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指揮官たちの特攻

【著者】 城山 三郎    【装丁】 新潮文庫 232頁
【価格】 438円+税    【発行】 平成16年8月

著者は海軍特別幹部練習生として終戦を迎えた。本書は特攻隊員として散っていった二人の先輩への惜別の辞である。
その二人とは、神風特別攻撃隊第1号に選ばれレイテ沖に散った関行男大尉と、敗戦を知らされないまま玉音放送後に最後の特攻隊員として沖縄へ飛び立った中津留達雄大尉である。
二人は海軍兵学校74期という同期生であるばかりでなく、飛行学生としてともに学び、配属先の宇佐航空隊では、わずか5人に絞られた艦爆仲間であった。
にもかかわらず、この二人はあまり親交はなかったらしい。「ウマが合わぬ」というところだろうか。
関は昭和19年9月、台湾への赴任を命じられたが、台湾にはわずか3週間ほどいただけで、フィリッピン、ルソン島中部のマバカラットという大きな基地へ転任させられた。
そこで、特攻を命じられるのだ。母ひとり子ひとり、妻ありという家庭条件からすれば、過酷な任務を命じられないのが暗黙のルールだったが、なぜか海軍初の特攻が関に命じられた。
10月25日、関の指揮する5機は米国機動部隊に体当たりをし、大きな成果を挙げた。
中津留は終戦間際、大分基地へ配属された。沖縄への特攻のためである。この攻撃は、第5航空艦隊司令長官・宇垣纏中将が親率する。このため希望者が多く、5機の予定が11機になった。終戦後の出撃である。要は、司令長官が部下を引き連れて自害したということだ。
それにしても、敗戦が明らかになっているにもかかわらず、軍部はただ意地と見栄のためだけに戦いを続けたとしか思えない。
その是非はともかく、戦争は始めたら勝つことを目的としなければならないのは当然だ。しかし、日本の軍隊は、勝つという目的を見失うといたずらに精神論に走り、国民の命を粗末にすることしか考えなかった。
「桜花」、「震洋」、「回転」といった自殺兵器は、人を兵器の補助具にしたものだ。機雷をかかえて海に潜り、敵艦を待ち受ける「伏龍」に至っては、とても正気の沙汰とは思えない。
私たちが知っておかねばならないことは、いつの時代でも為政者が正しいとは限らず、指導者が公正だとは限らず、表面上の多数意見が民衆の真意とは限らない、ということだ。
私たちが敗戦から学ばなければならないことは、まだまだたくさんある。






2011.10.8

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