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−臨港地域の通勤ローカル線を見る(JR鶴見線)−



TAKA  2005年12月23日




 


鶴見線鶴見駅に停車中の扇町行き205系



 先月から今月に掛けて横浜市鶴見区安善町に所用が立て続けに有り、3回ほど通いました。場所は鶴見線安善の駅から徒歩10分強のところで、鶴見から横浜市バスor鶴見線安善下車が一番近かったので、訪問するのに何回か鶴見線を利用しました。
 鶴見線といえば「海に面した駅」海芝浦等個性的な駅も有り、又元々は民鉄の路線を戦時買収で国鉄が買収して国鉄→JRと言う流れを辿った関東の青梅・五日市・相模・南武・鶴見の各線の中で、孤立的だった路線形態から特殊な雰囲気を残した路線であり、鉄道マニア的には旧型電車のクモハ12系・101系等が運行されていた路線として人気の有る路線です。
 と言う訳で「関東鉄道めぐり」第5弾は初JRとなる鶴見線を取り上げる事にします。


 ●鶴見線の概要
 鶴見線は元々浅野系の鶴見臨港鉄道が、工業地帯として造成された埋立地の旅客・貨物のアクセス鉄道として整備された鉄道です。
 「 鶴見線概要 (wikipedia)」
 そういう訳で前述のように元々は浅野系の民鉄(戦前民営の青梅・南武も浅野系)として運営されていた鉄道が、戦争中の重要路線国有化の動きの中で鉄道部門が国有化されて、「戦争終了後には返還」の予定が実施されず、現在のJR運営になっています。(只現在は京急系の川崎鶴見臨港バスは元は川崎鶴見臨港鉄道のバス部門。鶴見臨港鉄道は戦時買収等を経て最終的にJRと京急に分割された形になった。しかし会社自体は戦争終了時返還後の受け皿の為に解散しなかった。鶴見臨海鉄道は浅野系のマリコン東亜建設工業の関連会社として現存する。)
 主な運行形態は鶴見から本線の扇町・支線の海芝浦・大川への3系統が走っていて、朝夕ラッシュ時は3両編成ですがかなりの本数が走っていますが、昼間になると1時間当たりに扇町*2・海芝浦*1と言う関東の奥地ローカル線程度の運行本数です。
 又浅野より北側では貨物運送が行われており、特に安善の石油ターミナルからは石油貨物(ジェット燃料等)がかなりの本数で運行されています。

 ①安善駅構内と貨物入換風景
 


 ●鶴見線試乗記
 本来なら朝ラッシュ時の鶴見線を見るのが一番良いのでしょうが、なかなかラッシュ時に行く事が出来ず、平日の昼間の訪問になってしまいました。
 鶴見線鶴見駅は高架になっており、京浜東北線コンコース間とは連絡改札口が有ります。現在は鶴見以外は無人駅(Suicaの簡易改札と券売機は有る)ですが、鶴見発着の乗客が殆どであるので、鶴見に関所を作れば十分管理できるのでしょう。駅の無人化と料金収受を並立させる、有る意味効率的なやり方です。
 現在の鶴見線車両は205系先頭車改造仕様3両編成で昼間だと写真③の様に座席が埋まる利用客です。
 
 ②鶴見線鶴見駅と205系           ③列車車内(11/16 13:00頃)
   
 

 高架で廃止された本山駅跡・大きな東海道線跨線橋・第1京浜を越えると国道駅、地上の駅舎や高架ホームの形態に昭和の時代が多く残ってます。国道・鶴見小野駅の周りは街中の工場とマンション主体の混合地域ですが、産業道路・首都高横羽線を越えると沿線に大工場が広がります。この地域はユニバーサル造船京浜事業所・東芝・JFE京浜製鉄所・昭和シェル・エクソンモービル等大型の工場が集中してます。
 
 ④本山駅跡と東海道線跨線橋        ⑤国道駅
   
 

 車庫もあり運行の拠点である弁天橋で3分の1位の乗客が降ります。駅の目の前がユニバーサル造船の正門なので、ユニバーサル造船への用務客が多いのかもしれません。
 その後浅野・安善でも3分の1程度の乗客が降りていきます。降車客は浅野の方が多く、JFEエンジニアリングへの用務客ではないでしょうか?これだけの利用客が有れば浅野まで20分毎運転と言うのは当然です。
 
