このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


ちばっく帝國の近況

最後に南口から駅舎を撮影して撤収することにする。

帰途は都内の国道14号を45kmで流して京葉道路経由でおよそ1時間20分程度の道のり。

足立ナンバー(ゲソナン)の車の運転が非常に荒く、比較的怖い。

日没するとこのようになる。

東京駅が最も美しくなる光景といえよう。
ライトアップは毎晩午後9時までだ。

35mm判換算28mm以下の広角レンズが必要だが、最近は1万円程度のコンデジでもズームの広角側が24mmなのでまず問題ないだろう。

続いて東京駅向かいの新丸の内ビルへ移動。

日興証券の本社などが入居する38階建て、198mのこのビルは地下4階から7階までが商業施設になっており、一般人も入ることができる。

特に7階にはオープンテラスがあって一般人も無料で利用でき、ここから東京駅の全景を写真に収めることができる。

今後、東京駅の有名撮影スポットになることは必至だ。

ではお目当てのライトアップを撮るため場所取り開始。

今回の復元工事の目玉でもある南北ドーム内の装飾とレリーフ。

これを写真に収めようとドーム内は凄い人だかりだ。

つづいて新潟からやってきた「Maxとき333号」が入線。

新幹線の車内清掃員が一列に並んだことにより画面に緊迫感が出ていい画に仕上がった。

と、いうわけで、早速東京駅に乗り込み、新幹線の撮影を開始。

東京駅を発車するE5系+E3系「はやて・こまち33号」新青森・秋田行き。

これでダメなわけじゃないんだけど、ドラマチックさが今一つ。

かつて私が仙台の厨房の頃、修学旅行の東京見物で観光バスから丸の内の街を見た時、『ここが日本の大企業の中枢、丸の内です。日本のエリート中のエリートがこの街に集まっています。さて将来、皆さんの中でこの街で働いている人はいるでしょうか?』と説明を受けたものである。

この日本一の一等地でお金持ちの高貴なマダムたちが石畳の通りの高級カフェでアフタヌーンティを飲んでくつろいでいるところへ、上の写真のような80年代の田舎の農村の珍走少年たちの単車を合法の範囲内で模した『80年代田舎農村珍走団カスタムな二輪車』で乗り付けてしまう、この点にこそ、2000年代以降の我国における自由競争主義の進展と社会的階層の平準化、価値観の多様化を象徴するという重要な意味が込められているのである。

◇東京駅、甦る(2012年10月4日)

東京駅の『復原』に伴い、5年ぶりに丸の内に乗り込むことになった。

常識人なら電車で行くところだが、あと一歩間違うとヒッピーになってしまう私は単車で丸の内に乗り込んで参りますた。

というのも 天下の三菱地所様が、丸の内にもっと若い人に来てもらいたいと、古河財閥の本拠地でもある仲ノ町通りビル(元三菱電機本社ビル)の地下に格安(採算は絶対取れてないと思う)のバイク駐輪場作った みたいなので、ここに駐めようというわけ。

今回はコレ(右図)で丸の内に乗り込む。
ちなみに東京近辺以外の人に説明しときますが、丸の内というのは東京駅と皇居に挟まれた一帯にある三菱財閥の本拠地で(三菱村と呼ばれている)、それこそ日本有数の大企業の本社や三菱財閥系企業の本社(三菱商事ほか)が集中、銀座をも凌ぐ、日本の一等地の中の一等地です。

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