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〜福と寿で縁起担ぎ〜
津山線 Tuyama−Line                                                H21.4.10 更新


金川〜建部間を走るキハ120系

線区データ
営業キロ岡山〜津山 58.7km
駅数17駅
全線開通1898年(明治31年)12月21日
線路全線単線・全線非電化

津山線は岡山県の中心部を南北に走る路線です
岡山〜福渡間は旭川の渓流に沿って走り、福渡〜津山間は美作地方の津山街道に沿って走ります

津山線の歴史は古く、開業は明治時代にさかのぼります
1898年(明治31年)12月21日に「中国鉄道」が岡山市〜津山(現在の津山口)間を開業させました
計画では米子まで建設される予定でしたが、1904年(明治37年)に日露戦争が勃発した影響で建設は断念されました
津山線が現在と同じ形になったのは開業から25年目になります
1904年(明治37年)に岡山〜岡山市間が開業して、国鉄岡山駅へ乗り入れるようになりました。1923年(大正12年)には国鉄作備線(現在の姫新線)として津山口〜津山間が開業しました
中国鉄道の国有化は遅く、1944年(昭和19年)のことです。現在の中国鉄道は中鉄バスとして残っています

国有化された津山線は陰陽連絡路線としての使命が与えられ、数多くの特急・急行列車が走るようになりました
1960年(昭和35年)に津山線と姫新線を経由して岡山〜中国勝山間を走る準急「ひるぜん」が登場しました
その2年後の1962年(昭和37年)に宇野線・津山線・因美線を経由して宇野〜鳥取間を結ぶ、急行「砂丘」が登場します。急行「砂丘」は岡山と鳥取を結ぶ列車として、最盛期は1日5往復も運転されました
1972年(昭和47年)に山陽新幹線が開業した事により、急行「砂丘」は岡山〜鳥取・倉吉間の運転に変更され、急行「ひるぜん」は廃止になりました
1997年(平成9年)11月29日に岡山〜鳥取間を智頭急行線経由で運転する、特急「いなば」が登場しました。これにより、急行「砂丘」は全列車が廃止になる予定でした。しかし、地元の要望により急行「砂丘」の時刻で運転する列車が残されることになりました。この時に登場したのが急行「つやま」で岡山〜智頭を1往復運転することになりました。快速「ことぶき」も岡山〜津山で登場しました。なお、津山〜智頭間は急行「つやま」も快速列車として運転されましたが、2年後に津山線内のみの運転になりました
そして、最後の昼行急行列車として運転していた「つやま」も2009年(平成21年)に快速へ格下げされました
廃止直前の急行「つやま」はグリーン車を連結する最後のキハ58系気動車として注目されていましたが、2003年(平成15年)から普通列車と同じキハ40系気動車で運転されるようになりました。急行列車としてのサービスはかなり悪化し、廃止に拍車をかけた結果となりました

現在の津山線には陰陽連絡路線の面影が無くなり、地域輸送に徹したローカル線になっています
快速「ことぶき」は岡山〜津山間を1日7往復運転しています
普通列車は全区間を運転する列車の他に、僅か1駅の岡山〜法界院間の運転が多数設定されています。これは法界院駅周辺に岡山大学などがあるからです。一部の法界院発着列車は吉備線と直通運転を行います
早朝・深夜時間帯には岡山〜福渡間、福渡〜津山間を運転する列車もあります。平日限定で岡山〜野々口間を運転する列車も1本だけあります

津山線で使用されている車両はキハ120系気動車とキハ40系気動車です
快速「ことぶき」にはキハ40系が使用されています

全国的に厳しい状況のローカル線の中でも津山線は沿線自治体の補助や住民の募金により1996年(平成8年)に高速化改良工事が行われました
また津山駅にある扇形機関庫が地元住民の希望により保存活用される事になりました
津山線は地域に守られ、愛されています

キハ40系 急行「つやま」

旧津山機関区 扇形機関庫 転車台 亀甲駅

特急列車
特急列車は運行されていません

駅ガイド
駅名
読みがな





岡山おかやま

法界院ほうかいいん

備前原びぜんはら

玉柏たまがし

牧山まきやま

野々口ののくち

金川かながわ

建部たけべ

福渡ふくわたり

神目こうめ

弓削ゆげ

誕生寺たんじょうじ

小原おばら

亀甲かめのこう

佐良山さらやま

津山口つやまぐち

津山つやま


停車駅凡例
● 全ての列車が停車
○ 一部の列車が停車
↓ 通過
− 種別設定なし

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