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第9回 世界へ羽ばたく「関西国際空港」 「関西三空港時代」を迎え、三空港の共倒れを防ぐためにそれぞれの空港に役割が与えられることになりました そして、2007年(平成19年)8月2日に第2滑走路の使用が開始されました そして、以下の図は関西国際空港の最終的な全体空想のイメージです 開港当時は「アジアのハブ空港」を目指した関西国際空港でしたが、欧米便を中心に国際線の乗り入れが少なく、国内線の利用率は大阪国際空港に比べて低く、主力路線は大阪国際空港へ移っていきました
関西国際空港とは
大阪府南部にある泉佐野市の沖合5kmに浮かぶ空港です
「関空」(かんくう)の通称で親しまれ、成田国際空港(通称:成田空港)に次いで日本で2番目の規模を誇る国際空港です
2007年夏の時点で旅客・貨物合わせて66社の航空会社が乗り入れています
世界初の人工海上空港として有名で後に建設される海上空港のモデルとなっています
関西国際空港の管制塔では付近の空港への進入・進出を一括して管理する広域航空管制が行われています。そのため、大阪国際空港(通称:伊丹空港)、神戸空港(愛称:マリンエア)、八尾空港、徳島飛行場(通称:松茂空港)、高松空港の離発着する航空機を一元的に管制します大阪に新しい空港を!
関西国際空港には調査開始から開港まで26年の歴史があります
1960年代頃の日本は高度経済成長期を迎えていました。当時、関西地区唯一の空港であった「大阪国際空港」には世界各国から飛行機がやって来るようになりました。その同時期に空港周辺には住宅が立ち並ぶようになりました。
航空輸送の需要増加に伴い航空機製造会社のボーイング社はB707、ダグラス社はDC−8などの大型ジェット機を開発し、航空会社は大阪国際空港へ就航させました。しかし、大型機は環境問題を引き起こしました。1964年(昭和39年)に空港周辺の8つの市が国に対して騒音対策の実施を要求しました。このため、大阪国際空港は21時〜7時までの飛行が禁止となりました。また、ジェット機の乗り入れ本数制限もあり、新型ジェット機が開発されても航空会社は就航させることが出来ず、YS−11などの旧型プロペラ機を使用せざるを得ない状況でした
そこで、1968年(昭和43年)に運輸省が新空港建設地として、阪和県境・泉南沖・岸和田沖・西宮沖・六甲沖・ポートアイランド沖・明石沖・淡路島の8ヶ所を調査しました。調査の結果、泉州沖・神戸沖・播磨灘の海上3箇所への建設が審議されました。播磨灘は地盤が良好でしたが大阪からのアクセスが悪い点と漁業権の問題がありました。神戸沖は交通アクセスが非常によかったのですが、神戸沖には多くの船舶が航行するので海上アクセスの建設が問題視されました。泉州沖は将来的に空港の拡張が行いやすいですが、風の影響が大きい点が問題となりました。それぞれの地域ごとに長所短所がありました
同時期に泉州沖・神戸沖・播磨灘では本格的な空港建設調査が開始されました。しかし、周辺住民は反対ムード一色で、地元説明会では反対派の住民が混乱を起こし、説明会が中止になったこともありました。市議会でも反対多数の市があり、運輸大臣が大阪・兵庫・和歌山の3府県知事を訪問して協力要請をしたこともありました。地元住民への説明会は何度も実施されました。審査の結果では神戸沖への建設が最有力となりましたが泉州沖への要望が強く、神戸沖は地元の理解が得られなかったために1984年(昭和59年)に泉州沖へ関西国際空港の建設が決定しました。計画では大阪国際空港は廃止の方針となりました。もうひとつの候補地であった神戸沖への空港建設も将来行われることになりました。泉州沖の関西国際空港は日本初の本格的な24時間空港として計画され、滑走路は平行滑走路2本と横風用滑走路1本としました。
1987年(昭和62年)関西国際空港建設への第一歩として海上基地が設置され埋め立て工事が始まりました。同年には空港連絡橋の建設も始まりました。さらに翌年には旅客ターミナルビルがイタリアの建築家レンゾ・ピアノ氏のデザインしたものに決定しました。翼を休める鳥をイメージしたターミナルは非常に完成度の高いものとなりました
空港連絡橋は1991年(平成3年)に完成し、続いて下段の連絡鉄道の工事へ入りました。のちに連絡橋の愛称は公募で選ばれて「スカイゲートブリッジR」に決定しました。Rの文字はRoad、Railway、Rinkuの頭文字を表しています
