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2002年2月17日(二代掲示板開始)〜2月28日の記事です。
誰も書いていないようなので唐突ですが書いておきます。
67系統・東生駒駅−京阪私市の路線が2月1日より休止されました。ぜんぜん乗ってなかったのは間違いないですが、まさか2月1日という規制緩和の日に休止とは実にタイミングがいいと感じます。なお、生駒地区でダイヤ改正があったのはこの休止だけです。京阪バスは残っています。
あとどこか2月1日に改正があったところはあるのでしょうか。気になります。
奈良新聞のHPによりますと奈良交通が落札したようです。
http://www.nara-shimbun.com/n_all/all0974.html
経営環境が厳しい中で落札した以上は単なる車庫利用とは考えにくいです。
奈交ファンの皆さんならどういうプランを立てられますか?
>天理北山峡経由新宮駅行 様
はじめまして。
・・・ありましたね、60系統の奈良大佛前〜王寺駅、
61系統奈良大佛前〜法隆寺前や
当時62系統だった近鉄奈良駅〜<郡山経由>〜法隆寺前も
そうでした。
あと、まだ印刷用の活字を使わず手書きのような文字で
書かれていたものもほとんどが青地に黄色い文字だったように
記憶しています。
お久しぶりです。コンピュータが調子悪くて、お休みしていました。
ところで、方向幕のことですが、30年ぐらい前は青地に黄色の文字で表示されていた物がありました。記憶にあるのは1系統の八木駅〜岡寺ぐらいですが。
あと、十津川特急バスのホームページを作りました。素人が作ったので激重ですが許してやって下さい。
こんばんは、局バスです。
先ほど平城営業所の前を通ったところ893号車が幕を抜かれていました。その代わり奈良の248号車が平城に転属して平城運用の場所にとまっています。
実は、昨日最後の893号車しかも青山着けば入庫になるダイヤに乗れました。まさか最後とは思ってもおりませんでしたが、エンジン音は収録してますのでまたアップいたします。
なお他のバスの廃車状況では、861・763が2月はじめ、905号車が先週ぐらい(幕があるので休車の可能性も)です。なお奈良の863号車は、2月に車検を通り固定ダイヤで走っています。また最近料金箱あたりの前に黒いボックスみたいなのがありますね。これはオムニバスタウンによる感知装置で現在準備中です。モノコックにこの装置があれば、廃車は当分大丈夫だそうです。この装置が使用されるようになるとバスから感知された信号が青になり優先走行が出来るそうです。つまり自分の運転する車の前にバスを優先走行させると自分も通れるというわけです。
こんばんは。
奈良営業所に中型長尺HRノンステが導入されました。奈良200か・205号車が恋の窪線に、同・207号車が市内循環内回りに使われていました。3ドア車の動向が気になるところです。
今後ノンステを導入するのは中型ベースで、ということでしょうか。大型車より室内スペースの効率がいいのは確かみたいですが(デットスペースが少ない)。
DBR370さん
現在は、BYは奈良交通にはないです。すでに廃車しております。あったら絶対乗ってるかな?私も奈良交通自動車教習所のOBですが、送迎バスが白土に入るのは、給油をしに行くからです。他には、教習用大型トラックも行きます。けれど二種用のECM757・847はナンバーがなく路上に出られないため近くの三菱石油さんから軽油を運んでこられて給油をします。
お邪魔致します。
◇局バスさん
乗客輸送の一線は退いたものの今でも残っているんですね!もう17年位前に確かオレンジ色の塗装、白ナンバーで宣伝車として活躍しているのを最後に見ていないのでてっきり廃車されていると思っておりました。現在でも宣伝活動しているのでしょうか?またどこに配置(車庫)されているんでしょうか?
昨日の事で一つ思い出したのですが奈良交通自動車教習所の教習生送迎バスが白土町の車庫に入っていくのをPM20時過ぎに見かけました。現在は教習所内の留置ではないのでしょうか?昔は教習所内、事務所横に停車していたと思うのですが。ちなみに昔、検査で送迎車両が不足していた時にDBR370の初期型(横幕無し)車番が16号車で代走していました。当時、教習生として通っていましたもので一度だけ乗りました。一見、強面のパンチが似合う運転手さんから情報を頂きました。見た目と違い物凄く気配りの効く運転手さんだったと記憶しております。懐かしい〜^^
>DBR370さん
例のBYの正体わかりました。えぼさんの写真を拝見させていただいたところ、奈良交通水色塗装で白ナンバーの奈88さ4606のことだとわかりました。あのバスは、屋根に「お一人でものれる観光バスの旅」という宣伝がのせてありますね。では
こんばんわ、お邪魔いたします。
昨日、仕事の関係で少し奈良に立ち寄りました。久しぶりに奈良交通の車両を見る事ができました。やっぱいいですねぇ^^
・まず名阪国道天理インターを降りた所でRCの837号車が55系統の運用でした。PM3:30くらい?
・PM20:10頃、白土町付近でエルガミオ71号車の回送スライド、PM20:30頃、近鉄郡山駅バスターミナルにて同じく58号車若草台行き。
・その後、藺町線にて日野の208号車84系統JR郡山駅行きスライド。
・最終、LV369号車、日野のRJだったと思うのですが203号車?が白土町車庫に入庫するのを見ました。久しぶりに短時間でしたが本当に久しぶりに車両を見る事ができました。楽しかったです。
◇北大和営業所の御近所さん
>確かに「○○宅前」とか面白そうですが
実際、都祁村の路線に乗車した際『○○宅前、自由乗降指定地です』と放送されていたのを聞いたもんですからてっきりそんな感じなのかなぁと思っていました。
>LEDは最近は認識性も良くなってきたので奈良交通も導入するかも
最近のLEDは本当に良くなってきているようですがまだ昼間などは見難いかな?その内LEDを通り越して携帯電話のカラー液晶みたいな行き先表示が登場したりして・・・。イベントがもし開催されるようで出展するのであれば是非、欲しい一品です。
◇局バスさん
BYについてなんですが観光バスとは違うと思うのですが???えぼさんのHPの画像見て比べてください。ただエンジン音はベベベだったと思います。3連丸テールは縦に3連でしたね。あと74号車、是非見てみたいです。でも葛城方面に中々行く事が無いんで・・・。廃車されるまでには見たいと思います。バス窓についてもありがとうございました。早速、画像拝見し勉強しました。頭に叩き込んでおきまする。
◇赤膚山ゾーンさん
DBRネタありがとうございます。六条赤膚線向けに3台も用意されていたんですね、31もそうだったとは。あと謎の回送がとっても気になります。んでやはりDBR以外も運用に入っていたんですね。MR112Fの運用見れず終い・・・。あやめ池、菅原方面は当時ほとんどMR112Fでの運用であったと思います。たまに32・33での運用も見ました。(派手なバンパーの)あと、学園朝日町線がまだDBRで運行されていた時も六条赤膚線同様気になる路線でした。大型車で溢れるロータリーの中にDBRが混じっている光景、良かったなぁ。北大和に26、28、29、30号車がいましたね。小型(マイクロ)路線で急行幕を掲げてたのはあの路線だけでしたもんね。DBRの(青葉公園止め)の幕も存在してたのかな?それとも中型化されてから新設された系統なんでしょうか?
ところでLRって一度も乗った事無いですがいい感じですね!今後、更に導入されるのかなぁ?現在、住んでいる地域はふそうオンリーのようでLRが走るシーンも見れません。ですので本日、近鉄郡山にてLRかぶりつきしてました^^ 地元にも導入してほしいなぁ。
◇san-sanさん
>この車輌といえば貸切車両のような豪華な室内灯を思い出します。
まさしくそうでありましたね、初期と後期であれだけ内装が違うものかと・・・。
>あと、かなりエンジン音が大きく乗り心地が悪かったと思います。
て言うか唸ってましたね^^;サイドブレーキもちゃっちい感じでした(正式名称分からず)。ですがDBRは今でもお気にです。現在では36号車だけになってしまっているようで寂しい限りです。
今回は車での関西出張でしたので少ない時間でしたが懐かしいシーンを見る事ができ無事帰宅できました。でも、、、また睡眠時間が。取りあえず寝ます、お休みなさい おはようございます。
やまと号王寺行きです。
たまに「やまと号」の続行便などで運用される貸切バスですが、
現在は西大和営業所には所属しているのでしょうか?
