このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 21世紀だ。21世紀である。小学生のころ、21世紀と言ったら、どんなことを想像していただろう? 私の生まれた年、1975年に、日本の本線用蒸気機関車は全廃されている。それから27年。(あ〜年がバレる…。)「現役」の蒸気機関車に逢う事ができるなんて、まさに夢のよう…。

 って、ちょっとオーバーかつ、妄想にふけった出だしになってしまいましたが、いや、ホント、ここ「ハルツ狭軌鉄道」はすばらしいのです。

 さて、「現役」とは言っても、何を基準にして現役と呼べるでしょうか? 実はこの、「ハルツ狭軌鉄道」は、もとDR、ドイツ国有鉄道(旧東ドイツ)の路線で、色々な政治的理由その他で、動力の近代化が行われなかったのです。そして、東西ドイツが統一されたとき、西側では無くなってしまった蒸気機関車が珍しい存在となり、そのまま第3セクターとして路線と車両を引き継ぎ、現在に至っています。一番古い機関車は、なんと1897年製で、100歳を超えてるにもかかわらず稼動状態。一番若い機関車でも、1956年製で、まもなく50歳。こちらはバリバリの現役で、毎日の定期運用についています。これはもう、「現役」と呼ぶにふさわしいでしょう。

 こうして、保存的要素は強くなったものの、ハルツ狭軌鉄道3路線の全長131.8キロに、未だに25両もの蒸気機関車が活躍しています。

 

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●ハルツ狭軌鉄道へ 

 ハルツ狭軌鉄道では、全列車が蒸気列車で運転されているのではなく、一部でディーゼル機関車牽引列車やレールバスの運用もある。蒸気列車が集中的に運転されているのは、木組みの家並みが美しい街として知られる、ヴェルニゲローデから、ブロッケンを結ぶルートで、ここは全列車が蒸気列車で運転されている。他の路線では、蒸気列車の運用は少なくなるが、それでも日に何本かは蒸気列車で運用されている。今回の旅では、あえてブロッケンへ行く列車には乗らず、エアフルトから1時間ほどの街、ノルトハウゼンから乗車することにした。蒸気列車が観光列車ではなく、地域の足として利用されている姿を見てみたかったからだ。

 

●ノルトハオゼンから

 エアフルトからRE(快速)で1時間ほどでノルトハオゼンへ。DB(ドイツ鉄道)の改装されたきれいな駅を背にして、左手にハルツ狭軌鉄道の駅、ノルトハオゼン・ノルト駅があった。駅舎の中はこちらも改装されているものの、行き止まり式の1本のホームは飾り気のない質素な造りだった。ホームの端には、これから蒸気機関車の登場を待つ、小さな客車が5両つながっていた。かすかに石炭のにおいがした。発車時間が近くなると、息を上げた蒸気機関車がゆっくりと客車に近づいてきた。それを食い入るように見つめつ杖をついたおばあさん。なんだかうれしそうだった。そして連結されて、そのまま駅舎よりに据え付けられた。そんな作業を見ていたのは、私と、そのおばあさんだけだった。ノルトハオゼン・ノルトから出る蒸気列車は、10:08発のヴェルニゲローデ行き1本だけ。観光客で混んでいるかと思っていたが、乗客は両手で数えてあまりが出るほどの数で、私以外は地元の人たちだった。

 

ノルトハオゼン・ノルト駅ノルトハオゼン・ノルト駅のホーム汽車をみつめるおばあさん

 

●地元の足として

 機関車はバック運転。顔を客車側に向けて引っ張る。これから3時間の長旅。この顔と付き合うのも悪くないと思い、先頭の客車に乗り込んだ。客車の暖房は蒸気暖房。連結部では、ホースから蒸気がかすかに漏れていた。列車はゆっくりとノルトハオゼン・ノルト駅を発車。最高時速は時速30キロ。しばらくは住宅街を走る。小さな駅に停まっては、2〜3人の乗客が乗り降りする。まさに地元の足だ。それでも1日1本の蒸気列車にみんな手を振ってくる。機関車がその度に気笛で応えていた。

 

