このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



金杯号と4千キロ・中国西部蒸機開拓の旅
03,09,22 徳令哈−敦煌−嘉峪関


9月22日(月)
 7時起床〜7時30分朝食〜8時出発。前日、センさんが駅まで行ってくれて、この周辺の蒸
機動向を聞いてきてくれた。それによると国鉄線関係に煙に関わる情報はなし、周辺の炭鉱も
専用線を持たず、トラックで国鉄駅まで運んでいるのでこの地区では蒸機は居ないとの情報を
朝食時に伝えてくれる。天気はこの上ない良さだけに残念だが、今日は800キロを越える嘉
峪関までの移動に専念する事とする。比較的良い道を最初は西へ、300キロぐらい行った場
所から北上となる。昨日は高山病で悩まされた4人だが、一晩寝て慣れた為に、昨日の様な
激しい頭痛は潜めるが、何か体がイマイチだ!
 中国旅行も回を重ね、多少のこことでは感動しなくなったが、今回はとにかく桁違いの広大な
景色に驚くばかりだ。ただ、ただ一直線の道を走り、「向こう
は何キロ先かねぇ!」と総書記閣下と話していると何時の間
にか寝てしまった。そしてハッと起きるとまだ、そこには着い
ていない。なんと一直線に延びて一望できる景色は50キロ
以上。ヘタをすれば100キロ先まで確認でき、全く恐れ入
る!しばらくして万年雪を頂いた山々が見えてくる。我々が
初めてとは思わないが、この景色を見た日本人は何人いた
のだろうか?何か得した気分だ!               
 さて、本日のメインイベントの当金山越えとなる。ここの標
高はなんと4,200メートル。我々は既に旅行と言う域を脱
して冒険をしているようだ。さすがに峠道は舗装されず、ダ
ートが続く。けして口ずさまないが、頭の中では石坂浩二の
ナレーションでシルクロードのテーマが流れる。空はブルー
と言う表現では出来ない濃い空になっていた。黒い空と文字
にしたら恐ろしいが、それがピッタリする空の色だった。
当金峠を越えた金杯号。空はどんな空より濃く、澄み切っていた。トラックは前のトラックとロープで結ばれ協調重連
運転で峠を登る姿も見受けられた。(下のチベット族の親子と共に携帯505iにて撮影)

峠越えをして、阿克塞と言う街で昼食。この街は中国にしては異様で、誰も人が歩いていな
い。まるで北朝鮮の街の様だ。一軒の食堂を見つける。何でもウイグルの人が経営しているら
しく、同地方の食べ物を提供してくれるらしい。出てきたのは、要はチャーハンとうどんだった
が、やはり味付けが今まで食べた事のない味みたいだった。                    
 昼食後はまたまた移動。来る時は予想もしなかった敦煌の街を通り過
ぎて(今回の旅行ではいちばん有名な街だった)今度は、一路東へ!そ
の頃、センさんがしきりに眠いと言い出した。「それなら俺たちを線路際
に降ろしてくれれば、2時間ぐらい昼寝できるヨ!」というと、センさんが
「敦煌に駅は無い」と言う「うそぉ!だって蘭新線に敦煌って駅があるは
ず」と言いながら、地図を見ると、また、またビックリ!敦煌の市街と駅と
は70キロ以上離れている。そして空港は市街に接近していて、もし知ら
ないで敦煌の駅から飛行機に乗ろうとしたら優に90分はかかる勘定に
なる。まったく中国というところは…と改めて感心してしまった。
 
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