武威という街に入って金杯号はセンさんの休憩も兼ねてピットインをすることに。エンジンオイ
ルとエレメントの交換は日本と同じだが、何と5,000キロ毎にエアーエレメントも交換するとい
う。驚いているとセンさんが「みんなが走らす場所は自動車にとっては過酷なの!」と言う。あ
あ、言われて納得。"日本では到底考えられない使用状況だものね!
武威の市街を出て金杯号は干武線に沿って東に進
む。この区間になると電化されているのでどうやら電化
の西限は武威かもしれない。既に周囲が暗くなり始め
る頃、私が密かに楽しみにしていた場所が目前となっ
ていた。それは十数年前、那須啓氏に初めて連れて来
たもらってきた、中衛の撮影地、紅衛−長流水−猛家
湾だ。
復活シロクニ末期に216,6KPで那須啓氏に必要に
中国行きを口説かれ、落とされ、恐々訪れた中国。そ
して中学生以来見た現役蒸機の魅力。私にとってあの
時、中衛を訪れなかったら、今の自分はなかったと言
える。それだけに何とか目にしたいとの思いから薄暗く
なった外を目を凝らしながら見守る。
第2Ωから第4Ωに通じる通称"追っかけ道路"が今
は国道として完全に開通し、そこを金杯号は100キロ
以上のスピードで走り抜ける。「あった!第2Ωだ!こ
こは俺にとって中国蒸機のメッカだ」と叫ぶ。生まれて
初めて撮った蒸機三重連を撮った第2Ωを望む丘も今
も健在だった。そして四駆でなければ難儀した猛家湾
付近の道路も完全舗装され、金杯号は蘭州発特快44次のテールライトとの距離をどんどん縮
めながら走っていった。感動のあまり携帯で那須啓氏に電話するものの不在のため、私と一
緒に中衛を訪れたリーベン車両K氏に中衛に来た事を報告する。彼も「えっ!中衛!」と驚く。
しかし、その次の言葉が「山陰・山口お召はダーミァンも行くからよろしく!」との事。せっかく感
動しているのに…一転、心にもやもやが広がる。