このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
77,08 大阪 70年代にDD54は致命的な推進軸の欠陥が判明し、稼働するカマは恒久的な改造を施し たごく僅かのDD54だけであった。そして充当される運用も山陰線の華である「出雲」の運用 はすでにDD51に譲り、福知山周辺のローカル仕業のみとなっていた。そのなかで一日一往 復だけ大阪(宮原)まで客レの運用があった。特に大阪発の列車は大阪を17時過ぎに発車す るため陽の長い時期は絶好の被写体となった。いま思えば、DD54も貴重ながら後に続く旧 型客車も大阪駅に堂々と乗り入れていたのだから、驚きに値するのではないだろうか?
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