以前はよく「やまと号」と並んで西大和営業所に駐車している
のを見かけましたが・・・・・・。
奈良県内の小学校は遠足で奈良交通や近鉄の貸切バスを利用しま
した。近鉄のほうは車体に「あやめ」といった名前が付いていま
したね。
あと奈良県内に西日本JRバスの貸切営業所があるらしいですが、
ご存知の方はいらっしゃいますか?
この場を借りてですが、旧掲示板のほうに私のHNと似たような
名前の方が投稿されていますが、まるっきり別の方です。
お間違えなく・・・・(笑)。ちなみに私は学園前の事情はよく
知りません。
こんばんは。
今日友人から聞いた話によると、平城から奈良に転属したLT148号車が[31]赤膚山行きに使われていたそうです。これまで使っていたCHの置き換えでしょうか。CHは収容力が低く、阪奈道路線で使う場合に立ち客が後部の展望スペースにいるのは半ば日常茶飯事なだけに、改善されたのだとすれば喜ばしいことですね。反面、未だ内外装更新が行われていないCHの今後の行方が気になります。
●san-sanさん
>学園前の自由乗降でかなり前ですが前面のバンパー部分に自由乗降を示す円形プレートを掲げ
ていた車両を目撃したことがあります。
私も見たことがあります。朝はよく裏返し(白い状態)にして走っていました。
>方向幕が[104柳生経由月ヶ瀬梅林(自由乗降マーク入り)]と表示されいました。
昨年この幕の側面幕を見たとき、始発は学園前駅(近鉄奈良駅経由)になっていました。昔は学園前駅から出ていたのでしょうかね。
●続・自由乗降の幕(赤膚山ゾーンさん、北大和営業所の御近所さん)
今日、学園前駅付近で幕をまわしている1139号車を見ましたが、その中に「[23]自由乗降 赤膚山」の幕がありました。未だにあるとは驚きです。ただ、今は運用に入っても使っていないでしょうね。
●829さん
>奈良天理線で活躍していた、奈良22き・・27ですが、
>今日見ると、[135]白土町や[90]シャープ前で運行していました。
これはおそらく先日廃車になったRC861号車の代替ではないでしょうか。平日JR奈良9:00頃に出る山村町行きには861号車が使われていましたが、ある日を境に27号車に変わりましたので。旧郡山営業所ダイヤで動いています。
23日に運行を開始した臨時バスですが、さっそく乗車しました。
当日使用された車両は中型(き・108)でこの辺では珍しく補助席が装備されていました。
おそらくこの車両が限定で使用されるのでしょう。
そして方向幕が[104柳生経由月ヶ瀬梅林(自由乗降マーク入り)]と表示されいました。
◇ちなみに乗り継ぎが必要な便(月ヶ瀬〜柳生)の車内アナウンスは昔の男性アナウンスです。
◇以前、車内に(竹製の一輪挿しの中に)梅の花が飾られていたことを思い出しました。
◆自由乗降プレートについて思い出したのですが、このプレートを掲げていたのは旧年式車で
自由乗降の幕が装備されていない車両が自由乗降に使用時だったと思います。
みなさまこんばんは。829でございます。
奈良天理線で活躍していた、奈良22き・・27ですが、
今日見ると、[135]白土町や[90]シャープ前で運行していました。
あと、き・252が新塗装になりました。
バンパーのシールは青と緑の重ね貼りから、緑1枚に変わりました。
●幕の入れ替え
>登美一停車急行さん、赤膚山ゾーンさん
幕は全部の車両で入れ替えるわけではないですからね。深夜バス運行開始時に幕を装備していたのは一部の車両だったと思います。幕を新しい物に入れ替えるなら簡単でしょうけど、いちいち要らない幕を切って新しい幕を貼るという作業ですからね。最近まで11系統百楽園の幕が残っていましたし(今もあるかな?)。深夜バスの幕を入れた車両は自由乗降がカットされたように思います。
旧式のバスにはよく幕の一覧が貼っていたのですが(7〜8年前の話)、それでは自由乗降の幕はカットされ、深夜バスが入っていました。他に3系統なども残っていました。
薄い水色の幕は知らないですね。そんなのがあったんですね。その頃は私の辺りは学園前ではなく富雄行きのみでした。
色違いで思い出したんですが、鹿ノ台行きで青い幕が10年位(?)前まで残っていましたね。
●自由乗降のプレート
>san-sanさん
そんな物があったのですね。知りませんでした。バンパーに付いたプレートって新宮特急の前にある「ワンマンバス」みたいな物ですよね?
●出垣内→学園前
>登美一停車急行さん
理由は全くわかりません。19系統は昔は溜め池(現在は埋め立てられて家が建っています)のまわりで回転していましたがそれが関係しているのでしょうか?
おはようございます。
昨晩の投稿で、二重投稿してしまったようです。
恐れ入りますが、21:07の投稿を削除していただけませんか。
宜しくお願いします。
下のリンクが変に表示されました。バス窓のほう↓こちらをご覧ください。
●赤膚山ゾーンさん
>中扉が追加された車両はどうだったか忘れましたが…。
私の持っている425号車の写真を見たところ確認は出来ませんでしたが、全シート二人掛け・両サイド網棚・最後部荷物置き場から多分あると思われます。昔のはやたまと仕様が似てそうですね。はやたまは、シートも観光バス並みで今の新宮特急と同じでカップホルダーもついていますね。
●DBR370さん
バス窓というのは、上半分が楕円形の窓で下半分が四角の窓のことをいいます。今奈良交通で残っているバス窓といえば、ボンネットバスになります。ちなみに奈良交通の1866を持っていますが、今公開している濃飛バスのボンネットの写真をお見せいたしますね。
この車輌といえば貸切車両のような豪華な室内灯を思い出します。
あと、かなりエンジン音が大きく乗り心地が悪かったと思います。
学園前の自由乗降でかなり前ですが前面のバンパー部分に自由乗降を示す円形プレートを掲げ
ていた車両を目撃したことがあります。
●北大和営業所の御近所さん
前回の書き込み、コピー&ペーストしたとき敬称を入れ忘れていました。失礼しました。
住宅地の深夜自由乗降ですが、根本的に山間部とは取り扱いが違いますよね。停留所名も
そうですし、下り便しか止まらない所もありますし。
●局バスさん
補助椅子ですが、元北山特急車のいすゞBU04KPあたりにもあった記憶があります。
中扉が追加された車両はどうだったか忘れましたが…。
●登美一停車急行さん
薄い字の方向幕、ありましたね。私も印象に残っています。車番までは憶えていなかったのですが。
現行の車だと、1999年(くらい)以降に新製・転属した車両はフォントが角張っています。
また、生駒ダイヤの388号車だけは丸っぽい字体の幕を使っています。
こんばんは。赤膚山ゾーンです。
●DBR370さん
後期型DBR370は31〜35の5台が奈良第2(→郡山)に配属されていて、31・34・35が
六条赤膚線向け(乗り継ぎ券発行機装備)、32・33は多区間用で主に県立奈良病院線で
運用されていました。同時運用数は、六条赤膚線が2、県立奈良病院線が1ですから、
それぞれ1台ずつ予備車があることになりますが、どういうわけか、午前の運用と
午後の運用で別の車がやってくることもよくありました。
# 昼の六条赤膚線の運休時間帯に謎の回送が毎日走ったり、妙な運用でした。
私が奈良に引っ越した頃には、あやめ池・菅原方面にはMR-112Dが充当されることがほとんど
でしたから、以前はどんな車が来ていたのかは知りません。
なお、六条赤膚線にはほとんどが前述の3台しか入りませんでしたが、時々乗り継ぎ券発行機の
ない車が入ることもありました。優先度としては、
(K-DBR370 31・34・35)>(K-DBR370 32・33)>(MR-112F 75)>(MR-112D 94)>(MR-112D 1045など)
といったところです。
1999年頃にこれらDBRの置き換えが行われることになり、34が廃車となって 32・33 がよく来るようになり、
一時的に RH 462・463号車に置き換え(462には乗り継ぎ券発行機も移設)となりましたが、
現在はいすゞLRで運行されています。県立奈良病院線や菅原方面の路線も同様で、共通運用化されて
いるように見えます。
長くなりましたので、いったんこのへんで。
こんばんは。
●鹿男さん、ばんびさん
遅くなりましたが、二条大路郡山線のレス、ありがとうございます。そごうへの足としてだけでなく、物流センターへのアクセスも兼ねていたとは知りませんでした。国道横田ではなく横田町西口折り返しの理由もわかりました。それにしても1日6往復とは、当時のそごう関係のバスでもかなり本数が少ないほうですね。
>そごうから三笠中学校・JR奈良駅・近鉄奈良駅を経由して県庁前へ行く系統などがありまし
>た。(ばんびさん)
そのような路線があったとは知りませんでした。しかし、そのような遠回りのルートで近鉄奈良まで行く人はいたのでしょうか。JR奈良駅止めでもいいような気が…。
●自由乗降の幕(赤膚山ゾーンさん、北大和営業所の御近所さん)
>思い出して来たんですけど、自由乗降表示がなくなる頃って、
>深夜バスの設定が開始になって方向幕が追加になった頃ではなかったでしょうか?