工事は着々と進み、1994年(平成6年)1月に空港島が完成、同年3月に連絡橋のスカイゲートブリッジが完成、4月に旅客ターミナルビルが完成し、9月4日に開港しました。
開港を記念して関西国際空港には音速旅客機「コンコルド」が飛来しました。関西三空港時代へ
華々しく開港した関西国際空港ですが、当初の予想に反して利用率はあまり良くありませんでした
関西国際空港が開港すると同時に廃止される予定だった大阪国際空港が予定を変更して国内線のみ運行の空港として存続することになりました
その為、関西国際空港が開港してしばらくすると、都心部に近い大阪国際空港発着の便数が増加するようになりました
国土交通省は騒音対策のために大阪国際空港へのジェット機乗り入れ制限を強化しました。この制限により大阪国際空港には小型機・中型機だけが乗り入れるようになり、それまで乗り入れていたB747などの大型機は乗り入れ禁止となりました
さらに、2006年(平成18年)2月16日に神戸空港が開港しました。国内線のみを運行する空港です。三ノ宮からのアクセスが非常に良いため、羽田便や新千歳便などの利用率は高めになりました
関西国際空港は関西地区への国際便を全て受け持つ事になり、国内便も合わせて一日あたりの630本まで運行できるようになっています
大阪国際空港は、都市型空港として一日の発着便数を370本、うちジェット機は200本を上限としました。国際線の運航を行わないので、大阪空港への名称変更が検討されています
神戸空港は地方空港として1日あたりの発着便数60本と制限されました。現在はチャーター便の国際ビジネスジェットが就航していて、今後定期便の国際線の運行を要望する意見もあります関西国際空港のビジョン
第2滑走路の併用を開始した関西国際空港ですが、関西国際空港はまだ完成していません
以下の図は1994年(平成6年)9月4日関西国際空港開港時の平面図です
旅客ターミナル以外の細かい建物と誘導路は省略しています
この時点での滑走路は1本です
滑走路は2本になり、1期空港島と繋がる誘導路として、一般道路と立体交差をするアンダーパス工事が行われました
2期空港島はまだ造成工事が進められているため、一部区画は工事中です
この時点では駐機場や貨物施設もまだ建設中です
この構想は1980年頃に計画されたもので変更される可能性が高いです
平行滑走路2本と横風用滑走路1本で合計3本の滑走路が計画されていました
旅客ターミナルは2ヶ所、貨物ターミナルも広く拡張される構想です
そこで、乗り入れが安定している貨物事業を重視することにして2005年から「国際貨物ハブ空港」を目指しています
しかし、アジアには関西国際空港以外にも大型空港があります。国内では成田国際空港・福岡空港・那覇空港がハブ空港を目指しています。特に那覇空港は中国方面への立地条件がよく、全日本空輸(ANA)が貨物事業のハブ空港にしています
そして、近隣諸国では韓国の仁川(インチョン)国際空港・中国の北京首都国際空港・香港国際空港・上海浦東(プートン)国際空港・広州白雲国際空港・シンガポールのチャンギ国際空港・タイのバンコク国際空港などがすでに各航空会社のハブ空港になっています。この中で広州白雲国際空港は貨物ターミナルの増設中で完成後には世界最大手の貨物航空会社であるフェデラル・エクスプレスがハブ空港にすることが決定しています
一方、関西国際空港をハブ空港としている外資系航空会社は一社もありません。関西国際空港の着陸料は1tあたり2090円で、400tほどの重量があるジャンボ機(B747)では80万〜90万円の着陸料となります。成田国際空港は1tあたり約1600円、仁川国際空港は約1000円ですので非常に高い着陸料となっています。また、貨物施設や駐機場がすでに一杯の状況で貨物施設の早急な建設が望まれています
関西国際空港にとっては非常に厳しい現状なのです関西国際空港へのアクセス
京都・新大阪・天王寺から関西空港行きの特急「はるか」が運転されています
京橋・大阪・天王寺・JR難波からは関空快速が運転されています
難波からは南海電鉄も運行されています
また、全国各地からリムジンバスも運行中です
もちろん、航空機でのアクセスもできます!
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