いように感じる。うらやましい。
1時間の見学時間はあっというまに過ぎて、はやくもソウルのホテルへ向かう時間に。お泊り先は、あのマリオットホテル。江南ターミナル内にある、超高級ホテルだ。俺、1年いてもこんなホテル泊まったことないぞ。うらやましい。
忠州大から九工大の訪問団は1月の予定で、
「またその時にあいましょうね」
と言葉を交わしてのお別れだった。大分大学生の僕が、その約束を果たせるかは微妙だけど、できれば果たして九工大のみんなと、そして忠州大のみんなにも会えればなと思ったのだった。
忠州大生だけを乗せ、我ら忠州大バスは一路忠州へ。僕にとっては、この留学生活最後のソウルでもあり、流れる車窓に目を凝らした。ホント楽しい街。今度来れるのはいつだろう。
忠州到着。みんなお疲れだけどなんだか名残惜しくて、なんとなく駐車場でだべった。
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Eマートにて
このように忠州ダムを見たのは初めて
忠州の夜景
| ◆8月21日(木)ご挨拶
忠州の出発日は明後日だけど、明日は準備で忙殺されそうなので、今日のうちに、学科への挨拶をしておくことにした。
まずは、土木科の金教授の研究室へ。大分大学からの留学生の指導担当教授でもあるのだが、結局、お顔を合わせる機会は少ないまま終わってしまったのが残念だ。
次は、何かとお世話になった鎮教授。韓国の交通のことや、様々な考え方を聞かせていただき、勉強にもなった。今後とも韓国語の勉強を頑張るよう激励され、研究室を後にした。
最後は、学科事務室。夏休みということもあり、一人しかいらっしゃらなかったが、今後とも連絡を取り合えるよう、しっかりとメールアドレスを交換しておいた。
そして、僕が最後に挨拶しておきたかった場所、それは忠州病院(正確に言えば「忠州新しい病院」)だ。痛い思い出ではあったけど、何かとお世話になったことには変わりない。そこで午後は、ホギュ兄の車に乗って市内まで出向くことにした。
Eマートに車を止めて、忠州病院へ。まずは3階の看護士室に行ってみれば、改装の手はここにも及んでいて、すっかりきれいになっていた。病室も改善されたのかは、とても気になる所だが、こればかりは覗いてみる訳にもいかない。
それはいいとして、僕が入院している時にもいた看護婦さんが、一人もいない。出勤日でないというより、他の病院に転院されたようだ。
それではと物理治療室に行ってみれば、こちらの先生もすっかり入れ替わっていた。韓国の会社員って、少しでも条件のいい職場があるとすぐに変わってしまうと聞いていたけど、病院とて例外ではないのだ。ホギュ兄曰く、病院の場合「引き抜き」も結構あるそうだ。
そんなわけで、挨拶は一人として叶わなかった。
やることもなくなってしまったので、ホギュ兄の家でパソコンを習ったり、昨日までの写真を見せてもらったりしていたのだが、ふと一つの写真が目に留まった。
「これ…どこですか??」
「忠州ダムじゃん。行ったことない?」
忠州ダムなら何度も行ったけど、竣工記念に立てられた塔があるとは初耳だった。
「じゃあ、行こう」
というわけで、即忠州ダム行きが決定。やっぱり車があると、行動範囲が違う。大分でも同じだ。
何度も通った道を走って、20分ほどでダムに到着。展望台や、夕方で閉まっていたものの広報館があり、ダムを知るには絶好の場所だと思うのに、これまで一度も来たことがなかった。案外、みんな知らないのかな。
ダムの全貌は、やはりここからが一番よく見えた。国は違えど、土木技術って、すごい。
帰路は、忠州の夜景がよく見えるルートから帰った。地方都市とはいえ、なかなかの眺め。景色を見ながら食べられるレストランもあり、デートスポットなんだろうな…
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ファミマ前で大盛り上がり
カラオケにて
| ◆8月22日(金)最後の日
最後に残っていた生活用品を送った。鞄に荷物もつめた。あまり来てほしくはなかったけど、来てしまった忠州最後の日だ。
昼ごはんは鎬圭兄と、粉食店でキムチポックンパプを食べた。こんな何気ないメニューでも、なんだか惜しい。写真に1枚収めてから、手をつけた。
笑顔メンバーのうち、忠州まで出てきてくれたみんなが、送別会を企画してくれた。
まず1次会では、僕にとっての「忠州大前ベスト1」の食堂だった「サダテジマウル」にて、お気に入りのメニューであるコチュジャンプルコギを食べた。わずか2,500ウォンながら、最後に残りで作るチャーハンまでうまい。また忠州に足を運ぶ機会があれば、ぜひまたこれを食べたいと思う。