>深夜バスの運行開始は確か平成2年の10月でしたよね。あの頃に幕がかなり入れ替えられた気>がします。
たしか平成2年式の188号車まで駅行きも系統番号ありの旧タイプの方向幕が採用されていて、自由乗降マークもありました。平成4年式の250号車より駅行きが系統番号なしの新タイプの方向幕が採用され、自由乗降マークもそのときから採用されなくなりました。
ただ、旧タイプの幕からすぐ自由乗降マーク入りの幕が消えたわけではなく、平成7年か8年頃まで残っていたと思います。平成7年当時大学生だった私が帰りが遅くなった際、最終間際のバスで何度か目撃したのをおぼえています。ただ、運転者さんによっては、旧タイプの幕でも自由乗降入りのマークが入った幕は使わずに、マークなしの幕を使うこともありました。
あと、新方向幕
こんばんは。
●鹿男さん、ばんびさん
遅くなりましたが、二条大路郡山線のレス、ありがとうございます。そごうへの足としてだけでなく、物流センターへのアクセスも兼ねていたとは知りませんでした。国道横田ではなく横田町西口折り返しの理由もわかりました。それにしても1日6往復とは、当時のそごう関係のバスでもかなり本数が少ないほうですね。
>そごうから三笠中学校・JR奈良駅・近鉄奈良駅を経由して県庁前へ行く系統などがありまし
>た。(ばんびさん)
そのような路線があったとは知りませんでした。しかし、そのような遠回りのルートで近鉄奈良まで行く人はいたのでしょうか。JR奈良駅止めでもいいような気が…。
●自由乗降の幕(赤膚山ゾーンさん、北大和営業所の御近所さん)
>思い出して来たんですけど、自由乗降表示がなくなる頃って、
>深夜バスの設定が開始になって方向幕が追加になった頃ではなかったでしょうか?
>深夜バスの運行開始は確か平成2年の10月でしたよね。あの頃に幕がかなり入れ替えられた気>がします。
たしか平成2年式の188号車まで駅行きも系統番号ありの旧タイプの方向幕が採用されていて、自由乗降マークもありました。平成4年式の250号車より駅行きが系統番号なしの新タイプの方向幕が採用され、自由乗降マークもそのときから採用されなくなりました。
ただ、旧タイプの幕からすぐ自由乗降マーク入りの幕が消えたわけではなく、平成7年か8年頃まで残っていたと思います。平成7年当時大学生だった私が帰りが遅くなった際、最終間際のバスで何度か目撃したのをおぼえています。ただ、運転者さんによっては、旧タイプの幕でも自由乗降入りのマークが入った幕は使わずに、マークなしの幕を使うこともありました。
あと、新方向幕の駅行きで系統番号があるものは、[急行5]もありますね。昨年春まで急行としては例外的に夕方も登美ヶ丘一丁目に停まらなかったので。
●出垣内→学園前駅(北大和営業所の御近所さん)
[20]の幕はやはりあったのですね。しかし(存在したとして)その路線にどのような意図があったのでしょうか。北大和高校の学生が目的なら[19]がありますし。
さて、学園前の方向幕が話題になっていますが、10年位前までの709号車(現在廃車)には現在のスタイルとは違う方向幕が一部系統で採用されていました。系統番号はかなり薄い水色で書かれていて、行き先は黒い字で書かれていました。物心ついた20年位前でもそのような幕を使っていたのは709号車しかなかったように思います。どなたかご存知の方、いらっしゃいませんか?
最後に前回、「関西のCS魔人さん」を誤って「関西の魔人さん」とカキコしてしまいました。申し訳ありません。
みなさま、お世話になります局バスです。
☆BY
というと昔走っていたバスジャパンハンドブック(星雲社)にある19ページの観光バスのことでしょうか?ちなみに私は、このバスに乗った経験がありまして、しかも3歳くらいのことでよく覚えています。たしかどこかの観光雑誌にも写真があったので調べてみますね。ちなみに塗装は、青と白で小学校3年くらいの頃オレンジ観光バスに塗り替えられて少ししてから廃車されました。後ろは、丸型三連テールでかなり違和感がありましたね。エンジン音は、べべべ方式だったような気がします。暇が出来たらこのバスのイラストも描きますのでどうぞ!参考程度に弁天町の交通博物館の観光バスがよく似てるかな?
☆補助椅子
は、220系統奈良吉野線のRCにもありましたね。RCの377そして399〜409あたりのバックアイカメラ&外付け後退灯車ですね。あのバスは、水色塗装のとき赤いシートが両側2人掛けで通路に補助椅子でした。けれどオレンジ塗装に塗り替えられると補助椅子がなくなり生駒等に転属しました。377は奈良第二に転属後、今の平城に転属となりました。そして廃車後東九条の某ラーメン屋で倉庫の上どこかへ行ってしまいました。377は、フォグランプも着いたままで、後ろのエンジンルーバーに見える後退灯の押さえつける添え木も縦に着いてたのを覚えています。
あとは、ECM系かな?補助椅子は、そのようなところです。
☆あ74号車
は、確か今は葛城だったように思われます。もうすぐしたら、RC770号車・あ36号車・五条CJMを録りに行きますので見ておきます。
●自由乗降の幕
>赤膚山ゾーンさん
>思い出して来たんですけど、自由乗降表示がなくなる頃って、
>深夜バスの設定が開始になって方向幕が追加になった頃ではなかったでしょうか?
(改行位置変えました)
深夜バスの運行開始は確か平成2年の10月でしたよね。あの頃に幕がかなり入れ替えられた気がします。残念ながら確かな記憶ではありませんが。すみません。
●自由乗降の名称
>DBR370さん
自由乗降指定地も「次は自由乗降指定地でございます」と放送されます。到着の際の放送はありませんが。確かに「○○宅前」とか面白そうですが、住民の方は嫌がるかも知れませんね。
奈良交通も昔はバスの日のイベントがありましたけどね。共同運行の会社の高速バスも来て、多様なチラシも揃えられていましたが、販売されていたのはバスカードくらいでしたね。
LEDは最近は認識性も良くなってきたので奈良交通も導入するかも。新系統が出来てもデータカードを書き換えるだけのようですし。新系統ができる度に幕を切り貼りする手間も省けますし。しかし電気をかなり食うと聞いたような・・・。奈良交通はどうでしょう?
