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鹿島神宮行き最終列車のあやめ3号 2005年12月9日 千葉にて
千葉駅に停車中の銚子行き最終列車、しおさい13号(千葉20:18発)。この日、千葉駅には183系しおさいの最後の姿をカメラに収めようと多数の鉄ヲタが押しかけ、通勤客も加わって大混乱に陥った。しおさい13号はホームにあふれた鉄ヲタの人垣とストロボの嵐に圧倒され定刻を過ぎてからも2、3分立ち往生したが、やがて8両編成の列車に一杯のお客を乗せて発車していった。振り返ってみるとこの特急は、決して雷鳥やひばりの様にメジャーな列車ではなかった。急行「犬吠」を格上げして登場した時もスピードは大して変わらず、「実質的な運賃の値上げだ」という批判が出た。普段は乗客もまばらで4両編成もあれば十分まかなえるほどだった。それでも8両編成や6両編成で走っていたのは「本線を走る特急が4両編成じゃ格好悪いから」だった。最後まで旧車の183系だったのもそうしたことが理由だった。そのしおさいが今、一杯の乗客を乗せている。空気を輸送しているとまで揶揄されたこの特急がその生涯で最も輝いた瞬間だったかもしれない。
S田さんからしおさい13号の車内を撮った写真も頂きました。いや〜やっぱり持つべきモノは趣味を同じくする仲間ですな。んで例のサボはというと、何と東京駅で乗り込んだ鉄ヲタが発車前から車内販売のオバハンを取り囲み、押し合いへし合い怒鳴り声を上げながらの争奪戦を繰り広げ、錦糸町駅に到着する前に全て売り切れたそうです。
銚子行き最終「しおさい13号」の車内
何とあの「しおさい」が満席に!!(知り合いのS田さん提供)
ワタシが疲れ切った体を押して夜の千葉駅へ出向き、寒さでガタガタ震えていた頃、知り合いのS田さんは何としおさい13号に乗ろうと東京駅で切符を買ってスタンバイしていた!!
銚子行きの最終列車となるしおさい13号、鹿島神宮行きの最終列車となるあやめ3号にはこの日の為の特製のサボが取り付けられた。なおこのサボは枚数限定でこれらの列車の車内でも販売された。(知り合いのS田さん提供)
何とワタシは183系しおさい・あやめが走る最終日の2005年12月9日に有給を取って物井-佐倉に繰り出しました。やはり鉄ヲタが沢山来てましたね。20人近く集まっていたでしょうか。みんなで最後の183系しおさいを見送りました。
183系しおさいの最後の姿をカメラに収める鉄ヲタの面々 2005年12月9日、物井-佐倉にて
183系の引退を伝える禍々しいポスター (知り合いのSさん提供)
183系の引退を伝える新聞記事 某朝○新聞 2005年11月25日(知り合いのSさん提供)
いや〜実はね、2004年にE257系500番台が内房線・外房線でデビューしたときから2005年中に「しおさい」の183系もE257系で置き換えるって不吉な噂があったんですよ。でも某鉄道雑誌に房総の183系はしばらくは安泰なんて書いてあったんで最初は全く本気にしてなかったんですよ。ところが2005年の4月あたりにどうもJRの千葉支社が本気で183系の置き換えを考えているらしいとの噂が広まったんですな。そこで毎週のように写真撮ったりしおさいに飛び乗って銚子に行ったりしていた10月のある日、千葉駅にこんなモノが・・・(左の写真)
遂にこの日が
キタ━━━━━━(;´Д`)━━━━━━ !!!!!
と思いますた。
もうこれが貼り出されてからが大変でした。平日休日を問わず栃木やら金沢やら横浜やら全国から鉄ヲタが押しかけて物井-佐倉とかの定番撮影地で人垣と望遠レンズの砲列を作って朝から晩まで「カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャ!!(注:某NikonD2の秒間5コマの連写音)」とかやってるわけですな。お陰でワタシは入るスキも無かったです。
最後の活躍を見せる183系「しおさい」
物井の急カーブを行く「しおさい1号」(銚子行き)。秋分の澄みきった朝日を受けてまばゆいほどの輝きを見せた。183系特急の
終焉を象徴するような場面となった。
2005年9月23日 総武本線 物井-佐倉 間にて
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