このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

みちしるべ

お寺での法話やお茶会や講演会で目にし耳にした言葉、
小説や雑誌の中で感銘をうけた文章や語句、
人生の道標 
などなど


薬師寺のことば (昭和45年頃 薬師寺に書かれていた)

  すべてのものは変化する。

  ただ変化しないのは 自己のなかの 自己のみである。

  それが即ち佛性であり、永遠なるものである。

  故に 佛を観る。

薬師寺東塔



観音正寺の道標  (平成2年、西国三十三寺巡礼の際、観音正寺の参道に書かれていた)
 人生には真の失敗はない。前進の一過程である。
 明日は何をなすべきかを知らない人は不幸である。
 言い訳をすればする程、自分をみじめにする。
 行き詰まりは環境のせいではない。自分の心の行き詰まりである。
 安易な生活からは、人生の貴重な体験は生まれない。
 楽なことを幸福と思っていては、人生の深い喜びは味わえない。


人生は気分   気持ちの持ち方一つで毎日が変わる
毎日の生活に心地よい刺激を与えてくれるスパイスが「未知」との出会いだ。
「未知」はいつでも「期待」という魅力を発散している。
好奇心こそが「未知」という魅力あふれる世界の扉を開くカギとなる。

人を新たな幸せや興奮に導いてくれるものが 「好意」 である。
人は好意を感じているものから好意を示されると、大きな喜びを感じる。
相手から贈られた「好意」のさらなる増加と継続を期待して、自分の方からより大きな「好意」を返信しようとする。
人間を突き動かすものは、理屈ではなく 「気分」 である。

出展:「人生は気分」:江川淑夫著(コニカ(株)特別顧問 元ミネベア常務)
    ダイヤモンド社[97年9月




将棋の内藤国雄さんの講演
自然の手に悪手なし。 ミスを出しても知らん振り。
それより次のミスを無くす努力をすること。


童門冬二 「海の街道」より。   越前大野藩主、土井利忠のことばとして。
人と人との交流が人間の心の奥深くねむっている無限の可能性を解き放ってくれる。
人は誰でも日常生活の繰り返しの中で、無意識のうちに自分の垣根を作ってしまう。
その中で自足し、安心を得ようとする。それを外から乱されることを嫌うようになる。
これは一見居心地がの良さを自分に植えつけるが、
外に向かって発展しようとする活力を押し殺してしまう。
こうした自分を埋没させる心の垣根を取り払うことが必要である。

光ありて耀かさず
・自由闊達は自己管理との相関で成り立つ。自我をいかに抑制するかが肝心。
・光ありて耀かさず(かがやかさず)。(老子)・・・頭に乗ってはいけないですよ。
   出展:オリックス会長 乾恒雄氏(雑誌:プレジデント)


よい人材を得るために   
          「荻生徂来の訓示」。西国三十三寺巡礼の松尾寺にて(平成2年)
・人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて初めて長所の現れるものなり。
・人はその長所のみを取らば、即ち可なり。短所を知るを要せず。
・己が好みに会う者のみを用いるなかれ。
・小過を咎むる要なし。ただ事を大切になさば可なり。
・用うる上はその事を十分に委ぬるべし。
・上にある者は下の者と才智を争うべからず。
・人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨つべからず。


一期一会 (いちご いちえ)

茶の振る舞いは一期一会と言われる。

「その人にとって生涯にたった一度しか会えない人。!!」 ということ。

毎日顔を合わせる馴染みの人間でも、その日はじめて会ったときは、
    生まれて初めてその人に出会ったと思い、
    また別れを告げるときはもうこの人と二度と会えないと思う気持ちで、
    その出会いを大切にする。

茶室内で亭主と客が遭遇し、亭主が茶を点てるときは
    「心の限りの奉仕の精神を尽くす」。
一方客は「結構なお点前でした」と礼を言うのは、
    「亭主の奉仕に対する精一杯の感謝の気持ち」なのである。

両者の間の凄まじい緊張感。奉仕と感謝の念が宇宙で激突する。
出展:(1)各種のお茶会にて、(2)童門冬二「小説・千利休」より

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