皆様、こんばんわ・・・から、おはようございます。
昨夜、カキコしながら寝てしまいました。
◇陵西市場さん
私、バス窓タイプってのが分からないのです。で、奈良交通に在籍していたRLは記憶が薄く不明なんですが某サイトにあるRLの画像を見ますと上下二段式の窓のようで。それをバス窓と言うのでしょうか?唯一、私がRLに乗車したのは(20)平端駅から近鉄高田駅行きでした。
◇北大和営業所の御近所さん
御教示ありがとうございました。学園前地区の乗降指定地にも是非、名称を付けてほしいです。○×▲宅前とか!車内では乗降指定地を放送するのでしょうか?放送しているのであればやはり名称を付けてほしいなぁ。それと過去ログで拝見しましたが使用されなくなった幕を現在はイベント等で購入できないのですかね?と、言う前にイベントが無いか・・・。レアな幕、欲しいです^^でもコマ数の事を考えると今後はLEDに移行かなぁ?でもLEDでは表現しきれない幕もあると思いますし・・・幕、存続希望。
◇Bダイヤさん
初めまして、宜しくお願いいたします。吉野営業所のシガラミ了解いたしました。で、一般路線では使用禁止なんですね。凄まじい状況が想像だけでもつきますから。御教示頂かなかったら使用してたかも?>私^^;でも小型車の補助椅子はなんか使ってみたいなぁ、ビール片手に・・・ちゃうかっ、すいません。
◇赤膚山ゾーンさん
BYご覧になりましたか。あとえぼさんの画像にはありませんがテールランプも独特な丸型であったと記憶しています(奈良交通の場合)あと過去に奈良営業所に所属していた頃、柳生方面の限定であったのですが間合い運用で三条川崎町にも顔を出しているのを見た記憶があります。後にBYが廃車されたと聞きがっかりしていたところ旧奈良営業所(大安寺)にオレンジ色のBYが白ナンバーで止まっているのを発見。聞きましたところ宣伝車両(正式名称ド忘れ)とかで生き残った車両があるようでした。もしかしたら別会社なのかなぁ?あと橿原神宮前駅東口への乗り入れも知りませんでしたし、いっぱいいっぱい知らない事だらけで・・・何だか奈良が恋しいです。えぼさんのHPは凄い情報量ですね。何よりデーターの収集は相当の苦労があられたんでしょうね。サイト運営されておられる方は本当に尊敬してしまいます。またそのような場を提供していただける事、感謝しております。そして情報を提供してくださる皆様も。
◇ゆーびんやさん
遅れましたが、ゆーびんやさんのHPにある初期DBRの旧塗装車、涙を抑えながら拝見しました。初期と後期は外見も然る事ながらドアの開閉音も違ってた事を思い出します。感動をありがとうございます。
>大和文華館経由がありますから
鋭いご指摘、さすがだと思いました。
・全く関係ない話題と質問
現在、五条山線?(赤膚山〜六条山、西ノ京駅)はどの車両で運行されているのでしょうか?過去の五条山専属DBRは整理券の代わりにゾーンバス利用の発券機?がついていたと思うのですがあのDBR(34、35号車でしたっけ?)は赤膚山以外では四条大路線の均一運賃路線でしか使用されているのを見た事がありません。の、反対でMR112Fが五条山線?に走った実績はあるのでしょうか?くだらない質問で申し訳ありません。
あと私事(いつも^^;)で恐縮なんですが過去にMR112Fの中で(あ・・74)だけ実際に出会う事がありませんでした。この車両は今から16,7年前に当時の奈良営業所所属であったと記憶してます。しかしどの路線(当時の私の範囲内)でも出会う事が出来ませんでした。私の勝手な予想で奈良の山間地域(柳生、笠置)の限定運用と自分で決め込んでおりました。しかし・・・実際のところご存知の方っていらっしゃるでしょうか?当時の山間限定運用は日産のMGW(65、66)が担当していたのは知っているのですがどうしてもMRの74号車だけは出会えませんでした。当時のあちら方面(奈良営業所のMR)にお詳しい方、私の疑問に一筋の光を挿して頂けないでしょうか?御教示の程、宜しくお願いいたします。
またまた、長々とお邪魔いたしました。
赤膚山から学園前駅って
大和文華館経由がありますから
それだけは区別しないと
赤膚山ゾーンです。こんばんは。
さっそく恥ずかしい訂正から。前回の書き込み、「学園前駅」表示の話で
>[23]赤膚山
は [23]学園前駅 が正しいです。でないと日本語の意味が通じません。失礼しました。
●6系統菖蒲丘経由栢森行きさん
橿原神宮前−八木間が正月に短縮されるのは、道路混雑のためです。今年も実施されていました。
橿原神宮前駅東口折り返しですから、以前に比べれば楽だと思います。
ハンドルネームに使っておられる栢森は、私も父の車で通ったことがあります。栢森の手前の稲渕の
谷を渡るしめ縄や、苧峠は今でも印象深いですが、私も残念ながら路線バスには乗れずじまいでした。
●DBR370さん
えぼさんのページを訪問してきました。私は見覚えはないですね、このタイプ。でもサイドにDBRへの
流れを感じることができます。えぼさんのページのコンテンツは相当なものなので、またじっくり他社の
ページも見せてもらうつもりです。
赤膚山線も夜間自由乗降があります(下り便のみ)。坂の頂上なので乗り降りはそこそこあるようです。
橿原神宮前駅東口は、駅前の道路整備ができてからだったと思います。ただし、正月の飛鳥・三輪方面への
臨時バスは駅の中央口前から発車です。昔ならともかく、今や東口経由のバスの本数は以前の見る影も
ないほど減っているので、臨時バスを東口に持っていっても混乱はなさそうなのですが、
神社から歩いて駅に戻る人を捕まえるのには中央口の方がいいのかも知れません。
●北大和営業所の御近所
思い出して来たんですけど、自由乗降表示がなくなる頃って、深夜バスの設定が開始になって
方向幕が追加になった頃ではなかったでしょうか?