 ⑥浅野駅と海芝浦支線分岐ポイント
 


 安善ではDE10型がタンク車の入換をしています。安善は元々「石油」と言う駅名が有った位で、戦前から石油のの油槽所が多く今も米軍・エクソンモービル・昭和シェルの油槽所があります。実際駅から海岸側の道は少し石油の匂いがして、「禁煙」と掲示が有るほどの所なので、新日石の製油所が有る根岸ほどでは有りませんがそれなりに活気の有る石油輸送ターミナルであり、JR貨物にとっても重要な地点でしょう。(なんせ潰れかかった感じでも日通の営業所がJR貨物とワンセットであるのですから・・・)
 この先武蔵白石・浜川崎と続きますがこの近辺も富士電機・JFE等の大型工場が有りますが、此処だと川崎からバスの方が近くなり利用客は減ります。又浜川崎では尻手〜浜川崎間の南武線支線と連絡していますが、南武線支線の方も2両編成のワンマン運転でそんなに利用されていません。又連絡先が尻手と言う中途半端なポイントで、しかも道路を挟んでの乗換と言う環境も有るので、乗換客は極めて少ないと言えます。
 只浜川崎で東海道貨物線と接続しており、貨物列車の運行的には鶴見線安善からの貨物列車を南武支線経由で東海道貨物線に送り出すキーポイント地点になっています。(鶴見臨港鉄道時代からのジャンクション・昔鶴見臨港鉄道が浜川崎〜川崎間(現在廃止)の払い下げを求めた事も有る)
 鶴見線はその先も昭和・扇町へと進んでいきますが、昼間では浜川崎から先まで利用する人たちは数名/両程度の利用客しか居ません。扇町は単線行き止まりの駅で工場以外特に見るものが有るわけではないので、一度降りすぐ乗り折り返しの列車で目的地の安善へ戻りました。


 ●閉塞感の漂う鶴見線・・・。しかし閉塞感は通勤特化のローカル線の宿命?
 この様に鶴見線は「工場地帯の通勤路線」と言う役割で既に固定化しています。この状況は廻りの環境が変わらない限り打破できませんが、少なくとも弁天橋以北の海側は工場が撤退した後の空き地も新しい工場や物流倉庫になる状況で、今の工場地帯を変える様な施設が根付く状況に有りません。
 近年東海道貨物線旅客化と臨海地域開発と言う事を言われますが、少なくとも鶴見線沿線地域では大きく工場が撤退する可能性が有るところは少ないといえます。(一番危ないのは京浜工業地帯に同じサイズの小さい造船所を2つ持つユニバーサル造船京浜事業所?)この状況では開発は困難です。
 近年京浜工業地帯では「空洞化」「工場撤退」と言われていましたが、大きな撤退はいすゞ川崎工場以来そんなに無く、今後も幾つかの撤退危険候補があっても、根幹のJFE京浜製鉄所・東燃ゼネラル川崎製油所・安善地域の油槽所と言う工業施設に変化は乏しいと考えられます。又撤退した中小工場の跡には結構物流センター等が造られており、工業地帯と言う根幹に変化は有りません。
 この様な状況が鶴見線に閉塞感をもたらしています。京浜地域の活性化策と言われた東海道貨物線旅客化や川崎アプローチ線建設等の建設は、上記の理由により殆ど意味を成しません。(新線を作ったり旅客線化しても、今市況が好調の石油・鉄鋼関連会社が簡単に退いて再開発が始まるとはとは思えない)しかもこれらの鉄道プロジェクトの構想も鶴見線にとっては末端の浜川崎地域での変化しか期待できず、鶴見線の根幹の部分には全く変化をもたらす事が出来ません。それが閉塞感を助長しています。
 しかし閉塞感が漂ってもこの状況が鶴見線にとりベターなのかも知れません。戦後好不況の影響等を受けて利用客の増減は有ったのでしょうが、基本的には今と変わらない輸送をずっと続けてきたと言えます。それを今更変えなくても鶴見線は周辺に大工場が有る限り、通勤ローカル線に特化して十二分に生きていけるので、逆に変化は不要と言う事なのかも知れません・・・。
 多分近年有るであろう変化は、ワンマン化が行われるかも?と言うだけでしょう。(ワンマン化しても十分運行できる)車両も入替えたばかりで、メンテナンス以外の投資は不要の路線なので、このまま変化に乏しく淡々と運営されていくのだと思います。
 しかし国道・鶴見小野周辺は町工場跡地にマンション建設も進んでおり、弁天橋・浅野・安善等も線路の北側は住宅と工場の混在地域です。(産業道路を越えると住宅色が濃くなる)その様な状況からも、鶴見区内臨海部の地域輸送手段としても、LRTの様になれとは言いませんが、昼間でも乗りやすい本数は確保して欲しい物です。
 正しく地域の足として、ラッシュ輸送と昼間の地域の下駄履き需要を上手く取り込めるようにしていくのが、鶴見線に取り必要なことではないかと考えます。





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