2次会は、ファミマの前で宴会。当然のように、コンビニの前にはイスとテーブルが置いてあるけれど、こんなことも日本に帰ったらできなくなるんだよなあ… 15日が過ぎて以来、ぐっと涼しくなった忠州だけれども、冷たいビールで喉をうるおしながら、ビアガーデン気分になった。記念写真を撮りあい、テンションも上がってきた。
3次会は、一番近くの家である赫昌兄の家になだれこみ、語りながらゆっくり飲んだ。
10月から、日本語のうまい人はみんな日本に行ってしまう、我が日本語サークル「笑顔」。いつしか話題は次期の運営についてになっており、鎬圭兄がその役を引き受けた。鎬圭兄の日本語能力は充分とはいえないけれど、誰よりもしっかりしていることには間違いなく、しっかりとまとめていってくれることだろう。
そして4次会は、お決まりのカラオケ。日本のカラオケにも韓国曲が多いとはいえ、ない曲ももちろん多く、歌えなくなる曲を中心に熱唱。みんなも歌って踊っての大騒ぎ(鎬圭兄は自爆しちゃったけど)だ。
ちょうど1年前の8月23日夜、僕の親友が中心となって開いてくれたのが、「出発前夜祭」だった。あの時も、朝5時までカラオケで盛り上がったっけなあ。
すこし疲れたけど、そんなこと忘れて盛り上がりたい。そんな、時間を惜しむ気持ちが、1年前の思い出を想起させ、なんとも懐かしいような不思議な気分になったのだった。
今回は朝5時までとはいかず、2時にはお開きになったけれど、それでも心底から楽しく燃え尽きた。明日の今頃は、もうまったく別の場所にいるはずだ。
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向日葵彩る駅から
| ◆8月23日(土)①シアワセモノヲノセテ
朝、赫昌兄の家で目覚める。眠いけど、僕にはやるべきことが残っているので、大学へと向かった。大分から忠州に向かう朝も、友達の家から大学に用事を済ませに行った。記憶が重なる。ほんと不思議な気分だ。
学校に行ったのは、最後に学務科へ挨拶に行くため。いつでも行けるやと思っていたら、いつの間にか最終日だ。一人で、挨拶を済ませた。1年前やって来た時には、通訳役がいなければどうにもならなかった。1年の時の流れと成果を感じる。
寄宿舎に戻り、荷物をまとめた。大概のものは郵便で送ったはずだったのに、残りの荷物を持ってみれば…重い。まだまだ足の力が戻っていないので、重いものを持つのは避けていたから、こんなに重い荷物を持つのは久しぶりだ。大丈夫か、オレ? あとは気合である。
ところで明後日の二学期スタート(開講)を前に、明日は一般学生の寄宿舎開所日だ。準備のために食堂のおばちゃんたちや、売店のおばあちゃんも戻ってきており、最後に会えてよかった。
「明日から開講でしょ? 今日帰っちゃうの?」
「去年の開講の日に来たから、留学期間は明日までなんです」
「あらそうなの。気をつけてね」
「はい。1年間、おごちそうさまでした」
赫昌兄のアパートに戻ると、3人待っててくれた。達川駅までは車で送ってくれるという。四駆に乗り込み車で2分、達川駅に到着。昨日、都市科の女の子に「明日帰る」とメールしたら、「行きたいけど朝早くて行けないかも」という返事が返ってきたから、来てないかなと思ってたけど、残念ながら姿はなかった。
ひまわり咲く、夏の終わりの達川駅。10時12分発、大田行きムグンファ号が、今回の旅立ち列車だ。見送りに来てくれた友達は、二人は10月から戸畑へ留学だし、一人も日本留学を目指し鋭意勉強中。決してお別れじゃない。
「どうもありがとうございました」
「また10月に会おう!」
達川駅。ここは1年前の大分大学前駅。
同じように思い出の街から、同じように旅立ちの時を迎えた。同じように大切な友達に見送られ、同じように再訪を誓う。
俺って、なんて幸せ者なんだろうか。
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PC房客車だ
延び行く線路
りっぱな駅ビル
| ◆8月23日(土)②やっぱりバス観光は難しい
列車は、通いなれた忠北線を行く。電化工事は結局まだ終わってないけど、次に来るときはどう変貌してるんだろう。楽しみだ。
大田駅は一週間前に来たばかりだし、時間もないので昼ごはんは駅うどんで済ませる。列車の轟音を聞きながらすするうどんは、日本と同じ文化。親近感が沸く。
大田から大邱までは、京釜線のムグンファで下る。さすがは最重要幹線。重連の機関車に、11両の客車を連ねた長大編成だ。僕の居場所は、最後尾の特室客車だ。