●Bダイヤさん
そういえば、吉野の車は中型RUにも補助椅子を付けた車が多いですね。夏の洞川続行便(上り)
では、補助椅子まで含めて満席になったら発車させていました。ただし、かなり狭いです。
こんにちわ。Bダイヤです。
MRの補助椅子の件ですが。吉野営業所所属のMR車はF型もD型も標準装備
となってますよ。国道線用のRHと2扉タイプのRX以外は基本的に補助椅子
付きになっていたと思いますよ。吉野中学校の「文」系統に入る可能性のある車種
で、吉野山線以外の路線は補助椅子付きしか入れない契約になってるそうです。
でも、一般路線に使用中の場合、補助椅子の使用は禁止だったのでご注意を。
こんばんは。北大和営業所の御近所です。掲示板、最近また大盛況ですね。
●学園前の幕
>DBR370さん
赤膚山ゾーンさんが既にお書きですが、駅行きは系統番号無しです。駅行きの幕は複数の系統で共用で、幕全体では複数存在しています。聞いた話では系統番号が増え過ぎてコマ不足だと聞きました。ということで自由乗降指定地の幕はなくなってしまいました。またこれも赤膚山ゾーンさんがお書きですが、通常ルートとは違う系統は別の幕が使われます。一部のバスでは今でも系統番号付き(古い幕)ですが、自由乗降は残っていません。コマ数はいくつだったかな?忘れちゃいました。
自由乗降のバスですが、今でも21時以降のバスが停まっています。結構利用者もある所はあります。バス停の名前は付いておりません。
●出垣内
>登美一停車急行さん、赤膚山ゾーンさん
20系統は実際に見た記憶はありませんが、幕は見たことあります。しかし、あのバス停は客扱いしにくそう・・・。
富雄駅発の北大和高校行きですが、昔はこちらが主力だったようなことを聞きました。しかし道路が整備されてからは一気に学園前へ移行したそうですね。
●USJ線
>登美一停車急行さん
そうですか。まだ不振なんですね。値段的には800円なので鉄道と対抗できる(というか明らかに鉄道に対抗した運賃設定)と思うのですが。どこもUSJのバス路線はやばい感じですね。
RLって側窓がバス窓タイプの20年ぐらい前の車ですか?それであっていたら葛城に居ましたね。
高田下田、当麻南(現当麻新庄)、高田高取線等に使われてました。降車ボタンを押すと赤とんぼのチャイムの鳴るタイプだったように思います。そういえばその頃は,高田下田線は当麻今在家が終点でした。昔懐かしい車ですね。
すいません、下の私の書き込みで
奈良交通HPでの検索に関する件、私の間違いでした。
休日に指定したら検索できました。
申し訳ありませんでした。
みなさん、お世話になります。ばんびでございます。
○75系統
は、当時そごうへの直通系統がなかったドリームランド〜内侍原町からそごうへの直通と、横田町西口にあった「そごう物流センター(正式名称は記憶があやふやですが…)」とそごうの連絡を狙って開設されました。ですから、横田町西口での転回はその物流センター内で行っていました。ちなみに経由地は「法蓮中町」ですね。利用低迷を反映してその後近鉄奈良駅止めに短縮されたり便数が減らされたりしましたね。当時はそごうとの直通便開設が大流行で、シャープ前や杏南町から奈良駅を経由せずにそごうへ行く系統や、そごうから三笠中学校・JR奈良駅・近鉄奈良駅を経由して県庁前へ行く系統などがありました。
◇赤膚山ゾーンさん
・BYの写真
この掲示板のリンク内のえぼはうすさんのHPにありますよ。京都府の丹後海陸交通にありました。感激の一枚ですね^^ 私自身、バスに関する写真がどこにも見当たらなくて。実家のどこかにあると思われ・・・。母さん捨てないでくださいね。by 純^^;
・学園前の幕
やはりコマ数不足なんですね。一体、何コマまで入るんでしょうか?そう言えばゾーンバス表示の幕、好きでした。あと赤膚山行きも自由乗降マークありませんでしたか?
・RL
いたんですよ。私が記憶にあるのは橿原、葛城(屋敷山や平端など)あと吉野にも少なからず在籍していたと思います。BYと同じくらい私には不思議な魅力があります。油圧ブレーキとは知りませんでした。BYとは一味違う懐かしさがにじみ出ていますね。
・補助席
MR112Dにも補助席付車両がいたんですね。実際使ったことはありませんが今となっては一度くらい利用しておいてもいいですね。どなたかラッシュ時にチャレンジしましょう^^;
◇鹿男さん
初めまして宜しくお願いいたします。
・横田町西口
横田町西口に到着後どこで方転していたのですか?まさかあの東和物流内でしてたのかなぁ?しかし何故にドリームランド折り返しなんでしょうか? 20系統との合理化策からなのかなぁ。
・時刻表
少し鹿男さんの趣旨とは違うかもしれませんが私も奈良交通のHP時刻表にて上の横田関連を検索したのですがヒットされませんでした。全便表示ではないのですかね?
◇6系統菖蒲丘経由栢森行きさん
橿原神宮駅東口に乗り入れ開始されたのを最近知りました。昔から何故にあそこに乗り入れないのかなぁと不思議に思っておりました。飛鳥線なんて本当にそうすればいいのにと・・・。
申し訳ありません。私も間違えています。HMではなく、HNでした。それと、飛鳥線(八木栢森線も)神宮駅東口の整備により、平成2年頃に橿原神宮駅から橿原神宮駅東口に変わっています。それと現在の飛鳥線は、橿原神宮表参道経由から国道169号(小房経由)経由に変わっています(これは最近ですが、いつだったか覚えていません)。先ほどの投稿にこのことを、書き忘れていました。では、失礼します。
なんどもカキコすみません。柏森でなく、栢森、八木栢森線でした。
よく間違えます。
●6系統菖蒲丘経由栢森行きさま
栢森が柏森になっていました。すみません。
その通り、八木柏森線です。八木、橿原神宮駅が起点ですね。
早速の情報有難うございます。
平成4年頃廃止ですか・・・、私がマイカーで柏森へ行った時(平成5年頃)には
バス停が無かったです。(残念!) 飛鳥地区を走るバスってとても景色にマッチして、
いいですね。 私はバスに乗るのが好きで、バスに乗って、歩いては、又バスに乗ると
いう感じで奈良地区を休日を利用して回遊している鹿男と申します。自己紹介が後になり
ましたが、今後もよろしくお願いします。
今日も投稿させていただきます。鹿男さんのご質問の柏森線については、私のHMの路線のことでいいのでしょうか(もしかすると、川上村の柏木でしょうか)?私のHMの路線であるなら、ご質問に答えさせていただきます。八木栢森線は、八木駅を起点とし、橿原神宮表参道(畝傍御陵前)・橿原神宮駅・菖蒲丘(現:菖蒲町四丁目)・野口・岡寺(栢森発のみの停車)・島之庄(石舞台)を経由して、明日香村の山間部栢森に達する路線です。系統番号は八木駅⇔栢森が6系統・橿原神宮駅⇔栢森は7系統でした。管轄は橿原営業所(私が知っている限りは)です。八木⇔神宮駅⇔菖蒲丘⇔岡寺は、現在葛城管轄の飛鳥線と同じです。廃止は、平成4年3月のダイヤ改正の時だったとおもいます。栢森は山間部なので、菖蒲丘団地を過ぎるとほとんど乗客がいませんでした。噂によると、廃止直前の1日の平均乗客は1人にも満たなかった超閑散路線です(この話しは、あくまでも噂です)。1日の運転本数は2往復半(朝6:40頃〔菖蒲丘は6:56発〕の栢森発八木駅行、昼八木駅11:01八木駅発栢森行とその折り返し、夜18:25頃八木駅発栢森行とその折り返しです)。昭和58年に菖蒲丘団地経由になり、それ以前は野口⇔岡寺駅⇔見瀬⇔神宮駅東口の経路で運行していました。その時は、朝の片運転は神宮駅止めの7系統でした(朝の栢森発はもう少し早かったそうです)。菖蒲丘団地経由となっててからは、神宮駅止めは八木駅まで延長し、7系統を使用するのは、正月3日間の昼便のみでした(橿原神宮参拝者への配慮のため?)。昭和59年の秋には日祝日のみ昼間時1時間2本の臨時バスが走っていました(私はこのバスを利用して、飛鳥めぐりをしたことがあります)。当時小学生で社会科好きだった私にとっては、明日香村に向かう本数が非常に少ないこの路線は特に好きな路線で、高校生の時には意図的に乗車したこともある本当に思い出深いろせんです。使用車両などは、私の以前の投稿を見て頂くとわかっていただけると思います。私が知っている八木栢森線の情報はこの程度です。もし、川上村の柏木への路線でしたら、申し訳ありませんが、当時小学校の低学年だったので、ほとんど記憶になく、わかりません(もちろん私がわかるのは、八木駅乗り入れ便だけですし)。これでよろしいでしょうか?では、失礼します。
皆様、こんばんわ。
新掲示板でも宜しくお願いします。
●登美一停車急行さま
75系統ドリムーランド〜法華寺中町〜近鉄奈良駅〜柏木町(R24BP)〜横田町西口
で10年前に運行されていました。 平成4年3月の時刻表ではドリームランド発が
9:25、10:52、12:37、14:34、16:14、17:54の6本
横田町西口発も6本運行されていました。 横田町西口に行って、戻ってくる運行でした。
ドリームランド〜横田町西口の所要時間は20分でした。 残念ながら、小生はこの路線に
は未乗のまま、廃止となってしまいました。
●柏森の路線の運行経路、系統番号等ご存知の方いらっしゃいましたら、詳しくお聞かせ
下さい。 いつ頃廃止になったのでしょうか?
