このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

第1回「ありがとう日本の翼YS−11」

はじめに
YS-11とは唯一の純国産旅客機でした。
最後の定期運用は、日本エアコミューター(JAC)で福岡〜鹿児島・松山・高知・徳島と地方路線で活躍していました。
2006年9月30日にラストフライトを迎え、引退しました。
今回の特集は、日本の翼。「YS-11」を取り上げていきたいと思います。

YS−11の概要
YS-11は1962年に日本の空に飛び立ちました。
開発は「日本航空機製造株式会社」という半官半民のメーカーが行いました。
YS-11の名前は日本航空機製造株式会社の前身である「輸送機設計研究協会」の頭文字に由来しています。
機体は、全長26.3m、全幅32.0m。ジャンボジェットの半分以下のサイズです
プロペラ機のため速度も遅く、福岡〜鹿児島間ですとジェット機では40分のところ、ほぼ1時間かかります。
また、エンジン音がうるさく、よく揺れる飛行機として不評な点が多くありました。
利点としては、日本の土地事情に合わせてわずか1200mの滑走路で離着陸が可能になっています。
世界一頑丈な飛行機でもあり、現在JACの機体が総飛行時間・総飛行回数の世界記録を持っています。
また、定時運航率が92%を達成していてます。最新の機体でもこの数字はなかなか出ないです。
YS-11は1974年に採算が合わない等の理由で、製造中止となりました。
そして、2006年・・・ついに約40年の歴史に幕を下ろしました。

HISTORY of YS-11
1956年5月30日通産省が中型輸送機の国産化計画を発表。
1958年12月11日YS-11実大模型(モックアップ)の公開
1962年8月30日試作1号機 名古屋空港で初飛行に成功
1964年8月25日YS-11 運輸省航空局形式証明取得
1965年4月1日YS-11が初の路線就航。日本国内航空(旧JAS)による「東京〜徳島〜高知線」        
1972年12月182機をもって製造中止
1974年2月1日YS-11最終号機 海上自衛隊へ引き渡し
1982年9月6日日本航空機製造株式会社 解散
1991年8月全日空からYS-11引退
1996年3月8日日本エアシステムからYS-11引退
2003年8月31日エアーニッポンからYS-11引退
2006年9月30日国内定期路線から引退

機内のご案内
座席数は64席、2・2の配列です。
パイロット2人、客室乗務員2人の乗務です。
離陸前には最近では珍しい、救命胴衣のデモストレーションがあります。
ってか、YS-11に機内モニターはありませんので・・・

天井には冷風口・読書灯・乗務員呼び出しボタンがあります。
「スチュワデス呼び出し」の文字が時代を感じさせますね。

機内のトイレはなんと、汲み取り式です。
水を流すペダルがありませんでした。
各種案内はすべて日本語表記、さすが国産飛行機ですね。

ラストフライトの半年ほど前からJACでもキャンペーンを行なっていました
ラストフライトツアーや記念メダルを販売していました
下の写真は利用客全員に配布された、搭乗証明証です。

ラストフライト
YS-11最終便は、JACがYS-11を最初に就航させた沖永良部空港〜鹿児島空港のフライトになりました
鹿児島空港ではセレモニーが実施され報道陣や航空ファンが集結しました
引退後のYS-11はフィリピンへ輸出されるそうです
これからもYS-11は世界の空を飛び続けるでしょう・・・

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