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公共交通の運行維持への苦労について考える



TAKA  2006年01月21日





 今日は東京でもこの冬初の「積もるほどの雪」が降っています。今も降り続いている状況から見れば、今晩東京の道路にはかなりの雪が積もるかもしれません。
 東京の場合「雪」が降ると交通機関の運行が乱れます。「雪だから公共交通機関を使おう」と言う人が増えますし、当然安全上の理由で減速運転等をしなければなりません。その為雪が年に数回しか降らない東京では「雪が降る=公共交通機関が乱れる」と言うのは致し方ない状況になっています。
 それでも、都民の足を守ろうと、公共交通機関を公共交通機関従事者だけでなくその関係者を含めて、安全な公共交通維持に努力しているのが現実です。今日はそのことについて考えて見たいと思います。


 ●現場の苦労はどれだけの物か?

  
 (バス折り返し場を雪掻きしている関係者)

 公共交通機関とて運行が天候に左右される事は当然です。それは避けられる物では有りません
 しかし鉄道・バスは飛行機のように「離陸・着陸以外は雲の上」と言う環境とも違います。地べたに這い蹲り運行している分、天候に影響される度合いは飛行機より大きいと言えます。あわせて悪天候下で運行維持の為に必要な労力・機材は鉄道・バスの場合馬鹿に出来ない物が有ります。
 その為良く「台風が来る」「雪が降る」と言う事になると警戒態勢がひかれて、公共交通運営者だけでなくその関係者(工事関係者や出入り業者)まで動員する体制が行われる事が有ります。
 私も仕事上「公共交通運営者の関係者」で居た事が有りますので、幸い作業はした事は有りませんが、昔は動員されて待機した事は有ります。それに動員されなくてもかなり近い所で関わる人たちは「動員令」が下らなくても、自主的に自分の周りで可能な範囲の警戒等を行うものです。
 (今日私は自分の現場に居るが、隣接の施主の会社のバス折返し所を雪かき済み。交代で実施なので休憩時間に書いている)
 確かに我々には関係が無いといえるが、周囲で間接的に関係していれば、「利用しているお客さんが安全に利用して欲しい」と思い、可能な限りの努力をするのが普通の人の人情です。だから間接的関係者でもその様に除雪等を自主的にするのです。
 ましてや運行に直接携わる人たちの努力・気遣いは如何程の物があろうか?当然彼らはプロであり、安全円滑な運行を使命としている。だからその努力は我々以上で有る事は明らかです。
 それらの人々の努力の上に公共交通機関の安全・円滑な運行が支えられていることを忘れるべきでは有りません。


 ●我々はその事を理解しているのか?

 翻って見て我々鉄道ファンはその様な関係者の方々の「縁の下の力持ち」的な努力を、認めて理解してあげているのでしょうか?
 私は間接的に公共交通機関運営者に関係していると同時に、一鉄道ファンでもあります。関係者の立場で見れば、上記の様な努力をしているのは理解できますが、「(それ以外の公共交通機関を趣味の対象にしている人々を含めて)鉄道ファン」がその様な影の努力を分かっているのか?と思うと大きな疑問を抱きます。
 私は「ファンにボランティアで公共交通維持に努力せよ」とまでは言いません。公共交通機関とて営利事業ですから、そのためにも努力するのは当然です。只温かく見守り間接的にでも支援する姿勢は欲しいと思います。
 けれども実際は一部の「オタク的鉄道ファン」にはその様な気持ちが無く、逆に運行の妨げになる様な行為を平然と行う例も散見されます。その様な事が許されるのでしょうか?

  
  (ホーム際で写真を取る鉄道ファン(少なくとも発車前でも「黄色い線」を超えての撮影は運行妨害に近い))

 上記の写真は私が185系廃車前に写真を取りに行った時の写真ですが、右の人たちは黄色い線を超え「ホームから落ちるぞ!」と思うほど、ホーム端ギリギリで写真を取っています。幾ら発車定時前でも「転落したら発車前でも鉄道運行に支障になる」と言う常識が分かる人には、出来ない事です。撮影するなら黄色い線の内側で撮影したい物です。(私の取っているアングルは一歩引いているが、これ位でも良いのでは?)安全運行に支障の無い範囲で撮影するのが「鉄道ファンの良心」ではないのでしょうか?
 過去にはみなとみらい線開業時に横浜駅で混んでいる中でなかなか乗れない中で、勝手に「山手線の混雑に比べればたいした事無い」と言ってカメラを首に提げ強引に尻押ししている鉄道ファンに有った事あります。この時には私も流石に「何の職務権限が有ってやっているんだ!人が痛いと言って居る所を強引に押しているのだから、怪我したら傷害罪だぞ!」と怒鳴り追い返しました。鉄道会社の社員は「職務」として乗りたい人の補助をしているのであり、鉄道ファンが苦痛を訴える人に対し強引に尻押しする事は、認められる話で有りません。
 これらの例は「ごく一部の極端な例」と言う事が出来るかもしれません。しかし私を含めて「ファン」は「公共交通の円滑な運行の上にファン活動が成り立つ」と言う事を忘れていないでしょうか?
 我々がファン活動をできるのは「円滑な公共交通運営」が行われてこそ、ファン活動を楽しむ事が出来るのです。我々はその原点に今一度立ち返る事が必要なのではないでしょうか?

 世間一般は上記の様な心無い危険な事をする人間が居る為に、「鉄道ファンは好ましくない」と思う可能性も有りますし、公共交通機関運営者がその様に思う可能性も十二分に有ります。そうなった場合大多数の善良なファンたちも影響を受ける事になります。
 繰り返しになりますが、私は決して「ファンなのだからボランティアで運行に協力せよ」などとは言いません。只普通の人々ですら抱いている「公共交通機関は多くの人々の努力で運営されている」と言う事に対する感謝を、より多く知っているファンなのだから考える必要が有るのではないか?と思います。
 人間は感謝の気持ちが無くなれば、粗雑になり悪い事もします。今回私が挙げた例の人々も感謝の気持ちが足りないのでしょう。鉄道ファンが社会の中で生きていくためにも、その事を肝に銘じる必要が有るのではないかと考えます。





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