●先日都祁村に行きました。そのついでに、針インターから榛原行きに乗車、外の橋で下車
し、お目当ての外の橋→室生口大野駅に乗ろうと、バス停の時刻表を見ましたが、室生口
大野駅行きが見当たらなかったので、外の橋付近をウロウロしました、その間に、回送の
幕をあげたバスが、無山方面に通りすぎていってしまいました。 仕方がなく、無山まで
歩道のない国道を歩きました。 無山で1時間待ち、下笠間行きに乗車し、下笠間折り返し
で、室生口大野駅に無事到着しました。 車内で運転者さんに外の橋のバス停の件を
説明しました。 室生口大野行きは外の橋発では無く、無山発ならあるってあっけなく
返事が返ってきました。 奈良交通のHPでは、時刻表が検索できるのに、一体どうなって
いるのでしょうか? 皆様もこのような苦い経験はないですか?
長くなりましたが、バスに乗ると、足腰が鍛えられますヨ。 日頃の運動不足がよく
わかります。
赤膚山ゾーンです。移転後初めての書き込みです。
盛況なので、ちょっと見ないうちに過去記事がすごくたまって、
しかも面白いので追い付くのに時間がかかってしまいました。
●北大和高校−出垣内間
そうですか。昔は[20]学園前駅−北大和高校−出垣内 と [?]富雄駅−出垣内(−北大和高校?)
があったんですか。永らく路線図には載っていたので謎だと思っていたんですが。
■6系統菖蒲丘経由栢森行きさん
はじめまして。以前にも BY の話題は旧掲示板で書き込みがあって盛り上がりました。
残念ながら私の写真コレクションにはないのですが、他社でもいいので、同型車の
写真が載っているところがあれば、どなたか教えて頂けないでしょうか。
手動の運賃箱は私も吉野のMRで見かけました。写真もどこかにあったと思いますが、
自分のページにはまだ載せていません。
●やまと号王寺行きさん
西大和への新車投入は、いすゞC*系列の取り替え時期だから、ということでしょうね。
モノコック車最後の活躍ですね。
●DBR370 さん
学園前地区・富雄地区の方向幕は、ついにコマ数が不足しはじめたのか、運用の都合なのか、
「学園前駅」「富雄駅」とだけ書いたものが使われています。が、例えば[23]赤膚山などが
使われることもあります。同じ学園前駅行きでも[24]のように経路が違うものはちゃんと
系統番号を表示して走ります。また、生駒ダイヤ(旧生駒営業所管内)では従来通りです。
ついでに、この表示幕の入替え時に23系統の「西ノ京駅行き連絡」などのゾーンバス表示が
なくなりました。ですので、ほとんど全てのバスでほぼ一斉に入替えたようです。
>・奈22か238・239
>これは日野のRLですね。
奈良交通にRLがいたとは知りませんでした。確かに近鉄バスでは茨木地区などでよく見ました。
油圧ブレーキだったと思います。
補助席については、奈良第2所属だった94号車(丸型MRでトップドア)もついていました。
団体利用を考慮してのことだと思います。
ところでその信号はバスから見て赤ですか
それともあなたから見える信号が赤なのに
反対からバスが入ってくるのでしょうか
前者なら問題ありですが
後者は時差信号の可能性も捨て切れません
あと奈良駅前はどちらの奈良駅前でしょうか
こんばんは。
>鹿さん
ここはあくまでまるさん個人のホームページですので、
奈良交通さんに直接言って頂くべきかと思われます。
あと、運転手さんの肩を持つわけではありませんが
バスの場合、乗用車と違い車内でお立ちのお客さんもあります。
このような場合、信号が目の前で変わったからと言って急ブレーキを踏むと
車内事故につながります。
ある程度は大目に見てあげてほしいと思います。
奈良駅前の信号を良く利用しますが、赤になってからも突進してくるバスが多いです。
小学校に上がっていないうちの娘は
「バスは赤でもいいねんで。お客さんまってるはるからいそがなあかんねん」
といいます。
それは違ういますよね。
子供はしっかり見ています。
交通ルールを守った運転をお願いします。
またまた失礼します。
●学園前地区の路線延長(DBR370さん、北大和営業所の御近所さん)
東登美ヶ丘五丁目から東登美ヶ丘六丁目東に路線延長したのは1988年か89年頃だったと記憶しております。当時小学生から中学生に移るときだったので、タイミング的には憶えています。東登美ヶ丘五丁目で行き止まりだった市道が押熊方面まで開通した際に路線延長したはずです。
国道鹿畑から高山サイエンスタウンに延長したのは1996年のことです。国道鹿畑止め時代には5往復くらいしかなくて、1往復を除いてすべて急行でした。子供心に「なんで昼間やのにこの路線だけ急行で走ってるんやろ」と思ったもんです。今は増発の上、急行の運行も朝夕のみになっていますね。
●出垣内バス停(DBR370さん、北大和営業所の御近所さん、関西の魔人さん)
昔、坂の途中にある出垣内バス停から学園前駅行きのバスが出ていませんでしたか。たしか[20]で(今の[20]が開設される前です)。昔バスの方向幕にそのような幕があったと思います。駅行きのみで、出垣内行きはなかったです。
●USJ線(北大和営業所の御近所さん)
>減便してからの乗車率はどうなんでしょうか。
11月の平日に、USJにて18:40発を見たとき、わずかに1組2人乗っただけでした。いかに平日とはいえ、これは…ひどすぎます(T_T)
◇北大和営業所の御近所さん
輸送過剰の件ありがとうございます、了解しました。めまぐるしく変貌を遂げる学園前地区から完全に置いてけぼりの私です。しかし学園前路線の幕を全部装備するだけでもかなりの数があるんでしょうね。普通幕(系統)に系統無し、急行、あと自由乗降マークもありましたね。まだ今でも自由乗降バス自体走っているんですか?あと学園前の自由乗降のシステムは山間部などと同じ『・・・前』とかっていう名称があるのでしょうか?
◇登美一停車急行
ありがとうございます、休日だけ残っているんですね。昔から路肩にバスが停らしきPエリアはありましたからいつかは走るんだろうなぁとは感じていましたが。やはり空気輸送みたいになっていたのですね。
>「横田町西口〜史跡文化センター〜ドリームランド」の路線
これも奈良そごう絡みの路線だったのでしょうか?横田町西口バス停前にはそごうの物流関係の倉庫がありますもんね・・・今もあるのかな?
◇6系統菖蒲丘経由栢森行きさん
・奈22か238・239
これは日野のRLですね。私も最近まで記憶の中に残っていたのですが思い出しました。橿原地区以外でも葛城、吉野、榛原で見た覚えがあります。この車確か2扉で後扉も前扉と同じ折り畳み式ではありませんでしたか?そうそう王寺から国分駅に行きの近鉄バスもこれではなかったかなぁ?
