このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ちばっく帝國の近況
安房神社のすぐそこには房総フラワーラインが通っている。まだ1月8日のお正月明けの真冬ではあるが、房総フラワーラインでは菜の花の開花が始まっていた。

文字通りださいたまと違って我らがちばっく帝国に冬はないのである。

私の出身地の仙台が雪と氷で閉ざされている時期だけに驚愕すべき光景だ。
続いて安房神社 下の宮に参拝。
ここに祀られる天富命は千葉を開拓した開拓神である。

戦前は官幣大社だったため、神紋は菊の御紋、拝殿内には錦の御旗が鎮座している。

明治神宮とか靖国神社よりご利益ありそう。何せ紀元前660年から存在していたとされる神社なので。

拝殿の置くに見える「当国一の宮」の額。

千葉では安房神社以上に古い神社は存在しない。

日本国内でも最古クラスである。

二の鳥居



実はこの奥に神鏡が鎮座しているが、さすがにマナー違反であるため、神鏡が見えないようにして撮影。

安房神社 上の宮。

境内は鬱蒼とした常緑広葉樹の森に覆われ、真冬でも緑がある。神田明神みたいにプールみたいなお賽銭箱があって初詣客が数十万人押し寄せてくるのも神社の形の一つだろうが、本来、神社というのはこういう風に静寂さがあって参拝客に入ってはいけない領域に来てしまったと思わせるような厳粛さが無ければならない。

こうした神社が本来あるべき雰囲気を味わえただけでも千葉市からバイクで100kmぶっ飛ばしてきたかいがあったというものだ。

早速千葉で最も崇高な神々に新年のご挨拶をすることにする。

というわけで、安房神社に到着。

何とこの神社、紀元前660年(皇紀元年)、日本神話に出てくる初代天皇であらせられる神武天皇が即位した年に神武天皇の命を受けた天富命が創建した神社で、多分日本の神社で一番古い部類に属する。おそらく古墳時代ぐらいから磐座(いわくら、神が降臨する巨石のこと)か何かがあったのではないだろうか。奈良時代には確実に存在していたとんでもなさだ。

境内には日露戦争戦勝記念碑があったり、写真の一の鳥居横の安房神社の社号標(石碑)が東郷平八郎元帥の揮毫だったりとネトウヨが(*´Д`)ハァハァしそうな要素満載だ。

しかしそこはちばっく帝国、鋸山を過ぎるとムワ〜〜〜〜っと暖かくなってきた。


「鋸山を越すと衣が一枚要らなくなる」とはよく言ったものである。


富津以南というのはこのようにヤシの木がデフォルトで生えてるしな。


後ろのひょろ長いワシントンヤシは東京などでも生き延びられるが、手前のぶっ太いカナリーヤシは鹿児島・宮崎・瀬戸内海レベルでないと無理。


それだけここは温暖なのだ。
2013年1月8日朝、国道127号を南下する一台のバイク。大日本帝国海軍所属を示す旭日旗と青と銀の人目にとまるカラーリングが、オートバイというものは死装束なのだと語っていた。

初詣に向かう俺の嫁号である。気温4℃、厳冬用の装備をしているがそれでも1時間も走るとだんだん冷えてくる。肌を切る風が冷たい。

私はいい年こいて、どうして朝早くからせっかくの休日を潰してまでこんな寒い思いをしているのだろうか。そもそも年末に余計なことをしてフジテレビなんかに突っ込むからフジテレビのジンクス(フジテレビに関わった人は必ず不幸になる)を回避するため厄払いをするハメになったのではないか、ではなぜあの時フジテレビに突っ込むなどと言ってしまったのだろうか。

私はヘルメットの中でぶつぶつと自問自答するのだが答える者はなかった。

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