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小湊鉄道キハ200と最後のあいさつを交わす。
(五井駅にて 2011年撮影)
ださいたまの京浜東北線のおさがりの房総の次期主力車の209系と肩を並べる113系さよならヘッドマーク編成。
ついに置き換わる時が来たか・・・・・
(千葉駅にて 2011年撮影)
西日が射す外房線を行くさよならヘッドマーク編成。
113系の終焉を暗示するようなカットとなった。
(鎌取-誉田 間にて 2011年撮影)
113系最後の勇姿、沿線では鉄道マニアが見送る。
(物井-佐倉 間にて 2011年撮影)
うだるような夏の朝、さよならヘッドマークが浮かび上がる。
(蘇我-浜野 間にて 2011年撮影)
番外編の京葉線201系国鉄色さよならヘッドマーク車
(検見川浜駅にて 2011年撮影)
荒々しい山肌を見せる鋸山(のこぎりやま)の懐を行く。
(保田-浜金谷 間にて 2011年撮影)
忘れもしない2010年9月27日、千葉でお召し列車が走った日のことである。
私がカメラを構えた踏切に、品のいいおばさんが一人、髭を生やし眼鏡をかけた大正時代から昭和初期の雰囲気の男の人が一人、そして一瞬ドキリとするくらい美人の市松人形のような一見して普通の人は血統が違うんだなと分かる若い女の人が一人来ており、話をした。
今日は皇后様を見に来たのだと言うと、天皇陛下と皇后様は事前に警察からどこどこに見物人がいると連絡を受けており、見物人がいるところでは列車の窓際に立って国民に手を振らなければならないのだと言う。
この後、おばさんに君津駅まで車で送ってもらうことになり、君津駅に着いたら帰りに乗る電車が国鉄湘南色のS61/S62編成だった。
あの3人は一体誰だったのだろうか・・・
(君津駅にて 2010年撮影)
浦賀水道と富士山。
写真の車両は東海道からのお下がりの113系を幕張車両センターがシャレで湘南色へ塗り替えたものである(既に廃車済み)。
富津の海岸線の向こうに水墨画のような浦賀水道、三浦半島の横須賀市街、横浜市街、富士山が見えているが、かなり条件が揃わないとこのように写らない。
自然条件と113系湘南色の運用が合わなければ撮れない非常に難易度が高い1コマといえる。
(上総湊-佐貫町 間にて 2010年撮影)
生命力沸きかえる春の田園を、一陣の風が吹き抜ける。
(佐倉-物井 間にて 2008年撮影)
物井のカーブでするどい朝日が113系の勇姿を照らし出す。
銀塩ポジフィルム時代の1コマ。
(佐倉-物井 間にて 2005年撮影)
夏の成東の里山を行く113系8両編成
(日向-成東 間にて 2007年撮影)
113系房総車が物井の田園を行く
銀塩ポジフィルム時代の1コマ。
(物井-佐倉 間にて 2005年撮影)
113系『荷物電車』。房総半島はデカい割には道路網が貧弱で、富津以南へ大型トラックで資材を運ぶのは簡単ではない、というかトラックがトンネルに挟まって抜けなくなったりする恐れがあるため不可能。
そこで内房線の列車の最後尾の半分を布で仕切り、ここへJRの資材を乗せる「荷物電車」を運が良ければ見ることができるだろう。
写真は113系荷物電車の貴重な写真(銀塩ポジフィルム)。
他にも新聞を乗せる「新聞電車」というのもあり、新主力の209系も新聞を乗せ活躍中。
(千葉駅にて 2005年撮影)
◇房総の183系、ついに終焉のとき(2011年8月)
6月に京葉線の201系が引退して大騒ぎになったばかりだが、今度は房総の顔ともいえる113系国鉄色が終焉の時を迎えることになった。
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