狙っていたわけでもなかったのだがこの列車、韓国ならではの「PC房客車連結列車」だ。早速、満員の車内を掻き分け、行ってみた。1/3はスナックコーナーで、あとの2/3がPCルームになっていた。思ったほどの利用者がいないなと思っていたが、聞いてみて理由はすぐ分かった。ネットには接続されていないそうだ。
では何ができるかというと、スタークラフトなどのゲームが中心らしい。それならゲーセンと変わりなく、1時間2,500ウォンは高い気がする。もちろん使う気には慣れず、
「写真撮っていいですか? 珍しいので」
「いっぱい撮っちゃだめですよ」
約2時間、特室でゆっくりして14時06分大邱駅着。京釜線沿線の都市でありながら、不思議と大邱を訪れる機会がこれまでなく、今回帰路で寄り道することにしたのだ。
大邱駅というと大邱の中心駅のようだが、代表駅は隣の東大邱駅で、鹿児島みたい。大邱駅に停車するセマウルは、深夜の一本のみだ。
それでも大邱駅舎は、ロッテデパートやロッテシネマを併設した駅ビルに生まれ変わっており、賑わいの中心となっていた。水原と同じだ。このような駅がどんどんできているのを見ると、鉄道庁も民営化の刃を突きつけられ、考え方を変えたように見える。
まずは宿探し。観光案内所に聞いてみれば、安宿街は駅裏が中心というので行ってみたが、なかなか見つからない。重い荷物に苦労しながら15分ほど歩き回り、ようやくかたまっている場所を見つけた。もっとも、駅裏口から素直に左に出れば、すぐの場所ではある。
一件の宿に飛び込めば、値段は2万5千。ラブホ兼用のような雰囲気はあるものの、宿のおばさんは
「今ユニバーシアードだから、今日は日本人のお客さんも来るみたいですよ」
といってたので、普通の客も受け入れているらしい。即決。
部屋で汗だらけのTシャツを着替えて、街に飛び出した。ユニバーシアード真っ只中の大邱だが、今日はめぼしい競技もないようなので、普通に街めぐりをすることにした。
まずは、バス停に張り出してあった「ワールドカップ競技場行き」のバス番号を頼りに、市内バスに乗り込んだ。地下鉄は2月の大惨事以来、市内区間の運休が続いており、足にならない。中心駅の東大邱駅前を通過。大邱駅前の方がずっと賑わっており、なぜこちらが中心駅なのか不思議だ。
ふと不安になり、運転士に、
「これワールドカップ競技場に行きますよね?」
と聞いてみたところ、行かないらしい。え? 書いてあったんだけど、見落とした??
「何番のバスが行きますか」
「う〜ん、○番かなあ…」
ひとまず、後続の○番に乗り換えたところ、やはりこれも行かないという。というか、イベント開催日でないと競技場前まで行くバスはないとのことらしい。近くは通るらしいので、一番近くのバス停に来たら教えてくれるよう頼んだ。
郊外まで30分ほど走り、降ろされた場所から競技場は見えてるものの、はるか遠い。ここまででもだいぶ疲れてるはずだけど、まあせっかく来たんだし…と、歩き出した。
途中、若い男女グループとすれ違い、声をかけられた。
「信じてみませんか?」
やべ、宗教の勧誘だ。こんなときは日本語で通せという友達の言葉を思い出し、言葉が分からないふりをしてみたけど、最後にパンフレットを渡されつつ、
「ハングルは読めるようですね」
やべ、ばれてたか。
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目抜き通り
夜の駅
旅館で1ショット
| ◆8月23日(土)③惨事の跡
歩いてゆうに30分はかかった。で、この競技場もユニバ会場となっているため、
「市民見学コースはお休みです。またの機会のお越しください」
またって、それいつになるんだろうなあ。観光案内所では、今日はイベントやってるって言っていたのに、やってたのは競技場外でのサムソンのイベントだった。
引き返す。が、あのバス停までの道のりを歩く気にはならない。競技場前にもバス停があり、待っていた同世代の女の子に、市内へ行くバスはないか聞いてみた。さすがはユニバの案内ボランティア。突然の外国人の質問にも、動じず答えてくれた。
こっちのバスは、さっきとまったく違う道路をビュンビュン走る。知らない土地なので不安でなくもないが、万一知らない場所に連れて行かれてもなんとかなるだろう。それくらいの度胸はある。
幸い、地図を持っていたので市内に近付いていることは分かった。一番市内に近いと教えられた、病院前のバス停で下車。充分、ここも「市内」だと思うのだが、日本語の「しない」と、韓国語の「シネ」の感覚は、だいぶ異なるようだ。
その病院前の通りでは、街路樹の深さに目を見張った。まさに緑のトンネルである。街路樹に関しては、ソウルの中心で見られる「二重街路樹」や、田舎道にもたいてい植えられている点など、日本より韓国の方が発達している印象を受けており、日本が見習うべき点も多々あると思う。