・運賃箱
ありましたねぇ^^ 見た目が自動式より小柄でいかにも手動ですってやつでしたね!詳しく表現は出来ませんがご容赦ください。あと山間地区用のMR(方向幕前のみ、窓開閉可能タイプ、榛原、吉野など)も手動の運賃箱が設置されていたと思います。
・補助席
BY以外に初期のDBR(奈22あ16、18〜23)にも補助席がありましたね。実際使用されているのは見た事ありませんが路線バスにおいて使用すれば混雑時は正に修羅場の乗降シーンが展開されそうで・・・。貴重な体験ですね^^
・奈22あ71・72・73
配置後、72は北大和に転入され郡山富雄線などで活躍してました。71、73は八木駅系統や桜井三輪線などで活躍しましたね。その後の動向は分からないのですが。MR112Fはかなりの車両数もありましたが各地での限定運用も多数ありましたから当時の私には見たいけど見れない悔しい思い出があります。奈良山間部、榛原(大又、杉谷方面)、吉野、北山、各営業所の宿泊所までは小学生から中学生の私には滅多に行けないエリアでしたから。
やまと号王寺行きです。2ヶ月に1度刊行されるバスラマの
巻末に「奈良交通が2000年度、2001年度に導入した車両」の一覧が
出ておりました。特筆すべきなのは西大和営業所は2000年度、2001
年度に相次いで新車が投入されている状況が改めて分かりました。
パッと見たカンジですが、西大和への新車投入が一番多かったような
気がしました。(実際はどうだったのかよく記憶していませんが・・。)
6系統菖蒲丘経由栢森行きです。今日も投稿させて頂きます。他の方の投稿の中にボロイ車両の話しが話題になっている時があるので、私もボロイ車両の思い出で投稿したいと思います。私が今までに見た中で、記憶にある車両では、やはりBY11号車が一番ボロイと思います(申し訳ありません。平成になるまで橿原管内の近距離用車両と八木・桜井にやってくる他の営業所の車両しか見たことがないので、もし間違っていたならお許しください。それと、車両形式についても詳しくないので、しばらくは、車両番号で話しをさせて下さい)。
「奈22あ11」が活躍していた頃は、他にもへき地・閑散地区用に橿原管内では、「奈22あ22」や「奈22か238・239」が使われていたように記憶しています。「奈22か238」も中型の車両で確かにボロかったのですが、さすがに自動両替機付の運賃箱を備えていました。でも、「奈22あ11」は自動式の運賃箱ではありませんでした。両替はお金を運転手に渡し、運転手が手動式の両替機にお金を入れて両替をしいました。運賃箱も手動式で運賃が料金箱にある程度お金が溜まると、運転手がレバーで下にあるケースにお金を落としていました(スミマセン。うまく表現できません。助けてください)。あと、補助席もありました(夕方の栢森行は、菖蒲丘団地の乗客を大量に乗せて運行していたので、乗客が補助席を使うと団地での降車はキョウレツでした)。あの頃は、橿原管内の近距離用では、「奈22か606」がピカ一の車両だったので、他の車両のボロさは先輩方には想像していただけると思いますが、その中でも「奈22あ11」は群を抜いていました。「奈22あ22」は桜井(三輪・飛鳥資料館)地区を、「奈22か238」は壷阪・観音寺地区を主に担当していたので、西田原本・栢森担当はほとんどこの車両でした。昭和59年頃から、「奈22あ71・72・73」を筆頭に橿原管内でも小型車の入れ替えが始まり、当時は「奈22あ11」が管内を走らなくなったことを、私は大変喜びましたが、でも今となっては、「奈22か238」と共にもう一度乗ってみたい車両になりました。今では、どんなに山奥に行っても、奈良地区と同じ車両が走っていますが、私は奈良地区の車両が山奥を走るのは、少し不釣合いに思う時もあります。でも、ピカ一の「奈22か606」が廃車になってしまっている今となっては、ない物ねだりですね。私のボロイ車両の思い出でした。
追伸:菖蒲丘は、現在の菖蒲町四丁目です。
●USJ線
>登美一停車急行さん
ありがとうございます。今でも共同運行なんですね。西日本JRバスのHPの「閉園時刻が変更になった場合の運行時刻は奈良交通バス予約センターへお問い合わせ下さい」の意味が分かりました。
JRバスは本当に空いている車両が来る、という感じのようですね。おもしろそうです。
減便してからの乗車率はどうなんでしょうか。
●続・北大和高校
>関西のCS魔人さん
出垣内のバス停、確かにボロボロでしたね。時刻表も残っていたと思います。それを見て文系統の存在を知った記憶があります。
松陽台、ありましたね。ハーベスの出来る前でしたね。あの砂利の転回場が懐かしいです。バスがとても揺れるのが楽しかったです。
# 移転(?!)おめでとうございます新掲示板でもよろしくお願いします
(to 北大和営業所の御近所さん)
> ●北大和高校
> >サンダーズさん、DBR370さん
> 文系統はよく覚えていませんが、真弓大橋から北大和高校への坂の途中にあった出垣内のバス停は結構後まで残っていました。
うう、懐かしい話です・・・。
# かれこれ10年超前はあそこに通ってました 自爆
その当時の時点で坂の途中の出垣内バス停はすでにボロボロになってましたね。しかも富雄駅から高校行の系統もすでになかったです。
私が通っていた頃は登美ケ丘高校ができた関係(?)ですでに正式な系統になっていました。まぁ、あそこは松陽台系統もありましたが学園前から3つ扉なRC321で雨の日はよくぎゅうぎゅうになりながら乗っていましたねぇ。
# 晴れてるときは富雄川銀輪部隊(?)でした 笑
こんばんは。新掲示板でもよろしくお願いします。
●北大和営業所のご近所さん(USJ線)
今でも2社共同運行です。USJ18:40発がJR担当で、閉園時刻によってダイヤが変わる便が奈交担当です。JRは様々な車両が使われていて、私が見たときは、神戸ナンバーの運転席が低い位置にあるセレガSHDが使われていました。奈交については、もっぱら1019号車が使われています。
朝の奈良発に関しては未確認です。ごめんなさい。
●DBR370さん(奈良〜横田線)
今でも24号BPを走っている路線、ありますよ。といっても休日1往復だけですが・・・ [75]近鉄奈良駅〜国道横田で、以前、横田から乗ったときは運転者さんに珍しがられました。ここから乗ったのは私一人だけで、柏木町まで誰も乗ってきませんでした。
昔、奈良そごうが出来た頃、このルートで「横田町西口〜史跡文化センター〜ドリームランド」の路線があったような・・・ ご存じの方、教えていただけないでしょうか。
●北大和高校
>サンダーズさん、DBR370さん
文系統はよく覚えていませんが、真弓大橋から北大和高校への坂の途中にあった出垣内のバス停は結構後まで残っていました。
富雄のバスですが、最近はどうなんでしょう?やまと号が登場した頃と同時期に一気に置き換えられました。その後も新車は入っていると思いますが。
●学園前
路線延長ですが、いつだったか・・・。もっと詳しい方が多いのでそちらへ任せます。
真弓一丁目ですが、これは入庫の関係と言うより輸送過剰のためと思います。昔は30分に1本でしたから、現在は増えた方です。北大和の方には真弓から歩く方も多いので。真弓一丁目→学園前駅→北大和五丁目→学園前駅→真弓一丁目という繰り返しです。
皆さんおはようございます。
◇6系統菖蒲丘経由栢森行きさん
初めまして、懐かしい情報ありがとうございます。実際、BY(奈22あ11)に乗車した日はもう過去の話ですが今でも頭に残っております。1日4本運行されていたという事は、やはり私の記憶違いなんですね・・・てっきり1本と思っておりましたので。小型車(BY、DBR、MR)に車両変更された路線は橿原管内でもかなりありましたね。橿原営業所にMRが大量導入された当時、貴殿が書き込みされている「奈22あ」の70番代のオンパレードでした。それ以前はMRは73号車だけだったような?小型車に変更された路線でだけではなく新規の耳成循環などで頻繁に八木駅にて見れる事が本当に楽しみでした。でもお気に入りはDBRでしたが^^そちらのHN栢森は乗車したかったです(悔やまれます・・・。)MRの使用は方向幕でだけ記憶にあります!
◇サンダーズさん
初めまして、宜しくお願いいたします。文系統の北大和高校行きの話なんですが当時は本当にあの周辺何も無かったのにかなり変貌を遂げているようですね。連れが北大和に通ってたのでよくその話聞きました。お世辞にも快適な車両では・・・^^;でもまぁ古き良き時代って事で懐かしみましょう!今では富雄駅に乗り入れる車両は結構若年式のものが多いような気がしますが実際のところどうなんでしょうか?貴殿の書き込みを見て松陽台2丁目行きってのが走ってたなぁと本当に懐かしく思います。
先ほど、学園前駅発の時刻表を奈良交通のHPから見ていたのですが凄い変化があるんですね。
・6 東登美ヶ丘六丁目東行き 〔延長されてる事すら知りませんでした!〕
・31 青葉公園前(青葉公園止め) 〔こんなんあったんですね!!!〕
・国道鹿畑行きが高山サイエンスタウン行きに変更。
・北大和5丁目が開設されているのにまだ真弓1丁目行きがある事。〔入庫絡みかな?〕
やはり奈良から離れますとビックリする事が多いですね!