●だんだんと山間へ

 列車は街を抜けると、森の中へと入っていた。ノルトハオゼンを出て1時間くらいで、私が乗った一番前の客車には、中年の夫婦が2組と私の5人。ちなみに客車1両の定員は50人くらいだった。途中の駅から乗った夫婦のダンナさんは、汽車の様子が気になるらしくそわそわしていた。そうしてるうちに、列車は森の中の交換駅に着いた。ホームこそないが、待避線があり、構内は広い。後で調べてみると、ここはアイスフェルダー・タールミューレ駅で、ここからハッセルフェルデやジャーンローデへ行く列車が出ているとあった。ここで給水が行われた。15分ほどの停車の後、再び森に向かって走り出した。アイスフェルダー・タールミューレを出ると、勾配区間に差し掛かった。機関車は「ボッ、ボッ、ボッ…」と、息を荒げ、勢いよく煙を噴き上げる。これが、蒸気機関車の醍醐味だ。機械が機械に思えなくなる瞬間である。谷間には小さな家が点在し、それをかすめるように列車は進み、時折、ホームのない無人駅に停車する。「こんなところに住んでみたい。」と思ってしまった。標高が高くなるにつれ、気温が低くなり、ちょっと暑いと思っていた蒸気暖房もちょうどよくなってきた。線路脇には雪が残っている。沿線には鉱山や、高原の村々が点在するので、車窓から目が離せない。そうしてるうちにブロッケンへの入口、ドライ・アンネンホーネに着いた。

 

連結作業中最高時速は30キロドライ・アンネンホーネに到着

 

●ドライ・アンネンホーネ

 ドライ・アンネンホーネは、3つのホームがあり、構内も広い。私が乗ってきた列車の反対のホームには、ブロッケンへ向かう列車が停車していた。ここでは、30分ほど停車時間があったので、列車の写真を心行くまで撮る事ができた。今まで乗ってきた路線は、どちらかと言うと生活路線だったが、ブロッケンへ行く路線は完全な観光路線。東西統一までは、旧東ドイツの軍事路線で、線路の存在さえ知られてはいなかった。今でこそハイキングが楽しめる観光地となったブロッケン山頂だが、それまでは放し飼いのシェパードが警備する立ち入り禁止区域だったらしい。山頂には旧東ドイツのレーダー施設が残されている。ループ線を進み、山頂に至るという、鉄道好きにはたまらない路線だが、今回の旅ではヴェルニゲローデの街を観光したいという目的があったため諦めた。そうしているうちに、ヴェルニゲローデからの列車が到着した。もちろんこれも蒸気列車。3本のホームに3本の蒸気列車が並ぶ。こんな光景がここでは毎日見ることができる。いや…もう…マイッタ。

 

運転台まわりブロッケン行き汽車を見る親子

 

●ヴェルニゲローデへ

 長い停車ののち、再び列車は走り出した、が、他の乗客はドライ・アンネンホーネで乗り換えてしまったので、客車の中は私一人になってしまった。機関車の次の車両なので、機関車を独占した気分になる。顔を客車の方向に向けて牽引するバック運転なのでなおさらである。ナンバープレートは磨きすぎて地金が出ている。本当によく磨きこんである。デッキに出ると迫力満点だが、ドアがないので少し怖い。タバコを噴かして、機関車と一緒に煙を吐く。ちなみに車内は禁煙。デッキは屋外だし、携帯灰皿持ってだから許して…。ドライ・アンネンホーネからは下り勾配が続き、やがてヴェルニゲローデの街が見えてきた。列車はこまめに停車し、乗客を乗せる。ここでも地域の足として活躍している。市街地を堂々と気笛を鳴らしながら進み、終点のヴェルニゲローデに到着。3時間に及ぶ列車の旅もここで終点。到着した列車から降りてきた乗客の数は20人に満たないくらいだった。機関車は切り離され、機回し線を通って反対側に付け替えられ、あっという間に回送されて行った。その様子を撮影していたら、いつの間にか石炭の焼けたにおいが残るホームに私一人取り残された。

 

回送列車バック運転中の運転士ヴェルニゲローデで休む機関車

 

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