市内には歩行者天国、みあげればファッションビルのミリオレと、やはり個性には乏しい。歩行者天国はゴミの量が半端ではなく、なんだか匂う。
歩行者天国を抜けて、駅へ続くストリートを上ると、中央路駅に出た。そう、あの今年2月の地下鉄放火事件で、大惨事となった駅である。出入り口の前には大きな映画館がそびえており、ここが市内の中心部であることが分かる。事故当時、平日の昼前という時間でも、多くの乗客がいたことは、容易に想像できる。
地下道入り口を注意深く見てみれば少し煤けているが、事故当時からのものなのだろうか。柵でふさがれた入り口は痛々しいが、「地下鉄復旧工事中」となっており、運行再開は視野に入っているようだ。
目抜き通りをぶらぶら歩いて、都会の香りを嗅いだあとは、先ほど見つけた大衆サウナへ。宿の部屋bにも立派な風呂はついているけれど、やはり大きな浴槽で足を伸ばすのが気持ちいい。終夜営業で仮眠室もあるから、お泊りもできるようだ。歩き回った後なので、1時間ばかりゆったりした。
その近くの食堂で、味噌チゲを夕食にした。店を閉める直前らしく、かなりの量のご飯を貰えたのはラッキーだったけど、夫婦喧嘩…まではいかないけど、口論の真っ最中で、居心地は悪かった。
明日も早起き、そして帰国。早く寝よう。
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釜山大学
曲線美しいアシアード競技場
膜ツルンツルン
| ◆8月24日(日)①日本に近付いた
朝は早起き。早く釜山に移動して観光したかったからでもあるし、朝夕を中心に大邱〜釜山に運行されている、ディーゼル動車のムグンファに乗りたかったという、かなり趣味的な理由もある。
ディーゼル動車のムグンファ号は、4両編成。ちょっと古びた感じはするけど、日本人の目から見ると違和感がない車両だ。忠北線あたりでも活躍できそうな車両だけど、不思議と釜山周辺以外ではほとんど見かけない。客車の方が需要に応じてフレキシブルに対応できるし、考え方の違いだろう。
東大邱でほぼ満席になった列車は、長大編成の行きかう京釜線を軽快に駆け抜ける。日本も、少しずつ近付いてきている。
10時前、釜山駅に到着。帰国の日ではあるけど、今日は船の時間まで釜山の観光だ。ロッカーに荷物を預け、窓口で交通カードを購入。釜山では「ハナロカード」と称し、駐車場料金の支払いや、デビットカードとして使えるという利点もあるようだ。
釜山の地下鉄1号線は、一回り小柄で高架区間も走り、乗るたびに西鉄電車を連想する。車内に現れる物売りや物乞い、布教はソウルの地下鉄と同じだ。
まずは釜山大前で下車。この学生街には高校の卒業旅行で来たことがあって、若者パワーが溢れた街として強く印象に残っている。久しぶりに訪れてみようと思い降り立ったのだが、日曜、朝、まして夏休みの学生街が、賑わっているわけもなかったのだった。開いている店もわずかで、飲食コーナーのあったパン屋でおしゃれに(?)調理パンをパクついた。
通りを走るバスに、目的地の地名を見地下鉄で行く予定を変えて、次のバスを待った。釜山のバスには漢字表記があるし、一度来た場所なので怖いことはなにもない。金鋼公園の麓にある、通行路の街路を走り抜けていく。
釜山の街並みを見て不思議に思ったのだが、かなり日本(或いは九州)の街並みに近い印象を受ける。具体的にどこが、と問われれば答えに窮するけれど、ソウルの街で感じる「影」の空気を、釜山からは感じないのだ。
こんなことを感じたのは初めて。韓国の生活も長くなるうちに、韓国の中での差異も、見つけられるようになったのかも知れない。
沙稷競技場で降りて、歩いて15分ほどの所にあるのが、釜山アシアード競技場だ。もちろんワールドカップの時には、サッカー競技場として活躍した。真っ白なツルリとした膜は、遠目にもよく目立つ。
中に入ってみれば警備員のおじさんが、世にもつまらなさそうな顔をして待っていた。態度もぶっけらぼうで、もう少し「接客」いてくれても思うが、見学者の名簿を見てみれば、正午を前にした時間にして本日一人目の見学者。ぶっけらぼうにも、なるかもしれない。
アシアード競技場は、陸上競技場を兼ねており、全体的に丸みを帯びたデザイン。四角いサッカー専用競技場も美しいけど、個人的には曲線美の楽しめる兼用競技場が好きだ。
出口に向かうと、警備員のおじさんが、早く出ろと言わんばかりの仕草。12時から昼食時間らしい。あとしばらく遅かったら、見学できない所だった。あぶねえ。
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大温泉
釜山も少しづつ形になってきた
博多港到着!