R24沿いに神座とトイザラスがオープンしてるのすら知りませんでしたから(お前だけやろって)
一つ皆様に質問なんですが旧道ではなくR24BP経由で運行されていた国道横田から近鉄奈良駅(すいません起点が分かりません)方面の路線は廃止されたのでしょうか?この前奈良に帰った際、バス停が無くなっていたような気がしたもので・・・。どなたか教えてください。
今日初めて参加した6系統菖蒲丘経由栢森行きです。先ほど47系統八木曽我田原本線の件で投稿したのですが、間違えて旧の掲示板に投稿してしまいました。パソコンに不慣れなもので、申し訳ありません。どうぞよろしくお願いします。
こん○○は。
質問なんですが、USJ行きのバス、西日本JRバスはまだ走ってるんでしょうか?まだ西日本JRバスとの共同運行という形態のようなんですが。運賃精算などもどうしてるんでしょうか?
私信:まるさん、メール届きました。ありがとうございました。
皆さんこんにちわ。
管理人さま、新掲示板でも是非参加させて頂きたく宜しくお願いいたします。
◇san-sanさん
>乗務員が運賃箱横の金属製の箱に千円札を入れ五百円両替ボタンを2回押して対応していました。今では懐かしい話ですね。
懐かしいですね!一度、五百円札を両替してもらおうとお願いしたら千円分両替が出てきてビックリしました。こちらが大きなお世話から折りたたんで渡したら新千円札(現)と勘違いされたらしく・・・。
>いい乗務員さんの話
私もあります。JR郡山駅で時刻表を眺めていたら稗田団地止め最終バスの運転手さんに『どこまで行くの?』って聞かれて筒井町まで行く私を乗せていってくれました。そのバスは回送でそのまま営業所まで帰るらしく私としては大変助かりました。僅かな時間でしたが色々お話を伺うことができました。それ以降その運転手さんはいつも笑顔で応えてくれていました。些細な事でも本当に嬉しくなりますよね。その運転手さんはお客さんにいつも明るい対応をされていました。後に社内報を見る機会がありご夫婦で掲載されているのを発見。やはり皆に好かれておられるんだなぁと人柄の良さを改めて感じました。
>まるさん
忙しいのにどうもすみませんでした。私も気づいたとき急いで条件に合う掲示板(携帯対応・過去ログ自動作成系)を探してたところでしたが、TeaCapで落ち着いて何よりです。とりあえず、掲示板の方対応してくださった頑張ってこれからも閲覧するようにしますね。挨拶だけで失礼させていただきますが、これからも楽しくやっていけますことをお祈り申し上げます。
やまと号王寺行き@週末はアルツ磐梯でボードでした。掲示板を移設された
ようですね。今後はこちらにカキコさせていただきますのでヨロシクお願い
します。
ただ私は関東住まいということもあり、リアルタイムで西大和エリア状況が
分かりませんので、色々と情報をいただければ幸甚です。
さて最近用事が無く「やまと号」を含めた高速バスに乗ることがないのですが、
昨年ルート変更を行った「千葉やまと号」について幕張から上野経由で東名に
入るまでの走行ルートを教えていただけませんでしょうか?
皆様こんにちわ、いすゞ改めBダイヤです。新掲示板にもどんどんカキコしていきたいと思いますので、宜しくお願いしますm(-_-)m
>ハンドルネームが「いすゞ」だと、会社の「いすゞ」の意見であると誤解される可能性がなきにしもあらずですので、別のハンドルネームに変更していただけないでしょうか?
=了解しました(^_^)こんな名前ならOKでしょうか?
最近このBBSで話題になっている、近鉄バスの「急行あべの〜王寺駅経由〜天理駅」ゆき
の、方向幕のみ掲載しているHPを見つけましたので、お知らせしておきます。
興味ある人は下記アドレスにアクセスしてください。
http://k-hmol.hoops.ne.jp/bushoukoumaku.jpg
管理人さま>
移転いたしましたね。ネタなしですみません。
>旧掲示板と変わらないご愛顧をよろしくお願いします。
ほぼ同じですから(汗)
OTDは確かにケータイからは見られないシステムです。そこが改良されれば、いいんですが・・・
うちは移転させる予定がありません。過去ログが全部残るので、今のところがいいんです・・・
ケータイ対応化は、OTDに検討してもらわないといけないでしょうが、うちのBBSだとケータイ表示には重そうで・・・(というかだいぶ改造してしまっているので、無理かも^_^;)
ともあれ、今後の発展をお祈りいたします★
こんばんは、まるです。
最近新しく掲示板に来られた方が増えて、嬉しい限りです。本来なら、個別にあいさつをしたいところなのですが、忙しいためできません。申し訳ありません。昔のネタから、新車の話題まで、奈良交通のことなら何でもかまわないので、どんどん書き込んで掲示板を盛り上げてやって下さい。これからも、よろしくお願いします。
▼いすゞさん
申し訳ありませんが、ハンドルネームが「いすゞ」だと、会社の「いすゞ」の意見であると誤解される可能性がなきにしもあらずですので、別のハンドルネームに変更していただけないでしょうか?
#あう、時間がなくて、レス出来ない(T_T)。
◆赤膚山ゾーンさん遅くなりましたが前回のレスありがとうございます。
◆新掲示板移転ということで1つ投稿させてもらいたいと思います。
◇少し昔の運賃箱に関する話
・以前奈良(六条山線)管内では五百円硬貨・千円札両替ができない運賃箱が設置されており千
円札を両替したい時は乗務員が運賃箱横の金属製の箱に千円札を入れ五百円両替ボタンを2回
押して対応していました。今では懐かしい話ですね。
・奈良柳生線の奈良方面行きに乗車時、そのバスが近鉄奈良駅に停車する頃運賃箱の両替用の硬貨
がなくなり乗務員が困り果てて、車内からは「もうこれだけでいいわ」という声が聞こえてい
ました。
◇いい乗務員さんの話
・2年ほど前、柳生笠置線を利用して布目ダムを目指したときに笠置〜柳生間と柳生〜邑地中村間
(ダム入口付近の停留所)の乗務員が同じ人で「どこ行くの?」の聞かれたので「ダムまで」と言
ったら「ダムまで遠いから入口まで乗せていってあげるわ」と言って月ヶ瀬村の境界まで乗せて
もらった記憶があります。
◆関係ない話ですが、むかし運賃箱に誤投入したときバスのフロント付近の小さい箱から誤投入用
の硬貨を渡していた光景を目にしたことがありましたが最近バスカード普及による影響か見かけ
なくなりましたが現在でも存在しているのでしょうか?
こんばんは。
新掲示板にもお世話になります。
今後ともよろしくお願いいたします。
「利家とまつ」が終わったところで初投稿です。
白鳳台線 尼寺が終点だったころは、「畠田八丁目」は「畠田郵便局前」だったような気がしますが・・・
ところで、素朴な疑問。
「〜前」バス停の「前」がなくなってきているように思います。
例えば、「王寺町役場前」はいつのまにか「王寺町役場」になっているんですね。
どんな意図があるのでしょうか。
ご存知の方は教えてください。
こんばんは、管理人のまるです。
こちらの準備不足で、みなさまを混乱させてしまって申し訳ありません。こちらが新しい「奈良交通掲示板」です。旧掲示板と変わらないご愛顧をよろしくお願いします。
旧掲示板は、↓こちらです。24日まで閲覧可能です。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |