このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
 


遠い日の東便門〜199X年〜

北京を訪れた鉄ちゃんなら一度は訪れる撮影名所の東便門。
その非電化時代へ、ちょっとだけタイムトリップしてみませんか?


北京駅から東へすぐの所に、道路を跨ぐ鉄道橋があります。
 
『東便門鉄路橋』
 
大きな城楼の足下に架かるその橋は、北京駅に出入りする列車が必ず通る鉄道橋です。
鉄道で地方から来た“外地人”にとっては、首都北京の第一印象として強く残る場所であり、
北京から出発する“北京人”にとっては、
汽車旅の始まりに心躍る瞬間を演出する場所であることでしょう。
 
この鉄道橋の傍には北京機務段、北京車両段という車両基地があり、
営業列車や回送列車を含めて、
たくさんの列車がひっきりなしにやってきます。
このような場所なので、北京に来た鉄ちゃんはほぼ必ずと言っていいほどこの地を訪れ、
火車(列車)の姿をカメラにおさめていきます。
 
私もこれまで何度かこの地を訪れ、中国の列車を撮ってきました。
このコーナーでは、1993年末と1995年秋に撮った写真をご紹介します。
今は電化されて架線柱が立ってしまいましたが、
この頃は非電化だったのですっきりした構図で撮ることができました。
しばしの間、非電化時代の東便門をお楽しみいただければ幸いです。
 
それでは、199X年の北京の鉄ちゃんの聖地へ、
ちょっとだけ時間旅行に出掛けましょうか・・・。
 
東風4型とNY7型が重連で牽引する京包線の列車が、ゆっくりと橋を渡っていきます。
この列車を追っていると、画面右側から突然自転車が出現!
鉄道橋の路肩(?)を自転車で爆走する一般人です。
 
この東便門鉄路橋は、ほぼ生活道路と化していて、多くの人々が堂々とこの橋を渡っていきます。
歩いて渡る人がほとんどですが、時々このように自転車で渡って行く人を見かけることもありました。
 
☆平成5年(1993年)12月撮影☆
 
なんやぁ?!
スーパーでもらうようなビニール袋を持ったおっさんが小北京のステップに!
 
北京車両段(客車区)に帰還する回送列車で見かけた一コマです。
鉄道関係の従業員が駅や車両基地の間を移動するときや、
機務段(機関区)や車両段の近くに自宅がある従業員が帰宅するときなどに、
このような光景を見ることができます。
頭ではわかっていても、はじめて見たときにには非常に驚いた光景の一つです。
 
☆平成5年(1993年)12月撮影☆
 
ここからは1995年10月に撮影した写真です。
北京では一年中で一番過ごしやすく、美しい季節と言われる秋。
10月のある一日に、抜けるような青空に恵まれました。
 
☆平成7年(1995年)10月撮影☆
 
哈爾濱からやってきた18次特快列車です。
当時は各地方によってオリジナル塗装の車両があり、これもまた楽しみの一つでした。
 
この哈爾濱鉄路局のオリジナル塗装は、フランス国旗のようなトリコロールカラーで、
個人的には好きな塗装でした。
 
☆平成7年(1995年)10月撮影☆
 
北京駅で列車から解放され、
北京内燃機務段(現・北京機務段)へ帰還する単機の東風4Bが、
のんびりと橋を渡っていきます。
 
☆平成7年(1995年)10月撮影☆
 
 
北京駅付近の国鉄線が電化される前には、
北京駅を発車した列車を城楼といっしょにおさめるアングルで撮ることもできました。
 
写真の中心に橋の欄干が堂々と写り込むので、当時はあまり好きなアングルではなかったのですが、
あらためて見てみるとなかなかいい感じです。
今となってはもっと撮っておけばよかったと思います。
 
今は架線柱が立ってしまい、このアングルは全く絵にならないものになってしまいました。残念です。
 
☆平成7年(1995年)10月撮影☆
 
城楼といっしょに撮った写真の続きのカットです。
架線柱が無いので、橋の欄干の外側から撮ってもきれいな編成写真を撮ることができました。
 
☆平成7年(1995年)10月撮影☆
 
京包線方面からやってきた列車が、北京駅に向かってゆっくりと通過していきます。
八達嶺の山越えのため、東風4型とNY7型のダブルヘッダーでの牽引となっています。
現在はプッシュプルでの形態になり、北京の北の南口駅で補機が解放されて、本務機のみで北京駅へ到着しますが、
当時は重連のまま北京駅まで乗り入れてました。
このような機関車運用も、昔語りのものとなってしまいました。
 
☆平成7年(1995年)10月撮影☆
 
***
 
北京の鉄ちゃんの“聖地”東便門。非電化時代の姿はいかがでしたか?
今回あらためて写真を見て、本当にすっきりしていてすばらしい場所だったなぁと再確認しました。
また、撮った写真の少なさに、何でもっとたくさん撮っておかなかったのかと後悔しています。
 
鉄道そのものもそうですが、大きなビルが建ったりして、周りの景色も大きく変化しました。
鉄道橋の下の道路を走る車を見ても、
黄色い軽のワンボックスの1元タクシー“面的車”(みぃえん でぃー ちゅー)が走っていたりして、
原稿を書きながら懐かしさに浸ってしまいました。
 
今は電化されて架線柱が立ってしまい、ちょっとごちゃごちゃしてしまいましたが、
北京のど真ん中でいろいろな列車をきれいに、
お手軽に撮ることができるすばらしい撮影ポイントであることには変わりありません。
私が次回北京へ行ったときにも、時間が許す限り、
きっとこの東便門の線路際でカメラを構えていることでしょう。
 
さて、そろそろ21世紀へ戻りましょうか。これにて時間旅行は終了です。
 
 
 
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
 
 
=残念なお知らせ=
2007年4月18日の第6次大提速ダイヤ改正で、新幹線タイプの高速列車CRHシリーズの運転が始まり、
安全上の問題という理由で、東便門付近の鉄道にも防護柵が立てられ、
立入禁止となってしまいました。
 

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