このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



太陽の塔−それは、1970年に開かれた日本万国博覧会(EXPO70)のシンボルとして作られました。
それから約30年、太陽の塔はEXPO70のほぼ唯一に近い遺構として、
しかし、未だなお強烈な存在感をアピールして千里の丘にそびえています。

太陽の塔とは?
作者はかの岡本太郎氏。高さは資料によってまちまちな傾向にありますが70mが正解でしょう。
太陽の塔には顔が3つあって、一番上が「黄金の顔」、おなかの顔が「太陽の顔」、
そしてあまり知られていないが背中の顔が「黒い太陽の顔」と言われています。
EXPO70当時は太陽の塔の周囲に鉄骨の大屋根がかぶさっており、
「お祭り広場」と称されて各種の催しが行われていましたが、1975年ごろに鉄骨屋根は撤去されました。

わたしもこうしていかにも「万博」を知ってるように書いていますが、
1970年生まれなので実際のEXPO70には当然行ってません。。
でも、かつては万博公園の隣の茨木市に住んでいたので鉄骨屋根があった頃の
太陽の塔はかすかに覚えており、まだ万博公園に万博の息吹がわずかながらも残ってました。
そのころは「恐い!」という印象だったが、いまこの歳になると太陽の塔の斬新さにただただ感嘆するばかりです。

太陽の塔ギャラリー1

太陽の塔ギャラリー2

爆発空間!岡本太郎記念館



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