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第4章第2波ストライキ

★史上空前の大量解雇処分

八六年一月二八日、国鉄当局は、第一波ストに対し、解雇二〇名を含む一一九名という史上空前の大量処分を発表した。
 国鉄労働者のスト権は公労法で禁止されていた。しかし政府と国鉄当局が推し進めている国鉄分割民営化は、たった一年間で十万人が「余剰人員」にされ、自ら職場から去らざるをえない状態にしていたのであり、首切りそのものだ。にも関わらず分割・民営化自体は「団交事項ではない」「労働条件の変更ではない」と独断専行でどんどん推し進めることの方が違法行為ではないのか。
  第一波ストヘの報復はもう一つあった。千葉管内の総武緩行・快速線および我孫子線の運転業務7千キロの、東京三局(西、北、南局)への業務移管である。仕事そのものを奪って職場に膨大な過員を生みだし、配転や首切りの対象とすることによって動労千葉の組織の根幹を揺るがそうという攻撃だ。そして当局は、この業務移管のための線見訓練を2月5日から実施する計画を打ちだしてきたのである。

★39日間の業務移管阻止闘争

 動労千葉は、こうした大反動に対し、大量不当処分の翌日、一月二九日を期して、全身火の玉となって第二波闘争に突入した。「不当処分撤回、業務移管粉砕、3月ダイ改での人員合理化阻止」を掲げ、乗務員の五波にわたる順法闘争、地上勤務者の2波にわたる長期順法闘争、連日にわたって延べ三千名の組合員を動員した線見訓練阻止闘争など、どのような攻撃にもびくともしないエネルギーが発揮された。3月ダイ改まで、実に三九日間にわたる果敢な闘争として貫徹された。
★またしても裏切りが
 また、国労津田沼分会をはじめ現場の国労組合員は、「動労千葉との共闘拒否」の国労方針にもかかわらず、職場では動労千葉と共に抗議闘争、順法闘争を激しくたたかった。また国労本部や千葉地本にストライキを要求した。しかし国労本部も地本も握りつぶした。
千葉管内の業務を奪い、東京3局の業務に移管するためには中野電車区や田町電車区、松戸電車区の運転士の線見訓練が必要だ。そして線見訓練をやるのは動労と国労組合員だ。国労東京は、国労千葉が業務移管に反対を表明したので当然にも反対した。同じ組合員が仕事の奪い合いで対立することは労働組合として絶対にあってはならないことだ。
 しかし、中野、松戸、田町電車区の国労分会の執行部を占めていたのは、共産党・革同と協会派で、第一波ストのスト破りと同じように「業務命令には従う」と組合員に線見訓練を強制させたのである。すさまじい人員削減で乗務員の運用がギリギリの状況で、線見訓練をやるには勤務明けなどの超過勤務でやるしか方法はない。労働者が拒否して闘えば線見訓練などできないのだ。
 組合員からの激しい怒りがわき起こった。下からの突き上げで、松戸、中野、田町電車区の各分会は、「業務移管反対! 線見訓練阻止」の「指名スト」を本部に要求したのである。しかしこれも国労中央に握りつぶされた。国労指導部の裏切りがあってはじめて線見訓練は可能となったのである。
 特に許せないのは、共産党・革同だ。「動労千葉の暴力的妨害活動で危険」を理由に「線見訓練中止」を当局に申し入れ、そういう形を取って、動労千葉の線見訓練阻止闘争への権力の弾圧を事実上要請したことである。
 ★第2波スト突入
 二月一五日、動労千葉は、津田沼、千葉転、成田の三支部及び千葉地区を拠点とした第二派の二四時間ストライキに起ちあがった。このとき、日本中の心ある労働者は、これだけの不当処分を受けて、動労千葉がこれからいかなる道を進むのかと注目していた。国鉄当局や権力も、「動労千葉ももはやこれまで」という思惑を込めて徹底した弾圧を構えた。しかし動労千葉の構えは当初から、87年4月まで、たとえどんなことがあろうとも喰らいついてたたかいぬくことを通して、絶対に団結を守りぬくというものであった。第二波ストは、いわばその不動の決意表明であった。

 ★巧妙なスト破り策動
 国鉄当局や政府の第2波スト対策の最大の柱は、「絶対に国労組合員に波及させない」ということ、すなわちスト破り拒否、動労千葉加盟をいかに封じ込めるかであった。このことをめぐって国鉄当局と国労中央と千葉地本の利害は一致した。
 動労千葉運転士の行路(二〇往復)は、中野電車区の国労と動労の組合員が乗務し、 国労千葉の運転士は、決められている本来の行路に乗務するが、「B変仕業」(行路の変更)で対応する。つまり公然たるスト破りは国労東京にやらせる。しかし「B変仕業」も結局はスト破りでしかない。
 この悪辣なスト破り策動に対して、今度は千葉運転区の国労組合員三名がスト破りを拒否して動労千葉に加入した。

★銚子、館山、勝浦支部の闘い

館山

銚子、勝浦、館山の三支部は、当日大学と高校の入試日と重なったため「受験列車」を提案した。つまり千葉までは電車を動かし、それ以降はストライキに突入する戦術だ。ところが当局は、乗務の際の点呼で「組合のスト指令に従いません、全行程を乗務します」という署名捺印の「確認書」を要求してきた。当然にも組合員が拒否すると、「就労の意志なし。処分する」と通告。事実上のロックアウト攻撃だ。「受験列車」は一本も走らなかった。政府当局は、「入試より動労千葉つぶし」を優先したのである。
 第二波ストは、第一波ストを上回る千葉全線区のたたかいに拡大し、運休本数は六二〇本となった。当時の官房長官・後藤田は、「こんなことでは、何のために処分をくだしたのか」と国鉄当局に対して激しく激怒し、杉浦国鉄総裁は「一月二八日に処分してから一八日しかたっていないのに違法ストをおこなうとは言語道断」と悔しさを露わにした。

★解雇8名、272名の処分
 3月14日、当局は、第2波ストに対して解雇8名をふくむ272名の大量不当処分を通告し、さらに先の第一波ストに対する3,600万円に及ぶスト損害賠償請求訴訟を提訴した。マスコミは、「財政的困難は決定的」と鬼の首でもとったように喜んだ。

★いまだ職場支配権は組合に
 大量の解雇、出勤停止処分がだされても動労千葉の職場の状況は、「この次はどう闘うか」と意気揚々としており、職場支配権は組合側が完全に握っていた。
 一方国労本部は、八六年二月の全国戦術会議で、「ワッペン闘争」を提案するが、多数の地本から、処分を恐れての反対意見が出て握りつぶされた。一方、国労津田沼電車区分会は、動労千葉と同じように堂々とワッペンをつけていた。さらにはワッペンより大きい、スローガンが大きく書かれた赤いリボンの着用闘争を闘っていたが、当局は一切口出しはできなかった。動労千葉と共に闘うことによって、当局を圧倒していたのである。

 

 


千葉転


成田駅


千葉運転区


千葉運転区の国労組合員三名がスト破りを拒否して動労千葉に加入


家族会

 

 

 

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