| ◆8月24日(日)②シアワセモノハユク
バスで来た道を戻り、温泉場駅前の食堂で、デジクッパプを昼食にした。これで、韓国料理ともしばらくはサヨナラだろう。
さてこの温泉場駅、その名の通りトンネ温泉の玄関口。しかし温泉場の風情など微塵も感じない、単なる幹線道路沿いの地下鉄駅だ。
そのトンネ温泉を代表するといわれる温泉が、虚心庁なる温泉センターだ。8,000ウォンは高値だけど、韓国最後の思い出にと入ってみた。
なんでも東洋最大と評される事もある温泉、脱衣所の広さから半端ではない。浴室も太陽光を取り入れた巨大なもので、各種サウナや寝湯、ジャグジー、露天風呂まで揃った、温泉博覧会みたいな施設である。日本人的にも楽しく、1時間ばかりいろんな浴槽を渡り歩いた。
面白いのは、浴場に子供用プールが備えられていることで、子供たちはゴーグル・浮き輪持参で遊びに来ている。大人は温泉でゆっくり、子供は裸で水遊びというレジャーの形が成立しているようだ。普通のお風呂でまで騒がれるのは、ちょっと騒がしかったけど、韓国の人たちは子供に寛容だ。
もうタイムアップである。地下鉄に乗り、釜山駅前で荷物を出して、中央洞駅から釜山港国際ターミナルへと向かった。旅行でも留学でも、この港はいつも僕にとっての出発点であり、帰り道でもある。船の乗船手続きの時間はすでに始まっており、最後の時は慌しく過ぎていく。使い残したウォンを、円に換える時間もなかった。
出国手続き、今日で留学ビザも終わりなので、1年間、僕を証明してくれた外国人登録証も、ここで回収される。だんだん、日本人に戻ってゆく。
携帯も、ここまでしか通じない。1年間、ぼろぼろになるまでよく働いてくれた携帯最後の通話は、この留学期間一番お世話になった?銖兄へかけた。1ヶ月経てば会えるとはいえ、いろいろと話しておきたいことが多く、電話を切った時には「残り2,000ウォン」の通知が出ていた。使い切った。
帰路に利用するのは、正月にも利用した未来高速だ。同区間のビートルをはじめ、いろんな航路を試したい気持ちはあったのだが、それでも未来高速にしたのは、ひとえにインターネットによる予約が簡単だから。この点から、今後利用する時もひいきにすることになりそうだ。
夏休み中の日曜にも関らず、空席の目立つ船内に、少しこの航路の行く末を案じる。
僕の席は、一人用の窓際。釜山の街並みが、よく見える。
なんとなく、いつもの旅行のようなノリで、忠州からここまで来てしまったけど、徐々に離れていく釜山の街並みを見つめていると、…走馬灯のようにとは、こういうことを言うのか…この1年の思い出が、本当に次々思い浮かんできた。
長かった入院も思い出すけど、見たもの、おいしかった食べ物、そして一番浮かんでくるのは、出会った大切な友達の顔…
なんて俺って、幸せなんだろう!
日本が近付いてきた。友も待ってる。卒研も待ってる。終わりの今日は、スタートの日。
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